美のメンター

塚本ハリ

第1話

梨紗はつねづね思っている。職場にいる、三歳年上の美和先輩はきれいな人だ。自分もあんなふうになりたい、と。

サラサラのストーレートヘアーに、フェミニンな装いが良く似合っている。でも、いわゆる絶世の美女ではない。彼女くらいの女性なら、ちょっと探せばそこらへんにいる。

でも、肌や髪の手入れは整っているし、服装も化粧もよく似合っている。やりすぎでも、物足りなくもない、自分にベストマッチした装いなのだ。

それは立ち居振る舞いにも現れている。少し低めで、ゆっくりとした落ち着いた喋り方。背筋を伸ばし、きれいに歩く姿。ちょっとくらい嫌なことがあっても、にっこり微笑んで受け流す鷹揚さ。嫌味にならない程度のほのかな香りなどなど…。

それら諸々が、美和先輩をトータルで美しく見せていると思うのだ。そして、美和先輩自身が、きれいであろうとする努力を怠っていないことも分かる。

梨紗はときどき、彼女と話す。何気ない会話でも、彼女から得るものは多い。

「好きな色と似合う色が一致しないことってあるの。だからパーソナルカラー診断で自分の似合う色を知ると、服やメイクに便利だよ」

「ホットヨガ? うん、月に二回くらい行く。たっぷり汗かいて気持ちいいからね~」

「ドラッグストアの無香料の乳液に、お気に入りの香水をほんの少しだけ混ぜて、ボディミルクの代わりにするの。安上がりだし、好きな香りだし、膝も肘もスベスベになるよ」

そんな言葉を梨紗は覚えていて、ときどき彼女のマネをしてみる。乳液に香水は、実践して気に入ったので、今も続けているくらいだ。パーソナルカラー診断もいずれ受けるつもりだ。しっかり見てもらうと一万円近くかかるらしいので、次の給料が入ってからにしようとは思うが…。

もちろん、こんなこと彼女には言えない。美和先輩は優しい人だから「ブスが真似して何になるの」などとバカにすることはないだろうが、梨紗自身、なんとなく気恥ずかしいからだ。


 「えー、それではみなさんにお聞きします。みなさん、自分の中で『この人は私の師匠だ!』と思っている人はいますかぁ?」

 この日は美和先輩と一緒に、とあるビジネスセミナーに参加していた。講師は派手なネクタイにパーマっ気のあるクリンクリンした髪の毛。ちょっとチャラい印象だったが、意外にもセミナー内容は面白かった。

 「今、ボクが言った師匠ってのはね、いわゆるメンターって奴ね。精神的な指導者のことです。ビジネスの場で、何か迷った時、助言をくれる人。今、ビジネスの世界で大成している人の中にも、メンターを持つ人は多くいます。いやむしろ、持たない方が珍しいかも」

 講師は最前列に座っていた若い女性に声をかけた。

 「何も難しく考えることはないよ。たとえばキミ、キミがお洒落する時、誰か芸能人やモデルを意識したり、真似したりすることある?」

 「あ、はい…あります」

 いきなり話を振られた女性は、よくテレビで見るアイドルに似ていた。ああ、あの子を真似しているのかな、と思わせるヘアメイクだった。

「でしょぉ~? つまりキミは、その芸能人やモデルをお洒落のメンターにしていたってことになるんだよ。それと同じことなのさ。それをキミのビジネスや、人生にも応用すればいい。もちろん、会って話ができて、教えを請うことができれば最高だけど、そうでなくてもいいんだ。その人の書いた本を読むだけでもいいの。あるプロ野球チームの監督は、歴史上の人物や戦国武将などについて書かれた本を読んでチームの運営に役立てているといいます。つまり彼は、戦国武将とかをメンターにしているわけなんですねー」

 梨紗の中で、すとんと腑に落ちるものがあった。


 セミナーが終了すると、外は既に夕暮れ時だった。美和先輩が梨紗をカフェに誘った。

「さっきのセミナー、面白かったね。講師の先生、ちょっとチャラいけど言っていることは分かりやすかった」

「そうですね、何だかすごくためになりました」

「へえ、そうなの?」

梨紗は、美和先輩の顔を見てゆっくりと話した。

「私、美和先輩のことを、自分のメンターにしていたんだなって。今日のセミナーですごい納得しました」

「え、ええー? 私がメンターって?」

いきなりの告白に、美和先輩が面食らったようだった。

「す、すみません、変なこと言って。でも、私にとって美和先輩は、『美のメンター』です。美意識高いし、いつもきちんとしているし…。先輩が実践している美容法とか、実はこっそりマネしたりしています…すみません…」

