第12.5話 あの日の出来事
忘れる?
そんなことは短い一生でもできない。わいは、あの日――
わいの名前は、ここまで見てくれてる人ならわかると思うが
つりあがった目は決して男前に見える要素にはなりえないが、筋の通った鼻のおかげで顔立ちを良いように見せることができている。
「
いつもの放課後。いつものように
「えぇ、もうお金ないよ」
わいの呼びかけにそう反応したのは、色白で幼顔が特徴的な遊佐だ。身長はそこまで高くないが、特段低いわけでもない。
「今日もおごるから、カラオケでもいく?」
「勇人がそれでいいなら、いいけど」
言葉とは裏腹に、遊佐の表情に悪びれた様子は見て取れない。
「んじゃ、一番近しビッグカラオケ行くか」
「おけ」
話が纏まるや、打ち合わせたかのようにシンクロした動きでかばんを持ち、同時に教室を出る。
北校舎の3階。そこがわいらの中学の三年の教室がある場所。日当たりが悪く、どこかジメジメとしているその空間から逃げるように、足早で下駄箱へと向かう。
「そう言えばさ、今日のニュース見た?」
下駄箱から靴を取り出しながら、遊佐は口を開く。
「強姦のやつ?」
「いや、それもあったけど」
わいの言葉に遊佐は苦笑を浮かべ、少し間を置いてから言葉を放つ。
「強盗殺人事件」
言うより字面にインパクトのある言葉。
「あぁ、近くのコンビニで起きたみたいだな」
深夜帯のコンビニ。店員はアルバイトの男子大学生が1人。そこへ黒い覆面を被った人物が押し入り、拳銃で大学生を脅し金を要求。大学生は金を入れながら、緊急通報ボタンを押した。それに気づいた犯人が発砲し、大学生の心臓を撃ち抜いた。
確かこういった事件だったはずだ。
「そう。だから母さんに早く帰ってこいって言われてるから。フリータイムは無理かな」
それが言いたかったわけね。
脈絡のないニュースの話に何事かと思ったが、こういうことね。
「分かった。んじゃ、今日は5時間にしとこ」
「それ意味ないじゃん。フリータイムのが安いやつ!」
「わいのおごりなんだが……」
靴に履き替えが終わり、わいらは校門へと歩みを進める。
「今日は2時間くらいにしとかない?」
「2時間って何にも歌えないじゃん」
「いやいや、歌えるでしょ」
そんな他愛もない会話をしているうちに、ビッグカラオケに着く。
平日の夕方は、学生が客の大半を占めている。数時間後には、客層は酒気を帯びたサラリーマンがメインになるが、今はまだ学生の時間だ。
「お時間の方はどうなされますか?」
受付をしている若い女性に、そう訊ねられ「2時間で」と答える。横では遊佐がうんうん、と頷いている。
「それでは突き当たりにある205号室です」
伝票を挟んだバインダーを受け取り、わいらは案内された部屋に入る。大きさとしては2人でも少し狭いように感じられるほど。開けると同時に鼻腔に襲い掛かるタバコの臭いは、当時のわいにとっては臭いと感じられるものだった。
「何歌う?」
デンモクを弄りながら、遊佐は訊く。
「シャル入れてくれ」
「はいよ」
採点機能を付けてもらい、わいは歌い始める。序盤は歌いやすい高さなのだが、サビになると少し高くなり辛くなる。それでもしっかりと歌いきり、点数は89点。
「いつも通りって感じだね」
「うるさい」
遊佐からデンモクを受け取り、わいは次に歌う曲を選ぶ。同時にイントロが流れ出す。これは──
「また天候観測かよ」
遊佐の十八番と言っても過言ではない一曲に苦言を呈すと、遊佐はにこやかな表情を浮かべ、歌い出した。
時間は1時間を少し過ぎた頃。通常料金で付いてくるセルフのドリンクバーを取りに行く。
「遊佐はあれだよな?」
「あれって?」
「ココアとオレンジジュースを混ぜたやつ飲むんだよな?」
「俺そんなの飲んだことないけど」
「じゃあ、ジンジャエールとコンポタ?」
「何それ、不味そう!」
ドリンクバーの前でわいわいと騒ぐわいらに、痛い奴がいるといった風の視線が浴びせられるが、気にしない。
「スィースィーレモン飲むわ」
「なんで自分だけまともなんだよ」
「頭がまともだから」
「勇人よりはマシだと思ってるんだけど」
「それは勘違いだ」
