第13話 文化祭当日
午前九時半。私は学校にいた。校門はいつもの飾り気のないそれではない。
スローガンが掲げられ、色とりどりの装飾までされている。
「こんなに雰囲気違うんだ」
お母さんに車で校門前で送ってもらったため、まだ誰とも出会っていない。久しぶりに着た制服は、いつも病院で着ているものとは、素材から違う。何だか少し動きにくいような気がする。
「体調には気をつけてね」
「うん、分かってる」
窓を開け、心配そうな表情を浮かべるお母さんに微笑む。
「また迎えに来るから。連絡ちょうだいね」
「分かってるって」
心配性、というのは違う。いつも入院している娘が外出許可を得て、文化祭という通常とは違う学校に行くのだから心配しない方が嘘だろう。
「また後でね」
心配の色を濃く表情に出しているお母さんに、笑顔で手を振る。それを見たお母さんは窓を閉めて、車を発進させた。
「あ、本当に来た!」
校門を通り過ぎてすぐ。そんな声がかけられた。校舎へと繋がる一本道に、多くの屋台が並んでいる。今は体育館で舞台発表が行われている時間だろう。この通りがお客さんが賑わっている、ということはない。だが、通りに並ぶ店名を見る限りお昼ごろには盛り上がるであろうことは目に見えている。
「はじめの担当なんだね」
しかし、閑古鳥が鳴いているわけではない。文化祭に訪れた人がお店を見て回り、商品を買う様子はぽつぽつと見受けられる。
入り口からすぐ。そこに私と中筋くんとで案を出して、みんなで形にしたのであろうアイスクレープ屋さんがある。
「まぁね。一番楽かなって思って」
「みこっちゃんらしい」
「平気なの?」
私の言葉を聞き、安心を見せる。しかし、それも束の間。みこっちゃんは分かりやすく表情を昏くする。
「うん、大丈夫だよ」
殊更明るいテンション。それがまたみこっちゃんを不安にさせたのだろうか。弱々しい声の「そっか」だけが返ってくる。
「じゃあ、私はとりあえず先生のところ行くね」
「うん、わかった」
冷淡な印象を思わせる顔に似合わない表情を刻む。
久しぶりなのに、何故か言葉が上手く紡げない。毎日学校に行ってた時みたいに話せない。私たち、どんな会話してたかな?
みこっちゃんから離れてからそう思う。知らない間、気づかない間で、私は私じゃなくなったのかな。今までの、が通じない。それが何だか怖くて、私は先を急いだ。
新鮮味はない下駄箱で上履きに履き替え、職員室に向かう。よく歩いた廊下は、いつの間にか懐かしい廊下になっている。私の、今のよく歩く廊下は病院のそれ。たった2、3週間。それで人間のいつもは侵食される。
「よく来たな」
昨夜、石井先生の方から私が明日行くことは伝えてある。武中先生は職員室の中央付近のデスクを前に座っている。
「先生、冷房ついた職員室でサボりですか?」
「何を言う。御影を待ってたんだよ」
武中先生はゆっくりと立ち上がり、私の方へと近づいてくる。
「今日はこれまで準備してきた集大成だ。存分に楽しめよ」
いつもは阪神タイガースのことばかり言っている武中先生に、先生らしい言葉を掛けられる。それが何だかこそばゆくて、思わず「鳥肌立ちましたよ」と言う。先生はそんなことを気にした様子もなく、うるさい、とだけ告げた。
「私は?」
「体育館へ行けばいい」
「分かりました」
踵を返し体育館へ向かおうとした瞬間、私が今体育館シューズを持っていないことに気づく。
「先生、体育──」
「今日はシート敷いてあるから大丈夫だ」
最後まで言うことなく、武中先生は返事をした。
思考を先回りされたことが何だか悔しくて、言葉に言い表せないもどかしさを覚え、私はそのまま何も言わずに職員室を出た。
体育館は、私の想像を超える熱気に包まれていた。カーテンを締められ、照明は落とされている。そして後方から舞台に向かってライトが向けられ、ステージがより一層目立つ造りになっている。
「これ、みんなを探すの大変そう」
ステージに向かって、各クラス2列になって並んでいる。周辺で一番大きな学校ということもあり、見渡す限り頭で、その中から自分のクラスを探すのは相当に骨が折れる。
「御影さん?」
不意に名前を呼ばれ、振り返る。しかし、そこには誰もいない。奇妙に思い、首を傾げる。
