吸血鬼と猫娘
じゅん
吸血鬼の楽しみ
「あんまりこんなこと言いたくないけどね、遠藤くん。君はまじめに仕事をするつもりはあるのかね?たるみすぎじゃないか?こんな書類の一つや二つ、しっかりできないようじゃ困るんだよ。」
目の前で上司が眼鏡をくいと指先で押しながら怒鳴っている。上司は過度なストレスがかかるとき、いかにも偉そうにこの仕草をやってのける。
「なんとか言ったらどうだい、え?君がしっかりと仕事をこなしてくれないとこっちとしてもどうにもしようがないんだよ。これで入社三年というから笑わせてくれるな?今まで何を学んできたのかい?」
依然として沈黙を続ける僕を見て、先ほどよりも怒気が強くなっているのを感じる。
僕は無表情に、冷徹なまなざしで上司を見ていた。それが端からどのように見えるかなど、考えていなかった。むしろ沈黙という名前で、静かな抗議をしていたのだ。この問題に関しては、自分には何の責任もない。悪いのは上司の方に決まっている。聞こえない言葉を発していた。
今日の朝来たときから何かがおかしいことはわかっていた。通常の倍以上の仕事の量を押しつけられたのだ。それを今日中に仕上げろという。いくらなんでも急すぎる。上役である以上従わないわけにはいかないが、心の底では不満だった。
上司は僕に割り当てるはずの期限付きの仕事を忘れていたにちがいない。今日になって、ようやくそれがあることを思い当たったのだ。
言ってやりたい、正義を。まぎれもない事実を。誰でも上司が悪いというだろう。でもこの社会は、当たり前のことを口にしているやつを嫌がるだろう。誰もが自分に都合の良い幻想にしがみついている。濁り切った眼で、偏見に満ち溢れたメガネをかけて世界を征服した気持ちでいる。
上司の口元が少しニヤついているのがわかる。
さぞかし楽しいのだろう。立場の弱い人間を痛みつけるのが。
学校ならば、イジメだと言って訴えればいい。相当面倒なことになるが、未来はよりいい方向に進むだろう。
でもここは職場だ。僕はお金をもらうためにここにいる。パワハラだと言ったところで、バカを見るのはこの僕だ。それぐらいの暴言さえ、我慢できないのか?そういう言葉だって、結局は励ましていることになるだろう?そういった心ない反論が頭の中で湧き上がってくる。
自分で自分を守るために、僕は頭を下げる。
「申し訳ありません。今日中に仕上げます。」
「ったく、早く終わらせろよ、あとがつかえてんだからよ。」
最後に吐き捨てるようにそう言われて、デスクにもどる。
はあ…。僕はなんのために生まれてきたんだろう…。
スマホを見て現在時刻が20時30分であることを確認したとき、だれかからLINEが来ているのがわかった。
相手は決まっていた。猫娘だ。画面の中でかわいい猫のアイコンが踊っている。
「今日は話せそう?」
「いや、ムリだ。上司から仕事を押しつけられた。」
「大変だね…。」
「ごめんな。明日なら、LINEできるとおもうのだが。」
「吸血鬼はさあ…。」
「うん?」
「わたしのこと、好き?」
僕の心の時間は、凍りついた。
この女は、何を言っているんだ?頭でもおかしくなったのか?顔も見たことのない男を好きになるようなやつなのか?
震える手で、必死に何を返信しようか考えていた。中学生のころ無我夢中でやっていた美少女ゲームの選択肢が空中に浮かんでいる。
「どうして、そんなこと聞くの?」
「いいから、答えて。」
「いや、好きかどうかなんてわからないよ。会ったこともないんだし。」
「じゃあ、会わない?」
え…?
思わず盛大な音を立ててスマホを落としてしまった。
上司がこちらをにらみつけているのがわかる。
落としたスマホを急いで拾ってから、僕は返信をした。もうやけくそだった。
「わかった。会おう。いつ空いてる?」
吸血鬼と猫娘 じゅん @kiboutomirai
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