あたし、メリーさん。今お馬さんの上にいるの……

フルティング

あたし、メリーさん。今お馬さんの上にいるの……

 大学の友達と廃遊園地に遊びに来たところまでは覚えている。

 黒のバンに男三人女三人でやってきて、心霊スポット巡りのような軽い感覚で、いやーんこわーいとか言い合いながら錆びた鉄の柵を越えていったはずだ。


 俺達男は怖がる女子に対して頼りになるところを見せつけ、あわよくば今夜ムフフな展開になればいいなと、大いなる期待を抱いていた。

 だが、そこからの記憶が酷く曖昧で、気が付くと俺は独りで園内を彷徨っていた。


 皆はどこに行ったんだ? 何で俺はこんなところにいるんだ?

 冷静に立ち止まって考えれば、どう考えてもおかしいことはわかる。


 深夜二時を回った廃遊園地は寒気を覚える程の冷たい風が流れていたが、じっとりとした嫌な汗が背筋をつぅっと伝っていく。

 まずは、友達と合流しなければならない。

 慌てて携帯電話をポケットから取り出すと、大量の着信履歴がトップ画面に映っていた。


『メリーさん』

『メリーさん』

『メリーさん』

『メリーさん』

『メリーさん』


 ひっ、と声にならない悲鳴をあげて、携帯電話を落としてしまう。

 落とした直後、小刻みに振動する携帯電話。画面には『メリーさん』の文字。


 なんだよこれ、どういうことなんだよ!

 俺の知り合いに『メリーさん』なんて友達はいない。


 あるとすれば、友達のイタズラだろうか?

 そうだ、実は怖がりな俺の性格を知っている友達が、イタズラで気付かないうちに名前の登録を変更していたに違いない。


 よく怖い話等で取り上げられるメリーさんをマネて、怖がる俺を動画で撮っているんだ。

 文句の一つでも言ってやろうと、未だ震える携帯電話を掴んで、通話ボタンを押した。


「おい、イタズラも大概に……」


 喋る途中で、通話口からテレビの砂嵐のようなノイズが聞こえてきて一瞬口を閉ざしてしまう。

 そのタイミングを見計らっていたようにノイズがぴたりと止んだ。


 一瞬の静寂。

 廃遊園地に、自身の吐息の音だけが妙な現実を保って聞こえてくる。


「あたし、メリーさん。今、黒い車の前にいるの……」


「うわぁあああ!」


 気を抜いていた間隙を縫うようにして、暗い沼底を這うような声が俺の鼓膜を刺激した。

 携帯電話の画面を見ると、通話終了の文字が表示されている。


 恐怖に跳ねる心臓の鼓動を抑えつけ、何とかこの状況を理解しようと必死に脳内を回転させた。

 今のは誰? これもイタズラ? 何の為に? ここまで手の込んだことする必要はあるのか?


 決して答えの出ることのない迷宮を全力疾走で彷徨っているうちに、再度俺の携帯電話が震えた。


『メリーさん』


 ある種予想がついてしまうその着信相手に頭の中が真っ白になる。

 もうこんなものぶん投げてしまおうと、振りかぶったまさにその時。


「あたし、メリーさん。今、遊園地の中にいるの……」


 見ると、通話ボタンが勝手に押されていて、俺の耳に届く大きな音量でざらついた声を響かせた。


 やめてくれ、もうやめてくれ!


 何度も通話拒否のボタンを押すが、画面は変わることなくメリーさんは語りかける。

 日本語と理解できないぐらいノイズが混じってはいたが、甲高い声はどうやら女性のようだ。

 しばらく恐怖で身を固めていたら通話が終了し、またしても静寂が訪れた。


 こんなところに来なければよかった。

 俺をこんな酷い目に合わせたって、何もいいことなんてあるはずがないんだ。

 俺が知っている乏しい知識だと、この後メリーさんは俺の背後に回り、そして……どうなるんだ?


 振り向いた後、殺されてしまうのだろうか?

 それとも別の世界に引き込まれてしまうのか?

 わからない……けど、わからないからこそ恐ろしい。


 恐怖で錯乱した俺は、携帯を地面に思いっきり叩きつけた。

 蜘蛛の巣上にヒビが入り、携帯の部品が粉々になってあたりに散乱する。


 これで、この悪夢から解放される。


 一瞬安堵した俺だったが、割れた画面の破片全てに


『メリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさんメリーさん』


「ひぃいいいいい!」


 脊髄を折り曲げられたような衝撃に尻もちをつくと、露出した携帯のスピーカーの部品からザラツイタ声が流れ出した。


「アダシ、メリーサン」


 もうだめだ。俺はどうすればいい。

 ろくな対処方法も浮かばず、かといってその場から全力疾走するにも腰が砕けて動けなかった。


 脳内が軋むような悲痛な声がザリザリと俺の脳を削り、視界を埋め尽くすほどの強いノイズが反響する。

 誰か、助けてくれ。

 俺は、もう恐怖でおかしくなってしまいそうだった。


「今、お馬さんの上にいるの……」


 ……え?

