黒を討つ者

Enin Fujimi

「最後にもう一度だけ訊こう、猪狩いかりさん。本当にやっていいのかね」

 薄暗い都内某所の地下室。昼か夜かもわからないその部屋の中で、白髪混じりの白衣姿の初老の男が、ベッドで横たわる小太りな中年男猪狩に確認した。

「構わん。この国の法ではブラック企業を滅ぼすことはできん。司法が裁かんのなら、この俺の手で裁くしかない。さもなければ殺された息子の魂は浮かばれん。どうせ残り短いこの命。死なば諸共、一族郎党地獄へ道連れ」

「わかった」

 白衣姿の男性(日本が誇る稀代の天才発明家である矢場井やばい博士、IQ250)は頷き、以後は無言でロボットアームを操作しながら、猪狩を切り刻んでいった。

 矢場井博士自身も愛する娘をブラック企業に殺された身として、彼の気持ちは痛いほどわかる。近年ブラック企業に対する風当たりが強くなってきているが、程度の差こそあれ利益至上主義のブラック企業は未だ多い。多くの者は失職を恐れ、ブラック経営者の意のままにサービス残業や過労死ライン超えの超過労働を押しつけられている。そして過重労働によって人は正常な判断力を失い、精神を病み、あるいは体を壊し、まともに働くことすらままならなくなってしまう。労働基準監督署や弁護士事務所に駈けこみ、戦う者もいる。しかしそれには膨大な時間と費用、労力がかかるというのが現状で、ブラック企業の勢力は衰えることを知らない。それどころか労働者の定額使い放題制度まで導入されようとしている始末だ。国家には労働者を救う気がない、ならば儂がやらんで誰がやると奮起し立ちあがったのが天才発明家・矢場井博士というわけである。司法が助けぬというのなら、追い詰められた労働者に残された最後の一手は、〈武力行使〉しかない。しかしたったひとりでブラック企業の戦士たちや警官隊に立ち向かうには無理がある。そこで矢場井博士は、ブラック企業と戦おうとする勇者たちに肉体改造手術を施す活動を、秘密裏に開始したのだ。それも生半可なものではない。運動機能の衰えた五十代の中年男性に猛獣並の身体能力と頑強さを与えるという、矢場井博士の超天才的頭脳がなければ不可能な大手術であった。


 矢場井博士がこの活動を始めてから早五年。彼が手がけた手術は数百にも及んだ。もちろん日本は法治国家なので、暴力沙汰など警察が許さないが、規格外れの彼らーーブラック企業を打倒することから〈ブラックブレイカー〉と呼ばれているーーを逮捕することは容易ではなく、よしんば逮捕したとしても力ずくで拘置所の壁を破壊して脱走してしまう。猛獣並に強いとは言え、一応彼らも人間なので、日本の警察組織には彼らを射殺するという選択ができない。そんなことをすればたちまち世論の非難の集中砲火を浴びるに決まっているからだ。幸い彼らが打倒するのはブラック企業であり、一般社会に害をなすことはなかったため、ブラック企業に苦しめられている労働者たちからはヒーローのように扱われ、ブラック企業の経営者たちはいつ自分に牙が向くかと夜も眠れぬ日々が続いた。

 ここはとある建設会社の社長室。

「よお。クソ社長。俺様だよ。奴隷みてえにさんざんこき使われてうつになっちまったがよオ、こんなかっこいい体になって生まれ変わることができたんだぜエ。さんざん工具で頭を殴ってくれた礼もしてやらねえとなあ。覚悟しやがれ」

 半分機械になった身体をまざまざと見せつけ、元建設会社の社員だったチンピラ風の男が言った。そして飛蝗バッタのように飛び跳ね、一瞬で間合いを詰めると、手に持ったスパナで社長の頭を一閃。あまりにすさまじい力で殴ったため、金属製のスパナが根元からU字状に折れ曲がってしまった。社長の首もありえない方向へ折れ曲がってしまった。

 ブラック企業の代名詞とも呼べる存在、ブラック企業大賞を数度受賞し、何人もの社員を過労死に追いやり、カルト教団的社風で有名な大手外食チェーン。その経営者宅にも、ひとりの女性……否、ブラックブレイカーが、押しかけていた。

「彼のことは昨日のことのように憶えていますよ。彼の死に対しては非常に残念に思ってます。彼の力になってあげたかった。仲間たち皆で、負担を分かちあいたかった。会社の一番の存在目的は、社員の幸せなのですから」

