第34話 最後のデモンストレーション
勝利は帰宅後、ついに招待状を海音に渡す。
「海音」
「なに? えっ、招待状!」
「今年は海上保安庁の節目の年でもあるんだ。それで今回は、航空基地から俺が出ることになった」
「わー! すごい。もしかして、降りてくると?」
「ああ。吊り上げ救助を見せる予定だ。その前にパレードも空から参加する。カイも連れてこい。それから、俺の両親もくる」
「そうなの! よかったね! ショウさんのかっこいいところ、見せられるやん」
「かっこいいって、ずいぶんオッサンになったけどな」
「いくつになっても、ショウさんはかっこいいよ」
「なんだよ。うちの嫁は、おだて上手だな。なんも出ないぞ?」
本当はこれが最後だと、言うつもりだった。しかし、自分がヘリから降りてくるのを知って、目を輝かせて喜ぶ海音の姿を見たら言えなかった。
海音なら、この決断を理解し受け入れてくれると信じている。だから、言えなかった。
(いつものように見送って、いつものように俺を見つけて、手を振ってほしい)
「上から手を振るからな? 他の若い保安官に見惚れるなよ」
「もうなん言いようとよっ。ショウさんだけって、いつも言いよるやん」
感傷的な、特別な目で、見てほしくなかったのかもしれない。
◇◇◇
いよいよその時が来た。
『ショウさんっ、行ってらっしゃい! 頑張ってね。海優、パパに頑張ってのタッチして』
愛する妻と幼い息子の笑顔に見送られ、勝利はいつものように家を出た。朝は曇っていたのに、昼を回ると雲は消え、夏らしい青空が広がった。予定通り、一般公開は行われる。
本日の登場名簿を見ると、同じチームとして任務に携わってきたパイロットの愛美は、なぜか操縦桿を握らない。
「おい、愛美じゃないのかよ」
「隊長。今日は
「はあ? なんだよ、見張り役かよ。最後くらい大目に見てくれるんじゃないのかよ」
「締めは大事ですから」
「まったく、厳しいなぁ」
当初、愛美が操縦桿を握る予定だった。しかし、操縦桿を握っているパイロットからは、降下する隊員の姿は全く見えない。愛美はどうしても、五十嵐の最後の降下と吊り上げを、自分の目で見たかったのだ。
「伝説の海猿のラストは、私がしっかりと見届けます」
「何が伝説の海猿だよ。どうせ陰でゴリラとかなんとか言ってるんだろ。知ってるぞ」
「ゴ、ゴリラだなんてっ」
みんな勝利のことは、心から尊敬している。ずっといて欲しいとさえ思っている。しかし、いつまでも縛り付けるわけにはいかないことも理解している。
「準備、整いました」
「よーし。行くか」
しんみりとならないように、愛美が声をかける。
「ほらほら、気合い入れなきゃ! 円陣! 円陣!」
もう、こんな体育会系のノリも最後かもしれない。愛美に言われて、わらわらとオレンジ色の男たちが集まり円陣を組んだ。
「行くぞーっ!」
「オーッ!」
こうして五十嵐勝利の現役最後の訓練展示に向けて、救難ヘリコプターシロチドリは、航空基地を飛び立った。
◇
午後一時、
一方、招待客たちは地上職員によって、巡視船やしまへの乗船を開始した。やしまの甲板から湾で行われる訓練風景を見てもらうためだ。抽選で参加する一般客は甲板の後方から乗船。来賓、七管の会員や家族は船の前方に席が準備されてある。
「隊長、間もなく
愛美が目的地に着くことを勝利に知らせようと振り返る。すると勝利はもう外の景色に釘付けになっていた。その横顔はまるで少年のようだと愛美は思った。
「おい、
勝利はすでに、レクチル機能の付いた双眼鏡で、目下の風景を覗いていた。海のプロフェッショナルなら装備している双眼鏡。それは覗くと、十字に線が引かれてあり、目標物の大きさや、そこまでの距離を計測できる優れたものだ。
「上から覗き見ですか? 趣味が悪いですよ、隊長」
