第9話 お見舞い
病室に射し込む陽はオレンジ色を帯び、西に傾いている。時刻はもう4時を過ぎていた。
「ねぇー、誰も来ないんだけどー」
ほぼ1日中スマホをいじっているまりんちゃんに対して言う。
「せっかちだねー。まぁ、私は誰も来ないけどね」
「え、そうなの?」
ならどうして……たくさんお見舞いが来るとか言ったんだろ。
「おーい、
そう考えた瞬間、幼声が耳に届いた。
「今日も来たの?」
「あったりまえじゃん! 今日もやろうぜ、ポケカ」
「またやるの?」
お見舞いに来た、というより友だちの家に遊びに来たって感じのノリの1人の少年が言う。それに嫌そうな顔はするものの、声色は嬉しそうなのを隠しきれてない伴くんが言う。
「なぁなぁ、わいが参加するのとかどう?」
「嫌だよ。おじさんめっちゃ強いだもん」
小学生の男の子相手にニヤニヤしながら話しかける本津さん。
「は!? わいが弱いわけないだろ。頭狂ってんのか」
「狂ってのはアンタよ。小学生相手にそんなマジトーンで話さなくていいでしょ」
目を見開き小学生に詰め寄っていた本津さんに、まりんちゃんは言い放つ。
「まりんちゃんって、そんな風に言ってわいに絡んで欲しいわけ?」
「ふざけないで。あと、馴れ馴れしくまりんちゃんって呼ばないで」
「澪ちゃんには良いって言ったのに?」
右手にポケカを握った本津さんが、真剣にまりんちゃんを煽っている。声色が真剣なだけに、右手に持っているカードが妙に浮いて感じる。
「うっさい」
まりんちゃんは何も言い返せない様子で、短くそれだけ言うとスマホに視線を落とす。
「ってことで伴くん。今日もわい入れてよ?」
「いいけど」
「またこのおじさん入るのー」
伴くんの了承を横に、友だちはとても嫌そうな顔をしていた。
それから数十分後、伴くんの友だちは顔を真っ赤にして怒っていた。
「だから! なんでいつもいつもいい所でちゃんとカード来るの?」
「わいだから」
「仕組んでるでしょ?」
「言いがかりだ! わいのデッキ見たらそんなこと言えなくなるぞ? YouTuberもびっくりな量の箱買いだぞ!」
「ちょっと何言ってるか分かんないんだけど」
「これだから小学生は」
呆れたように言っているが、呆れるのは本津さんの方だ。小学生相手に本気でカードゲームして、しかもカードを大量箱買いだと言う。なんて言うか──大人気ない。
「本津さん。カード箱買いとかしたらもっといっぱいカードあるんじゃないですか?」
「あぁ、それはもう全部売った」
「はい?」
「なんだ、気の抜けるような返事をして」
「買ったのに売ったのですか?」
カードゲームをやらない私にとっては、意味がわからない。欲しいから買ったのに、それを売るってどういうことなの。
「要するに大量に同じカードがあっても意味ないから使わないやつは売るんだよ。それにポケカはいまや株だからな。元値超えるんだよな」
「そんなことするおじさんがいるから、欲しい人が買えないんだよ!」
「世の中甘くないんだよ!」
憎たらしいことこの上ない表情を浮かべ、小学生にそう言い放った。そして、同時に拳を突き上げる。
「わいの勝ちー! 32戦32勝。ほんとお前弱いよな」
「うるさい。だからおじさんとやりたくないの」
小学生は頬を膨らませ、怒りを露わにする。それを見て笑う本津さん。ほんと最低だと思う。
「澪、いる?」
その時だ。部屋のスライドドアが音を立てながら開き、聞き覚えのある声が耳をつく。
「えっ? 来てくれたの?」
「当たり前じゃん。武中先生が朝から澪が入院することになった、なんて言うからほんとにびっくりしたんだよ?」
いつもの冷たい様子のみこっちゃんとは違う。表情には驚きと、安堵感が入り混じった感じが見て取れる。
「ごめんね。いろいろと急だったから」
悪びれた様子を浮かべながらそう言う。だってそれが一番だから。みこっちゃんを裏切らずに、私の誠意を見せることができると思うから。
「これ、一応私たちからのお見舞い。何にしたらいいか分からなくて……」