 社長は貼りついたような笑顔で女性をなだめようとした。

 この女性は、結婚を目前にして未来の旦那を過労死させられ、女性初の改造人間となった元キャバ嬢である。

「うるさアい、この偽善者。ぐちゃぐちゃにしてやるウ」

 どす。

 元キャバ嬢の太腿ふとももがぱんと急激に膨張、次の瞬間社長の腹の中に、彼女の細い両腕が埋没していた。社長の眼と口が、張り裂けんばかりに大きく開かれた。

 そのまま元キャバ嬢は、すさまじい指の力でミキサーのように社長の内臓をひっかき回した。

「くぎゅ」

 腹の中をぐちゃぐちゃにかき乱され、社長は七穴噴血しちこうふんけつして床に仰向けに倒れこみ、絶命した。家族か隣人が警察を呼んだのか、すぐにパトカーのサイレン音が聴こえ、彼女は捕まる前にチーターのように素早く社長宅から脱出し、闇の中へと消えていった。

 中には復讐のためではなく、ブラック企業だらけの世の中を変え、社会に貢献したいと願う意識の高い者までいた。

 黒いスーツに黒いネクタイといった出立ちの、金縁眼鏡をかけたエリート風の男が、ブラック企業として有名な大手家電量販店の本社の窓を割って潜入していた。

「貴様らブラック企業は幸せになりたい全ての労働者の敵だ。私はブラックブレイカー。これも世のため人のため。成敗してやる」

「我が社はホワイト企業だ。変な言いがかりをつけるな。とっとと出て行け。警察を呼ぶぞ」

「警察がどうした。元はと言えば司法がだらしないからお前たちみたいな屑どもが堂々とのさばっているんだ。法が裁かぬ悪は暴力で解決するしかねえんだよ。死ねや」

 エリート風の男はテーブルの上に置いてあった重厚な花瓶を拾いあげると、社長に向かって投擲とうてき。音速に近いスピードで投げられたそれを受け、社長の頭は花瓶と共に砕け散った。

 一騎当千の改造人間ブラックブレイカーが、ひとりまたひとりと増えるにつれ、警察の対応は次第に後手に回るようになっていった。彼らは当然、改造人間を作った元締めがいると踏んで捜査を進めていくが、IQ250の天才である矢場井博士を見つけることは至難の業であった。ブラックブレイカーたちの狙いがブラック企業の根絶であることを知った政府はとうとう重い腰を上げ、ブラック企業撲滅委員会BCDブラック・カンパニー・デストロイヤーズを組織。ブラック企業の根絶へ向けて動き出し、少しずつではあるが、ブラック企業はその数を減らしていく。


 しかし、この事態に手をこまねいている資本家たちではなかった。

 経団連が政府に根回しし、改造人間特措法を可決させたのだ。

「警察だ。貴様らブラックブレイカーの一味だな。テロ等準備罪の現行犯で抹殺する」

 すっかり日も暮れ、人気のなくなった都内の廃材置き場で今後の作戦を話しあう予定だったブラックブレイカーたちは、潜伏していた警官隊に完全に包囲されてしまった。警官隊は全員米軍で採用されているアサルトライフルM4カービンをこちらへ向け、コッキングレバーを引いた。

 エリート風の男が、警官隊の眼の前に立ちはだかって叫んだ。

「ここは我々が食い止めます。猪狩いかりさん。貴方は博士をお願いします」

「殺る気満々じゃん、あいつら。正当防衛じゃね。殺してもいいよね」元キャバ嬢がサディスティックな笑みを浮かべた。

「わかった。お前らも死ぬなよ」

 猪狩が博士を抱え、脚から眩い炎を噴射し、夜空へと飛び立っていく。

 すかさず警官隊のひとりがM4の銃口を向けたが、いつの間にか眼前まで迫っていた元キャバ嬢に素手で胴体を貫かれ、即死した。

 しかし博士たちを逃すことには成功したものの、軍並の武装と数で勝る警官隊によって、その場に残ったブラックブレイカーたちは全員処刑されてしまった。

 如何に猛獣並の丈夫さの改造人間であれ、M4の放つ五・五六ミリNATO弾の大群には敵わなかったのだ。

 さらに政府はブラックブレイカーの無法ぶりを止めるため、という口実で、戦前の特別高等警察並の権限を持つ超法規的組織〈国家保安委員会〉を創設し、厳しい監視で国民のありとあらゆる情報を丸裸にし、ブラックブレイカーおよびその協力者である者、またその予備軍をすべて〈危険思想罪〉で摘発し、専用の強制収容所へ送っていった。ここでは毎日十六時間を超える苛酷な労働と粗末な食事によって、誰もが数年以内に命を落とすという人権団体が見たら発狂しかねない現代のアウシュビッツである。

