第13話 ピンク編 その13
以下、シルバーの話。
逐一全部語ってもらっては、夜が明けてしまう。
私のほうから、いくつか質問をし、それに答えてもらう形式で、情報を引き出すことにする。
「生い立ちから、話さねばならないって、言ってたよな。でも正直、お前さんと妹さん……ピンクがどこでどう育ったかってことは、そんなに興味はないんだ。『ヤーガンの火』にリクルートされた、というかオルグ活動にひっかかったというか、ともかく加入の経緯から、話してくれ」
「生まれたときから、加入していたよ。私も、妹も」
「生まれたときから? 両親ともども、『ヤーガンの火』のメンバーだった?」
「父は、少なくとも、そうだった。私が11歳のとき、組織に処刑された。その事実を知ったのは、つい最近だ。子どものころは、何かの作戦に失敗して、大怪我をした、と聞かされていた。父がどんな罪状でもって、粛清されたのかは、知らない。少なくとも、私たち姉妹と母が、組織庇護下から放逐されることはなかった。小学校にあがるとすぐに、私は寄宿舎生活をさせられていた。春休み、中学校進学前、我が家のあるキャンプに戻った。父が消えた、とだけ、キャンプの世話役のひとに、教えてもらった。本当に、その一言だけだ。母は、父がなくなったことでもあるし、キャンプを抜けたがっていた。『ヤーガンの火』本部が難色を示している、という話だった。母は、組織のことを知りすぎた女だった。私も、反対した。今、あのときの心境は、自分でも分からない。小学校と寄宿舎生活で、ずいぶんと洗脳されていたせいもあるかもしれない。単に、友達と離れたくなかったのかもしれない」
「寄宿舎生活で、小学校といったな。一体、どこの小学校だ?」
「分からない」
「分からないって、お前……」
「シベリアかどこかだっただろう、と今にして思う。いわゆる海岸まで雪上車で移動するのに、東西方向で丸々一日かかった。日本近隣の島嶼部ではありえない。たぶん、大陸だ。冬は昼間時間が短かった。日の出は午前九時、日の入りは午後三時。高緯度地域にいた証拠だ」
「いい推理だ。ちなみに、あんたの実家、キャンプの位置を聞いても、いいか?」
「海の上」
「はあ?」
「だから、日本海の上だよ。ビバーグするひとたちの群れに混じって、堂々キャンプを張っていた。あんな人口密度が高いところに、と思うだろ? 盲点だな」
全球凍結のお陰で、対馬海流が暖流としての役割を果たさなくなって以来、日本海は急速に凍りついた。皮肉にも、日本海が「水溜り」だったときには実現しなかった環・日本海経済圏が、突如として出現する。歴史的経緯や政治体制の問題もあって、政府同士は相変わらずギクシャクしたままだ。公式な貿易条約は未だ整備不十分で、まともな商社はみな、様子見しいしいの商売である。そして、だからこそ、「密貿易」が盛んになった。ここでの貿易の主な担い手は、昔懐かしのカツギ屋、行商人である。数百キロ、時には数トンの荷物を橇にのせ、スノーモービルで、まれにシベリアンハスキーでひっぱり、対岸まで渡るのだ。天候や渡航距離によって、数日の日程を要する。日本海には、いつでも彼らのテントが、水平線まで真っ白な平原に、カラフルな彩りを添えている。
「氷の上で生まれ、氷の上で生活か」
「ああ。ご丁寧にも、学校生活も、ロクな暖房のない校舎・宿舎そろいだった。物心ついたときから、防寒ジャケットなしの生活をしたことはない。仕事、学校、就寝、トイレまで、すべて寒かった。防寒ジャケットを脱ぐのは、一日十分のシャワーの時間だけだったけれど、体が温まる前に終了になる。一日のうちで、一番イヤな時間だったな。だから、こうしてTシャツ一枚で過ごせるというのに、感動している」
「参考になった。基地に帰ったら、上のほうに報告してみる。話を戻そう。シルバー、お前の学校の話」