「こっちこっち」
その様子を見ていたのだろう。今度はハッキリと、右側から声が聞こえ、そちらを見る。私が知っている頃よりもう少し日焼けをさて、浅黒さが増している安原くんがいた。
「安原くん。どうしてここに?」
「いや、放送委員だからね。こういう照明とか、あとアナウンスとかしないといけないんだよ。って、どうしてここに、はこっちの台詞だよ」
ひとしきり自分の役割を説明してくれた後、安原くんはそう突っ込む。
「そうだよね。私の事、どこまでも聞いてる?」
「なんか入院してるって、藤生さんが言ってた」
「うん、そうだね。それで今日は外出許可貰ったから来たの」
どうやら病気のことは言ってないらしい。みこっちゃんなりに気を遣ってくれたのだろう。胸中で謝辞を零しながら、体育館中を一瞥する仕草を見せる。
「あぁ、みんなね。みんなは右側から3年5組だからそっちから見ていくと多分分かりますよ」
懐かしの安原くんの言葉遣いに、ふっ、と笑を浮かべてから「ありがと」と告げて歩を進めた。
右から7列目とか、8列目ってことだよね。
安原くんから聞いた場所へと向かう。だが、体育館の照明は落ち、真っ暗なので正直探すのは一苦労する。
「あっ、見っけた」
周りより頭一つ飛び出ている。暇そうに周りを見る度に、後方から出ているライトにメガネの縁が反射している。
「やっほ」
久しぶりの彼に。なんて話しかけるべきかを逡巡したが、いつも通りっぽいのを演じてみる。
「ええっ!?」
私の声に振り返ったその人物は、舞台の上で演劇をしているのなんてお構い無しに、悲鳴に似た叫喚を上げる。
「ちょっと! 目立つでしょ」
声を潜め、怒気を孕ませて言う。
「お、おう。でも、どうして?」
メガネをクイッと上げながら言う様は、岡本くんらしいさがあり、胸に込み上げてくるものがある。
「クラスメイトが文化祭に来てその言い草って無くない?」
意地悪っぽい笑みを浮かべ岡本くんを見ると、彼は困惑気味に頬を掻いている。
あぁ、これみこっちゃんの尻に敷かれてるタイプだな。私には関係ないか。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。私、ここに座ってていい?」
私が本来居るべき場所は多分詰めて座られているだろう。その証拠に偶数人のクラスだったのに、岡本くんの隣が空いている。
「いいと思う」
「じゃあ失礼するね」
少し違和感を覚えるスカート。その丈を抑えながら座る。
「硬いね」
「まぁ床だからな」
いつもの調子でないのだろうか。岡本くんの言葉の節々に遠慮というものがみてとれる。
「どうかした?」
「それはこっちの台詞。体、大丈夫なのか?」
みこっちゃんの彼氏だし、一度お見舞いにも来てくれているから多分私のことは聞いているのだろう。
「今のところは、ね」
「治るのか?」
「さぁね」
舞台上では純白のドレスに身を包んだ女子生徒が声を張り上げ、手を虚空へと伸ばしている。題目はわからないが、お姫様がでるお話で間違いはない。
「それよりも、岡本くんこそみこっちゃんとどうなの? 私、一応二人の恋のキューピットなんだけど」
「普通だよ」
「普通って?」
「う、うるさいなー」
岡本くんは嬉しそうに、しかしどこか恥ずかしそうにしてそっぽを向くと、幾度もメガネを上げる。
「変なの」
「変じゃないし」
「あ、そうだ。みこっちゃんに会ったよ」
「そうか。繁盛してたか?」
にやっと少し気持ち悪い笑みを浮かべる岡本くん。接客をしているみこっちゃんを思い描いているのだろうか。
「さすがにまだだね。お客さんも圧倒的に少ない」
「そうか」
その言葉を最後に私たちは黙った。黙って、演劇を見た。どうやら演目はロミオとジュリエットらしい。時代背景にそぐわないドレスには、少し首を傾げるが見れないことも無い。
スーツ風の衣装を身に纏うロミオ役の男子は、どこか恥ずかしさが残っているように思える。
そして物語はいよいよクライマックスに差し掛かる。仮死状態になるジュリエット。それを見たロミオは嘆き、叫び、ジュリエットの後を追うロミオ。目覚めるジュリエット。自分の意図が伝わらなかった悔しさ、恋人の死の悲しみ、それらは溢れ出して、彼女をホンモノの死に
