アラフォーのおっさんが最近のゲームに馴染めずにいます。

赤尾 常文

第1話 ドラゴンクエストⅡ(FC)

 すでに三十分近く、ロンダルキアの祠の周辺をひたすらうろつき、雑魚敵との戦闘を繰り返していた。ハーゴンの神殿に行く前に最終的なレベル上げをしているのだ。


 ローレシアの王子は「あれん」、サルマタは「こなん」、ムーンブルク王女たんは「なな」という名前である。現在のレベルは37、35、28だ。


 あれんが38にレベルアップしたので祠に戻ろうとした時、あと数歩のところでエンカウントした。敵はデビルロード三体である。回復しなくても倒せそうだったので、三人とも「たたかう」を選択する。高速で戦闘が進み、あっという間に一ターン目が終了した。次も「たたかう」だ。サルマタが甘い息で眠ったらしく、コマンドは二人分であった。敵はまだ三匹残っている。再び高速での戦闘。一匹減った。そして次の瞬間、画面が真っ赤になった。


 デビルロードがメガンテを唱え、あえなく全滅してしまったのである。


「あ」寝ながら漫画を読んでいたはずの爼倉尊宣まないたぐらたかのぶが、短い声を上げる。「しょこさん、セーブしてないでしょ。さっきレベル上がったのに」


 なんだお前は。夢中で『ハイスコアガール』を読んでいたんじゃなかったのか。この男は、本当にいつも気づかなくていいことに気が付く。そして、言わなくてもいいことを言う。見なかったことにして、そっとしておいてくれればいいものを、わざわざ教えてくれるのだ。俺が油断してセーブを忘れていたことなど、俺が一番よくわかっている。


「五月蠅いな。どうせ三、四戦だからいいんだよ」俺はため息を押し殺して言う。平常心を装わなければならない。


 画面が一瞬にして切り替わり、あれんたちは何事も無かったかのように、再び雪に覆われた大地を高速で歩き始める。既に十分高いレベルだと思われるのだが、このあたりの敵は油断すると死にかねない強さだ。ギガンテスの痛恨の一撃、ブリザードのザラキも気を抜けない。アークデーモンはこのレベルでも普通に強い。


 再びあれんのレベルが38になった。俺がすかさずコントローラーを操作すると、画面が一瞬停止し、速度が元に戻った。


「今度はちゃんとセーブしましたね」爼倉がニヤリとする。


「五月蠅いっての」


「毎回セーブしたらいいのに」


「それはそれで面倒なんだよ。速度元に戻っちゃうから」


 俺は今、レトロフリークというハードでファミコン版のドラクエⅡをプレイしている。クイックセーブ・ロード機能はもちろん、最大四倍まで速度を上げることができる。しかも、ファミコンのみならず、スーパーファミコン、ゲームボーイ(カラー・アドバンス含む)・PCエンジン、メガドライブのソフトを起動することもできる。


 さらには、SDカードにゲーム自体をインストールすることが可能で、一度読み込んでしまえばソフト自体が不要となる。レトロゲームをプレイするには、これ以上ない優れものである。価格は三万円弱と少々高く、見た目や感触もショボいが、機能的にはそれだけの価値がある、と思う。


「っていうか、本当に最大まで上げるんですか? もうクリアできるっしょ」爼倉は欠伸をしながら言う。


「せっかくなら上げたいと思うのが人情じゃないか。四倍でできるんだし」


「でも、これ以上はそんな変わんなかった気がしますよ」


「そういう問題じゃない」俺は残り少なくなったウーロン茶を飲み干した。「カンストはロマンだ。それに俺は、レベル上げという作業が好きなんだよ」


「まあ99じゃないだけマシですかね」


「え、そうなの? いくつなんだっけ?」


 爼倉はスマホを持ち、検索する。その間にも俺は戦闘を重ねている。とりあえずブリザードかデビルロードが出たらセーブだ。


「えっと、ローレが50、サルマタは45、ムーンたんは35ですね」


「なるほど」と言いつつ、俺は少々驚いていた。まさかキャラによって違うとは思わなかった。この年齢になっても、知らないことは沢山あるものである。ななたんはあと6レベルだが、あれんをあと12上げるのは少々面倒くさい。


「じゃ、とりあえずななたんだけ上げて、男どもはそれから考えるか」


「いや、確か最大レベルに必要な経験値は三人同じだったはず。えーと、あった。全員百万ですね。だからムーンたんが最大レベルになる頃には、オス二人もカンストしてますよ」