結局、遊佐はコーラをいれて部屋へと戻った。一度目はタバコの臭いが気になったが、二度目となるとそれももう気にならない。人間の鼻って馬鹿だなって思う。
「そうだ、今度期末あるじゃん?」
「あるなー」
コーラを含みながら興味なさげな遊佐。
「なんでそんな他人事なんだ?」
「別に。赤点取らなきゃいいじゃん」
「そうだけど、わい赤点回避すら危ないかも」
「とか言っちゃって。中間学年3位だったじゃん」
遊佐の言葉に表情が緩くなる。中間3位。なんていい響き。
「まぁ、でも今回はちょっと」
「なんとかなるって」
どこまでも楽観的で、他人事。遊佐のこんな所が面白くて、わいは一緒にいるんだと思う。
「そろそろ歌う?」
そんなしょうもない話、しなくていいじゃん。そう言わんばかりの遊佐の一言。
「いいよ。先入れる?」
「おごってもらう側だから、お先にどうぞ」
そう言うなら……。わいはデンモクに目を落とす。人気曲ランキングの上位はいつ来てもほぼ変化がない。爆発的に人気になった曲がたまに顔を出すくらいで、不動と言っても過言では無い。
「んじゃ、ゴーストルーラー歌うわ」
そう宣言し、わいはマイクを握る。スイッチを入れ、一つ咳払いをしてから画面に向き合った。
歌い終わると同時に点数が表示され、それを一瞥する。
「次、入れてるのか?」
歌っている時に画面右上に表示がなかったためにそう訊く。
「いや、まだ」
「なんで?」
「ジュース入れたいから」
「あ、それじゃあわいのも頼む」
「何がいい?」
「生中」
「ねぇーよ!」
いいツッコミが入る。それを笑って聞いてから、「スィースィーレモンでいいよ」と、本命を頼む。
「了解」
部屋の扉を開き、遊佐が出ていく。画面からは最近CDを出したアーティストの紹介映像が流れているが、誰一人として分かる人がいない。スマホを弄りながら、遊佐が帰ってくるのを待つ。
次の瞬間──
ガラスコップの割れる音が響き、ひび割れそうな高い悲鳴が轟く。
「なんだよ」
別段何も思うことなく、ただ無感情にそう吐き捨てる。だが、すぐに自体が異常であることに気づく。
悲鳴が止まらないのだ。
最初はただコップが割れたことへの驚きだと思った声は、涙声になり、嗚咽が混じり、押し殺された悲鳴が微かに耳に届く。もし今歌っていたならば聴き逃してしまうほどの音量。だが、わいは歌っていなかった。遊佐を待っていたから。
そして同時に遊佐の帰りが遅いことに気づく。
胸を打つ鼓動が加速する。さらに加速して、息すらもまともにさせてくれない。中途半端な呼吸は喘ぎ声のような音を零し、弱々しい足取りで立ち上がる。
闇がわいを飲み込む。ぐいぐいと押し寄せる恐怖が、冷たい汗となり背中を伝う。
廊下に出ると同時に、先程までは微かだった恐怖を帯びた女性の声がはっきりと耳に届いた。
「なんだよ、この臭い」
カラオケに来ていては臭うはずのない、異様な臭いに思わず呟く。
吐き気すらも催す、生臭い臭い。焦りが、恐怖が、次々と身体に襲い掛かる。どうか思い違いでありますように。柄にもなく心にそう願う。
セルフのドリンクバーの前に着く。数十分前、そこでわいは遊佐とふざけた。何と何を混ぜるかなんてくだらない話をした。話をしたんだ。話を……。
言葉が出ない。ただそこに立ち尽くすことしか出来ない。呆然、愕然、唖然、放心、どの言葉をどう繋いだところで、わいの想いは言い表せない。
そして代わりに、涙が零れた。熱を帯びているのか、頬を伝う涙が熱い。
「……どうして」
どうにか絞り出した言葉は、嗚咽が混じり、自分でも信じ難いほど嗄れた声で零れた。
しかし返事はない。わいが遊佐に、どれだけ必死で声を掛けたところで何の変化も起こらない。
溢れる血の臭い、流れる大量の血。
ベージュを基調とした床に、生々しい鮮血が夥しい量で溢れ、遂にはわいの足先にまで到達する。靴に着いた血は、みるみるうちに染み込み靴の色を変化させていく。
そこでようやく、わいの頭は動き始めた。
「遊佐!」
悲鳴ともとれる切羽詰まった声で名を呼び、血溜まりの中を駆けた。血は飛び、衣服に付着する。でも、そんなこと関係ない。いまは、いまは──遊佐がッ!
