[4-2] ネガティブなことばかりじゃない
翌日の午後。
「こんにちはっ」
チャイムが鳴らされたのでドアを開けてみると、エメテルが廊下に立っていた。
赤いダッフルコートに毛糸の手袋と、暖かそうな服装だ。
「お迎えに来ました。お引越しの準備はどうですか?」
「ああ、終わっている」
イナミは玄関先にふたつ重ねて置いた段ボール箱を目で示した。
住み着いて一週間、荷物といえば支給された何着かの服と生活用品、そして日々の食糧だったゼリー飲料だけだ。
地上に来てから、固形物は口にしていない。
イナミは、なるほど、と思ったものである。地上人は実に合理的で、重要なのは味ではなく成分なのだ、と。
もっとも、それは大きな勘違いなのだが――
ともかく、荷物をまとめるには支給品用の段ボール箱を再利用すればよかった。
すでに着込んでいるダウンジャケットの懐に、黒縁眼鏡を入れたプラスチックケースがあるのを確かめる。
もう一度、部屋をぐるりと見回し、
「よし」
置き忘れはない。一週間だけの短い滞在だったが、寝床が移るとなると奇妙な引っかかりを覚えるものである。
玄関先で待っていたエメテルに「行こうか」と声をかけた。
ドアを施錠した後の鍵は、郵便受けに放り込んでおく。
それを横で見ていたエメテルが、感心したような声を出した。
「レトロなセキュリティですねー」
「安全性は高くないだろうな。簡単に壊せそうだ」
イナミはドアノブを軽く引っ張った。
「だ、ダメですよ、やっちゃ」
「もちろんだ。器物損壊の罪で、送られる先が変わる――だろう?」
「ですです」
力強く頷くエメテルに、イナミも肩の力を抜いてみせた。
通路の手すりや外階段はぼろぼろに錆びついている。
段ボール箱の重量も加わったことで、ステップを下りるたびにネジがすすり泣くような音を立てた。
後ろからついてくるエメテルは、おっかなびっくりといった様子で下りている。
門前の道路脇には、白いセダンが駐車している。
運転席には、トレンチコートを羽織っているルセリアの姿が確認できた。
向こうもこちらに気づいたようだ。フロントパネルに向かって口を動かすと、トランクが開放される。それに合わせて、彼女が何やらハンドサインを送ってきた。
中に入れろ、ということだろうか。
段ボール箱ふたつを詰めたイナミは、開いたままのトランクリッドをぼうっと見つめる。
後部座席のドアを開けて待っていたエメテルが、にこりと微笑んだ。
「離れると、自動で閉まりますよ」
言われたとおりに四歩ほど下がると、トランクは静かに閉鎖された。
「宇宙船に車はなかったんですか?」
「さあ。俺は見たことないな」
言葉を交わしながら、イナミは促されるまま後部座席に乗り込んだ。
その後からエメテルも乗車して、ドアを閉める。
彼女がシートベルトを引っ張り出すのを見て、イナミも真似をした。一瞬、クオノは自力でベルトを外せただろうか、という不安がよぎる。
視線を虚ろに漂わせていると、ミラー越しにルセリアと目が合った。
「……なんだ?」
「一応、監視任務だからね」
「今さら抵抗なんてしない。する理由も、ない」
「……ならいいけど」
セダンが静かに走り出し、徐々に速度を上げていく。
モーターの高周波音は全く聞こえない。耳を澄ませば三人の息遣いまで聞こえそうなほど静かである。
ふと気になって覗いてみると、ルセリアはハンドルに手を乗せているだけだ。まるで車に意志があり、走行を委ねているようだった。
「自動操縦なのか?」
「そ。エメのサポートAI、バスケトが運転してるのよ」
ルセリアがセンターコンソールを操作すると、カーナビ用のホログラムディスプレイが浮かび上がる。
画面に表示されたのは、ひとつ目がついた、手提げの竹籠のアイコンだ。カメラの動きに連動しているのか、その目がイナミを見ている。不気味さはない。
エメテルは誇らしげに胸を反らした。
「普段は私の情報収集を手伝ってくれてるんです。ね、バスケト」
《はい、エメテルお嬢様》
バスケトに使われている合成音声は、渋みのある男性のものだった。加えて、変わった呼び方をさせている。
――お嬢様、だって?