「そうか。じゃあ全員カンストしかないな」


「今の経験値どんくらいっすか?」


 俺は戦闘が終わったタイミングでクイックセーブをする。それと同時に速度も元に戻った。メニューを開き、ななの「つよさ」を確認する。彼女が一番最後に仲間になるため、最も取得した経験値が少ないはずだ。つまり彼女の数値を確認すれば、他の二人は見る必要はなくなる。


 その数字に、俺は不覚にも五秒程固まってしまった。


 491510。


 爼倉も黙って画面を見つめている。いや、こういう時に何か言おうよ。いつもの通り「まだ半分しかいってないじゃないですか!」とかさ。軽くツッコミめいたものを俺は求めていますよ、うん。


「いやー」爼倉がこちらを振り向く。さあくるがよい。「あと半分だからもうすぐっすね! 頑張ってください!」


 ダメだ。それはダメだぜマナグラさんよ。それは嫌味にしか聞こえねーぜ。シロガネーゼ。俺がとっくに飽きていることなんか分かりきっているだろうによ。まさかわかっていないとでも言うのか? いや、勘の良いお前のことだ。それはあるまい。「諦める」という選択肢を、即座に潰しに来たに違いない。先ほど俺の脳裏に一瞬で浮かんだ「うん、やめよう。さっさとクリアして次に行こう」という台詞はもう使い物にならない。


 どうする? 考えろ。手を止めるのは良くない。歩こう。速度は通常のまま数歩移動し、エンカウントした。ブリザード三匹である。とりあえずセーブする。Aボタンを連打して戦闘が始まる。速度を四倍に上げ、あっという間に戦闘が終了した。


 サルマタに呪文を使わせる。四倍のままなのでカーソルが滑り、なかなか狙った場所に止まらない。やむなく速度を戻し、ルーラを唱えた。祠に戻って回復し、またセーブする。


 作戦は決まった。これしかない。


 俺は再びフィールドに出て、西に向かって歩き始める。エンカウントしてもセーブして逃げる。逃げられなかったらロードして逃げる。そして一直線にハーゴンの神殿を目指した。


「あれ、クリアしちゃうんですか?」当然爼倉が気づく。なにが「あれ、」だ白々しい。しかしあまりにも予想通りの台詞だったので、身構えていた分だけ一瞬間が開いてしまった。


「いや、そう言えばラスダンまだ探索してなかったから一回行っとこうと思って」


 どうだ。我ながら完璧なカモフラージュではないか。もちろん俺は引き返すつもりはない。このままハーゴンの目の前まで行って、今日はゲームを終了する。そして爼倉の知らないうちにクリアして、さっさと別のゲームを始める。それについて何かを言われたとしても「後でゆっくり上げることにした。とりあえず一回クリアしたから並行してこっちを進めているんだ」と言えばいい。


 爼倉は特に何か言うこともなく、再び『ハイスコアガール』に集中し始めた。彼は読むのが速く、一巻から読み始めて四十分弱ですでに三巻に入っている。もう少し味わって読めば良いのに、この男は何につけても人よりスピードが速い。せっかちというわけでもないのだが、要領が良いというか、俺の三倍速くらいの機能を有している。


 ついにハーゴンの神殿に足を踏み入れた。だが、そこにはローレシアの町並みが広がっている。ハーゴンの作りだした幻覚である。これを打破するには、ルビスの守りが必要だ。俺は「どうぐ」を開き、そのアイテムを探した。


 あれ? ない。


 ルビスの守りがない。


 そう言えば、ロンダルキアへの洞窟で命の紋章を手に入れて、そのままレベル上げに入ってしまったんだった。つまり、ルビスの守りを貰いに行っていない。


 爼倉を横目で見る。奴は漫画に夢中で気づいていないようだ。よし、このまま何事もなかったかのようにルーラで戻り、ルビスの守りを貰いに行こう。


 祠に戻り、すぐさま旅の扉で下界に戻る。あまりにも久しぶりの下界で、どうやって町に戻るのかわからず、無駄に外に出たりしてしまった。いかん。冷静になれ。


 ベラヌールの町に戻ると、それはもう通常の四倍くらいの勢いで外を目指す。


 フィールドに出て船に乗る。だいたいの位置はわかっている。デルコンダルの近くだ。つまりは西に真っ直ぐ向かえばいい。そう言えばデルコンダルとイスカンダルとヘルコンドルは似ている。コスタ・デル・ソルもまあ雰囲気は似ている。