微笑を見せながら、みこっちゃんの後ろに立つ美羽ちゃんが薄茶色の紙袋を渡す。それを受け取り、「ありがとう、あけていい?」と訊く。
「いいよ。大した物じゃないけどね」
今度は嘲笑を見せる美羽ちゃん。
「そんなことないよ。私、本当にうれしいよ」
そう言いながら紙袋の中を覗く。そこにはこの辺りでは有名な洋菓子店の名物プリンだった。
「うそ!? これ、ほんとに貰っていいの?」
「いいよ、そのために買ってきたんだから」
驚きを隠せない私にみこっちゃんは胸を張って答える。
「すぐに退院できるの?」
訊くべきか否か、相当迷ったのだろう。美羽ちゃんはうつむき加減で、声を震わせながら呟いた。
どう答えるのが正解なのか、私には分からなかった。本当のことを言えば、多分もう私は退院出来ずに死ぬってことを伝えることになる。でも、それじゃあ今まで隠してきたことまでバレちゃうかもしれない。ならここでも嘘をつく? ちょっとで退院できるって言う? じゃあそのちょっとが過ぎれば、また嘘をつかなきゃならなくなる。そんなの嫌だよ──
「たぶん、澪ちゃんは退院できないぞ」
返答の答えが分からずに悩んでいると、眼前で小学生にポケカを自慢していた本津さんが不意にそう告げた。
「うそ……だよね?」
怯えたような声音。哀しみを押し殺し、嗄れ潰れた声が感情を追い越しているように思えた。
「ごめん」
声を震わせたみこっちゃん。今にも泣きだしそうに肩を震わせる美羽ちゃん。そんな2人の姿を見せられた私にはそれ以外の言葉が紡げなかった。
「なんで言ってくれなかったの!?」
目を真っ赤に染めたみこっちゃんは私に詰め寄り、ベッドサイドテーブルをバン、と叩く。上に置かれたプリン入りの紙袋が少し右側に移動する。
「それは……」
みんなに心配掛けたくなかった、と言いかけた言葉は飲み込む。だってそれは怠慢だから。自分にとっての言い訳でしかなくて、そして現に目の前で2人の友だちを哀しませている。これ以上に言葉を紡ぐ必要はない。そう思い、私は押し黙り俯く。
「なんか言ってよ!」
涙色に濡れた声で、辺りの空気を切り裂くようにみこっちゃんは叫ぶ。
「えっと、誰だっけ? みこっちゃんとか呼ばれたか?」
「何よ!」
赤く腫れた目だが、いつもよりも鋭い視線で声を上げた本津さんを睨む。
「そんなに澪ちゃんを責めるなよ」
「アンタには関係ないでしょ?」
「関係はないな。でも、今は同じ病室の仲間さ」
戯けるようにそう言い放ち、ポケカを片付けた本津さんは私たちの方へと歩み寄りながら言う。
「逆に訊く。みこっちゃん、君は澪ちゃんが悩んでたことに気づいたか? それに手を差し伸べたか?」
「隠してたことに気づけるわけ──」
「じゃあ友だち名乗んなよ!」
小学生相手に本気でカードゲームをして、看護師にセクハラをして、誰彼構わずに煽るあの本津さんが声を張り上げた。思いもよらない一声に、病室は静まり返りまりんちゃんですら、目を丸くした。
「友だちってのは自分の価値観押し付けて馴れ合うもんじゃねぇ! 互いを尊重して、一緒にいて楽しくて、それで以て大事な悩み事してたら気づいてやるもんだろ」
今にもみこっちゃんの胸ぐらを掴みそうな、そんな勢いだ。
「な、なんなのよ」
「俺はな、友だちの押し付けみたいなのがいっちばん嫌いなんだよ!」
凄い剣幕でそう言い放った所で、本津さんは軽く咳き込む。
「肺がんのおっさんが頑張っちゃって」
「わいはタバコは吸っても紙は食べん」
「紙のが美味しいのに」
バカバカしいやり取りを伴くんとした本津さんは、みこっちゃんを見て口を開く。
「分かったか?」
みこっちゃんは罰が悪いのか、その言葉から逃げるように視線を私に向ける。
「ごめん、言いすぎた」
「うんん、私の方こそ。黙っててごめんね」
それからみこっちゃんと美羽ちゃんに自分の置かれている状況を説明し、それを聞いた2人はしばらくして帰って行った。
「本津さん、ありがとうございました」
「別に、思ったこと言っただけだから」