なら、自分はなんと呼ばれるのだろう。関心を抱いたイナミは、コンソールの小さなレンズに向かって頭を下げた。
「イナミ・ミカナギだ。よろしく、バスケト」
《初めまして、イナミ様。あなた様については存じ上げております》
試してみて、とてつもない罪悪感に襲われる。イナミはしかめ面で唸った。
「『様』はやめてくれ。イナミでいい」
《承知いたしました、イナミ》
「……この疑似人格はエメテルが構築したのか?」
主人のエメテルがくすくすと笑う。
「私の保護者ですよ。技研に勤めてる人なんです」
「というと、科学者か」
「はい。〈フェアリアン計画〉というプロジェクトで生まれた私たちの――あ、『私たち』っていうのは、同じ日に生まれた妹がふたりいまして。バスケトはその子守役なんです」
「それが今では補佐役か」
「電脳空間での手足になってくれてます。私の能力はバスケトあってこそです」
それで、エメテルは自慢げに話すのだろう。
彼女は少しして、思い出したように「ふふっ」と笑みを洩らした。
「珍しいんです、バスケトの『目』を見て話そうとする人。そういえば、ルーシーさんも同じように話しかけてましたね」
「そりゃ、そうでしょ。いきなり『ルセリアお嬢様』なんて呼ばれたらむずむずするもの」
ルセリアは前を向いて、ハンドルを軽く叩いた。
「〈アグリゲート〉じゃ自動運転は珍しくないけど、バスケトはスペシャルよ。それに何かあったとしても、すぐマニュアルに切り替わるわ」
「……だったら、エメテルがハンドルを握ったほうがよくないか?」
悪意のない質問なのだが、エメテルは「あう」と呻いた。
ルセリアがおかしそうに肩を震わせる。
「十五歳になってすぐ、運転免許を取ろうとしたみたいだけど――」
「予測が先回りになりすぎて、逆に後続が危ないから運転しちゃダメって言われました……」
エメテルはしゅんと肩を落とす。
知れば知るほど不思議な少女だ。
〈
それに、イナミは思うのだった。
「予測が効く、というのは悪いことではないと思うが。戦闘員向きでもあるな」
「絶対ダメよ」
さっきまで笑っていたルセリアが、険しい表情で振り返った。
過酷な戦闘にいたいけな少女を参加させるわけにはいかない。そんな使命感を少しだけ年上の彼女が抱いているのだろうか――
と、イナミが察したのとは、全く違う事情だった。
「頭に身体がついてかないの。何もないところでずっこけたりするから心配で、こっちの気が散るのよ。射撃訓練でも的が出る前にばんばん撃つし。前を歩けないわ」
「なるほど、それは怖いな」
ふたりしてうむうむと頷き合う。
エメテルは顔をぷいと窓の外に向けた。
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか。……イナミさんまでっ」
ルセリアはまた微笑を浮かべ、前に向き直った。
「でも、オペレーターとしては本当に頼りにしてる。ありがとね、エメ」
「……ま、まあ、分析は私にお任せですよ」
窓に反射するエメテルの表情は、にやけを隠せていなかった。
ふむ、とイナミはふたりを交互に見比べる。
コンビを組んでいるだけあって、ルセリアはエメテルの扱いを心得ている。その仲睦まじさのほどは、親友――あるいは、姉妹のような関係性に近いと思われる。
とすると、そこに割って入る部外者がひとり。
「……迷惑をかけるな」
イナミの呟きに、ふたりが「え?」と反応する。
「何、どうしたの、急に」
「俺は今まで、他人に全く目を向けていなかった」
窓の外の景色はいつしか、仮住居がある寂れた地区から、煉瓦造の建物が建ち並ぶ地区に移り変わっていた。
歩道には多種多様な人種の市民が歩いている。
〈アグリゲート〉は元々、各地の放浪民が合流した烏合の衆だったという。
エネルギー生産施設でもある〈セントラルタワー〉を巡る争いを避けるため、この地に住んでいた民族と放浪民の指導者たちが協議。
その結果、設立されたのが〈デウカリオン機関〉だ。
〈大崩落〉から数十年しか経っていない頃の話である。
それから現在に至るまでも『統一化』は進まず、機関はそれぞれの故郷文化を反映した継ぎはぎの都市を発展させた。
その光景はイナミにも覚えがある。
多国籍の船員によって構成された〈ザトウ号〉がそうだった。
イナミは、この都市で生活する人々――もっと具体的にイメージできる者として、目の前の少女たちに想いを巡らせた。
「俺は無自覚のまま、人に危害を加えていたんだな」
「そ、そんなネガティブなことばかりじゃないですよっ」
エメテルは頭をぶんぶんと振る。ラフシニヨンにまとめた髪がふよふよと揺れた。
「イナミさんの情報がなければ、ミダス体について何も知らないままでした。敵のことを知るのは大事って昔の人も言ってますし。……確かに出会ったばかりの男の人とひとつ屋根の下って、不安だらけですけどね」
ルセリアが「あら」と軽い調子で言う。
「他の班じゃ、男女共同生活なんて当たり前よ」
「じゃあ、男の人の目があれば、ルーシーさんの脱ぎ癖も改善されるかもですね」
言い返すエメテルに、イナミは首を傾げた。
「脱ぎ癖?」
ルセリアがハンドルをぎりっと握り締める。ルームミラーの中で、琥珀色の瞳がこちらを凝視していた。
「気にしないでよろしい」
「あ、ああ……」
「この際、今までのこともね」
と、何気なくつけ加えてから、彼女は「そうだわ」と呟いた。
「エメ。人が増えるんだったら、アレをやりましょ」
「あ、いいですねえ。マーケットに寄ります?」
「そうね。冷蔵庫の中、空っぽだったと思うし」
エメテルはセンターコンソールに普段と異なる口調で命じる。
「バスケト、目的地変更」
《かしこまりました、エメテルお嬢様》
セダンは次の交差点をスムーズに右折する。
話を呑み込めていないイナミは、やや警戒気味に尋ねるのだった。
「なんだ、『アレ』って」
「決まってるじゃないですか」
エメテルが両手を合わせて答える。
「イナミさんの歓迎パーティーですっ」
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