[4-4] 特別な人
宿舎の二階は広い居住空間になっていた。
廊下の奥の部屋へ案内したエメテルが、ドアを開けるなり両手を広げる。
「じゃーん! こちらがイナミさんの部屋です!」
「……ああ」
「あれ、反応薄いですねー。お気に召さなかったですか?」
「ドアを自由に開け閉めできるのはいい」
「……えっと」
イナミは段ボール箱を中に運び込んでから、気まずい思いで振り返った。
「すまない。俺はあまり他の部屋を知らないんだ。船室や隔離室だけで――そうだ、仮住居よりはずっと綺麗だ。排水溝の臭いもしない。あれは慣れるまで辛かったからな」
「あ、あは、それは何よりです」
部屋はスチール製のベッドとデスクが置かれているだけだった。
冷たい空気感に、むしろ懐かしさを覚える。
今にして考えてみれば、〈ザトウ号〉の船室はどこもこのようなものではなかったか。
そんなイナミの心中を、エメテルは勘違いして微笑んだ。
「ご安心を。ちゃんとお掃除しときましたから」
「……何から何まで世話になる」
と、ダウンジャケットの懐から取り出した眼鏡ケースをデスクに乗せる。
エメテルは部屋に入らず、一階に下りる階段のほうを手で示した。
「私、オフィスで調べ物してます。何かわからないことがあったら、遠慮なさらずに声をかけてくださいねー」
「待ってくれ」
「はい?」
「仕事を増やして悪いが、頼みたいことがある。これなんだが――」
イナミはリストデバイスを取り外し、戸惑う彼女に手渡した。
「妙なプログラムが仕込まれていないか、検査できるか?」
「妙な、です?」
「ああ。こちらが許可していないにもかかわらず、通信回線を開くようなヤツだ。盗聴されているかもしれない」
ルセリアと交戦したとき、リストデバイスが勝手に通話を始めた。いくらマニュアルを調べても、そんな挙動は載っていなかったのだ。
エメテルは右耳のカフ型デバイスに近づけ、耳を澄ますような仕草をした。
「……うーん、あるとすればバックドアですね」
「バックドア?」
「施錠されたドアを、あらかじめ内部侵入させた仲間に開けさせる手法、です。この場合はあらかじめプログラムが入れられてるとか。デバイスはどこで手に入れたんですか?」
イナミは一瞬迷ったものの、頼むからには正直に明かすことにした。
「七賢人から渡された物だ。連絡を取り合うときに必要だから、とな」
それを聞いたエメテルも、「あー……」と声を洩らした。
「とりあえずチェックしてみて、何か見つかったらお教えするということで。解除するのはやめておきましょう」
「それでいい。できればこの相談は、上には報告しないでほしい。ただし――」
イナミは落ち着き払って、エメテルの緑色の瞳をじっと見つめた。
「万が一、俺が機関の敵に回るようなことがあれば、報告してもらって構わない」
「わかりました」
エメテルも真剣な表情で答えた。
「その『万が一』が起きる前には、ちゃんと相談してくださいね。私じゃなくて、ルーシーさんでもいいですから」
イナミははっきりと頷く。
その返事を受けて、彼女は一転破顔、満面の笑みを浮かべた。
キッチンを覗くと、エプロン姿のルセリアを見つけた。
たくさんの野菜をワークトップに並べ、壁にスクリーン投影した調理手順と睨めっこをしている。
暇になったイナミは、彼女を驚かせないように、そっと声をかけた。
「手伝うことはないか?」
「料理したことないでしょ?」
「手本を見せてくれれば、なんとかなるだろう」
「なんとかって……まあ、いいけど」
と、彼女は不安そうに呟いた。イナミが横に立つと、流しの蛇口をひねった。
「まず手を洗いなさい」
「了解。エメテルに手伝わせないのは、ナイフを使わせたくないからか?」
「そこまで過保護じゃないわよ」
ルセリアは『突然なんだ』という顔をこちらに向けた。イナミの見当違いだったようで、年下の少女に対する気遣いは欠片も抱いていない、という様子だ。
「エメの味つけはぶっ壊れてるのよ。レシピどおりにやればいいのに、家庭的なジャンクフードだとか意味不明なこと言って――だから、あたしが担当することにしたワケ」
その致命的な味つけを思い出したのか、ルセリアは肩を竦めてみせた。
「とりあえず、皮剥きお願いできる?」