 対改造人間用装備の導入と強制収容所の新設で、ブラックブレイカーたちは徐々にその数を減らしていった。警察の手によって現行犯処刑されることが多かったが、そのまま報道させてしまえば無論世論の非難を浴びるため、政府はメディアを買収して徹底的にもみ消した。

 ブラック企業での激務にあえぐ労働者たち、特に安い賃金で馬車馬のようにこき使われる若者たちの中には、ブラックブレイカーたちを英雄視する者も少なくなかった。彼らブラックブレイカーは、自分たちを奴隷の身分から解放してくれる英雄ヒーローなのだ、と、思っていた。それが資本家の陰謀、国家権力の濫用によって蹂躙じゅうりんされていく現実を見せつけられ、一生奴隷の人生とうつ状態に陥り、自殺する者も増えていった。


「とうとう俺たちだけになったな。博士」

 薄暗い闇の中にこだまする、中年男性の声。

 ブラックブレイカーも狩り尽くされ、今や改造人間は猪狩ひとりとなっていた。

『お待たせいたしました。博士。猪狩様』

 小芥子こけしを思わせる艶やかな黒髪のおかっぱ頭が印象的な二十歳くらいの若い娘……を模したロボットが、抑揚のない機械音声でそう言い、出来たてのチャーハンを無骨な灰色の事務机の上にふたつ、置いた。

 矢場井博士と、今や最後の改造人間となった猪狩は、ふたりでだだっ広い地下の秘密基地にて、恐らく最後になるであろう食事をっていた。

「よくできてるじゃないか。あのロボット。モチーフは奥さんかい」猪狩がビールを飲み干しながら言った。

「娘だよ」

 博士は眼を伏せて言った。その様子からただならぬ過去を察知した猪狩は、それでも聞かずにいられなかった。

「亡くなったのかい」

「ああ。〈天通てんつう〉に殺されたのだ。過労死した」

「天通だと」猪狩は憤慨して立ちあがり、叫んだ。「最強最悪のブラック企業じゃないか」

 矢場井博士は、最後の同胞となった猪狩に、娘のことをすべて話した。娘の名は松子まつこ。博士が手塩にかけて育て、ついに東大を卒業して天下の広告代理店・天通に入社し、薔薇バラ色の人生が約束されたと喜んで間もなく、あまりの激務に耐えかね、過労死してしまった。無論博士は天通を訴えたが、連中はあり余る財力を駆使して裁判官に圧力をかけ、連中に下された判決は罰金たったの五十万円。言い換えれば、天通は五十万円で社員を死ぬまでこき使う権利を得たのである。

「吐き気がする。滅ぶべき悪だ」

 猪狩は吐き捨てるように言った。そして彼は口端を吊りあげ、少年のように悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「なあ、矢場井さん。このままじゃジリ貧だ。最後に俺たちで天通に眼にものを見せてやらないか。あんたのことだ、最後に連中にひと泡吹かせてやるために、〈あれ〉を開発していたんだろう」

「相手はあの天通だ、猪狩さん。死ぬぞ」博士は真顔で言った。

「俺たちは世間的にはもうテロリストさ。降参したところでどのみち死刑だ。なら、最後の最後にひと暴れしてやるのも一興さ。そうじゃないか?」

 これから死ぬというのに、猪狩の眼は活き活きと輝いていた。

 博士は考えた。そう。暴力という手段に出た時点で、もはや我々はテロリスト。犯罪者だ。手を貸した者は皆同罪、共謀した犯罪者として強制収容所アウシュビッツ行きだ。ネットでの喧伝もさんざんやったし、ブラック企業を打倒して労働者の楽園を作ろうという我々の目論見を知る者は、決して少なくはなかった。が、誰もが世のため人のため、自分の生活を投げ出して戦えるほど勇敢じゃないし、義侠心に溢れているわけでもない。暴力による解決を図る我々のやり方に疑問を持つ者もいたはずだ。結局我々はブラック企業を滅ぼすこともできなかったし、日本の労働者たちを団結させることもできなかったのだ。