仰向けで倒れる遊佐の首裏に手を回し、上半身を起こす。だが、遊佐は首のすわっていない赤子のように首をダラっと後方へと逸らす。もちろん、体温なんて感じない。
「救急車ァー!」
どうやら遊佐をこんな状態にした野郎はもう
狂ったようなわいを見て、発砲しないわけがないのだ。
「も、もう呼びました」
野次馬が集まりだしたカラオケのフロントに、一人の男性の声が届いた。
「あ、ありがとうございます」
少し落ち着きを取り戻して、そう告げると同時に入口のドアが開き救急隊員がやってくる。そして遊佐をストレッチャーに乗せ、救急車の中へと入れる。
「わ、わいも行く」
「分かりました」
咄嗟に出た言葉に、救急隊員は真剣な表情で頷いた。
受け入れ先の病院は青雷総合病院。救急隊員に掛け声に合わせて、遊佐はストレッチャーからベッドへと移される。
「大丈夫ですか?」
緊張が滲み出た声音で、白衣を着た先生の一人が声を上げた。首からぶら下げた名札には伊藤、と書かれている。
「しっかりしてください! お願いします、目を開けてください!」
病院の先生とは思えない。懇願を患者の前で上げる伊藤先生を押しのけるように、見るからに定年ギリギリだと思われる石井、という名札をぶら下げた先生が前に出てくる。
「んー、これはなかなかに酷い」
手術室へと向かう中、石井先生は遊佐の出血の具合を見て零す。
「何が、何が酷いんですか?」
「君は?」
「遊佐の──こいつの親友です」
「そうか。なら見た感じで言うならば、臓器が一つ破裂していそうだ」
ゾウキガハレツ?
言葉の意味が咄嗟に理解出来ずに戸惑っていると、石井先生は再度口を開いた。
「具体的には肝臓か肺か、その辺りだ」
そして、ここからは、と石井先生はわいが先へ進むのを止める。
入ることが防がれた手術室。石井先生が入ると同時に赤いランプが灯り、手術が開始されたことが分かった。
「きっと、きっと大丈夫だよね」
わいが恐怖に打ちひしがれ、ただ手術中の文字を眺めることしか出来なかった。そんな時、不意に隣から声がした。
「あんたは」
「俺は伊藤龍馬」
「手術しないのか?」
いまは一人でも多くの先生に遊佐を見てほしい。そして、誰でもいいから、遊佐を、救ってくれ。
「それは無理な話だよ。俺、臨床研修中の大学生だから」
嘲笑じみたものを浮かべた。それは恐らく、大怪我を負った遊佐に対して何も出来ない自分が情けないからだろう。情けなくて、悔しくて、歯がゆい思いをしてるのだろう。その証拠に伊藤先生は両の手で拳を作り、強く握り締めている。
「大学生? 関係あるものか! 遊佐を治せる力があるなら、それ使えよ! 使って、遊佐を助けろよ!」
八つ当たりなのは分かってる。分かってるけど、言わずには居られなかった。現場にはコップが二つ落ちていた。二つ落ちていた、ということは二つ入れた時に遊佐は殺られたのだ。
もし、もしわいがあそこで遊佐に飲み物を頼まなければ、遊佐は自分の分だけいれて何事もなく部屋に戻ってきていたかもしれない。
「俺だって! 俺だって、出来るならやりてぇーよ! 学校ではもう習ってんだよ! 多分胸部の大動脈が切れてんだ。手術の方法も分かってんだよ! なのに、俺は大学生だから……何もできねぇ! ただの声を掛けるだけ。そんなの誰でも出来るんだよ!」