彼女はキッチンナイフを手に取り、するすると皮を剥いてみせた。
予備のナイフを抜き取ったイナミは、その動作を見たままに模倣する。
「ホントに初めて? 上手じゃない」
と、彼女は満足げだ。こちらに任せてもいいと判断したか、そちらはそちらで皮剥きを終えた野菜をカットしていく。
「もしかして扱いには慣れてるとか?」
「いや、訓練は受けていない。見て、わかった」
「いい目をしてる。銃はどう?」
「一度使った。なぜ、そんなことを訊く」
「別に。……軍だっけ? 警備局よりもずっと大きな戦力だったのよね」
「その大きさを実感することはなかったがな」
作業に慣れ始めたイナミは、ちらりと横目でルセリアを窺った。
「宇宙との交信はないのか? 俺以外にも地球外からの帰還者がいるとか――」
「聞いたことないわね。それに、接触なんてありえないでしょ」
「なぜ、そう思う」
ルセリアはこちらと目を合わせず、言い淀むことなくあっさりとした調子で答える。
「外にいる人間がこの星に帰りたいって思うかしら。あたしだったら、もっといい場所を探すけど。ミダス体がいないような、ね」
ふと息をついた間に、ふたりは続く言葉を失った。
ナイフが野菜を切り刻む音、まな板が奏でる軽い音、蛇口から水滴が落ちる音、空調の稼働音、換気扇の中で唸る風の音――
今度はルセリアがイナミを見上げた。
「宇宙は無重力だって話だけど、身体も浮くの?」
「そうだ。だから、〈ザトウ号〉では区画をゆっくり回転させていた。遠心力による疑似重力で足がつくんだ。地上よりも軽いらしいがな」
「船って大がかりなもんなのね」
彼女は手を止めて尋ねる。
「ずっと閉じこもってるワケでしょ。息苦しくないの?」
「酸素供給に異常が発生したことはない」
「そうじゃなくて……人間関係とか」
イナミは視線を宙に漂わせ、どんな様子だったかを思い出し――
「平和だよ。予算を取り合う以上、対立はあったようだが」
それからふっと自嘲の笑みを浮かべる。
「いや、違うな。生物兵器の研究に関わっていたんだ。平和なんてものは初めからなかったんだろう」
「カザネ……さんも、そうなのよね?」
作業を再開したルセリアが、控えめに尋ねた。
イナミは壁を見る。レシピに目を通しているのではない。もっと別のものを目に浮かべようとしたのだ。
「主任のひとりだ。新型兵士の研究では中心人物だった」
「優秀な人だったのね」
「そうさ。もしも俺が他のチームに回されていたら、すぐ処分されるような失敗作だったに違いない。そのときは、俺と同じ顔をした別のヤツがここに立っていたんだろうな」
それを聞いたルセリアは、語気を荒くした。
「あんたの周りの人間は、命をなんだと思ってるのよ」
それに対し、イナミは自分でも驚くほど無感情になって言う。
「ミダス体もそう思ったから、船員を皆殺しにした」
ナイフでまな板を叩く音が、かつん、と鳴った。ルセリアの手には、思わず力が入ってしまったようだ。
イナミはなおも淡々と続ける。
「俺もクローンが死ぬ映像を見た。肉体の制御に失敗して、醜く膨張した挙句、ディスチャージャーで焼かれるところを」
「……なら」
ルセリアはためらいの息遣いで、こちらを見上げた。
「どうしてあんたは人を憎まないの?」
「さあ。自分でもよくわからないんだ。調子のいい話、処分されずに済んだからか――」
イナミは唇を歪めた。笑みを浮かべたつもりだったが、頬を引きつらせたようにしか見えなかっただろう。
今再び、カザネの最期の言葉が脳裏をよぎる。
『私たちがしてきたことは間違いじゃない』
結局のところ、その言葉を肯定することは、イナミにも不可能なのだ。
イナミもミダス体も、そしてクオノも、〈ザトウ号〉の遺産は全て無に帰すべきだった。
それでもまだ、心のどこかで『正しさ』を信じ続けているのは、なぜだろうか。
「自分で思っているよりずっと、約束を楽しみにしていたのかもしれないな」
「……約束?」
「実地試験を無事に終え、外部に認められるようになったら、地球の観光案内をしてもらえる約束だったんだ。……なのに、ひとりで来てしまった」
「カザネさんのこと、愛してたのね」
突然の言葉に、イナミは瞠目して彼女を凝視した。
口にした本人も自身に驚いた様子で、ひどく狼狽する。
