監獄ちゃんがゆく
広畝 K
監獄ちゃん、ひったくり犯をぶちのめす
初夏の、ある晴れた昼下がりのことです。
どこにでもいそうな明るい雰囲気を纏った少女が、児童公園のベンチに座ってソフトクリームを食べています。
「わったっしーは監獄ちゃんー♪ はんざいしゃーをーぶっちのめすー♪」
甘いバニラアイスを口の周りにべたべたとつけながら、監獄ちゃんは声高らかに歌います。
その歌声は、まあ、カラオケの採点機能がお子様用接待得点で七十点とか弾き出しそうな音程具合ですが、そういう歌声の普通さも含めて可愛らしい少女です。
外見もそれなりに可愛らしく、つり目はパッチリ黒い色。髪色はメタリックシルバーで形はツインテール。目鼻立ちは整っていて、ギザ歯がアクセントとなっている美少女です。
ちなみに上は『禁錮』と書かれたダサTを着て、下は黒と灰の縦縞スカートを履いています。履いているニーソックスは横縞で、やっぱり黒と灰による配色です。
そんな監獄ちゃんがアイスクリームの最後の砦たるチョコアイスに、噛み付こうとしたまさに時でした。
「助けてー! だーれかー! たーすけておくれー!」
どこからともなく、助けを呼ぶ声が聞こえてきたのです。
監獄ちゃんはそれを聞くなりベンチにすっくと立ち上がり、チョコアイスが落ちるのを目で追いながら叫びました。
「助けを求める声が! この私を! 他でもない私のことを呼んでいる! 行かねばならない!」
ベンチから飛び降り、鼻を垂らしたちびっこたちが指を差してくるのにも構わず、ちびっこたちの母親たちが自身を見てヒソヒソと内緒話をしていることにも構わず、彼女は児童公園から飛び出しました。
飛び出してから三秒後、意外に近いところで助けを求める声の主がおりました。
渋柿色の着物を着た、腰の曲がったお婆ちゃんです。
「どしたのおばあちゃん! 助けにきたよ!」
「おお! 監獄ちゃん! 助けておくれよ!」
「だから助けに来たっつってんでしょ! どーしたのよ!」
「ひったくりが出たんだよ! あたしのバッグが盗まれたんだよー!」
「なんですって!」
お婆ちゃんの指差す先には、犯人の影も形もありません。
そりゃそうです。助けを呼んでから七秒以上は経っており、七秒もあれば小学生でも四十から五十メートルほどの距離を走れます。
ひったくり犯がバイクや車に乗っていたのなら、なおさらでしょう。
「だいじょうぶだよ、おばあちゃん。私が必ず犯人をぶちのめすからね!」
「いや、バッグを取り返してくれたらそれだけで良いよ」
「監獄ちゃんアイ!」
監獄ちゃんアイとはなにかを、説明しなければなりますまい!
監獄ちゃんの視力は両目とも非常に優れており、一時期テレビで話題になっていたアフリカのタンザニアに住んでいるとされる部族の民にも引けを取らない距離を観測することができるのです!
その視力を完全開放する掛け声が、監獄ちゃんアイなのです!
以上! 説明でした!
「見つけたぁっ!」
そう、監獄ちゃんは尋常の視力では見えないだろう五百メートルほどの距離を、その先にある信号機の下で止まっている人間を視認したのです。
バッグを肩に掛けている、ひったくりであろうライダーを、その目にしかと捉えたのでした。
「おばあちゃん! 行ってくるよ!」
「身体に気をつけるんだよ」
「もちろん!」
そして監獄ちゃんは『うおー』とか『うらー』とか叫びながら一生懸命に走りましたが、まったくバイクに追いつけません。
それどころか、どんどん引き離されていく有様です。
しかし、それは当たり前のことでしょう。
監獄ちゃんの足は一般的な、それこそ同年代の全国平均に勝るとも劣らない程度の運動能力しか有していないのです。
なにせ、外見は一般的な少女となんら変わらないものですから。
「くっそう、あのやろー! バイクに乗ってるからって調子に乗ってやがんな!」
息をはあはあぜえぜえと荒げながら、監獄ちゃんはあごに滴った汗の雫を手の甲で振り切ったその時のことでした。
「おや? もしかして監獄ちゃんじゃない?」
「もしかしてその声は……ミニパトのおねえさん!」
そうです。その声は監獄ちゃんの強い味方、ミニパトを自在に繰ることで有名なお姉さんなのでした。
二十八歳で独身で、高年収でイケメンの彼氏を募集中だということは監獄ちゃんも知っていますが、それ以外の、例えば本名とかは知りません。
「どしたの? こんなとこで息荒げちゃって」
「ひったくり犯を追ってるの! ミニパトで追ってくれる?」
「よし! 任せな!」
お姉さんは路肩に止めていたミニパトに飛び乗ると、ブルンと一声エンジンを吹かせ、助手席のドアを蹴り開けました。
そして監獄ちゃんはすかさず助手席に滑り込み、ドアを閉めると同時にシートベルトを装着します。
「ひったくりは?」
「肩掛けバッグのライダーよ! この先真っ直ぐ!」
「了解ッ!」
