十六

「この通路をまっすぐ抜けると、ポイントCにつながる大きな空洞がある。あとの道はわかるね。円藤?」

 霧崎の問いに、ぼくは無言でうなずいた。

 乾さんたちとの合流地点であるポイントCは、青龍学院の新校舎近くの森の真下にある。言うなれば反乱軍の勢力圏内で、連中もそう安々とは追ってはこれまい。今は青龍学院は赤鳳隊と同盟を結んでいるので、アジトを失った赤鳳隊は一時的に彼らにかくまってもらうという乾さんの算段だろう。

「あんたらはこのまま隊長と合流しなさい。私はこのままじゃ終われない。ここでお別れよ」霧崎が言った。

「終われないって、どうするつもりだよ。ひとりで夢葉を連れ戻すのか? なら、ぼくも」

 続きを言おうとするぼくの口を、霧崎はまた手でふさいだ。

「私は最初の契約どおり、このまま白虎学園の生徒になりすまして潜入する。ついでにあのお嬢様もうまく奪い返してみせるよ。生きていればの話だけどね。上乗せ分は成功報酬ということにしといてあげるわ。キャプテンにそう伝えておいて。じゃあ」

 そう告げるや否や、霧崎は反転し、来た道をまっすぐ戻っていった。しばらくすると、乾さんがしかけた時限爆弾の爆発と思える轟音ごうおんとともに、地下通路内がわずかに揺れ動いた。他の仲間たちは、無事に脱出できたのだろうか。

 それから地下通路内をしばらく進み、貯水用の大きな空洞を無事に抜けると、ぼくと黒川先生は無事ポイントCで乾さんたちと合流し、そのまま青龍学院へ逃げこんだ。ずっと地下にいたせいですっかり時間の感覚が狂ってしまっていたが、すでに時計の針は夜の十時を回っていた。そのままぼくたちは青龍学院の現指導者である和泉と数人の部下たちに迎えられ、新校舎の保健室で応急手当を施した後、ゆっくりと休んだ。激戦で疲れ果てていたぼくは、ベッドに入るや否や気を失うようにして眠りについた。


 鈴子が母さんを〈破壊〉したあの光景が、何度も夢の中で再生されていた。まるでダンプカーにねとばされたように鈴子にものすごい勢いで弾き飛ばされ、机に衝突し、海老えびのように背中を、しかし逆の方向に折り曲げられ、人間としての原型を留めるための骨組みを無茶苦茶にされ、ばらばらになってしまった母。上半身と下半身をかろうじて肉と皮がつなぎとめていた、筆舌に尽くしがたい惨状。人間は本当につらいとき脳の防衛機構が働いてきれいさっぱり忘れてしまうというが、ぼくに限ってそんなことはまったくなかった。ひどく気分が悪くなって、夜中に眼がめ、トイレで何度も吐いた。

 翌日眼が醒めると、体が異様に重かった。鉛のスーツでも着ているようだった。食事がまともに喉を通らない。全身に力が入らず、はしですら重く感じられる。友人に親を、しかもあんなにむごたらしく殺されるという最大級のトラウマを植えつけられ、ぼくの精神はとうとう壊れてしまったのかもしれない。

 思いだしたくもないのに、あの忌々しいシーンが、勝手に何度も再生されてしまう。まるで神か何かがぼくに嫌がらせの呪いでもかけたように。ビデオの操作方法を忘れてしまった機械音痴の老人みたいに、ぼくは頭の操作方法を忘れてしまったのか。そして〈それ〉が再生される度に心臓が激しく暴れ、ハーレー・ダビッドソンのようなノッキング音が、ぼくの全身に響き続けていた。

「円藤くん。大丈夫かね」

 隣に座っていた大和に肩をたたかれ、ぼくの意識は現実に引き戻された。

 その日の午前中に、ぼくたちは青龍学院の最高指導者であり、赤鳳隊の〈協力者〉でもある和泉と校長室にて面会をし、今後の作戦を立てることにした。

「そうか。霧崎のやつはひとりで白虎に潜入したか。……しかし不意打ちをくらったとは言え、夢葉嬢が連中の手に渡っちまったのはまずい。今後の作戦の継続に関わってくる重大な問題だ」