「今のなし。ごめん。気にしないで」
「愛という感情はよくわからないが――」
イナミは穏やかな表情で頷いた。
「カザネは俺にとって特別な人だった、というのは確かだ」
「……ふうん」
ルセリアはばらばらになった野菜を見下ろす。
「カザネさんの話をしてるときのイナミって、ほら、優しい目だったり何かに怒ってる顔だったりするから」
そうなのだろうか、と自分の表情を手で触れて確かめようとしたときだった。
「ふむふむ」
わざとらしく相槌を打ったのは、イナミではない。
「意外な一面を見せるイナミさんが気になっちゃうんですねっ!」
「うっ……!?」
ルセリアが飛び跳ねるほどに驚く。
イナミはとっくに気づいていたのだが――二階に上がってきたエメテルが、カウンターの陰からにやけた顔を覗かせていた。
「声かけてよ心臓に悪いじゃないっ」
「いやあ、なかなかなお話をしてたみたいですから」
「意味わかんない。何、『なかなか』って」
イナミは代わりにすんなりと答える。
「愛についてだろう?」
「……そうだけどそうかもしれないけどっ」
彼女が何をそこまでムキになっているのかわからなかったが、さておき、イナミはナイフを置いた。
「どうだった」
エメテルはキッチンとダイニングを仕切るカウンターにリストデバイスを乗せた。
「中身はまっさらでしたよ。セキュリティは問題なしです」
「そうか……」
むくれていたルセリアも、ふたりの会話に関心を抱いたようだ。
「なんの話?」
「イナミさんのリストデバイスが、盗聴されてるんじゃないか、って話です」
「昨日、俺たちが交戦したとき――」
イナミの言葉の途中で、何を思い出したのか、ルセリアの頬がほんのりと赤く染まる。
「七賢人が介入してきただろう」
「あ、ああ! そんなこともあったわね」
イナミは「も?」と怪訝そうな顔をしたが、彼女は『深く突っ込むな』とばかりに目を合わせようとしない。
エメテルは「うーん」と唸る。
「着信があってから、イナミさんが無意識に触ったんじゃないですか? それか、通話中のままだったのかもですよ」
「そんなことは……ない、と思うんだが……」
言われてみれば、そうだったような気もしてくる。
イナミは自信を持てず、渋々とリストデバイスを手首にはめた。
それから時刻は十九時を過ぎ。
ダイニングテーブルに並んだ料理を見て、エメテルが笑顔をぱあっと咲かせる。
「わほーっ、さすがルーシーさん! すっごくおいしそうです!」
さらにイナミが運んできたミートソースのグラタンを見ると、鼻をすんすんと動かした。
「も、もしかしてこれは――」
「エメのポテチ、砕いて乗せたの。どうしても食べたかったみたいだから」
「ありがとうございますっ」
熱を帯びた謝辞を受けて、ルセリアは苦笑いを浮かべた。
三人が席に着くと、エメテルが「こほん」と改まる。
「イナミさん、地球へようこそっ」
奇妙な響きだった。
望んだ形ではなく、望まれた客人でもない。
敵意と誤解に満ちた、最悪の出会いだったが――
それでも今、イナミはふたりの目の前にいる。
自分は地上にいるのだという実感が、ようやく芽生えたような気がした。
「……ふたりには感謝ばかりだ」
どんな表情をすればいいのかわからないイナミに、ルセリアが微笑みかける。
「堅苦しいのはなしで食べましょ」
彼女はそう言うと、スプーンとフォークを巧みに使い、山盛りのサラダを自分の皿へごっそりと持っていく。
その豪快さにやや驚きながらも、イナミはクリームシチューをスプーンで
宇宙食が薄味だったことに加え、ゼリー飲料を食してきたイナミにとって、ルセリアの味つけは濃く感じた。
その刺激に味覚の活性化が促され、思わず無言で頷いてしまう。
先に食べていたかと思われたルセリアと目が合う。なんでもない風を装って視線を逸らす彼女に、イナミは素直な賛辞を送った。
「うまい。宇宙人と地上人とで味覚が違うんじゃないかと思っていたが、杞憂だったな」
「おいしくて当然じゃない。あたしが作ったんだから」
と、早口に呟きながら、ルセリアはいつの間にか空になっていた皿に次の料理を盛るのだった。
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