[6-2] 片っ端から斬り刻む!

 三年前のあの日を思い出す。


 ルセリアは〈セントラルタワー〉から少しでも遠くへ逃げようとする人々を横目に、中央線の専用路を〈プロングホーン〉で駆け抜ける。


 モーターが法定回転域を突破。走り抜けた後に高周波音が余韻を残す。


 後部座席から囁かれるイナミの声はタクティカルグラスの通信機能を介しているので、高周波音で聞こえにくくなることはなかった。


《みんな逃げて大丈夫なのか。逆に混乱が広がるぞ》


 彼の危惧はもっともだ。

 しかし、今さら市民を止める方法などない。


 オフィスからこちらをオペレートするエメテルが、気休めを言う。


《大量発生したミダス体は、〈セントラルタワー〉に直進してます。被害は市街地のほうには出てないようなので、まあ、今は大丈夫でしょう》


 ルセリアは冷静に振る舞うエメテルに声をかける。


「確か、妹のひとりが内務局にいるって言ってたわよね」


《はい、連絡は取れてます。警備局の部隊とフロアに立てこもってるみたいです。それで少し前の状況になりますが、正面エントランスと避難経路のいくつかは突破されました》


 余計な質問をしたようだ。エメテルは任務に集中しようとしている。


《私たちが受け取った指示は『サブエントランスに向かい、健在の警備局と協力して敵を掃討せよ』とのことです》


「オーケイ。そこまで送るわよ、イナミ」


《頼む》


 住宅街を抜け、機関施設群を抜け、白い巨塔が目前に見えてくる。


〈セントラルタワー〉周辺には十六もの支塔が建ち並んでいる。そのそれぞれから、横倒れを防ぐためのワイヤーが主塔に張り巡らされていた。


〈プロングホーン〉は東ゲートから敷地に侵入した。


 バーはへし折れ、行く手を遮る物は何もない。通り抜ける間際、ルセリアはゲート監視塔の窓に視線を向けた。


 室内に血が飛び散っている。ひとり分。ふたり一組で警備しているはずなので、恐らくは同僚が潜伏体で――


 空に響く無数の銃声と咆哮で、ルセリアは意識を前方に向ける。


 車道には破壊された戦闘用車両が打ち捨てられていた。その隙間を縫うように〈プロングホーン〉を走らせる。


 タクティカルグラス上のマップには、兵士とミダス体の位置が示されている。エメテルが〈ハニービー〉を使って情報収集を済ませておいてくれたのだ。


 だが、状況はよくない。制圧し終えた他の場所から集まってきたのか、敵を示す赤い光点が無数に表示されていた。


 ルセリアたちはミダス体の背後から接近している形だ。


《回り込んで警備局の後ろに――》


「タイムロスになるわ。最短ルートがあるでしょ、エメ」


《き、危険ですよう! 左右から挟まれたら……》


「あたしならなんとかできる。あっちに通告して!」


《……了解です。警備局の防衛ラインまで走り抜けてください》


「任せなさい!」


 そう答えてからすぐ、夜の暗闇と炎上する車両の黒煙が左右に分かれ、ミダス体の大群が視界に飛び込んできた。


 思わずハンドルを握る手に力が入る。

 画面上に光点として見るよりもずっと数が多く見えた。


 ――なんとかできるって言ったけど、ちょっときついかも。


 両者は互いに機関銃を構え、激しい銃撃戦を繰り広げていた。


 ミダス体は負傷をいとわない真っ向からの前進。


 もう一方の警備局は、盾にしていた装甲車の列をルセリアの接近に合わせて動かす。


 ミダス体が、背後から突っ込んでくる白いマシンに気づいて振り向いた。


 そのときすでに、ルセリアの『視認』は終わっていた。


 進路上のミダス体から無数の氷の刃が生え伸びる。周囲の仲間も巻き添えにして、巨大な剣山があっという間に形成された。


 そこへ、ルセリアは〈プロングホーン〉のフロントを叩きつける。


 粉々となって舞う氷像を振り払い、警備局の防衛ラインへと到達。ルセリアはマシンを横滑りさせた。


 まずい。エントランスに突っ込む。


 自滅する前に、イナミが地面に足をつけた。

 タイヤとアスファルトの摩擦音に加え、激しい火花を散らせながら、大型マシンはどうにか停止するのだった。


 ルセリアは、ふう、と大きく息をつく。


 装甲車のゲートが閉じる。乱入者の奇襲が過ぎ去り、銃撃戦が再び始まった。


「イナミ、あんたは評議会室に行って」


「わかった」


 通信機を介していない声だと気づいたのは、彼が〈プロングホーン〉から降りた後だ。イナミはすぐには背を向けず、ルセリアの肩に手を置いた。


「すぐ戻ってくるからな」


「……こっちに気を回してる余裕なんてあるの?」