 狙い通りデルコンダル周辺の海域に着いた。ここまででも本当にザコが邪魔であった。エンカウントが高いRPGは他にもあるが、こんなにも鬱陶しいのはあまりないような気がする。ギネスを狙えるレベルなのではないか。


 周辺を適当に探すだけでも、いちいち敵が出る。もう少し上だっけ? 左だっけ? とやっているうちに、イライラも溜まっていく。


「もっと右上ですよ」不意に爼倉が言う。いつの間にか三巻を読み終わっていたようだ。不覚である。俺は自然と身構えた。


「ルビスの守り貰ってなかったとかウケるんですけどー! レベル上げ飽きたの誤魔化すために神殿行こうと思ったら入れないとかマジダサすぎっすよ。どうせ今日はハーゴン前まで行って続きは明日とか言って僕がいない時にクリアしてそのまま有耶無耶にしちゃうつもりなんでしょ。わかりますよそれくらい」


 という、これ以上ない屈辱的な台詞を覚悟した。


 しかし、爼倉はそれ以上何も言わなかった。そっと腰を浮かし、本棚に『ハイスコアガール』三巻を戻すと、四巻を手に再び元の位置に戻る。そして、テレビ画面に背を向ける形で寝そべった。


 優しい……。


 普段は余計なことばかり言う男だが、ふとした瞬間にこういう優しさを見せることがある。悔しいが、女性に人気があるのも肯ける。


 ルビスの守りを無事に入手し、再びハーゴンの神殿に戻ってきた。まるで初めて足を踏み入れたように振舞いつつ、幻覚を打ち破る。本当の姿を現した神殿の中を、どんどん進んでいく。雑魚は無視だ。戦わない=経験値入らない=レベル上げる気ない、ということばバレバレだが、もやはそんなことはどうでもいい。とにかくもう早くドラクエⅡを終わらせ……いや、クリアして一区切りつけたいのである。


 そう思っていたら、アトラスが現れた。そうだった。こいつらがいたんだった。一応セーブしてから戦う。それほど強くはない。やはりレベルは十分すぎるようだ。しかし、この先にはバズズとベリアルもいる。これは面倒である。できるだけMPを消費せずにハーゴンまでたどり着きたい。もはや一度たりともやり直したくない気分なのだ。祠に戻って回復し、また神殿までの道を歩き、再びこのダンジョンを進む。RPGのラストダンジョンなら当たり前のことなのに、俺は今、何よりもその行動が嫌でしかたない。


 結果的に、バズズもベリアルも楽勝で、そして、ラストダンジョンのわりには思ったよりも短く、さほど回復もせずにハーゴンの前に到着してしまった。現代のRPGのラスダンは異常に長く複雑(ついでにグロい)ものが多いため、それに慣れてしまっていたということもあるだろうが、それを差し引いてもちょっと短すぎる気もする。だが、今の俺にはありがたい。


 さて、ここからである。


 予定通りここで終了すべきか、それともこのまま倒してしまうか。まだ時刻は22時過ぎ。明日も仕事だがまだ寝るには早すぎる。


 俺は速やかに決断する。


 メニューを開く。ドラクエⅡのメニューではなく、レトロフリークの方である。数字が0になっている個所で右ボタンを押し、1に変える。そして、その下の「セーブ」を選択する。さらにもう一度数字を0に戻し、ハーゴンに話しかけた。


 レトロフリークは、クイックセーブを一つのソフトにつき百個保存することができる。先ほどの操作で、現在の状況、つまり「ハーゴンの直前」という状況を別のデータとして切り離したことになる。こうすることで、このままクリアしてしまっても、いつでも「今」に戻ることができるのだ。


 ハーゴンは弱かった。あっという間に戦闘が終了してしまった。爼倉は何も言わずに画面を見つめている。何を隠そう、俺はⅡをクリアしたことがなかったので、ハーゴンの最期には少なからず衝撃を受けた。彼は自らの命を生贄として捧げ、その結果見事に破壊の神の召喚を成し遂げたのである。


