第5話 お前の運を奪うぞ5

「なんか最近嬉しそうだけどなんかあったのか?」


 語学の授業のあと、同じ授業を履修している友人からそんなこと訊かれた。


「まあね。ずっと前から欲しかったものが手に入ってさ」


 嘘は言っていない。

 ずっと以前から自分の不幸をなんとかできるものが欲しかったのだ。


 だが、い気が知れている相手とはいえ、いまも持ち歩いているこの小さな銃のことを言うわけにはいかない。


「ふーん。車か単車でも買ったのか?」


 友人はそんな風に聞いてきてはいるものの、なんとしてもそれを聞き出そうというわけではなさそうだった。


 しかしどうやってお茶を濁そうかと少し思案していると、


「まあいいや。すぐなにかを言わないってことはあまり他人には言いたくないんだろ。じゃあ言わなくてもいいぜ。友達だからってあれもこれも開けっぴろげにしようとも思わんしな」


 こちらがあまり言いたくないという気持ちを察してか、友人は自ら詮索を打ち切った。相変わらず空気を読むことに長けている。そういう機微を上手に嗅ぎ分けられるあたりが、この友人が年齢を問わずに多くの者から慕われている理由の一つなのだろうと思う。


「じゃ、俺は今日これで終わりだから。帰るわ。お前はどうだったっけ?」

「俺は午後もあるからまだ残ってるよ」

「そうか。じゃあな」


 そう言って足早に友人は早歩きで去っていく。授業はないといっても、別の用事があるのだろう。そんなドライなところにも好感が持てる。やはり持つべきものは友人だ。


 授業で使った荷物を適当にまとめて鞄の中に押し込み、昼休みとなってどこも慌ただしくなったキャンパス内を歩いていく。


 本当に最高の気分だ。


 今までの人生でこれほど充足感に満たされた日は一度もなかった。この銃を提供してくれたあの店主にはいくら感謝してもしたりない。近いうち、あのシャッター街に足を運んで謝礼でも払おう。とはいっても、学生なのでたいした額は出せないが。


 いや待てよ、と思う。


 この銃を使えば大金だって簡単に手に入れることができるのでは? 上着のポケットの中に入れてある銃を掌で弄びながらそのことに気づく。なにしろこの銃は撃った相手の運を奪って自分のものにできるのだから。


 この銃を手に入れた日――言い換えれば初めてこの銃を使った日から一週間、この銃を使ってそれなりにうまく『運』というやつをコントロールしていたように思う。


 この銃を使い出してから、自分にたびたび襲っていた理不尽な『不幸』もなくなっていた。


 それなりの時間、外へ出るときは必ずこの銃を使って運を『補充』している。


 朝、外に足を出してからできる限り早く、適当な誰かをこの銃で撃つ。それだけだ。それで今まで俺を悩ませてきた不幸とは縁を切ることができる。


 昼過ぎに朝に補充した『運』が切れるので、その時間が近づいてきたらまた誰かを撃つ。気をつけるべきことは短い間隔で同じ人間を狙わないことくらいだろうか。


 幸い、大学という場所は見知らぬ人間など腐るほどいるので面倒なことはない。それに、これは使っているうちにわかったことだが、六時間という効果時間は最初の一発目を当ててからは増減しないようである。つまり、まだ効果が残っているときにこの銃で誰かを撃っても、時間が延長されるわけでないようだ。


 不便といえば不便かもしれないが――その程度は使い方をちゃんと把握すればどうにでもできるレベルの不便でしかない。


 そもそも、他人の運を奪う、という本来であればあり得ないことができるのだから、そこまで要求するのは高望みが過ぎるだろう。


 あの日から今日まで、撃たれた名前も知らぬ誰かは、きっと初めて撃ったあの男のようにあり得ないような災難に遭っているのだろうが――そんなことは次第にどうでもよくなっていた。知らない人間が知らない場所でどんな目に遭っていようが俺の知ったことではない。今はこの銃を誰かに対して向けることに罪悪感をまったく抱かないまでになっていた。