「覗き見じゃねえよ。監視だ、監視。安全に誘導されているか確かめているんだよ」
「はいはい」
やしまの後方にはヘリコプターが着艦できるよう、広いスペースがある。式典が始まるまでは、格納庫内や甲板でグッズの販売や、海保のマスコットたちがお客様をもてなしている。その風景を勝利は見ていた。
その甲板に、招待した両親を見つけた。無愛想な顔をした父親が、母親の足元を気にして手を差し伸べている。その前方に、愛する妻と、かわいい息子の姿があった。
(おっ、いた! 海優ごきげんだな)
海音に抱きかかえられている息子の海優は、降りて遊びたいと前のめりになってアピールをしていた。
「隊長? 口が笑ってます……気持ち悪っ」
部下の冷やかす声などなんのその。双眼鏡から見える人々は、みんな楽しそうだ。
ーー パレード待機、よろしく
無線で今回参加する船舶が沖合で隊列を組み始めた。勝利たちが乗っているヘリコプターは最後尾につけ、ホバリングを開始した。
「ドアはまだ開けないでくださいよ! 窓から手を振る程度にとどめてください」
今にも体を乗り出しそうな勝利に、機長の保田が釘をさす。
ーー 全体連絡、パレード開始します。
勝利は息子の記憶に、かっこいいお父さんを残してやりたい。そんなふうに思いながら、窓の外を見つめる。
そして、副機長の愛美がマイクで隊員たちにアナウンスする。
「はいはーい。いい顔してくださいねー。通過しますよ。一応、二回アプローチしますからね」
勝利は了解したと親指を立てると、部下を煽るようにこう言った。
「おい、お前ら歯を見せろ! 日に焼けすぎてどこに顔があるか、分からんらしいぞ。自慢の白い歯を晒せー!」
二カーッと大げさすぎるくらいの笑顔を、窓から見せた。甲板から見上げていた人々が大きく手を振った。カメラを持った人は、そのレンズを伸ばして、空から手を振る隊員たちに向ける。
(みんな、いい顔してるじゃないか。最高だな!)
「旋回が終わったら、もう一回アプローチします。今度はもっと寄りますよ〜」
普段はお堅い機長の保田が、珍しくサービスをしてくれる。勝利たちは窓から甲板の人々を見下ろした。
「隊長! あれ、息子さん?」
「おー! そうだ、そうだ。おいなんだよ、うみまるじゃまだ! てか、うーみんに夢中じゃないか……」
海上保安庁のマスコットである、うみまる(男の子)とうーみん(女の子)は、小さな子供たちや女性に人気だ。タテゴトアザラシをモチーフにして作られた着ぐるみで、広報活動に励んでいる。ときに制服を着て、ときに潜水服を着てと、広報活動はバラエティーに富んでいる。
その、うみまるとうーみんを勝利の息子はロックオンしたままだ。ヘリコプターのけたたましい音も気にせずに、うーみんのお腹に抱きついていた。
「さすが隊長の息子さん。うーみんが女の子だって分かってやってますね」
「んなわけあるかっ。おい杉本、さすが俺のってどういう意味だよ」
「特に深い意味はっ、イデデっ」
「ちょっと、何やってるんですか! 揺れるでしょーがっ」
勝利は、部下である杉本の首に腕を巻き付けて、オラオラオラとお仕置き中。愛美が暴れるなと注意をするという、中学生レベルの小競り合いに、機長もエンジニアも苦笑いするしかなかった。いつもとは違う空気を乗せて、ヘリコプターシロチドリは沖に出て出番を待った。
消火訓練、制圧訓練が終わり、いよいよ機動救難士による吊り上げ救助の番となった。
「よし! そろそろだな。みんな、宜しく頼む」
「はい!」
これで本当に、最後だ。
『次は、機動救難士による救助を行います。ヘリコプターが近づいてきますので、風圧で帽子などお手回り品が飛ばないようご注意ください』
前を行く巡視船を、要救護者がいる船舶に例えて行われる訓練だ。船内で急病人が出たという設定だ。
