第2話 ドラゴンクエストⅤ

 リビングに現れた爼倉尊宣まないたぐらたかのぶは、床から彼専用の冷感クッションを拾い上げ、俺の左斜め後方に座った。おそらく、ゲームをしている俺の視界に入らないようにという彼の気遣いなのだろう。しかしながら、俺はすぐに居心地の悪さを感じた。俺からは彼の姿や行動は見えないが、彼からは俺と、俺がプレイするゲーム画面が丸見えなのである。


「まだやってんですか。もう三日目ですよ」


 案の定、爼倉はテレビモニターに映ったゲーム画面に関する指摘を口にした。


 俺が今プレイしているのは、スーパーファミコン版のドラゴンクエストⅤだ。彼の言う通り、俺は三日前からこの「グランバニアへの洞窟」をうろついている。目的はもちろん、はぐれメタル狩り。だが、今回ははぐれメタルを仲間にしようとは思っていない。単純なレベル上げだ。


「三日目ったって、一日一、二時間ずつしかやってないっての」


「それでももう飽きません?」


「飽きる飽きないじゃない。スラリンがしゃくねつを覚えなきゃならないんだ。仕方ないだろ」


 その理由は昨日既に説明してあるため、爼倉は黙った。見えないが、やれやれ、という顔をしているのは明白だ。


 そう、今回の冒険では、スラリンがグランバニア到着までにしゃくねつを覚えていなければならない。そうしないと、ストーリーが変わってしまうのだ。


 仲間モンスターの一人(一匹)であるスライムのスラリンは、グランバニアから北方にあるデモンズタワーにおいて、立ちふさがるキメーラLV35の吐き出す火炎に自らの特技「しゃくねつほのお」をぶつけて爆発させ、相討ちとなって死ななければならない。


 これは、言わずと知れた久美沙織先生の傑作『小説ドラゴンクエストⅤ』のストーリーであり、俺はそれをゲーム内で再現するべく、延々と洞窟で魔物と戦っているのだ。


 もちろん、主人公の名前は「リュカ」。妻はビアンカだし、キラーパンサーはプックルである。小説で仲間になるモンスターは全て仲間にし、それ以外のモンスターは使わない。そして、次々と死んでいく仲間の魔物たちは、しかるべきタイミングで死亡させ、そのまま納骨(モンスターじいさんに預ける)するつもりだ。


 初めて仲間モンスターが死亡するのがグランバニア襲撃時。メッキー(キメラ)、ガンドフ(ビッグアイ)、パペック(パペットマン)が命を落とす。その後攫われたビアンカを追って訪れるデモンズタワーにおいて、スラリン、ドラきち(ドラキー)、スミス(腐った死体)が死亡する。


 つまり、このタイミングでのレベル上げが必須であり、かつはぐれメタルを狩れるため、最も効率的なのである。ちなみに、スライムが「しゃくねつ」を覚えるのはレベル九十九だ。


 しかしながら多少の不安はある。死んでいく仲間たちのことは鮮明に記憶しているが、他の仲間たちの中には、若干あやふやな者たちがいる。例えば、リンガー(シュプリンガー)は仲間になったような気がするが、どんな状況だったのか。マーリン(魔法使い)はCDドラマにはいたが、小説にもいたか。挙句には、ジュエル(踊る宝石)は死んだような気がしてしまっている。青年期後半のストーリーは怒涛の展開すぎるのと、子どもたちが可愛すぎるため、仲間モンスターに対する記憶が薄いのだ。


「あ、ミステリドールが仲間になりましたよ」


「おう」


 爼倉に、俺は短く返事を返す。


「ミステルだって。エステルみたいだ。こいつ使えます?」


「いや、30までしか上がんないし、呪文も補助ばっかだから使わなくていい」


「へぇ、でも使ったことないから使ってみよう」


 こいつは人の話を聞いていない。いや、聞いていてわざとなのかもしれない。いつもこんな調子である。もう腹も立たなくなった。


「今ルラフェン辺りか」


「そう。これからプックルを迎えに行くところ」


「メンバーは?」俺は振り返って訊いた。


「ええと、スラリン、プリズン(プリズニャン)、アプール(エビルアップル)、ピエール、ホイミン、サイモン(さまよう鎧)……、で、マーリンと入換えでミステルです」


 ふうん、と息をついて、俺は画面に向き直る。わざととしか思えないようなメンバー構成である。SFC版では仲間にならないモンスターが半分を占めている。特に猫好きの俺にとって、プリズンは羨ましい。


「ああ……」爼倉のため息が聞こえた。「でも迷いますわ~。俺今回ビアンカにしたら、初ビアンカっすよ」


「おいおい、この前決めたって言ってたじゃないか」


「そりゃ、映画見た直後だったからね。少し時間が経って、冷静に考えてみると、やっぱりフローラの方がかわいかったですもん」


「いや、そりゃそうかもしれないけどさ……」


 俺は思わずコントローラーを置き、再び彼に目を向けた。


 そう、今この部屋で、三十代後半と四十のおっさん二人が、SFC版とDS版のドラクエ5をプレイしている理由。それは、一週間前に公開された映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』にあった。



 その映画は、俺が人生で一番好きだと胸を張って言えるゲーム、ドラゴンクエストⅤをモチーフに作られた作品だった。愛しているが故に、前評判などの情報はシャットアウトした。まっさらな気持ちで観に行きたかったからだ。