「やだ、謝る必要はないじゃない。えへへ、何だか照れ臭いなぁ。でも、そんなふうに思ってくれてうれしい。実を言うとね、私も何人かメンターを持っているのよ。ああ、もちろん勝手に私がそう思っているだけなんだけどね」

 「そうなんですか?」

 「ほら、さっきのセミナーでも、前の列の女の子が芸能人をお洒落のメンターにしているって話があったじゃない? そんな感じ。女優さんとか、モデルさんの美容法とか、真似しているもん。あとは、身近な人ね。友人知人で、これは! と思う人がいれば、真似するよ。あなたと同じことしているね、私も」

 美和先輩はそう言うと、フフッと笑って紅茶を飲んだ。ティーカップを持つ指先には、上品な色合いで控えめだがセンスのよいネイルが施されていた。


 同じ女なのに、どうしてこうも違うのか…。

 梨紗は、目の前でパンケーキを頬張るサオリを見て心の中でため息を付いた。サオリとは幼稚園以来の幼馴染で、気心の知れた付き合いが続いている。

 今日は土曜日、大型商業施設のシネコンで一緒に映画を観てきたところだった。この商業施設では、映画の半券を提示すると、テナントに入っている飲食店で割引サービスを受けられる。その特典につられ、映画の感想などを語り合いつつ、お茶を楽しんでいたところだった。

 映画は確かに面白かったし、互いに感想を語り合うのも楽しい。

悪いやつではない。それは百も承知だ。だが、化粧はしない、髪はボサボサ、よれよれTシャツにウエストゴムのゆる~いスカートという、サオリのだらしない格好がイタいのだ。中学・高校時代は制服、大学では理系のため白衣で四年間を過ごしたサオリは、お洒落なものに無縁だった。

Tシャツとジーンズに罪はない。化粧やオシャレに興味のない人がいてもいい。シンプルな装いでも美しい人はいるのだ。

しかし、だからといって、だらしない格好をしてもいいということではない。

ふと周囲を見回せば、みな身ぎれいにしているし、お洒落を楽しんでいる女性がいる。そもそも、このお店自体が、流行のパンケーキ屋なのだ。梨紗も一応化粧はしているし、シンプルだが色や模様を熟考した春色のワンピースを着ている。店全体が、客層も含めてお洒落な中、一人サオリだけが浮いていた。

そして、何よりも鬱陶しいのが、サオリがお洒落というものを馬鹿にしている点だ。

「しっかし、みんな気合入りまくりだねぇ。意識高い系って感じ。イタいよね」

「ちょっと、そんなこと言わないでよ。他の人が聞いたら気を悪くするんだからさ」

「あーはいはい。っていうか、あんたも見事に化けてからに」

「……あのねぇ、TPOって言葉を知ってる?」

「Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字の略。時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分けって意味でしょ。知っているよ、そんなの。あ、ちなみにこれ和製英語なんだよねー」

ため息が出そうになる。別にウンチクが聞きたいわけではないのに。

 「そろそろ出ない? ほら、まだ並んでいる人いるし」

 「ああ、うん」

 レジで支払いをしていたときだった。

 「二名でお待ちのイトウ様ぁ~」

 店員の呼ぶ声に、店内に入ってきたのは、美和先輩とその連れらしい女性だった。

 「あれ、梨紗さん?」

 「あ、こ、こんにちは」

 「奇遇ねぇ」

 「は、はい」

 気の利いた言葉が出てこない。休日の美和先輩の装いもきれいなのだが、一緒にいる女性もかなりの美人だったのでドギマギしてしまったのだ。美和先輩が薄いグレーのフェミニンなワンピース姿なのに対し、その女性はシンプルな白いシャツと黒のパンツスタイル。シャツの上に柔らかそうな薄いピンクのストールを羽織り、ショートカットが良く似合う。タイプは違えども、その装いはこの女性の良さを引き立てていた。