お礼を言われることに慣れていないのか、こそばゆそうな表情を浮かべる。
「お礼なんて言わなくていいのに」
隣からまりんちゃんがため息混じりにこぼす。その瞬間、また部屋のドアが開く音がする。
「えっと、御影さん」
遠慮気味に放たれた言葉に、思わず本津さんが笑う。
「たかが病室来るだけでキョドりすぎ」
「な、何なんですか?」
いきなり本津さん得意の煽りが入る。
「何なんですか、ってこっちのセリフ」
「その辺にして貰えますか? で、どうかしたの中筋くん」
このまま聞いているといつまでも終わりそうにないと思い、本津さんの煽りを遮り中筋くんに声をかける。
「今日の実行委員の内容を伝えに来たんだ」
「え、わざわざ来てくれたの? LINEとかでも全然良かったのに」
「僕、御影さんのLINE知らないもん」
物静かな声音でそう告げられ、思わず顔を顰める。そうだった。普通に言ったけど私、中筋くんのLINE知らなかった。
自分の失敗に顔を赤らめながら、ごめんと零す。
「うん」
中筋くんは小さく頷くと、カバンの中からA4サイズの紙を2枚ほど取り出す。
「まず大まかなプログラムが決まったよ」
「へぇー!」
「午前中はほとんど体育館での合唱と演劇みたい。それで、お昼前からは模擬店とかがメインになる感じかな」
「じゃあ、お昼前までは模擬店全然やらないの?」
私の疑問に中筋くんは頭を振る。
「模擬店もやってるよ。でも、各クラス抜けられるのは5名まで。それ以外は合唱と演劇を見るんだって」
「そうなんだ。別に見なくてもいいのにね」
「そうなんだけど。学校行事だから仕方ないよ」
そう言うと中筋くんはプログラムの載ったプリントの下にあったプリントを持ち上げる。
「それとこれ」
そのプリントにはびっしりと文字が書かれている。
「えっとー、これって注意事項?」
「そう。大体は去年のものを利用するらしいんだけど、それで十分か考えてくれって益田さんが」
「そうなんだ。わかった。わざわざありがとね」
プリントを私の方へ寄せ、カバンを持ち帰ろうとする中筋くん。面会終了時間はまではあと少しあるが、ここから誰かが来るってことはないと思う。
「ねぇ」
みこっちゃん、美羽ちゃんの帰った後の寂しさ。私は、私が思ってた以上に弱いってことがわかった。だから、そんな業務的に話して帰るんじゃなくて──もっと話したい。
「何かな?」
「せっかく来てくれたんだしさ、もうちょっと居てもいいんだよ?」
自分でもびっくりするほどに掠れた声だ。その声に驚いたのか、はたまた私の誘いに驚いたのか。中筋くんは、目を見開き私を見る。
「あはは、めちゃくちゃ面白い」
その様子を黙って見ていた本津さんが声を上げ、手を叩き笑う。何かを言ってやろうか、そう思ったがそれより先に本津さんが口を開く。
「まりんちゃん、ジュース買いに行こっか」
「なんで本津さんなんかと行かなきゃならないのよ」
まりんちゃんは本津さんの提案に口を尖らせる。
「おごってやるからさ」
その言葉に一番に反応したのは、声をかけているまりんちゃんではなく伴くんだ。
「おごってくれるの?」
「おっ、伴くん。喉渇いてるのか?」
「普通。でも、おごってもらえるなら行きたい」
真顔でそう言う伴くんに、本津さんは表情一つ変えずに「いいぞ、おごってやる」と言う。
「やった。じゃ、おれも」
「えぇー、海人くんポケカ弱いからな」
試すような口調でそう言う本津さんに、先ほどカードゲームで負けを喫した伴くんの友達は頬を膨らませる。
「なんでおれだけだめなんだよ!」
「雑魚いから」
「正人だってそんなにポケカ強くないし」
「いや、伴くんは強い」
「なんでだよ」
「わいがカードあげたから」
その発言で海人くんは今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。それを見た本津さんは本当に楽しそうに声を上げて笑う。
「な、なんだよ」
「面白いなって思って。いいよ、海人くんもおごってやる」
そう言うと、先ほどまで泣き出しそうだった海人くんの顔色は一気に喜びのそれに変化する。