 博士は、唐突に猪狩に訊ねた。

「なあ、猪狩さん。我々のやってきたことは、間違っていたと思うかね」

「間違っているとかそうでないとか、俺にとってはどうでもいいね。少なくとも俺は、俺のやるべきことをやってきた。息子のような犠牲者を二度と出さないように、悪党どもを根絶やしにしてやると。あんたもそうだろう。それが俺たちの〈正義〉だったんじゃないのか。ここまで来てやめるなんて言わんでくれよ。散った同胞たちの魂はどうなる」

「ははは」

 この窮地においてさえ闘志を絶やさぬ猪狩の、その爛々らんらんと輝く攻撃的な眼つきに、博士はかつて復讐に燃えていた昔の自分を重ねていた。

 博士は一気にビールを飲み干し、猪狩に笑み返した。

「やろう。最後の徒花あだばなだ」

「そうこなきゃ」

 ふたりは熱い握手を交わした。


 最後の晩餐の翌日、矢場井博士と猪狩は、新橋の町中で白昼堂々〈天通〉に襲撃をかけた。

 どかーん。

 猪狩の腕に仕込まれたグレネードランチャーが、天通本社ビルの一角を破壊する。

 直後、ビルの中からぞろぞろと現れる、天通の企業戦士たち。

 いくら改造手術を受けた猪狩といえど、命を惜しまず企業のために粉骨砕身する企業戦士部隊をひとりで制圧するのは至難であった。

 改造人間はもはや人に非ずと、彼奴らは暴力団から購入した銃火器や刀剣を使って徹底抗戦した。

 腕を切り落とされ、全身を銃弾に貫かれ、片眼が飛び出し、はらわたを引きずり出されてもなお、猪狩は戦うことをやめなかった。

 やがて彼は警察に包囲され、対戦車ライフルで心臓を撃ち抜かれ、帰らぬ人となってしまった。


 だが一方、天通本社ビルの上層階で、ふたたび爆発が起きた。


「陽動は成功したようだ。猪狩さん。あんたの死は無駄にはせぬ」

 天通の企業戦士部隊を猪狩が引きつけている隙に、矢場井博士は裏口から侵入、エレベーターを使って上層階まで行くことに成功していたのだ。

「うわあ」

「何だこいつはあ」

 鋼鉄の精神を持つ天通の企業戦士たちが恐れおののくのも、無理はなかった。

 そこにいたのは初老の老人・矢場井博士……ではなく、全高二メートルをゆうに超える特殊合金パワードスーツだったのである。

「くたばれ。悪の手先ども」

 矢場井博士のパワードスーツの右腕に搭載されていた機関銃が火を噴き、天通の企業戦士たちを塵芥ちりあくたの如く蹴散らしてゆく。

 いくら心身共に鍛え抜かれた天通の企業戦士と言えど、ブローニングM2重機関銃の放つ十二・七ミリ弾の嵐の前では紙切れ同然であり、天通のビル内はあっという間に蜂の巣と化し、文字通り屍山血河しざんけつがの地獄と化した。

 いくら武装した企業戦士部隊であろうが、銃弾すらまったく通じない重武装のパワードスーツを纏った矢場井博士を止める術はなかった。

 そのまま矢場井博士は猪突猛進し、企業戦士たちの抵抗をものともせず、とうとう社長室まで辿り着いた。

「な、何だ貴様は。早く出て行け。警察を」

「松子の仇」

「松……? 誰だ、そ、ふげ」

 博士は社長を機関銃で一掃する……ことはなく、パワードスーツの両手で捕獲した。

「ひぎ。いて。いてててて。ぎゃあ」

 ばりばりばり。

 博士は力ずくで、社長の右腕を引きちぎってしまった。

 社長はあまりの激痛に白眼を向き、小便を垂れ流した。

「松子の苦しみはこんなものではなかったはず。楽に死ねると思うな。くされ外道め」

 しかし社長は口から泡を噴き、ただがくがくとその身を震わせているだけだった。

 どうやらあまりの痛みに気を失ってしまったのか。いや、外傷或いは出血性ショックで死んでしまったのかもしれぬ。

 まあよい、と、博士は社長の頭を掴み、力任せに握りつぶした。辺り一面に社長の血や脳漿のうしょうが飛び散り、高級感溢れる紺青こんじょう絨毯じゅうたんに歪な土留どどめ色の花火を描いた。

