窓辺の花の散る前にそこを去って行く人々

ロッドユール

第1話 窓辺の花の散る前にそこを去って行く人々


 とても幸福に満たされた学校があった。そこには巷で頻発しているようないじめも、不登校も学級崩壊も無かったし、不良も落ちこぼれもいなかった。みんなクラスを超えて仲が良く、学年さえも超えて、先輩後輩の別なく対等な関係性があった。

 全ての生徒は、明るく、勉強にもスポーツにも文化活動にも意欲的で、全ての分野で成績が良く、偏差値の高い学校への進学率もとても高かった。進学しない子も、決して勉強をしないわけではなく、他の分野を自分の目で実際に見てみたいといったことであったり、学校では学べないことを学びたいといった理由でのものだった。

 それは生徒だけでなく先生も同じだった。全ての先生が意欲的で、大らかでやさしく、面倒見がよかったし、生徒とも良好な関係を築いていた。

 そこには全ての教師、親、生徒が思い描く、完全完璧な理想の美しい学校があった。


 その学校の、あるクラスに一人の障害児がいた。その子は、知的に障害のある子だった。

 窓辺の一番後ろの席がその子の席だった。その子はいつもそこに座っていた。席を立つのはトイレに行く時だけ。誰からも、話しかけられることもなく、相手にされず、関心すらも持たれず、いつもただ一人そこに座っていた。教師や他の大人たちでさえ、その子には無関心であった。

 給食は、その子だけいつもコッペパンと牛乳だけだった。その子にはジャムすらも与えられなかった。給食の時間になり、机の上に無造作にそれを置かれると、素早くそれをその子は、むしゃむしゃと家畜のように貪った。

 その子は足が片方悪く、いつも引きずるように歩いていた。その足で、その子はいつも人知れず一人でやって来て、一人で帰って行った。やはり、誰にも話しかけられることもなく、誰かと一緒であることもなかった。誰かに関心を持たれることもやはりなかった。学校の中でも外でも、その子は完全に存在しない子だった。

 誰もその子がどこに住んでいるのかも知らなかった。噂では、町はずれの貧しい長屋の一角におばあさんと二人で細々と住んでいるということだった。

 その子はいつも一人虚ろに、窓辺に活けられた花を見つめていた。その子が何を思っているのか、何を感じているのか誰にも分からなかった。何も感じていなかったのかもしれないし、もしかしたら、深い悲しみと孤独を感じていたのかもしれなかった。でも、それは誰にも分からなかった。その子は表情が無かったし、目にも光が無かった。時々、全く関係ないところでニタニタと笑ってもいた。例え、話しかけられてもその子が、それを認識できたかどうか分からなかったし、まともなコミュニケーションはまずとれなかっただろう。


 それで全てがうまくいっていた。その子がそういう存在でいることで、その学校は、全てがうまくいっていた。その子に誰かが話しかけたり、やさしくしたりすると、なぜか、今までうまくいっていた全てが失われた。いじめが始まり、成績が落ち始め、不登校の者が出始めた。だから、いつしか誰もそれをしなくなったし、それをしないことが厳格な暗黙のルールになった。

 それで全てがうまくいっていた。だから誰もその事を口にする者はいなかったし、疑問にすら思わなくなった。


 今日もその学校からは、子どもたちの幸せで楽しそうな笑い声が響いていた。


 そんな学校を去って行く人々がいた。それは本当にわずかな人だった。学校の規模からしたら数にもならないような人だった。それは、生徒だったり、教師だったり、学校の関係者だったりした。

 彼ら彼女らは、自分たちの行く先に、今いたその学校のような幸福も秩序も無いことを知っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

窓辺の花の散る前にそこを去って行く人々 ロッドユール @rod0yuuru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る