悲痛とでも言うべきだろうか。伊藤先生は先程石井とかいう先生から聞いたものとは違うことを言った。
普通なら所詮大学生だから、と言われるところだろう。しかし、わいには石井先生が間違っているように思えた。それはただのわいの勘。勘だけど、当たっているような気がした。
それから数時間が過ぎた。手術中の文字の点灯が消え、石井先生が姿を現す。しかし、その表情は昏い。
「遊佐はッ」
詰め寄るようにして声を荒らげる。
「お悔やみ申し上げます」
髪を落とさないように、と手術室では被っていると思われる帽子を取り、そのまま胸元に手をやり、頭を下げる。
お悔やみ申し上げます?
「ふざけんじゃねぇーよ!」
石井先生の胸ぐらをつかみあげた。
「てめぇ医者だろうが! 医者ならなんでも治して見せろよ! それがてめぇの仕事だろ」
「申し訳ございません」
シワまみれの顔に、悔しさを滲ませ石井先生は謝る。
「謝るくらいだったら遊佐を治せよ!」
「本当に申し訳ございません」
そう何度も謝られると、こちらの怒りは抜ける。代わりに、哀惜が溢れ返り、石井先生に縋るようにその場に崩れ落ちる。
「遊佐は……遊佐はもう帰って来ないんですか」
今日が終われば、明日。明日が終われば、明後日。少なくとも中学を卒業するまでは一緒にいると思ってた。だが、終わりは唐突に訪れる。終われば振り出しに戻ることは出来ない。
「遊佐は……本当に良い奴だったんですよ。遊佐は……」
涙が落ち、嗚咽が零れる。
「先生、死因は?」
涙が収まり、少し落ち着きを取り戻してから鼻声で訊く。
「大動脈欠損による大量出血です」
伊藤先生は合っていた。それは単純に凄いと思ったが、同時にもし伊藤先生が手術をしていれば、結果は変わったのだろうか、という思いも溢れた。
でも、一番はわいのせいだ。わいが、遊佐にジュースを入れてきてと頼んだから。頼まなければ、遊佐は帰って来れていた。犯人と遊佐が出会わなかったはずだ。
だから、わいは
その十字架はいつまでも背負って生きていく。
* * * *
「夢、か」
背中に感じる硬い感触はもうすっかり慣れた病院のベッド。
斜め前からは幸せそうな、規則正しい寝息が聞こえる。
「今日、行くんだよな」
ほぼ毎日足を運んでいた中筋ってやつの顔が脳裏に浮かぶ。
「仲良くなった人が前からいなくなるから、かな。こんな夢みたの」
結局、遊佐を殺した犯人はあの事件から三日後に掴まった。遊佐の事件の前日にコンビニで強盗殺人事件を起こしたのと同一人物。遊佐も大学生と同じように、銃で撃たれたらしい。
「にしても、わいまでこの病院の世話になるとはな」
かつての石井先生は、今澪ちゃんの担当をしている石井先生のお父さんにあたる人物。伊藤先生は臨床研修から本当に先生になり、今や院長の娘と婚約まで決まってるんだもんな。
「まぁ、でも龍馬もわいもあの事件で変わったよな」
わいは人と仲良くなるのが怖くなった。龍馬は、自分の無力さを嘆きやさぐれた。
そんな昔のことに思いを馳せてから、視線を眠る澪ちゃんに向ける。
「無事に帰ってこいよ」
そう告げてから、再度瞼を閉じた。
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