ステージに一人。倒れ込む女子生徒を残して幕は降りた。体育館の照明が付き、拍手喝采が鳴り止まない。
「よかったな」
「まぁね」
岡本くんの言葉に胸がキュッと締め付けらる。視界の端に列のちょうど真ん中辺りに座す中筋を捉える。
気づいた想い。それを伝えるか否か。私は今でも悩んでいる。初めての想い。甘くて、淡くて、切なくて、締め付けられるような、そんな想い。
「どうかしたか?」
「あ、うんん。なんでもないけど、美羽ちゃんいるかなって」
「堀北さんなら前の方にいると思うけど」
「そっか。分かった。行ってみる」
小さく手を上げありがとう、という意を示してから背中を丸め座った格好のまま、ペンギン歩きの如く歩き方で前へと進んでいく。
「うっそ。あの格好で行くわけ?」
後ろから岡本くんの、そんな声が聞こえた気がする。でも、そんなこと関係ない。あの日、私の病気がバレてしまった日から美羽ちゃんはお見舞いに来てくれてない。LINEはしてくれてた。でも、顔は見れてない。私のこと嫌いになったのかな。もう会いたくないのかな。
移動しながらそんな想いが込み上げる。
「あれ?」
「御影さん……だよな?」
「入院してたんじゃ……」
クラスメイトの横を通り過ぎるたびにそんな会話が耳をつく。私がいることが日常だった日から、数週間。私の存在はみんなの非日常になっていることに改めて気付かされる。
「久しぶり!」
殊更明るい自分を演じて、私は美羽ちゃんの肩に触れる。
「うわぁっ!」
驚きを隠せていない。
「何よその幽霊でも見た顔は」
苦笑にも似た笑顔を浮かべる私に、美羽ちゃんは表情を歪める。それは嫌いな人が目の前に来た、なんてものでは無い。今にも泣きだしそうな、そんな表情だ。
「ご、ごめん。来てるとは思わなくて」
そう言う美羽ちゃんは、私と目を合わせることはせず、震えた声を洩らしている。
「怒ってる?」
「うんん」
雰囲気で、そう答えられるのは分かっていた。でも、なら──何で目を合わせてくれないの?
「でも、怖くて」
「怖い?」
予想の斜め上をいく回答に、少し困惑する。
「このまま澪ちゃんと居てもいいのかなって。もし明日、澪ちゃんが居なくなったら私はどうなるのかなって」
次々と溢れ出る美羽ちゃんの
「だからどう接すればいいのか分からないの。今まで通りって、何? 普通にってどうすればいいの? そんなの無理だよ! 私たち普通の高校生だよ? 急にあんなこと言われたって困るよ」
「そうだね。私も同じだった。今日美羽ちゃんと話すまでにみこっちゃんと武中先生と安原くんと岡本くんと話した。でも、話す度に今まで通りってなんだっけって思った」
私だけじゃないんだってことに安心を覚えた。そして同時に、申し訳ないという気持ちが溢れる。
「だからね、私はもう考えないことにした。今から私は今日を楽しむことにした」
「今日を楽しむ?」
「うん。だって、私には今日しか無いから」
何かが吹っ切れたような気がした。美羽ちゃんの言葉が、想いが、私の中の何かに変化を与えてくれた。
「また入院するってこと?」
「そう言うことだね。だからさ、美羽ちゃん」
そこで一度言葉を切る。瞬間、今日初めて美羽ちゃんと視線が交錯する。大きな薄茶色の瞳はうるうると、今にも泣きだしそうだ。
「今日、一緒に回らない?」
私の言葉を起爆剤とし、美羽ちゃんは真珠のような透き通った涙を零した。零れた涙は頬を伝う。その涙に驚いたのか、大きな瞳をさらに大きく見開き驚く美羽ちゃん。
「いいの? 私なんかで」
恐る恐る、といった感じだ。そして同時にアナウンスが入る。ベタっとした話し方がスピーカー越しに耳に届く。
『続きまして、2年3組によります舞台発表。《ピノキオ》です』
「いいよ、私は今日っていう一日を私が居たい人といたいの」
「……ほんとに、私?」
嗚咽混じりの声。堰を切ったように零れる涙。一音一音を確かめるように放たれた言葉。それに対して、私は力強く頷く。
「約束だからね?」
「うん」
鼻をすすり、私の言葉に涙で濡れた顔に笑顔を刻んだ。
木で造られた人形。子どものいないゼペットの願いはただ一つ。この人形が自分の子どもになりますように──
星に願ったそれは、なんと叶えられたのだ。そして願いを叶えたブルーフェアリーは、その場に居合わせていたコオロギに親代わりをさせた──
