二
「彼女はここで眠るあなたを、ずっと看病してくれてたんですよ」
夢葉は微笑みながら、ぼくにそう言った。赤月を、あの〈首刈り〉を、まるで自分の友人を誇るかのような、そんな口ぶりで。
「君がそんなふうに彼女を語るなんてね。人質に取られて斬られたことを忘れたのかい」
そう。夢葉奪還任務のときに追いつめられた赤月は自分が生き残るために夢葉を人質にとり、夢葉は麗那先輩に見放され、瀕死の重傷を負った。死んでいてもおかしくはない重傷だった。
にもかかわらず、夢葉はそんな赤月を非難することはなく、むしろ弁護するように言う。
「あのとき、彼女はこっそり私に耳打ちしました。『一切危害を加えるつもりはありません』と。だから私も、おとなしくしていました。でも、あの……紅、さんが、ひ」
あのときの悪夢が蘇ったのか、夢葉は短く声を
「あっ。ごめん。いやなことを思い出させちゃったね」ぼくはあわてて彼女に謝罪した。彼女が受けたトラウマのことなどまったく考えずにうっかり口を滑らせてしまった。無神経にもほどがある。
「いいんです。元はと言えば、私が縁人さんたちの足を引っ張ったのが悪いんですから。見捨てられて斬られても文句は言えないです」
夢葉は涙をぬぐい去り、ぼくの眼をふたたび見据えて言った。その眼からは以前の弱々しい彼女とは違う、意志の力のようなものが感じられた。彼女も修羅場をくぐり抜けて成長しているのかもしれない。
「私は、江口先生の遺志を継ぎます」
唐突に夢葉は、そんなことを言った。
江口先生は先日、あの憎き八坂が放った戦闘ヘリによる凶弾で車ごと爆破されて死んでしまった。赤月か大和あたりからその
夢葉はそのまま続けて、ぼくに語った。
「先生がこれから救うはずだった赤鳳隊の皆さんの命と、そしてこの戦によって傷つけられた人々を、私が救います」
そう言った夢葉の瞳はまったく
……ちょっと待て。今、彼女のセリフの中に、
「赤鳳隊?」
考え終える前に、ぼくは夢葉に聞き返していた。
「そうですよ。縁人さん。ここは祖母江町の赤鳳隊の秘密基地です。政府軍にも反乱軍にも祖母江町の人たちにもほとんど知られていないそうなので、安心してください。もう白虎学園の追手に襲われることもないでしょう。憶えてないかもしれませんが、縁人さんは瀕死の重傷を負った状態で、ここまで運ばれてきました。でも黒川先生が、私を救ってくださったように、縁人さんを救ってくださったのですよ。そして赤月さんは意識がずっと戻らず昏睡していた縁人さんを」
「わかった、もういい」
ぼくは遮るように言った。夢葉は日頃はおとなしく口数も少ない方だが、いったんしゃべり出すと、相手にしゃべらせずそのまましゃべり続けるところがある。ましてここの、ぼくと夢葉以外誰もいない薄暗い牢獄のような部屋でずっと過ごしていたであろうことを考えると、久々にぼくという会話相手に再会できてうれしくなり、ほっとくと延々と永久機関のように話し続けるだろう。ぼくはまだ意識が
夢葉は一瞬きょとん、とした顔をしてぼくを見つめたが、すぐにまた話題を変えて語りだした。
「江口先生は、私に医術の知識や技術だけでなく、人はどうあるべきかという〈道〉を指し示してくださった恩師でした」
「ぼくも先生の遺志を継ぐよ、夢葉。彼女は心の底からこの戦の終わりを望んでいた。ぼくは夢葉みたいに人を治すことはできないけれど、このろくでもないデスゲームを終わらせたいという気持ちは同じさ」
「それでは、お互い早く怪我を治して、動けるようにがんばらないといけませんね。どちらが先に怪我を治してここから出られるか、勝負ですよ、縁人さん。私が勝ったら、あなたの大好きなワイヤーラーメンをごちそうしていただきます」
「ふふん。酉野先生の地獄の特訓で鍛えられたこのぼくに勝てるかな。もしぼくが勝ったら、ワイヤーラーメン特盛チャーシューフルセットを、おごってもらうとしよう」
「あら、それだけでいいんですか? 何なら、その特盛セットを一年分ごちそうしてさしあげてもかまいませんが」
それだけと言われてしまった。おのれ、ブルジョワめ。
「お願いします」ワイヤーラーメン特盛食べ放題という夢の生活の実現に、素直に頭を下げて懇願するぼく。貧乏人の宿命として、甘んじて受け入れよう。プライドでワイヤーラーメンは食えないのである。
ぎぎぎ、と、この部屋にある唯一の扉が
「縁人」
聴き憶えのある女性の声。
思わず扉の方を向くと、そこには行方不明となっていたはずの、ぼくの母が、立っていた。
「母さん」
予想だにしなかった突然の再会に、ぼくは数瞬
母は早足でぼくに歩み寄ると、すぐさまぼくを抱きしめた。
「よかった、無事で」
母の震えた涙声に呼応するように、ぼくの眼尻から涙がこぼれ落ちた。
「こっちのセリフだよ。母さん」
もうだめかもしれない、と、心のどこかで絶望していた。
平和町であの〈人間兵器〉が母の住むアパートを破壊したとき、最悪の可能性を考えずにはいられなかった。それでもあきらめずに
でも最終的にこうして、無事に再会することができた。
この、悪魔が
ぼくたちに感化された夢葉が、同じように眼尻に涙を浮かべながら、微笑んでいた。彼女が両親と再会できる日は果たして来るのか。
「よう、縁人。久しぶりだな。よく眠れたか?」
扉の開きっぱなしになっていた入口に、いつの間にか
「ひどい夢を見ました」
ぼくがそう返すと、乾さんは「かっかっか。ざまあ」と、ぼくをおちょくるように笑ったが、特に腹は立たなかった。要するに、そういう冗談が言いあえる関係なのだ、ぼくと乾さんは。
「話は聞いたぜ。帝のボンボンにひどいめに遭わされたらしいな」乾さんがそう言った。
「ええ。もうぼくは学園じゃお尋ね者でしょうね」
「だろうな。で、これからどうすんだ? 縁人」
答えがわかっていて、敢えて質問している。そんな感じ。
「ぼくはこの戦を止めたい。赤鳳隊に入りますよ。いや、入れてください」
「その答え、待ってたぜ。長いことな」
乾さんはにかっと笑ってそう言い、カーキ色のジャケットの胸ポケットに手を突っこむ。中から、赤い
「入隊おめでとう。赤鳳隊へようこそ、縁人」
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