 乾さんは頭を抱え、大きなため息をついた。

「うーん。どうすればあのロボットを壊せるんだろう」

 麗那先輩は作戦会議にろくに参加せず、そんなことばかりつぶやきながら、ずっと考えごとをしていた。おそらく時限爆弾のタイムリミットが来るまでに三星を倒すことができなかったのだろう。彼女に怪我はなかったようだが、パワードスーツ付きとは言え戦の素人である三星財閥のお坊ちゃんに手も足も出せなかったというのは屈辱にちがいない。

 乾さんは、そんな麗那先輩は無視して続けた。

「本来なら政府軍側であるはずの東陽家のご当主様がリスクを冒してまで秘密裏に俺たちをバックアップしているのは、俺たちが夢葉嬢の命の恩人で、今まで夢葉嬢を白虎の連中から守っていたからだ。それが連中の手に渡ったと知れれば、東陽のおやっさんが俺たちを支援し続ける理由はなくなっちまう。そうなりゃ、また連中のてのひらの上で延々と生かさず殺さずのラットレースに逆戻りだ。夢葉嬢は必ず助けだす。そしてすべて終わらせる。できれば犠牲を避けて確実に行きたかったが、そうも言ってられねえ。一か八か、やるしかねえ」

「賛成です。私も夢葉さんをこのまま見捨てるつもりはありません」

 赤月がいつもの無表情で静かに言ったが、その眼の奥には友人を何が何でも助けだしてやるという強い意志が見てとれた。

「我々青龍学院の総力をあげて君たちの作戦をサポートしよう。このままではジリ貧だ。赤鳳隊も、我々もね」

 黒いスーツに身を包み、長く美しい黒髪が印象的な青龍学院の最高指導者・和泉は言った。

 ぼくらは満場一致で夢葉の救出と戦争終結への最終作戦に向けて歩むこととなった。


「おい、縁人。ちょっとつら貸せ」

 作戦会議が終わるやいなや、ぼくは乾さんに青龍学院新校舎の一階にある大食堂へと連れていかれた。乾さんは厨房のおばさんに葱味噌ねぎみそチャーシューメンを頼み、次にぼく用にワイヤーラーメンの大盛を頼んだ。乾さんは人の少ない窓際の隅っこの席までぼくを引っぱっていった。

「今日は俺のおごりだ。朝食ろくにとってないんだろ。しっかりと食っておけ。腹が減っては戦はできぬ、だ」

「お腹空いてないんですよ」

「いいから食えよ。俺様のワイヤーラーメンが食べられないってのか。ああん? 嫌なら無理矢理にでも食わせるぞ」

 乾さんに凄まれて、ぼくは仕方なしにワイヤーラーメンを口にする。

 あれだけ好きだったはずのワイヤーラーメンの味が、しない。

 ゴムチューブでもかじっているようだった。

「母ちゃんが死んで落ちこんでんのはわかる。でもな。敵は待っちゃくんねえんだ。俺たちは帝のアホに追いつめられてる。王手一歩手前ってところまできてるんだ」

 ぼくの眼を見ず、乾さんは窓の外を眺めながら、チャーシューを口に運んでいた。

「そんなことはわかってます。でも、何というか、頭から離れないんですよ。忘れたくても忘れられないんです」

「忘れろなんて言ってねえよ。乗りこえろ」

 相変わらずの無茶ぶりだった。乾さんらしい。

「乾さんは」

 親を眼の前で、しかもよりにもよって友達に殺されたことがあるのか。

 あんたにぼくの何がわかる。

 そう言いかけて、ぼくは言葉を呑みこんだ。

 泣きごとを言ったところで、何も解決しないのだ。言ったところで乾さんはそんなぼくをただ「甘ったれるな」と一蹴いっしゅうするだけだろう。

 乾さんがどんな環境で育ったのかはわからない。彼の親には会ったことがないし、以前ぼくがそれとなく聞いてみたときも話をはぐらかされた。もしかしたら彼の親もすでにこの世にはいないのかもしれない。この戦乱の世では別に珍しいことでもない。