「……授業のすべてが日本語でなされていた。しかし、生徒の人種国籍はバラバラだった。将来、日本への工作員を養成するためだったんだろう。ちなみに、私たちの母も、日本語のネイティブスピーカーだったように思う。けれど、日本人かどうかは、分からない。私たち自身も、だから、どこの国籍になっているのかは、不明だ」
「なんとも、頼りない話だ」
「18歳になったとき、所属を決められた。上からの一方的な命令だ。護衛部、要人警護担当。部長には、恩着せがましく、大抜擢だと言われた。実際には、違った。専用車の運転手兼秘書、そして使いっぱしりというのが、私の役どころだった」
「要人って、どんな人に仕えたんだ」
「心理戦研究所所長。表向きの顔も持っていて、どこぞの大学教授をしている、という話だった。不規則に休みはするが、長期休暇は全くとらない変わり者だった。四十年配の女性だ。ちょうど母親くらい年が離れていたせいか、私をよく子ども扱いした。正直、仕えにくい上司だった。半年いて、私がそこに配属になった本当の理由を知った。妹が、研究所にいた。モルモット代わり、実験台にされていた」
「あんたが、ピンクの境遇を知った、きっかけというか、経緯を教えてくれ」
「所長の秘密を、偶然知ってしまった。なに、内容自体は平凡なものだ。彼女の不倫だ。帰宅のさい、時折、自宅ではなく、工作員訓練学校校長のところに、車を回させられることがあった。彼女が所用を終えるまで、私は車の中で待機、だ。長くとも三時間を越えることはなかった。お互い人事関係をやっている高官だ、色々と仕事の打ち合わせもあるだろう、と思っていた。あるとき、彼女の旦那から、私に連絡があった。所長も携帯電話を持っているはずなのに、連絡がつかない、という。私は訓練校校長のお宅に伺った。誰も来ないと思っていたんだろう、こともあろうにリビングで、校長が所長に鞭打たれていた。身長百八十、体重百キロを超えるかという大男が、ピンクの花柄のブラジャーと、それにお揃いの小さいパンティをつけて、床に転がっていた。ご丁寧に縄というかロープというか、とにかく紐でしっかり縛られて、ボンレスハムみたいになっていた。我らが所長様は、黒いエナメルのレオタード、黒い網タイツにピンヒールをはいて、醜い性奴隷を鞭打っているところだった。
「壮絶だな」
「そう、壮絶だよ。秘密は絶対厳守しろ、と脅された。いや、正確に言えば、所長には脅され、校長には懇願された。ブラフのネタが、妹のことだった」
「しゃべったら、妹の命はないぞ……時代劇の悪役代官でも言いそうな台詞だな。確か、なんかの実験台になっていたんだよな。でもシルバー、それまでもたびたび妹さんに会ってたんじゃないのか? おかしいと思わなかったのか?」
「何か、精神疾患にかかって、長期療養が必要だ、と言われてたんだ。私が寄宿舎にいた時分ならまだしも、同じ建物で働いているのに、面会謝絶とはいうのは、今考えればおかしな話ではある。でもなぜか、当時はおかしいとも思っていなかった」
「それで?」
「弱気になっていた工作員訓練校校長を、利用することにした。いや、弱気というより、同情かもしれない。妹がモルモットになったのは、母が妹を売ったからだ、と所長に教えてもらった。私たち姉妹は、父を殺され、その殺された組織に捨て駒として利用され、母に売られた、カワイソウな人間というわけだ。でも、正直、そんなことはどうでもいいんだ。憐憫の情をいくらもらったところで、腹の足しにもなりやしない」
カツラが何か言いかけたが、制してシルバーの話を続けさせる。