 美人の友はやはり美人なんだと感嘆した。

 「美和ちゃんのお友だちなの?」

 その女性は優しい声で聞いた。

 「ええ、会社の同僚なの」

 美和先輩もきれいな声で応える。

 「そう、美和ちゃんがいつもお世話になっています」

 「い、いえ! こ、こちらこそ。あ、混み合っているので、これで失礼しますっ。サオリ、ほら、店の入口で邪魔になるからっ」

 「へっ? あ、はいはい。それじゃどうも、失礼します」

 そそくさと挨拶を済ませ、梨紗はサオリを押しやるようにして店を出た。

 顔から火が出そうになる。サオリみたいなのと一緒にいるところを見られてしまった。


 「どうしたの? 今日は何か元気ないね」

 週明けの会社で、美和先輩がやさしく声をかけてきた。

 「何ていうか…類は友を呼ぶって言葉を実感しまして」

 「え? 何のこと?」

 「昨日のアレですよ。先輩みたいな美人にはやっぱり美人の友人がいるけど、私の友人なんて…」

 美人には美人の友人がつく。そして自分にはブサイクな友人がつく。まさに「類は友を呼ぶ」のだろう。どんなに努力しても、ああいう美人の友人がいない自分は、どんなに自分を磨こうとしても付け焼き刃でしかないのかもしれない。なんというか、恥ずかしいというか。

「何だ、そんなことで」

美和先輩が肩をすくめた。

「お友だちは大事にしないとダメだよ。よかったら、今度の週末にちょっと付き合ってよ」

 そう言うと、彼女はちょっとだけニヤッと笑った。


 

 「あ、これも美味しい。クリームがたっぷりで。うーん、こっちもいいな」

 「遠慮しないでいっぱい食べてね。今日は奢るから」

 「うふふ、ありがとねー、美和。あ、甘い物の後はしょっぱいものも欲しくなるね。ちょっとあっちのフライドチキンも持ってくるわー」

…上には上がいるとはこういうことか。

 サオリがそのまま1.5倍ほど膨れたような体型のその女性は、終始ご機嫌で一人で喋りながらケーキやら何やらをぱくついていた。

 美和先輩が誘ってくれたのは、駅前のホテルのランチビュッフェ。会わせたい人がいるから、ランチを一緒にしよう、というので来てみたが、先輩とは真逆のデブでブスな女性だった。

 今日の美和先輩は、濃紺のシャツとラフなジーンズ。上には白いジャケットを羽織り、髪はシンプルに後ろで一つに束ねている。彼女はその女性が意地汚くケーキを食べているのを笑顔で見守りながら、静かにサラダを口にしていた。

 対するその女性は吹き出物が出て、パンパンにむくんだ化粧っ気のない顔、艶のないパサパサの髪。着ているものも、ウエストがゴムらしいスカートに、襟元がたるみ気味のTシャツ。かかとを踏み潰した安物のスニーカーをはき、猫背気味でドタドタと歩き、皿にパスタなどを山盛りにしている。

 「先輩、その…あの方は、お友だちなんですよね?」

 「うん、そして、私の美のメンター」

 「えっ?」

 梨沙は、思わず「あれが…?」と言いかけて慌てて口をつぐんだ。いくらなんでも「あれ」呼ばわりしていいはずがない。

 「これが終わったら、教えてあげるね」

 美和先輩はいたずらっ子のような笑みを浮かべてそう言った。

 

「なかなかすごかったでしょ?」

 例の彼女と別れた後、美和先輩は静かな喫茶店に梨沙を連れて行った。

 「ええ、まぁ…その…」

ランチビュッフェの時間制限は90分。その女性はその間ずっと口を動かし続けていた。

とにかくよく食べるし、よく喋る人だった。年の割には子供っぽい甲高い声で、場の空気を読まずに喋りまくる様子は、正直言ってイタいとしか思えない。

「どうして、あの方が美のメンターなんですか?」

「彼女を見ていると、もっとがんばろうと思えるから」

梨沙はハッとした。ふと気づいた。今日の美和先輩は、いつもより少しだけメイクが濃い。普段は使わないような色のシャドーを隠し色に使っている。なんとなくだが、いつもよりおしゃれに気合が入っている気がした。

「もしかして…反面教師?」

「そう」

美和先輩はにっこりと笑むと、コーヒーを一口飲んだ。

「時々、不安になることがあるの。自分はちゃんとしているかな、美を諦めていないかな、イタい振る舞いしていないかな? って」

美和先輩でも、そんなことを思う時があるのか…。

「私はそういうとき、メンターたちに会う。彼女たちを見て、自分もこうなろう、そして…」

ニヤッと笑って言い切った。

「ああはなるまい、ってね」

二人で顔を見合わせてフフッと笑った。


「ああ、もしもしサオリ? この前は急に帰って悪かったね。…うん、今度またご飯食べに行こうよ。スマホアプリのクーポン使えるからさ…」

先輩の言うとおりだ。友だちは大切にしなくちゃね。そして、私の美のメンターにしていこうっと。

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美のメンター 塚本ハリ @hari-tsukamoto

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