コオロギの役の生徒は茶色の布を纏い、後ろには手作り感が否めない羽もどきがついている。
そこまで見たところで、隣に座る美羽ちゃんから肩をつつかれる。
「どうしたの?」
泣いていたのがよく分かる。目を赤く腫らし、うっすらと引いていたアイラインまでもが崩れている。
「そろそろ私行かないとだから」
「どこに?」
「調理室。で、その後に店番」
「そうなんだ。じゃあ、私も行く」
「見てていいよ」
「うんん、私は美羽ちゃんといたいの」
その言葉に美羽ちゃんは少し照れくさそうな表情を浮かべた。すぐに表情を引きしめ、「じゃあ、行こっか」と続けた。
「あ、その前にトイレに寄った方がいいかも」
「どうして? 澪ちゃん、トイレ行きたいの?」
「あー、私じゃなくて、美羽ちゃんが行った方がいいと思う」
具体的には顔が少々怖いことになってる。しかし、その事に気づいていないのだろう。美羽ちゃんは不思議そうな表情で首を傾げる。
「メイクが、ね」
真実をそう告げた、瞬間。美羽ちゃんの顔から色が無くなった。
トイレにより、化粧直しをしてから調理室へと行く。最後に来たのは入院する少し前だった。試作品を作って、試行錯誤していた頃。
「安原くんが作るの上手だったよね」
「ほんとによ! 安原くんいなかったらこんなに生地作れてなかったと思う」
嘲笑とも苦笑とも取れる笑顔を見せる美羽ちゃん。
「やっぱり安原くん凄かったんだ」
「うん。もう私たちなんて手も足も出ないって感じ」
あはは、と笑う姿は本来の美羽ちゃんらしくて私にはすごく懐かしてくて、楽しかった。そして嬉しくもあった。元気で明るいのが美羽ちゃんらしいから。
「これ持ってくれる?」
「いいよ。って、私のが大きくない?」
冷蔵庫の中から取り出しのはサランラップのかけられたボウルが2つ。大きさで言うなら、大と中だろう。そして誰がどう見ても大だと言うであろうボウルを私に手渡す美羽ちゃん。
「あれ? バレた?」
「バレるよー」
もぅ、と言いながらも美羽ちゃんは重たい方を持ってくれる。これが美羽ちゃんなりの接し方で、優しさなのだろう。私にはそう思えた。
太陽はもう南の空の高いところで燦々と大地を焼き尽くすように照る。
「交代の時間?」
「そうだよー」
どうやら私たちが交代メンバーの一番乗りだったらしい。
「って、澪。どうして?」
体育館で劇を見てればいいのに。そう言わんばかりのみこっちゃん。私は美羽ちゃんを横目で見てから口を開く。
「美羽ちゃんと居たいって思えたから」
「そっか」
そう言った声音は少し残念そうに思えた。多分、私じゃないんだ、とかそういった類のものだと思う。
「ごめんね。みこっちゃんとも一緒にいたいんだよ」
「別に気遣って貰わなくてもいいよ。どっちにしてもアイツと回る約束してるし」
パッと見では嫌々、ともとれるその言い方。しかし、表情は照れがあり、恥ずかしさも混じっている。
「そっか。それはそれでちょっと残念かも」
そう言うと、みこっちゃんはしたり顔を浮かべた。
「他のメンバーは?」
「もうすぐ来ると思うよ」
エプロンを外しながら訊くみこっちゃんに、エプロンを付けながら美羽ちゃんが答える。
「あと誰だっけ?」
「長井くんと明石さん、それから中筋くんだね」
「えっ」
思わぬ所で出てきた名前に思わず体が反応を見せてしまう。
「あれあれー? どうしたー、その反応は」
楽しそうな表情で詰め寄るみこっちゃんに、私は顔を逸らすことしか出来ない。
「これは黒ですな」
「そ、そんなことないよ。純白だよ」
「純黒?」
「純白!」
「あっ、御影さん。本当に来れたんだ」
他愛もない言い合いをしていた時、聞き慣れた声が耳に届き、心の臓が高鳴った。ほぼ毎日病院に通ってくれていた男子生徒。色白で小柄で、大人しそうな雰囲気を纏う男子。まん丸い目はどこか可愛らしさも感じられる。
「な、中筋くん」
好きだと気づいてしまって。面と向かって顔を見た瞬間に、口の中の水分は一気に吹き飛んだ。そして、カラカラになった口から名前だけをどうにか搾り出せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます