第2話 お前の運を奪うぞ2

 何故その店が目に留まったかといえば、それは単純な理由であった。閉まっているはずのシャッターが開いていたからだ。


 この場所は自宅のあるマンションからほど近い場所にある――少し離れた場所に進出してきた大型ショッピングモールよって客を奪われていったらしいシャッターばかりの寂れた商店街。


 進学を期にこの街に越してきた二年ほど前には、すでにこの商店街はすべての店が閉ざされていて完全に死んでいる状態だった。


 この商店街は自宅から駅までの最短ルートに入っているので毎日のように通るが、ここにある店のシャッターが開いていたことは一度も見たことがない。


 二十四時間三百六十五日ここを通るわけではないので、もしかしたら自分が知らない時に開いている店がある可能性はゼロではないが――自分がここを通らなかったときにだけ開いている店というのはあり得ないように思える。


 どこも開いていないはずのシャッター街で開いている店がある――目立つのは当然だ。


 なによりも妙なのは出している看板だ。

 看板は、達筆な筆字こんなことが書かれていた。


  あなたが望むものを提供します


 どこぞの大手ネット通販ショップにでもありそうな文言だが――それをこんな寂れたシャッター街で出すのはちょっと変だ。


 望むものを提供する――そう書いてあるだけで、ここではなにが売っている店なのかまったくわからない。


 商店街にある店だから、規模は小さいほうだろう。


 そんな店で――俺のようにたまたま目に留まった誰かの、望んでいるものを出せるのだろうか?


 普通ならあり得ない。


 あり得ないが、閉じているはずのシャッターを開き、ひっそりと明かりを灯している店はなんだか普通ではないよう思えた。


 いや――


 それどころか、あの店には本当にいま俺が望んでいるものがある――根拠など一切ないのに、何故かそんな確信を抱いていた。


 二度、三度、深呼吸し、緊張と期待と不安が入り交じって高鳴る胸をできる限り抑えてから、年季に入った引き戸を開けて店の中に入った。


 店の中は、今はほとんど見ることがなくなってしまった、古色蒼然とした駄菓子屋のようだった。


 ……なんだか、とても懐かしい匂いがする。


 小さかった頃、仲がよかった友人とこのような店で買い食いをしたものだ。まさかこのような店が東京に――といっても二十三区郊外だが――まだ残っていようとは。


 しかし、店を見渡していると、やはりこの店がおかしいことに気づく。

 どこにも商品らしきものが見当たらないのだ。


 古色蒼然とした駄菓子屋のような内装でありながら、駄菓子屋にありそうなものがなに一つとしてない。

 これはなんだ? そんな風に首をかしげていると――


「待ってたよ。いらっしゃい。なにをお望みかな?」


 どこかから発せられたその声で現実に引き戻されて、声のした方向へ振り向く。

 そこには店主らしい男が座っていた。


 異様なほど奇妙な印象を抱く男だった。

 見た目からでは年齢がよくわからない。


 自分と同年代と言われても納得できるし、来年五十になる自分の父親と同年代だと言われても納得できてしまう。


 そして、異常なほど存在感がない。


 目の前にいるにもかかわらず、回れ右をして一歩進んだら、その店主らしき男のことが記憶から消えてしまいそうなほど存在感が薄い。まるで幽霊かなにかのようだ。


 それに、そもそも男かどうかもわからない。


 実は、男装をしている女性だと言われても納得できてしまうほど性別を感じさせない容姿だ。


 一体なんだこいつは。


 なんだかよくわからないが、とても人間とは思えない。どこからどう見ても人間以外の生物とは思えないのに、人間であるとはまったく思えないのだ。


 警戒心から、心臓の鼓動が加速し、じわじわと嫌な汗が身体中から滲み出てくる。


「まあまあ、そんな風に身構えないでくれよ。別にとって食べようってわけじゃないんだから」


 再び聞いたその声にもやはり性別を感じさせなかった。


 男のようにも女のようにも聞こえる声――こんな声を聞いたことは二十年と少しの人生の中で一度も聞いたことない。


 恐怖と違和感と好奇心が身体の中で滅茶苦茶に渦を巻いて荒れ狂う。

 それでも、ここから逃げ出してしまおうとは思えなかった。

 ここに『俺が望んでいるものがある』という根拠のない確信があったからだ。


 理不尽に俺を襲い、今後もずっと襲い続けるであろう『不幸』という理不尽をなんとかできるものがここにはある。恐怖に負けて逃げてはなにも解決しない。


「…………」


 俺は店主らしき男(男ではないかもしれないが)に視線を向ける。


 やっぱり、目の前にいる店主は蜃気楼かなにかのようだった。存在感というものがまるでない。本当にあの店主は目の前にいるのだろうか――店主を注視したままの状態でそんなことを考えていると――


「これでも飲んで少し落ち着いたら?」


 そう言って机の下からペットボトルを取り出した。

 受け取っていいものか――と、少しだけ躊躇したものの、結局は受け取り、蓋を開けて中身を飲んだ。


 飲んでしまってから、なにか変なものではないか――と今さらのことのように思ったが、店主が手渡したのはどこにでも売っている水のペットボトルだった。

 半分ほど一気に水を飲みほしたところで、


「落ち着いたかな?」


 店主はそう訊いてきた。

 確かに自分の中であれほど荒れ狂っていた心が少しだけ穏やかになっていた。


「ええ……ああ、そうだ。これのお金を――」


 慌てて色々なところにしまってある財布を取り出そうとすると――


「いや、いいよ。別にそんなもの払わなくても。どこにでもある水だし。それに初めてここに来た人はきみみたいになるからね。たいしたものじゃあないけど、ささやかなサービスだよ」


 そう言って、金を出そうとした俺のことを制止した。


「ところで、きみがここに来たのはなにか欲しいものがあるからだろ? なにが欲しいんだい?」


 店主は相変わらず性別を感じさせない声で言葉を紡ぐ。


「ああ……ええっと――」


 店主の言う通り欲しいものはある。しかし、それを言ってもいいのだろうか?

 いま俺が一番欲しいものは、理不尽に襲いかかる『不幸』をなんとかできるもだ。そんなものなど普通の店にはどこにもないだろう。


 そう、普通の店ならば。

 そして、この店は普通ではない。


 普通でないからこそ――理不尽な『不幸』をなんとかできるものがあるという確信があるからこそ、俺はこの店に足を踏み入れたのだ。

 一度深呼吸をしてから、心を決めて口を開く。


「……俺の不幸をなんとかできるものを」


 その言葉を聞いて店主は満足そうに頷いて笑みを見せた。


「不幸をなんとかしたい――ね。ちょっと質問をしよう。自分の運がよくなるのと、他人を不幸にして相対的に自分の運をよくするのと二つあるんだけど、どっちがいいかな?」

「……?」


 妙な質問だったので、最初俺は首を傾げてしまったが、少し考えてみれば店主がそのようなことを訊いてきた理由が理解できた。


 自分の数値を上げるか、自分の数値は変わらないが他の者の数値を下げてこちらがよくなったように見せるか――どちらがいいのかってことでいいのだろう。


 具体的な例を挙げるならば、金をもらって金持ちになるか、自分以外を自分よりも貧乏にして金持ちになるかである。


 どちらがいいだろうか――俺は腕を組んで考えてみる。

 どちらでもそれほど変わらないように思える。

 しかし、自分以外を自分より不幸にするというのはなんだか悪いことのように思えた。


「じゃあ、運がよくなる方を」

「よくなるほどね。わかった。ちょっと待っててね」


 そう言って男は店の奥に行く。扱っているものはここにはないようだ。

 三十秒ほどで男は帰ってきた。手にはニ十センチほどの大きさの、別段変わったところのない長方形の箱を持っている。


「はい。これが運がよくなるほうね」


 にこにこと笑みを浮かべながらそう言って、店主は箱を差し出してきた。


「……あの、お金は?」

「そんなものはいらないよ。そもそもここは訪れた者が望むものを提供する場所だ。看板にもそう書いてあっただろ?」


 確かにそう書いてあったが――しかし。


「まあまあ。確かにただより高いものはないってよく言うけどね。ここにあるものは僕が持っていても使いみちがないんだ。それだったらそれを望んでいる者に提供してしまった方がいい。そうは思わないか?」

「確かに無料というのはありがたいですが――でも、お金がないと色々と困るでしょう」

「まあね。でも、ここは金を手に入れるためにやってるわけじゃないんだ」


 なにか別のことをやっていて、それで充分稼いでいて、こちらのほうは道楽かなにかなのだろうか――どういう理由であったとしても、店主はこれを『売る』のではなく『提供』するつもりらしい。


 まだ学生の身分で、なおかつ頻繁に財布がなくなるという奇妙な体質(?)なので金に困ることも多い。なので、無料なのはありがたいが――


 ただでもらうことに躊躇をしているらしい俺の心中を察したのか、店主は


「ただでもらうのは気が引けるかい? じゃあ、こうしよう。


 「もしかしたらこれはインチキかもしれない。いま僕が持ってきたこれが、本当に効果があるものなのかはわからないだろ? だからお試しということで無料で渡す。


「無料ならば、もし仮にこれがインチキだったとしても、それほど嫌な気分にはならない。もし効果があって、きみの望む通りのものであることを確認出来たらお金を支払えばいい」

「でも、それじゃあ効果があったとき、お金を払わないで持ち逃げするかもしれませんよ?」

「構わないよ。さっき言ったじゃないか。金のためにやっているわけじゃないって」

「……」


 そんなことを言うとなると、店主は本当に無償でこれを提供するつもりのようだ。わざわざ無理に金を払う必要もないように思えた。


「わかりました。じゃあこれもらいます」


 そう言って店主の手から箱を受け取った。俺が受け取ると店主は相変わらず希薄な存在感のまま笑みを見せた。


「ああ、そうそう。それを使うときはちゃんと説明書を見てね。ちゃんと説明を見ないで使って文句を言われても困っちゃうから」

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