第157話 水竜王vs皇帝 2

自国の皇帝、と言っても帝都の民衆には判別出来ない距離なのだが、ともかく竜と対峙する人物が無数の氷によって押し潰される光景を見守っていた。中には声を上げる者もいたのだが、ほとんどの者は声を上げる事すら出来なかった。目の前に広がる光景を理解出来ずにいたのだ。


おそらくは押し潰されたであろう人物の状態を把握しようと、必死に周囲を見る。中には理解の速い者がいる訳で、そういう者達が揃って悲鳴を上げそうになる。それとは別に捜し物が得意な者もいる訳で、そういった者達の方が一瞬早く声を上げた。


「「「「「いたぞ!」」」」」

「「「「「竜の頭の上だ!!」」」」」


人間を丸呑みにしてしまえる程の大きな口を持つ竜なのだから、当然頭はかなりのサイズだ。その頭上にルークの姿があった。風魔法では間に合わないと判断したルークは、咄嗟に転移魔法を使用したのである。


接近する為の切り札として隠しておきたいルークだったのだが、流石に大ダメージは避けられないと判断して使う事にしたのだった。相手に転移出来る事を知られるのは、何よりも影響が大きい。何処に移動するかわからないという点では、駆け引きの材料になるかもしれない。しかしそれだけなのだ。


懐に入り込まれる可能性にさえ気を回していれば、アクアなら充分対応可能なのである。そもそも、転移とは瞬間移動の事だ。移動前後で体勢が変化する事は無い。移動と同時に攻撃しようとすれば、移動前に予備動作に入らざるを得ない。そのまま姿が消えれば、何をしようとしているのかは明白だろう。格上の存在であるアクアであれば、ルークの位置を確認してからでも対応出来てしまうのだ。


早い話、消えた瞬間に急所を防御すれば済んでしまう。つまり、本来ならば起死回生かトドメの一撃用に取っておくべき切り札が使えなくなった事を意味する結果となった。



ルークがそんな事を考えて苦悶の表情を浮かべる一方、土足で自らの頭に乗られたアクアの怒りは相当な物となっていた。何処を歩いたのかも定かではないその足で、頭とは言え大事なお肌を踏みつけている。気合を入れて化粧しているオバサンの顔に靴底を押し付けていると思えば、その怒りようは安易に想像出来るだろう。


戦闘終了まで押し黙るという決意は、脆くも崩れ去った。貴族の令嬢を思わせる口ぶりと共に。



「貴様・・・我が鱗を足蹴にするなど・・・許さんぞ!!」

「うぉ!?喋った!!」


怒りに任せて大きく首を振ったアクアにより、ルークは空中に放り投げられる。そんな行動よりも相手が喋った事への驚きの方が強かったせいか、逆さまになりながら声を上げる。


驚きに硬直したルークに向かって、ついにアクアはブレスを吐いた。大量の水でも吐くのかと開き直ったルークの予想を裏切り、吐き出されたのは超低温のブリザード。自身に到達するまでの刹那の間に、空気中の水分が凍るのを捉える。


火魔法で相殺?威力に差があり過ぎて不可能である。試してもいいが、確実にマッチ売りの少女状態となるだろう。となれば、残されたのはやはり転移魔法。この時ルークは確信した。転移とはチートである。


クリスタルドラゴン戦で転移が使えていたら・・・後日改めて思ったルークである。あの時よりも強くはなっているが、アクアと何とかやり合えているのは紛れもなく転移魔法のお陰であった。



自身の位置を確認し、即座に転移魔法でアクアの背後に回り込む。対するアクアもルークの転移先を察知して、ブレスを吐いたまま後ろを向く。これに焦ったのは民衆、ではなくナディア達である。ルークの方がアクアよりも若干高い位置に居た事で、地上にブレスが到達する恐れは無い。


しかし位置的にアクアの背後にいたナディア達の所まで到達する勢いがあった。竜王が本気で放つブレスは、軽く十数キロに及ぶ。


「こここ、こっちに来るのじゃ!!」

「上よ!」

「下だ!!」


パニックになるエア、何となく上と思ったナディア、土を司る竜王故に地面に近い方を指示したアース。完全に意見が割れた事で、エアは判断に迷う。そのままブレスに巻き込まれるのだが、その哀れな姿を目撃していたのは遥か上空を飛んでいた鳥のみであった。


結論を言えば、竜王達は自身の魔法によって被害を最小限に留めていた。ガチガチと震えながらも、1人と2匹は健在である。竜王ならまだしも、今までのナディアであれば耐えられなかったかもしれない。しかし、アクアからも加護を貰っている事が功を奏した。水というよりも氷に高い耐性を発揮し、エアとアースがブレスの威力を弱めた事で事なきを得る。


まぁ、全員が鼻水を垂らしながら震えているのだから無事ではない。しかも、その鼻水は凍っている。他人に見られていたら間違いなく即死レベルだろう。幸いにも、この場に居る全員が他者を気遣う余裕が無かっただけの話。



間抜けな者達はさておき、今はルークである。首を回して追撃を試みるアクアのブレスを躱す。当然転移魔法を使って。1番安全な転移先はと問われれば、誰もが思い付く事だろう。やはり頭の上だと。そしてルークも同じ選択をする。火に油を注ぐ行為にも関わらず。