保田は、対象となる巡視船の後方にヘリコプターをピタリとつけて、同じスピードで進んだ。そうとうの技術を要するものだ。少しでも狂うと、降下どころか救難士も危険にさらされる。
「では、参ります。お客様の正面でやりますよ。準備お願いします」
「いつでもどうぞ」
勝利は、先に降りる杉本のワイヤーをチェックした。そして、ヘリコプターの扉を開ける。
ーー ドドドドドド
耳慣れたエンジン音、舞い上がる潮の香り、どれも今日は特別に新鮮だった。不思議と初めて降下したときのことを思い出す。高さへの恐怖より、自分が本当に人を救えるのかという戸惑い。そして、責任の重さに血の気がひいたのを覚えている。
いつしかそれが「俺がやる、俺ならやれる、俺しかやれない」そんなふうに思えるようになった。
「安全フックよーし!」
「安全フックよーし!」
「降下位置よーし! 降下します!」
「降下開始!」
「降下します!」
「行ってらっしゃい!」
いつもとは違う見送りの言葉をかけられ、勝利も降下する。海の匂いが下から舞い上がり、勝利の体を包み込んだ。降下スピードはいつもと同じはずなのに、見える景色は違っていた。やしまの甲板から、多くの瞳が勝利を捉えていたからだ。
(オヤジ、これが俺の仕事だったんだ。おふくろ、心配かけて申し訳ない……。海音、すまん。今日でオレンジは終わりにする)
ーー トスンッ
巡視船の甲板に着地した。要救護者役の保安官に素早く安全フックを取り付ける。
「五十嵐さん、お疲れ様でした」
「やめてくださいよ。調子狂って落としますよ」
「ははっ。それもいい」
「よし! 上がりますよ」
勝利は右手を大きく回した。吊り上げ開始の合図だ。
シュルシュルとあっという間に救助し、最後にバディ役の杉本も上がって完了。わずか五分程度の
(あっけないもんだな)
『機動救難士による、吊り上げ救助でした。このあと機動救難士たちは任務のため航空基地へ帰ります。最後にもう一度、皆様にご挨拶に参ります。いま一度、帽子などお手回り品が飛ばされないようご注意ください』
「隊長、これがラストですよ。扉、全開で行きましょう!」
保田の計らいで、勝利たちは閉めた扉を再び開けた。
「怒られるかな。思いっきり寄りますから、五十嵐隊員、前に出て」
「保田さん、いいんですか?」
「いいでしょう。今日くらい私の腕を見せつけてやりたい」
あくまでも自分がやりたいから。そんな機長の心遣いに勝利は感謝した。
「よっしゃ! 野郎ども顔を出せ! キャーキャー言われようぜ」
「了解です」
三人のオレンジ色の隊員は、片手で手すりを掴んで体を半分外に乗り出した。片方に重心がよっても、ヘリコプターの機動は少しもブレない。思わず、愛美が声を上げる。
「私もこれくらいならなくちゃ! 保田機長、かっこいい!」
やしまの甲板から手を振る一般客。その奥で控えめに勝利の両親が立っていた。その隣で息子の海優を抱いた海音が、指をさしながら何か言っているのが見える。きっと、「見て! あれがあなたのパパよ」と言っているのだろう。海優の手を掴んで、一緒に手を振り始める。
勝利は叫んだ。
「おーいっ!」
ヘリコプターの音で声は届かない。届かないと分かっていても叫んでしまう。
「ありがとう! ありがとう!」
そこに涙はなかった。
太陽にも負けないくらい、眩しい笑顔だけが残っていた。
ーー シロチドリ、帰還します。
ーー お疲れ様でした。気をつけてお帰りください。
「では、帰還します」
「了解!」
航空基地までの帰りの数分は、みんな無言だった。それぞれに、様々な想いを巡らせていたのかもしれない。
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