「余裕とかじゃない」


 そう言うと、イナミが突然、ルセリアを抱擁した。


 一瞬何が起きているのかわからずに呆然としていたが、自分が外骨格に包まれたイナミに抱き締められていると気づいて、次第に顔が熱くなっていく。


「な、何やって――」


「お前たちと地上で出会えて、本当によかったと思っている。だからだ」


 抱擁と同様に、イナミはぱっと離れた。


 家族でもなんでもない異性にこんなことをされたのは初めてだった。

 彼の行動、言葉はどういう意味なんだろう。


 ずっと硬直していたルセリアは、冷たい夜風に吹かれた後で、思わず眉をひそめてしまう。


「『お前』?」


「お前とエメテルのことだ」


「……あー、うん。そう思ってくれて、あたしも嬉しいわ」


 ルセリアは苦笑いを浮かべ、イナミの背中を叩いた。

 ナノマシンが結合したという外骨格は分厚い金属のように硬いが、生きる者の温もりも感じられた。


「さっさと行きなさい。先にこっちが終わるかもしれないわよ」


「ああ」


 強く頷いたイナミは、サブエントランスへと走り去った。


 それを見送ったルセリアも〈プロングホーン〉から降り、防衛ラインを指揮する警備局の隊長を探す。


 それよりも先に、向こうがこちらを見つけていた。特別なヘルムを装着した兵士が大きく手招きをする。


 ルセリアは小走りに駆けつけ、リストデバイスから身分証を提示した。


「特務部第九分室所属、ルセリア・イクタスよ。七賢人の命により加勢を――」


「やあ、ルセリア」


 聞き覚えのある女性の声だった。

 フェイスガードを展開させて見せた素顔は、褐色肌の若い女性のものだ。興奮状態にあるのか、猛獣じみた金色の瞳を輝かせている。


「……ヤシュカ! 無事でよかったわ」


「なんとか。どうしてきみがあの黒いヤツと一緒にいるんだ?」


「彼は仲間よ。あたしたちのね」


 ヤシュカはわかったようなわからないような顔で、


「まあいい。事情は追々訊くとして、きみが来てくれて助かった」


 ふたりは挨拶代わりに腕をごつんとぶつけ合う。

 ヤシュカは再びフェイスガードを閉じ、戦闘の様子へ注意を向けた。


「どうする、特務官殿」


「いつもどおりよ。あたしが前に出るから、援護をお願い」


「了解。こちらのタイミングで壁を動かすよ」


 ヤシュカは無線機で指示を出した。彼女が率いているのは小隊のはずだが、ここにはそれより多くの人員が配置されていた。それぞれの隊長を失ったところを、彼女がまとめ上げていたのだ。


 ルセリアには指を三本立てて合図を出す。

 一呼吸を置いて、カウントダウンが始まった。


「三……二……」


 弾倉を再装填し終えた兵士が、一斉にこちらを見た。


 不安、恐怖、信頼、戦意――


 ルセリアは視線に応じて頷く。

 レッグホルスターからハンドガンを引き抜き、銃把の感触を確かめながら握り締めた。


「一……」


 そばには、防護盾を持つ兵士が控えてくれた。まるでナイトね、とルセリアは頼もしく思う。


「ゼロ!」


 装甲車が運転席に接続された有線による遠隔操作で動き出す。


 ルセリアは防衛ラインの外へと足を踏み出した。

 タクティカルグラスには、エメテルから〈ハニービー〉の映像が送られていたし、装甲車越しにポリゴン調で示された敵位置も確かめていた。


 だから、シンギュラリティ発動に必要な『視認』はほぼ終えていたのだった。


 前がひらけると同時に――ミダス体がルセリアを認識するよりも早く――その破壊は始まった。


「片っ端から〈斬り刻む〉!」


 一体の敵から突き出た血氷の刃が、隣の敵を襲ってさらに刃を育てていく。


 さながら氷の連鎖爆発である。

 反撃すら許さない。


 屋外、対多数、大量の水分。

 ルセリアの〈氷刃壊花アイシクル・ブロッサム〉が最大威力を発揮する条件は揃っている。


 しかし、これほどの規模で空間干渉を行えば、消耗も甚大である。

 ポーチからATP補給剤を取り出す。これは使い捨て注射器の形をしていて、コンプレッションスーツの腕にある注入口に針を押し込んで使う物だ。


 もっとも、短時間に何本も使えば、脳神経が焼き切れて廃人となるだろう。


 こっちが事切れるか、あっちが全滅するか。


 新手のミダス体が氷花を砕き割りながら現れる。


「……上等!」


 ルセリアは好戦的な笑みを浮かべた。

 獰猛なネコ科動物のような、敵にとっては壮絶な悪魔のような。

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