「あんだよ」

 ラーメンをすすりながら、乾さんはぼくをにらみつけた。文句あんのか? とでも言うように。

「何でもありません」

 言っても無駄なことは言わない。

 どんなに悔やんだところで母も鈴子も、帰ってはこない。

 乾さんは、ぼくなんかより途方もなく強い。

 たぶん眼の前で親が殺されようが、赤鳳隊の隊長としてどうすれば自分や仲間が生き残れるのか、冷静な頭で考えて判断が下せるだろう。戦場で指揮官が動揺して冷静さを欠けば待っているのは味方全員の死で、だからこそ彼は人の上に立つにふさわしい。指揮官に必要なのは明晰めいせきな頭脳以前に折れない心で、ぼくのような豆腐メンタルが誰かの上に立つことはないだろう。もしまかりまちがって隊長に任命されてしまった場合、隊の存亡を案じた部下に背後から撃たれて殺されるのがオチだ。

 乾さんの強さ、戦場での強さはもちろん、もっと精神的な、彼のハートの強さを、ぼくは尊敬している。彼のような威風堂々いふうどうどうとした男の中の男になりたいと、常に願ってきた。

 でも、だからこそ、乾さんには人の弱さがわからないのだろう。

 乾さんは静かに、今度はぼくの眼をしっかりと見据えて、言った。

「いま起こってることに眼を向けろ。縁人。過去を悔やんでる暇があったら、捕まった夢葉嬢を取り戻すことを考えるんだ。これ以上犠牲を増やさないためにもな。前に進むしかねえんだ。俺たちは」

「わかってますよ。そんなことは」

 ぼくがやや怒気どきをこめてそう言うと、乾さんはどこか満足気に笑みを浮かべ、「わかってんならいい」と言ってぼくの背中を一発、ばしんと力強くたたいた。

「うぽ」

 あまりの衝撃に、ワイヤーラーメンが気管に入りこんでせた。この人には筋力を制御するリミッターが欠けているらしい。

「大丈夫ですか」

 ぼくが誤嚥ごえんしたワイヤーラーメンを吐きだすべく四苦八苦しくはっくしていると、隣の席にいつの間にか座っていた赤月が乾さんと一緒にぼくの背中をぱんぱんとたたいていたが、乾さんの怪力の前にかき消されて何をしているのかぜんぜんわからなかった。

「死ぬかと思いましたよ」

 ぼくがようやく地獄の苦しみから解放されると、乾さんと赤月は、何ごともなかったかのようにラーメンを食べはじめた。

 赤月が食べていたのは、ぼくと同じワイヤーラーメン(ただし並盛)だった。

「君もワイヤーラーメンが好きだったとはね」

「白虎学園にもワイヤーラーメンがあるんですか」

「あるよ。むしろ青龍学院にもあって驚いてる」

「そうですか」

 会話終了。赤月はただ黙々とワイヤーラーメンを食べ続ける。もともとぼくも彼女も寡黙かもくな方なので、意識して何か話そうとしなければすぐに会話は終わってしまうのだ。

「あなたの母君のこと。その。残念でしたね」

 唐突に、赤月はそんなことを言った。途中でつっかえながら。

「そうだね」

 ぼくは表情を変えずにただそう言って頷いた。もしかしてなぐさめようとしてくれているのだろうか。でも今は、そっとしておいてほしい。

「申しわけありませんが」と、赤月はひと言添えた上で、次のように発言した。

「私には、あなたの気持ちがわかりません」

「何」

 ぼくの予想の斜め上をいく言葉だった。

 彼女は一体何が言いたいのだろう。

 冷やかしなら黙っててほしい。

 殺したくなるから。

 赤月は少し間を置いてから、いつもの無表情で、窓の外の林を眺めながら、続けた。

「私には親がいないのです」

「ふうん」

 湧きでる憎悪を必死で隠しながら、ぼくはそっぽを向いて頷いた。そして続けて訊いた。

「そう。施設か何かで暮らしていたのかい」

 赤月が何を語るのかまったく予想できず、ぼくはなかば興味本位で彼女の腹の底を探ってみることにした。

「そうですね」

 赤月は頷いた。そして補足した。

「表向きは孤児院を名乗っていますが、実態は兵士の養成所でした」

「へえ。聞いたことはあるね。戦災孤児を集めて兵士として鍛えあげて軍に売ってる施設があるとか。噂じゃ軍以上に厳しい訓練を受けさせられるらしいけど」

 ぼくはなかば投げやりになったのか、挑発的に詮索を続けた。疑問が湧くとついなりふりかまわず徹底的に知りたくなってしまうのは自分の悪い癖と知りながら、やぶつつかずにはいられなくなってしまう。