ミニパトは猛犬のような唸りを上げ、前輪を浮き上がらせ、赤ランプを急回転させながら、超スピードで発進しました。
初速からエンジンが高く唸りを上げるそのスピードとGは、さしもの監獄ちゃんも驚くほどのものでした。
「おねえさん? なんかこの子、前より早くなってる機がするんだけど!」
「分かる? ちょっとばかりチューンナップしたのよ。エンジン周りと、足周りをね」
「車検通る?」
「通させるのよ!」
アクセルをベタ踏みし、ミニパトは四輪をフル駆動させて跳び行きます。
止まる車を避け、避けれぬときは前輪で天井に乗って走り、時には対向車線を走って対向車を跳び越えながら、ひったくり犯のバイクを猛追します。
その鬼気迫るプレッシャーと後方から聞こえるドライバーたちの怒声と衝突音に、逃走中のひったくり犯は気づきました。
「まさか……俺を追ってるってことは、ないよね……?」
「その『まさか』なんだよなぁ」
「!」
ひったくり犯が右を見ると、併走しているミニパトのボディの上に、腕を組んだ小さな女の子が乗っているのが目に入りました。
その目はギラリと鋭く輝き、口元には不敵な笑みが浮かんでいます。
「なっ……だ、誰だお前……!」
「あくとうに名乗る名はないッ!」
監獄ちゃんは叫び終えると同時にミニパトから跳び、ひったくり犯の顔を目掛けて拳を振り抜きました。
その威力は足と違って同年代とは比べ物にならぬほどのものでありまして、犯人のヘルメットを粉砕し対向車線を越えた先にあるコンクリート塀に叩きつけました。
しかし、
「へえ、なかなかやるじゃない」
「伊達にバイクに乗ったままひったくりなんてしてねぇよ」
ひったくり犯はヘルメットを素早く脱ぎ捨て、監獄ちゃんに打たせたのです。
その早業は流石の監獄ちゃんといえども、咄嗟に見極めることができないほどの技術の冴えでありました。
そして今、ひったくり犯は監獄ちゃんの右腕をしっかりと掴んでいます。
片足でハンドルを捌きながら運転するという、変態技巧を披露しながら。
「さて、これからどうなるか分かるな?」
「言ってくれないと分からないかなー?」
からかうような監獄ちゃんの声色に、ひったくり犯は怒声を上げました。
「こうするんだよ!」
ああ! なんということでしょう。
ひったくり犯は監獄ちゃんの右腕を掴んだまま、監獄ちゃんを軽々と振り回し、後方の車両へと叩きつけるようにして放り投げたのです。
しかしそれは、監獄ちゃんの予想の範疇内でした。
「なにっ……?」
ひったくり犯の見遣る先、監獄ちゃんは両の手足にて車両に軟着陸し、再びバイクに向かって飛び込んできたのです。
火事場の馬鹿力とか、愛と勇気は勝利するとか、そういった人類の限界を超えるとされる可能性を監獄ちゃんは発揮したのでした。
「おらぁっ!」
「ぶへぁっ!」
ひったくり犯はその頬骨を砕かれ、バイクから落ちてごろごろと転がり、歩道で血だらけになりながらぴくぴくと痙攣して完全に気を失いました。
バイクはスリップして他の車両を避けながら電柱にぶつかり、派手に凹んだだけでなく、打ち所が悪かったのかエンジン部が大破して、瞬く間に爆発炎上しました。
「これにて、いっけんらくちゃく!」
無事に着地してガハハと笑う監獄ちゃんの背後には、轟々と燃え盛る火焔と高く立ち上る黒煙、集まり出して騒ぐ野次馬、そして遠くから聞こえるサイレンの音が高く低く唸っていました。
***
「監獄ちゃん、やりすぎです」
「はい……」
監獄ちゃんはひったくり犯をぶちのめし、バッグをおばあさんに返した後、とある秘密の小部屋にて、法務大臣の小母様にこっぴどく叱られていました。
しかし、それもそのはずで、被害車両が十数台、重軽傷者も数十人、警官隊や消防隊員などの増援を要請し、大事にしてしまったからなのです。
それでも長いお説教で済んでいるのは、監獄ちゃんが超法規的存在であるところに理由がありました。
そう、監獄ちゃんは人間ではなく、実は監獄が擬人化した存在なのです。
だからこそ、法務大臣の手足となりうる優秀な部下として、その行動を緩く甘めに管理されているのです。いざとなれば法務大臣の命令に従い、あらゆる荒事をやってのけることでしょう。
そんな日は、当分来ることはなさそうではありますが。
ともあれ、法務大臣の小母様はこっぴどく監獄ちゃんを叱った後、その頭を優しく撫でました。
「分かってくれたかしら?」
「うん! すっごいよく分かった!」
「そう? じゃあ、少しだけテストしてみましょうね?」
「いいよ!」
「犯罪者が出たらどうしますか?」
「ほどほどにぶちのめすー!」
「はい、よくできましたー!」
「わーいわーい!」
監獄ちゃんは平和のために、今日も明日も、そして未来も、元気に犯罪者をぶちのめしていくことでしょう。
おしまい!
監獄ちゃんがゆく 広畝 K @vonnzinn
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