 破壊神シドーは、知性を持たず破壊衝動のままに暴れまわる存在とされている。確かにゲーム中でも悪役はハーゴンであり、シドーが彼を操っているわけでもない。しかしながら、それにしてはこの出現は少しドラマチックである。もしかすると、自分の召喚のために祈りを捧げ続けるハーゴンの存在を、シドーは感じていたのではないだろうか。おそらく、それまでも数々の人間や邪教徒たちの命が捧げられてきたはずである。それでもシドーを召喚することは叶わなかった。しかし、ハーゴンの祈りは通じていたのかもしれない。だからこそ、彼の命が潰える瞬間をシドーは感知し、それに応えてこちらの世界に出現したのではないか。それならば、知性は確認できる。何よりも、破壊衝動しかないのであれば、王子たちを敵と認識することもできず、神殿を破壊してどこかへ飛び去ってしまうだろう。


 俺には、姿を現した破壊神が、ハーゴンの遺志に応えるため、脅威となる王子たちを排しようとしているように見えた。


 シドーとの戦いはわりと良い戦いであった。あれんしかダメージが通らないので、他の二人は補助と回復しかない。それにしても、ななたんのHPとMPがシドーの翼に隠れて見えないのが辛い。


「見えねぇー」俺は独り言を装って爼倉に話しかける。


「シドーの強さはこれに尽きますよねー」気持ちは通じている。当然のように爼倉は応じた。


「それにしてもサルマタは何の役にもたたんな」


「まあサルマタですから」


 そして、シドーを撃破した。ルビスと思われる声がどこからともなく聞こえる。ドラクエではこの「どこからともなく」聞こえる声が多いが、俺はまだ聞いたことがない。一度くらいはどこからともない声を聞いてみたいものだ。幻聴と言われそうだが。


 さてエンディングが始まるのかと思いきや、その場に放置される三人。はて、どこへ行けば良いのやら。


 とりあえず下界に戻って、ローレシアを目指した。当たり前だが敵が出ない。破壊神が倒されたことと魔物がいなくなったことは、きっと関係ないだろう。エンディングだからエンカウントしないのであって、おそらくその辺にうみうしがいっぱいいるはずだ。そんな想像をしながらローレシアに到着すると、当たりだった。その後は普通にエンディングが流れた。


 最後の文字は「The End」だった。


「ファミコンなのに書体がオシャレだな。っていうかフィンじゃないんだ」俺は素直な感想を言う。筆記体なのだが、Eがくるくるしていてとても優雅な雰囲気である。


「フィンじゃなくてファンですよ」


「え? いや、フィンでしょ。エフ・アイ・エヌだよ?」


「フランス語でファンって読むんですよ。ピリオドが付いてると英語になってフィンでいいみたいですけど」


「へえ。まあ俺の頭の中のフィンはピリオド付いてるから。それにしても相変わらず変なことばっかり知ってんな」


「そうでもないっすよ」爼倉は薄く微笑むと、再び漫画の世界に戻った。


 真っ暗な画面に白く浮かぶ「The End」の文字を、俺は数十秒眺めていた。なぜ、この文字はこんなに美しいのだろう。何十年も前に発売されたものなのに。いつでもセーブができて四倍速にもできる環境だったのに。


 当時子どもだった俺たちはすっかり大人になった。


 年齢はすでに40を過ぎた。大人になってもずっとゲームをやっていたいと思っていた子どもの頃の俺は、今の俺を見てどう思うだろう。


 時代に取り残され、新しいゲームにはついていけなくなった。やってみればそれなりに楽しんでしまうのだろうが、もうあの頃のように「あれもこれもやってみたい」とは思わない。やりたいと思うゲームが稀にあっても、発売前に気持ちが萎えてしまうこともある。俺たちが子どもの頃は、大人たちがゲームに夢中にならないことが不思議だったが、その理由が少しわかったような気がする。


 それでもゲームから離れられないのは、この現実逃避の方法があまりにも体に染み込んでしまっているからだろうか。しかし、その逃避も前述の理由によりままならなくなった。そして俺は、過去に逃げたのである。


 ドラクエⅡをクリアしたことがなかった俺にとって、今回のクリアは「前進」という確かな意味を持った。


 人間は逃げた先ですら、前に進むことができる。


 何十年経ってしまっても、後退することはない。


 俺の心の深い部分に刻み込まれた、無数の小さな記憶の傷跡。それらを埋めていくことは、もしかすると、再生への一歩となり得るのかもしれない。

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