「武器や兵器、毒物の扱い方などを〈実践〉を通して学びました」

 淡々と続ける赤月。

「もういい。やめとけ。縁人」

 乾さんがぼくの肩をつかんで制止したが、何かのスイッチが入ったのか、赤月はのべつ幕なしに語りつづけた。

「私の担当の教官が『人を殺すことに慣れておかないと、いざというときに躊躇ためらいが生まれる』と言うので、私たちはよく罪人の処刑という名目で、〈実戦〉をさせられていました。あとでわかったことですが、施設の教官たちは私と罪人のどちらが勝つか、よく賭けをしていたみたいです。成績が悪ければ当然厳しい体罰が待っているので、毎日必死でした。逆に良い成績を残せば個室とそこそこおいしい食事が与えられたので、子どもたちの間で足の引っぱりあいが起こります。周囲に味方はいませんでした。限られた数の椅子をめぐって、誰もかもが平気で人を裏切り、騙し、そして殺す。生き残るには悪事に手を染めるしかないので、私もそうしてきました。そのせいか、人間の本性というものが人生の早い段階で理解できました。おかげで今日もこうしてワイヤーラーメンを食べられます」

 いつもの無表情で、機械のように抑揚のない調子で淡々と語る赤月。

 それが当たり前、まるで日常であるかのように。

 物心ついたときから、いや、物心つく前から、孤児院とは名ばかりの兵士養成所で、人を殺す術を徹底的にたたきこまれた。だからこそ、あれほどの戦闘技術を身につけることができたのだろう。

 だけど、彼女は親の愛情に触れる機会すら与えられなかった。

 母さんは今まで、ぼくにたくさん愛情を注いでくれた。

 ぼくには母と過ごしたかけがえのない思い出がある。

 親を知らなければ、今ぼくが味わっているこの耐えがたい苦痛とは無縁の人生を送ることができるだろう。

 今すぐにこの苦痛から解放されるなら、ぼくは母と過ごした十七年の記憶を屑籠くずかごに放り投げたいと思うだろうか。

 赤月が送ってきた人生とは、そういう人生なのだろう。

 いや、親の顔を知らないどころか、彼女はひたすら人間の悪意の巣窟のような場所で、独り生き抜いてきたのだ。

 今まで彼女は、どんな暗闇と絶望の中で生きてきたのだろう。

 想像すらできなかった。

 このろくでもない戦乱の世では、きっとぼくの背負った不幸は氷山の一角にすぎないのだろう。

 つらいのはみんな一緒なんだ。だから、落ちこむことなんてない。

 ……などという反吐の出るような戯言を、胸の内でぼくはオーバースローでトイレにたたきこみ、水洗レバーを回して下水道へと放りこんだ。

 負けるもんかよ。

 絶望している暇なんかない。

 こうしている間にも、夢葉は帝の下で何をされているかわからない。

 あるいは、すでに殺されているかもしれない。

 過ぎ去った悲劇に囚われ歩みを止めているうちに、またひとり、大切な人が犠牲になるかもしれないのだ。

 ふっきれたぼくはどんぶりを鷲づかみし、ゴムのような味がするワイヤーラーメンを、カロリー補給作業と割りきって喉の奥へと一気に流しこんだ。

「げっぷ」

 あまりに勢いよく放りこんだため、ぼくの胃内のガスが食道を経て逆流し、音を立てた。

 天国の母さんへ。

 守ってあげられなくてごめんなさい。

 そして、助けてくれてありがとう。

 ぼくを産んで、育てて、愛してくれて、ありがとう。

「ふっきれたか。縁人」

 乾さんがにやりと笑いぼくの背中をふたたび強打したが、意を決し強化されたぼくの金剛不壊こんごうふえの肉体には、びくともしなかった。

 そしてぼくは、赤月の肩に手を置いて、言った。

「ありがとう。ルリルリ。少しだけ元気をもらった」

 赤月はこころなしかきょとんとした表情で、無言のままぼくを見つめていた。

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