 この銃に撃たれて起こるのは人生で一度くらい誰もが襲われる災難でしかない。そんなこと健康寿命が長い現代人ならこの銃で撃たれなくとも襲われる可能性が高い出来事である。この銃で撃たれたことでその回数が増えるかもしれないが。


 だからといってどうということではない。


 それに、この銃で運をすべて奪われたところでそうそう死なないということは今までの使用経験から確認済みだ。


 人間という生き物はどこまでも喉もとを過ぎれば、熱かろうか冷たかろうが簡単に忘れられる罪深い生き物らしい。まったくもって都合のいい性質である。


 時間を確認する。今は昼の十二時半を回ったところだ。今日は二限である語学の授業からであったので、適当な誰かをこの銃で撃ったのは十時過ぎのことだ。まだしばらく誰かを撃つ必要はないだろう。


 それに大学の中であれば撃つ相手は事欠かない。なにしろこのキャンパスには全学部の学生を合わせれば四千人以上いる。


 当然、常に四千人がいるわけではないし、実際にここまで足を運んでいる学生の数もわからないが、それだとしても充分すぎるほどの数なのは確かである。同じ人間は撃たないようにする、という制約を厳密に守ったとしても。


 少し前なら人間の数が多すぎる、と思っていただろうが、今ではそれがこの銃を使うにあたっての安心を生む理由の一つとなっている。なにしろ、一度だけならばギャグマンガのような災難に襲われても、『運が悪かった』で済ませてもらえるのだから。


 まさか人間の数の多さに感謝する日が来ようとは思ってもいなかった。マルサスの理論に反し、二十世紀以降の人類の豊かさはその数によって支えられているのにもなんとなく頷けるものがある。


 そんなことを考えながら人で溢れているにもかかわらず広々としているキャンパス内を歩いていく。次の授業は四限だ。三限の時間か空いているので、わざわざいま混んでいる学食にいって昼食を済ませる必要はない。三限が始まって、人がある程度退けてからゆっくり食べればいいだろう。それくらいの時間は余っている。


 図書館でネットサーフィンでもして時間を潰すか――そんなことを考えていたとき、あることを不意に思い出した。


 この銃を使えばなんだってできる。大金を得ることだって簡単だ。ついさっき自分がそのようなことを考えていたことを不意に思い出した。


 そうだ。この銃は撃った相手を不幸にするだけのものではない。撃った相手の運を奪って自分のものにできるのがこの銃の本質なのだ。


 自分の不幸をどうにかするために使う――その使い方は別段、間違っているというわけではない。


 間違っているわけではないが――正しい使い方とも言えないのではないか?


 運を奪うというのが本質であるならば。

 奪った運を一時的とはいえ自分のものにできるのならば。


 それを利用して、本来は得られないような富を得るのが必然ではないのか?


 いや違う。


 これだけのものを自分の素朴な悩みを解決するためだけに使うのは非常にもったいない。


 そう、もったいない。


 いまこの俺の手には途轍もない可能性がある。そんなものを自らの手中に収めておきながら、それを利用しないというのはある種の冒涜ではないだろうか。


 そうだ。冒涜だ。この銃を手にして巨大な望みを手に入れようとしないのは、この銃に対する冒涜的行為である。


 そうだ。

 その通りだ。

 なにも間違っていない。


 正しい。

 なにもかも正しい。


 他の者は運など、どうせソーシャルゲームのガチャで浪費するだけなのだ。それならばもっと有意義に使うことができるものが使うべきではないか?


 そうだ。そうだ。そうだ。


 どうせ運を奪われたところでそうそう死にはしない。それに放っておけば奪われた分は回復する。いいじゃないか奪ったって。


 ふつふつと形容のしがたい熱のようなものが際限なく湧き出してくる。


「まあ待て。少し落ち着け。それだけのことをするのなら無計画にするべきじゃない。プランを考えようじゃないか」


 そのように言葉を口に出して衝動的な熱狂に駆られそうになる自分を抑えるようにする。


 まずは冷静になる。それが大事だ。熱に浮かされて行動をしたのでは足もとを掬われてはなんの意味もないのだから。


 そのように自分に言い聞かせながら俺は図書館へと足を進めていった。

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