「見ているか。松子。お前の仇は討ってやったぞ。あの世で会ったら一杯やろう。祝杯じゃ。うはははは」

 がんがんがん、と、雨戸にひょうか何かがぶち当たるようなけたたましい音が響いてきた。振り返ればそこにはいつの間にか警察の特殊急襲部隊SATが、矢場井博士擁するパワードスーツを囲いこみ、銃撃を加えていた。しかしIQ250の矢場井博士が開発した特殊防弾装甲に覆われたパワードスーツを破壊するのは容易ではなく、SAT部隊は天通の企業戦士たちと同じく博士のM2重機関銃が放つ十二・七ミリ弾によって駆逐されていく。防弾チョッキなど重機関銃の高火力の前では意味をなさず、社長室はあっという間に血の海と化した。嗚呼、人間とは何と脆い生き物か。そして今ここに、我が正義の執行を邪魔するやつは、いない。これを機に、日本を蝕むブラック企業を根絶やしにしてやろうか。結局のところ、正義とは力なのである。世界は常に暴力によって変えられてきた。正義、人道とは、勝者が決めるのである。そして勝者は常に最も力のある者と決まっている。薄汚い資本家ブルジョワジーの屑どもは、警察や軍隊という強力な暴力を用いて労働者を弾圧する。法の番人面した連中は、あろうことか悪の資本家の側に立って労働者プロレタリアを叩く。なぜか。それが〈法〉であるから、と、彼奴らは言うだろう。そう、法は結局のところ、弱者を守らぬ。守るふりをするだけだ。本来法とは権力者どもが己の権益を維持、利用するために作られたものである。奴隷制は現在も継続している。革命だ。この儂の力で、日本に労働者の天国を作ってやるのだ!

 どかーん。

 ふいに、今までとは桁違いの大きな衝撃と震動が、矢場井博士のパワードスーツを襲い、社長室は爆炎と粉塵にまみれた。

『ピー。損壊レベル四。右腕大破。M2機関銃使用不能。修復を試みます』

 パワードスーツのコンピュータに搭載された人工知能が、抑揚のない機械音声で言った。

 窓の外にはいつの間にか自衛隊の戦闘ヘリ、AH64Dアパッチ・ロングボウが出現していた。国家権力という名の大暴力システムが、いよいよ本格的に動き出したようだ。世界最強の攻撃ヘリの大口径機関砲やミサイルで攻撃されれば、いくら特殊装甲で覆われたこのパワードスーツとてひとたまりもないだろう。ならば、この身が灰燼かいじんと化すその時まで、足掻いてやるのみ。ひとつでも多くのブラック企業を潰す。誰が降伏などしてやるものか。人を人とも思わぬ畜生どもを天が裁かぬなら、この儂自ら裁きを下してやるまでだ。でなければやつらは、この日本が滅びるまで労働者を、特に未来ある若者たちを、搾取し続けるだろう。

 矢場井博士の最後の抵抗は、数時間続いた。

 天通本社ビルを爆破して逃走し、その他にもブラック企業大賞に輝いた企業を次々とパワードスーツで襲い、経営者どもを処刑していった。

 市街地の人混みを背に移動すれば、自衛隊は迂闊に攻撃してこれないだろう。実際に天通本社ビルを出てから今の今まであのアパッチは儂の後をくっついてくるだけで、機関砲の一発すら撃ってこない。

 しかしそんな芸当がいつまでも通じるほど自衛隊は甘くなかった。博士の標的であるブラック企業を予測し、包囲網を敷いていたのだ。

 猫のような名前の住宅メーカー本社ビルの前には、陸上自衛隊の誇る十式戦車が二台と、五十人をゆうに超える兵士たちがアサルトライフルを構えて博士を待ち伏せしていた。

 博士が姿を表した瞬間に、十式戦車の主砲が咆哮ほうこうした。

 吐き出された百二十ミリ砲弾が、博士のすぐ横の地面を穿うがった。

 すさまじい轟音と爆風によって、博士は勢いよくふきとばされ、コンクリートの壁にたたきつけられてしまった。特殊合金による装甲のおかげで即死は免れたが、肉体的に脆弱な博士の全身の骨は砕け、激痛のあまり失禁した。