 予想外の言葉が聞こえてきて、反射的に周囲を見渡した。

 すると、辺り一面の暗闇の中、突如ある一角が照らし出された。


 円形の柵の中、一段上がったステージ上にいくつもの擬似馬が乗り人を待っている。

 ライトアップされるまでわからなかったが、これはメリーゴーラウンドだ。


 その内の一つに、彼女は横乗りで腰を掛けていた。

 ドーム状に包む色とりどりのライトに装飾され、金色の長髪が夜風で煌びやかに揺れている。


 琥珀色の瞳がこちらに向いて、控えめな唇が少し開いた。

 小さい掌を上下に揺らし、俺を中へと誘い込む。


 躊躇して入らざるべき状況だったが、この時の俺は予想外に美しい容姿をしたメリーさんにつられて、電灯に群がる羽虫のごとく、ふらふらと彼女の元へ足を運んでいった。


「あたし、メリーさん。今、あなたの前にいるの……」


 目の前まで来て、くふふ、と笑う彼女の姿がお伽の国の世界の住人のように現実味がなく、透き通る声の質はまるで先ほどの電話口とは違っていた。


「ねぇ、一緒に乗りましょう」


 ここに座れと示唆するように、彼女は自分の隣をぽんぽんと叩く。

 思考力が欠如した俺は彼女の言うことに従い、塗装が剥がれて内側の金属部分が露出している馬に跨った。


「ありがとう」


 俺が馬に跨るのを確認した彼女は、後ろから俺に抱き着いてきた。

 ふくよかな胸の弾力と、そこから発せられる熱量に別の意味で心臓が高鳴っていく。


「あたし、寂しかったの。誰もいない遊園地で、たった一人きりで遊んでいたの」


 彼女が話す度、蜂蜜の蕩けるような匂いが俺の体を蹂躙する。

 体中が甘い蜜の香りで満たされて、非常に心地が良い。


「だから、あなたが来てくれてよかった……」


 彼女の言葉を皮切りに、ゆっくりと馬が動き出した。

 軽快で間抜けな音楽と共に、俺と彼女は一緒の馬に乗って円状に動く。


 周囲は漆黒だったが、俺たちの周りは光り輝いていて、後ろから回されている彼女の細い両の手がぎゅっと締まる度に、痺れるような感情の奔流が脊髄を刺激した。

 光が十字に伸びて、くるりくるりら静かに回る。


「ふふ、楽しいね」


 回転しながら上下に馬が動くのに合わせ、彼女の吐息が揺れた。

 首筋に当たる生風が俺の欲情を滾らせていき、瞳に当たる色彩豊かなネオンが深く考えることを諦めさせる。


 この世界には俺と彼女しか存在しないのではないかと錯覚を抱き、気づけば俺は、昂った情念に任せて彼女の手を掴んでいた。


「な、なぁメリーさん! 寂しいんだったら、俺がずっと傍にいてやるよ!」


 彼女の手はひんやりと冷たかったが、確かな人間の感触はあって、どこまでも守ってあげたくなる思いが湧きあがった。


「本当に? 本当に、傍にいてくれるの?」


 期待に胸を弾ませた声音が、蜂蜜の甘い香りと共に俺の中に入っていく。


「あぁ、当たり前だろ! こんな可愛い子、一人にできるわけがないさ」


 ここに来た目的も、友達の所在も、今の状況の奇怪さも、全てを投げ捨てて、俺は後ろを振り返った。



――ほんどう? うれじいよぉ。



 メリーさんは、死臭を漂わせた地獄のように囁いた。

 見ると、皮膚が焼け爛れ、瞳に大きな窪みがあり、髪はどす黒く変色していて、ぼろぼろに錆焦げた原型を留めない金属片に跨り、老木の枝のようにか細い腕が、俺の腹部に巻き付いている。


「うわっ、うわああああああああ!」


 あまりの恐怖に、彼女の腕を強引に解いて、俺は動き続ける馬から転がり落ちた。

 そこで頭をしたたかに打ち付けた俺は、意識を深い闇へと落としていった。


    ◆


「お、ようやく目覚めたなこいつぅ」


 目を覚ますと、黒いバンの中だった。

 元々廃遊園地に来ていた友人たちが、口元を横に広げて笑っている。

 とっさに自分の頭を触るも、痛みはない。


 あれは、夢、だったのか?


 自分の置かれた状況に混乱していると、隣に座っていた女の子が俺に説明してくれた。


「ここに着いた途端に君が寝ちゃって。皆で起こしたんだけど、全然起きないから君だけ置いて皆で楽しんできちゃったんだよ」


 あのジェットコースターは怖かったなぁ、なんて言い合いながら皆笑っている。


 そうか、あれは、夢だったんだ……。


 一気に体の力が抜けて、後部座席にもたれかかる。

 携帯電話を見ると時刻は午前五時を回っていて、外は薄ぼんやりと明るかった。

 着信履歴には俺の知っている人達だけが画面に表示されていた。


 画面の中で、無意識にスクロールしていると、どうやらショートメールを新しく受信していたようだ。

 皆が廃遊園地の話題で花を咲かせているのをどこか遠くで聞きながら、俺は受信していたメールを開いた。


『あたし、メリーさん。

    ずっと、一緒だよ……』


 信じられない出来事に慌てて視線をそらした先には、古びてぼろぼろになった西洋の女の子の人形が、三日月のような笑みを浮かべて嗤っていた。

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