「で、まりんちゃんはどうするの?」
「わかった、行くわよ」
ため息交じりに言葉をこぼし、ベッドから降りる。
「さぁーレッゴー」
本津さん、伴くん、海人くん、それからまりんちゃんは順番に部屋を出て行った。
「一気に静かになったね」
先ほどまでの喧騒が嘘であったかのように、室内は静まり返っている。
「そうだね」
中筋くんはどこか居心地が悪そうで、立ったままでいる。
「座ってよ」
「うん」
プリントの説明のときは座っていた来客用のパイプ椅子に再度腰をかける。
「個性的な人たちだね」
「そうなのよ。伴くんなんて紙食べるらしいの」
「えぇ、紙なんて人の食べ物じゃないでしょ」
「やっぱりそうだよね? それ言うと、私が間違ってるみたいな空気になったから」
今朝やり取りを思い出し、微笑を浮かべる。
「それは御影さんが正解だと思うよ」
そんな会話をしながらでも、中筋くんは私と目をあわそうとしてくれない。
「迷惑かけてごめんね」
突然だったかもしれない。でも、今しかないって感じた。
「ど、どうしたの?」
この言葉には流石の中筋くんも驚きが隠しきれなかったようで、詰まらせながらそう言う。
「私が実行委員続けるなんて言ったから、中筋くんの仕事が増えちゃうなって思って」
「そんなこと、全然大丈夫だよ。気にしないで」
そうは言ってくれた。でも――。かぶりを振り、口を開く。
「もし、めんどくさかったら来なくてもいいからね?」
これで明日から来てくれなかったら寂しいかも……。
「うん。でも、僕は来るよ。それが僕の、実行委員としての仕事だから」
仕事、だからか。
わかってる、わかってるんだ。でも、それを直接言葉にして聞くとなんだかとても寂しくて、冷たいような、そんな感じがした。
「それじゃあ、僕はそろそろ帰るね」
微笑、苦笑、嘲笑。どれだか分からない曖昧な笑顔を浮かべた中筋くんは、そう言いパイプ椅子から腰を上げ、鞄を肩にかける。
「ま、待って」
また、声を出してしまう。今度は何も言わず、ただこちらの方を見た中筋くん。
「も、もし忙しくて来れない日があったらどうする?」
仕事だと言った彼に対する嫌味のような発言に、中筋くんはうーん、と考える素振りを見せる。
「頑張って来るかな」
「だから頑張らなくていいって言ったじゃん」
そっぽを向いた。頑張ってまで会いに来てくれるってことがとても嬉しくて、胸を熱くする。でも、同時にそれがとても申し訳ないことだと感じてしまう。
「そう言うときはLINEしてくれればいいよ」
「え? でも、僕、御影さんのLINE知らないよ」
「だから教えてあげるって言ってるの」
誰もいない病室で、少し声を張った。いつもより少し大きいだけの声なのに、壁に反響してとても大きな声のように聞こえてしまう。
それに驚いたのか、中筋くんは壊れたロボットのようにぎこちない動きで口を開く。
「い、いいの?」
「いいって言ってる」
そう言い放ち、私は彼にLINEのQRコードを見せる。
「は、はやく読み取ってよね」
「あ、う、うん」
少し声を裏返しながら、中筋くんは自分のスマホを操作して私のスマホの画面に向ける。同時に、私のスマホが震える。
「あ、ありがとう」
「なんでそう言うこと言うかなー。こんなの普通のことでしょ?」
「い、一応ね」
そう言うと、中筋くんは病室の出入り口であるドアに向かって歩き出す。
「それじゃあ、また明日ね」
「うん」
小さく手を振る。中筋くんは小さく微笑み、スライドドアを開ける。瞬間、少し遠くからまりんちゃんと本津さんらしい声が聞こえた。もうすぐここに帰ってくるのだろう。
そんなことを思いながら、LINEの画面に表示されている新しい友達の欄にある「中筋」という名前に視線を落とす。
「こんなつもりじゃなかったんだけどな」
つい勢いで交換してしまったLINEを見て、そうつぶやいた。
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