 意識が朦朧もうろうとする。

 たぶん、もう儂は助かるまい。

 ここまでか……

 その時、自衛官の隊列の間からひとりの長身のバリキャリ風の女性が現れ、隊員たちの制止を振り切って博士の前に歩み出た。

「ここまでですね。矢場井博士。おとなしく投降してください。悪いようには致しません」

 この女、見憶えがある。政権与党愛国党の若手議員にして異例のスピードで法務大臣まで上り詰めた、エリート中のエリートだ。彼女は続けた。

「矢場井博士。貴方はここで殺すには惜しい才能をお持ちです。ぜひここで無駄死にすることなく、その能力を国家のために役立てていただきたい。と言っても、難しいことではありません。貴方はただ、ブラック企業をなくすための新しい監視システムを作ってくださればよろしい。そうすれば、法務大臣であるこの私の権限で、あなたのこれまでのすべての罪を帳消しにしましょう。どうです。悪い話じゃないでしょう。この国からブラック企業をなくすのが、貴方の目的だったはず。違いますか」

 若き女性の法務大臣は、凛とした声で言った。若くしてこれだけの重職に就けるくらいだ。さぞ頭が良いのだろう。

 だが、博士は法務大臣の要請を退けた。

 この話に乗って仮に企業を監視するシステムを作ったとして、政府が相変わらず資本家とずぶずぶの癒着状態では意味がないのだ。これは儂の才能を国家の都合のいいように利用するための彼奴の方便にすぎぬ。

 博士は法務大臣を指差し、叫んだ。

「その醜い口を閉じろ、雌豚が。貴様も娘を殺した畜生どもと同類だ。元はと言えばブラック企業などという犯罪組織を野放しにしていた日本の司法のせいだ。その上貴様ら政府は資本家どもにいいように操られ、ブラック労働を合法化しようとしたではないか。何がブラック企業の撲滅だ。ふざけるな、ばかたれ」

 博士の咆哮ほうこうに物怖じせず、法務大臣はサディスティックに眼を細め、博士をめ回しながら言った。

「馬鹿なやつだ。せっかく生きるチャンスをやったというのに。国家にたてつくというのなら、貴様は前代未聞の罪を犯したただのテロリスト。新法〈テロ等処罰法〉第二条『テロリストは如何なる理由があれどその場で処刑する』。撃ち方用ー意!」

 警察と自衛隊の連合軍が、一斉に博士に向けてライフルを構えた。先ほどの爆撃で、パワードスーツの装甲はあちこちに亀裂が入り、ところどころ崩落している。五・五六ミリNATO弾といえど今の状態で集中砲火を受ければ、ひとたまりもないだろう。

 博士は避けられぬ死を悟り、すべてを受け入れたのか、力なく笑った。

 これで終わり、か。

 だが、このままおとなしく死んでやるのもしゃくだ。

「ヘイ、IRISイリス

 この言葉は、パワードスーツに搭載された人工知能IRISイリスを立ちあげるためのキーワードである。

「撃てーい」

 意気揚々とした法務大臣の号令によって一斉に発射された無数のライフル弾が、博士のパワードスーツの装甲を破壊し、全身を貫いていく。

 もはや痛みを通り越して、自分の身体に何が起きたのかもよくわからない。

 天地が反転し、生温かいあかの泉に、自分の身体がゆっくりと沈んでいくのが、わかった。実際は、ほんの数秒程度のことだろう。死の間際はありとあらゆることがスローに感じられると聞く。

 うむ。儂も、とうとうお迎えが来てしまったか。結局のところ儂らは勝てなかったが、ごく少人数の組織としては、よく戦った方ではなかろうか。儂らはやるべきことはやった。残念ながら労働者による団結も革命も失敗したが、これをきっかけにブラック企業に立ち向かう勇気ある若者が、ひとりでも増えてくれることを願おう。さらば、世界よ。

 これが、最後の悪あがきだ。

 博士は最後の力を振り絞り、呻くように言葉をり出した

「じ。ば。く」

『オーケー。博士。あの世で会おう』

 パワードスーツに仕込まれたスピーカーから、陽気な女性の声が聴こえてきた。それは、今は亡き彼の娘の声を元に製作された、人工知能IRISイリスの声であった。

 法務大臣、警察、自衛隊員たちの顔が、恐怖に引きった。

 直後、パワードスーツの奥底に仕掛けられた爆弾が炸裂した。

 すさまじい轟音と高熱の爆風で、博士と法務大臣たちを、猫のような名前の住宅メーカーの本社ビルごと、木っ端微塵に爆砕した。

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