「訓練の一環として、要人警護の護送任務を執り行う、という訓練許可証を発行してもらった。妹はVIPの娘、ということにして。隠密裏にコトを運ぶから、他言無用と、関係者全員にクギを刺した。正直行き先は考えてなかった。逃亡可能なら、どこでもよかった。所長が例の不定期休暇をとっていて、いつ狂言訓練がバレるか、ハラハラしながらの逃避行だった。訓練なら雪上車の随伴が必須といわれ、一台お供がついた。今朝、妹の病室がもぬけの殻になっているのが、バレたらしい。丸一日、必死で逃げたが、どうにもならなくなった。それで、自分たちの乗ってきた雪上車を捨て、一か八か、スノーモービルでのカーチェイスに賭けてみた。その後、どうなったか、あなたも見ただろう?」
「04基地の地区に逃げてきたのは、偶然か」
「偶然だが、僥倖だったと思う。少なくとも、敵内通者と疑わなくとも済む男の懐に、飛び込めたんだからな」
「それ、オレのことか?」
「他に、誰がいるんだ……天下に名を轟かせている下品男、だろう。訓練校校長が許可証を発行するさい、方々に電話をかけていたんだが、その中の一本が、おそらく04基地の高位管理だと思う。いや、もっと正確に言えば、04基地に出入りする高位管理者、かな。警邏隊、ドーザーブレイド隊等、部隊の行動予定計画全部を……いや、一部を除くほとんどを伝えてきたんだ。唯一予測がつかないのが輜重部門の動きで、実質部門トップの下品男が、その日その日のカンと気まぐれで予定を立てたり、変更したりするものだから、どうにもならない、とさんざんコボしていた」
「ちゃんと、科学的に計算して、やってるんだけどなあ」
「鉛筆の端に数字を書いて、サイコロみたいに転がしたり、でなくてか? しゃべっているうちに色々思い出したらしくて、例のケツ丸出しの話から何から、さんざん罵詈雑言を吐いてだぞ。トレードマークの桃色のクジラは、その際に知った」
「正確には、ピンクのセミクジラ、な」
「輜重にスパイを送り込もうにも、人数最小、十年以上も人事異動がないから難しい、と話していたな。現有メンバーに対する買収工作も不発だったらしい。下品なトップにふさわしく、部下も下品ゲスの変人揃い、しかも、お互いに血族姻族になっている。さらに最悪なことに、ミレー、あなたを神様みたいに信心している、と。逃げ込むなら、候補のひとつだな、とそのとき思ったものだ」
「ふうん。輜重隊にもぐりこむつもりなら、あんたも、オレを神様みたいに崇め奉ってくれる必要があるんだがな。ついでに、下品でゲスになる必要もあるぞ」
「考えておこう」
「内通者に関する、もっと詳しい情報がほしい」
「04基地に四六時中、留まっている職種の人間ではない。渉外担当、外交官、高級連絡員、なんという呼び名かは知らないけれど、しょっちゅう出張というか、出歩いている人間だ。男か女か、若いかトシか、までは分からなかった。訓練校校長と連絡を取ったときは、確かに04基地の情報を漏らした。けれど、本当は他の基地所属で、偶然そこに居合わせただけかもしれないんだ。それと、もうひとつ。内通者は、アルベド改善同盟理事会の誰かと、とても懇意な関係にある」
「世界組織の誰かと? 第81地区ので、なくてか」
「訂正しよう。第81地区の誰か、とだ」
「じゃあ、ウチの組織運営の頂点に、裏切り者がいるってわけなのか……」
「違う。まだ、裏切り者には、なっていない。だからこそ、その懇意にしている理事に、内通者は寝返り工作を仕掛けるつもりでいた。ウチの工作員訓練校校長へ連句楽してきたののも、それと関係があるようだった」
「そこまで分かっているなら、未然に防ぐことも、可能かな……」
「もう、私が防いだ」
「マジか」
「マジ、だ。寝返り工作の内容は、ハニートラップ。そして、私の妹が、そのハニートラップの、エサとなる要員だった」
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