 もちろん公開初日に映画館に行った。少しでも人が少ないほうが良いと思い、九時半開演のレイトショーにした。地方の映画館のレイトショーは、初日でもニ十組ほどしかいなかった。


 俺の感想は「これはこれで面白かった」だった。情報を断ったのが良かったのだろう。変に期待しすぎることもなかったため、素直に作品を受け入れることができた。


 しかし、俺のすぐ後ろに座っていたカップルの女性の方は、そうではなかったようだ。映画が終わり、会場のライトがぼんやりと明るくなっていく中、突然彼女は叫んだ。


「金返せーーーーーー!」


 俺は驚いて身を竦ませた。「おたけび」をまともに食らった気分だ。


 その後、なんとすすり泣く声が聞こえてきた。俺の後ろで女が泣いている。男の声はしない。おそらくまごまごしているのだろう。可哀想に。


「これ作った人は、ゲーム一回もやったことない人なのかな!」


 意味不明な怒りの言葉に恐怖を覚えた俺は、そそくさとその場から逃げ出した。今思えば、顔ぐらい拝んでおけば良かったかもしれない。


 帰りの車の中で、俺は考えていた。「ゲーム一回もやったことない」とはどういう意味なのだろう。


 やったことがない人が作ったとは思えない作品だったし、やったことがなければ作れない作品だとも思った。そもそも「作った人」はどこまでを指しているのか。俺の認識では、作品を作った人、イコール作品に関わった人であり、数百人単位でいるだろう。その人たちが皆、一度もゲームをしたことがないはずがない。


 そして「金返せ」という言葉も引っ掛かる。彼氏じゃなくて自分でチケット代を払ったのだろうか。だとすると、彼氏も彼氏だ。


 コンビニでコーヒーを買って、車の中でスマホを見た。他の人が映画にどんな感想を抱いているか気になった。そこには「クソ」が溢れていた。たまに養護する人もいるようだが、圧倒的に少数派だった。


 不安になる。俺の後ろで叫んでいたあの女が正常なのだろうか。とても記事の中身まで読めなかった。


 家に帰ると、爼倉が待っていた。


「あ、お帰り。どうでした?」


 爼倉は笑顔だった。彼も別の映画館で観て来たはずだった。彼はどう思ったのだろう。


 こういう時、俺はいつも嘘つきになる。


 周囲に合わせ、自分の意見は引っ込める。


 相手の意見に対し、すぐに「たしかに」などと納得したふりをする。


 頭に浮かんだ言葉は「とにかくⅤがやりたくなったよ」というどうでもいい感想だった。一度濁して、爼倉に先に感想を言わせて、それに纏わりつけばいい。


 いつものように。


 その方が楽だ。


 しかし、今回は駄目だった。


 俺は「いつもの」、「楽」を、諦めた。


 他ならぬ『ドラクエⅤ』に関わることで、嘘はつけなかった。


「俺は……あれはあれで面白かったよ。すごく楽しめたよ」


 そうだ。初めて3Dのリュカが動いた瞬間に泣いた。


 パパスが意外と若い声で喋った時にも泣いた。


 パパスが焼かれるシーンでは拳を握りしめた。


 フローラはものすごく可愛かった。


 ビアンカへのプロポーズシーンは胸を熱くした。


 息子が天空の剣を抜いた時はまた泣いた。


 思わぬ展開に驚いた。


 昔の自分に会ったような気がして、泣いた。


 楽しかった。


 二時間があっという間だった。


 もちろん俺にも言いたいことがある。作品にも、そして作品を「クソ」という人々にも。でもそれは、言わなくてはいけないことではない。俺は、楽しかった。それだけで充分だと思った。


 爼倉が微笑んだ。


「ですよね! 俺もけっこう楽しみました!」


 彼が人に意見を合わせるような男ではないことは、俺が良く知っている。


「あー、もう俺、今Ⅴやりたくてしょうがないっすよ!」


「俺はやるぞ!」


 俺は爼倉の横をすり抜け、リビングに入った。テレビを点け、ゲーム機の配線をいじる。レトロフリークの電源を入れ、SFCのタイトル一覧からドラクエⅤを起動した。


「あ、いいなぁ!」


「こんな時のためのレトロフリークだ」


 爼倉が俺の隣に座った。


 冒険の書を作る。


「名前は?」


 分かりきった質問を、爼倉は投げかけた。


「もちろん」


 映画の主人公の名前を付ける。それは大好きだった小説版の名前でもある。


「リュカ」。それは、今でも俺にとって最高の主人公の名前だ。


 映画と小説のストーリーは当然ながら違った。俺は小説のストーリーを、今回のプレイで再現することに決めた。それは映画を批判しているわけではない。俺にとって、やはり小説こそが「俺のドラクエⅤ」だからだ。


 映画は昔の自分に会わせてくれた。観客それぞれがそれぞれに、昔の自分に会った、はずだ。そして、思い出したはずだ。それぞれの中にある、ドラクエⅤユア・ストーリーを。


 あの頃の俺と、今の俺は違う。違うけれど、同じ俺だ。あの頃の延長上に、俺はいる。そのことを思い出した。


 あの頃よりもずっと先にいるはずの俺が、あの頃の自分を遥か下から見上げていることがある。それを認識した。


 だからこそ、また俺は歩き出せる。俺だけのストーリーを。

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