「恐ろしい威力だな・・・」

「おのれぇぇぇ!殺してやる!!」


またしても頭の上に立ったルークは、ブレスを眺めながら呑気に呟く。その声はアクアの耳に届き激昂する。ブレスを中断し、今度はルークに噛み付こうと頭を振ってルークに迫る。


迫り来る牙に向け反射的に美桜を振るうのだが、咄嗟に回避に転じる。そしてこの行動は間違っていない。以前美桜をボロボロにしたクリスタルドラゴン。アクアの鱗はそれを上回る強度を誇る。そして竜の牙とは、鱗よりも頑強なのだ。現在の美桜では刃が立たないことなど明白である。


転移魔法を使うべきだったのかもしれないが、単純な物理攻撃という事で選択肢から消してしまう。残された手段と言えば、風魔法による回避だろうか。しかし魔法による移動は、魔力を集めた瞬間に警戒される恐れがある。再度宙に投げ出された瞬間に風魔法を展開している為、その場から移動するとなればアクアは先読みする事だろう。


故にルークは魔法を使うのではなく、自身を宙に浮かべている風魔法を中断した。つまり自由落下である。無論、アクアに対しては言うまでも無く悪手なのだが。


相手が竜王でもなければ、ルークの姿を見失ったかもしれない。しかしアクアは怒り狂っていても格上である。ルークの動きに反応し、咄嗟に右腕を振るう。狙いすました攻撃であれば、牙と同じく強靭な爪による一撃をお見舞いした事だろう。しかし無意識に振るわれたせいで、爪の先端で切り裂く事は無かった。掌で叩き落としたのである。


本来であれば美桜で受けるべき一撃を、何となく愛着があるというだけの理由で拒む。篭手や鎧を装備していないのだから、生身で受けるしかない。全力の身体強化を施し、腕をクロスさせた事で直撃を受けると、そのまま迷いの森へ向かって一直線に落下して行く。


ベキッとかバキッなどの音を上げ、直後にドーンという轟音と共に土煙が巻き起こる。その後、数本の木々が音を立てて倒れる音と共に、魔物達の鳴き声が響き渡った。


ハエでも相手にしているかのようにルークを叩き落としたアクアが、追撃の為に下降する。しかし、怒り狂っているとは言え根本は変わらない。汚れる事を嫌ったアクアは、ホコリを避けられる位置で静止した。



羽虫の如く叩き落されたルークはと言えば、ホコリ塗れだが無事であった。防御した腕が若干痺れるものの、まだ戦闘は可能である。背中から地面に墜落したと言うのに、怪我をした様子も見られないのは驚きだろう。クリスタルドラゴン戦では、ダンジョンの壁という非常に硬い物に叩き付けられた。その為に大怪我を負ったのだが、今回は木や土である。


加えて身体能力が向上していたのも大きかった。しかし、ダメージを受けてはいないが手も足も出ない事実は変わらない。恐らく自身の武器では倒せないだろう。しかし魔法もどの程度の効果が見込めるのか疑問である。


土煙のお陰か、アクアが攻撃を仕掛けて来る様子も無い。それ故ルークはすぐに飛び出さず、地面に座り込んで考える。今まで研鑽した全てが通じない。ならば、他の手段を講じる以外に無いと悟って。



「美桜は強度不足、魔法は相殺されるのがオチ。ヤベェ、八方塞がりじゃねぇか!?あと残された攻撃手段は・・・直接殴る、か?マンガじゃあるまいし、そう上手くは・・・ん?」


ここまでブツブツと呟いて幾つか気付く。これまでも美桜を魔力で強化していた。それでも刃が立たない。しかし、同様に魔力で強化した自身の肉体はアクアの攻撃を何とか凌いでいる。この違いは何かと考えた事で、ルークはある事を思い出す。


「そう言えば、いつものクセで魔力しか使ってなかった!ほぼオリハルコン製の美桜なら、魔力より神気・・・神力の方がいいのか!!」



誰しも使い慣れた物の方が良い。焦れば焦る程、それは顕著となるだろう。後に試行錯誤する上で明らかとなるのだが、魔力主体で戦うのであれば銘の無いミスリルの刀の方が威力は上である。何故これまで気付かなかったのかと言えば、ミスリル製の刀を多用して強敵と闘った経験が無かった為だ。


少しでも手こずりそうな相手の場合、すぐさま美桜に持ち替えていた事が大きい。実はこの時、ミスリル製の刀に持ち替えていればアクアに傷を付けられた。しかし格下という先入観から、その選択肢は頭にない。今ルークの頭にあるのは、オリハルコン製の剣を用いるカレンの姿であった。



ちなみにティナの雪椿であれば、現状でも余裕を持ってアクアと渡り合える。それ程に美桜と雪椿には差があるのだ。それなら何故ルークは、納得の行くまで自身の刀を打たなかったのかと言えば、そこは自身の流派によるものだ。前世で修めた神崎流の剣術とは、特に得物を選ばない。名刀でもナマクラでも、人を斬るという行為と結果が変わる訳では無いのだ。


刀は消耗品であり、結果を生み出す道具に過ぎない。故に、道具に執着する必要が無い。いずれ壊れるのだから、使い手自身が都度作れば良いとの考えであった。刀の出来に拘るのは、言い換えれば使う機会の無い者だけである。神崎流の継承者として、安穏とした日々を送っていたルークが異端だったとも言える。


ルークは神力による身体強化を施し、同時に美桜にも神力を通わせる。土煙が晴れ行く中、淡い光に包まれながら上空の竜を見上げるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る