第2話 Contactー察知ー

 ある皐月晴れの日のこと。


 今日は年に何回かある大きなイベントのひとつで、海上保安庁巡視船乗船体験が行われる日だった。事前申し込みで一般からの参加を募り、湾を一周し海上保安庁の仕事に興味と理解を得ることが目的のものだ。

 市内の各公園や市庁舎でも様々なイベントが催されており、市民で作り上げるお祭りでもある。近年は全国からこれを目的に福岡県を訪れるまでになった。西日本に居れば一度は聞いた事があるかもしれない【博多どんたく】と言う祭りを。


 海でも陸でもお祭りだ。自衛隊も県警も五十嵐たち海上保安庁も音楽隊をパレードなどに参加させている。


 しかし、祭りと言えど気を緩めてはならない。五十嵐は船長として職務を遂行しなければならなかった。いつも以上に気を引き締めて相棒巡視船甲板デッキに立って、湾を眺めた。


「船長! まもなく乗船です」

「分った。すぐに行く」


 出港前に天候状況、波の高さなどを確認するため船内に戻った。すぐに出港前確認をする。船体は本日も好調、湾内もほとんど波はなく時間通りに航行出来るだろう。


「よし、問題ないな」

「はい。お客様も全員、元気に待機中であります!」

「そうか。では、乗船開始!」

「イエス、サー」


(イエス、サーだと? あいつ、祭りだからって調子乗りやがって。ま、たまにはいいか)


 五十嵐もお客様を迎えるべく、乗船口に下りた。


 目をキラキラと輝かせた船好き、海好きのお客様が続々と乗ってくる。こんな時は必ずマニアさんをお目にかける。彼らは本職より詳しいのではないかと時々恐ろしくなる。


 そんな中、五十嵐はある女性に釘付けになっていた。ブルーのブラウスに白のパンツスタイル。靴はローヒールで、肩まで伸ばしたサラサラの髪が風に撫でられらたようにそよいでいる。


「あの人はっ。間宮、さん?」


 あの無人島で双眼鏡を覗きながら、岩に躓いたあの子だ。そう確信を持った途端、五十嵐の心臓は落ち着きのないリズムを刻み始めた。


「やべぇ、ここで逢うか!?」


 間宮は五十嵐の隣を会釈しながら船に上がっていった。

 彼女は五十嵐に全く気づいていないようだ。それもそのはず、あの時は単なる釣りの男。でも、今日は海上保安庁巡視船の船長で制服を着ている。たった一度会っただけで気づくはずもない。


 五十嵐は気を取り直して、上甲板にある船長室に入った。


ボーーッ!!


 汽笛を鳴らし、いよいよ出港だ。


 湾内の航行はここだけの話、暇だと五十嵐は心の中で愚痴る。あくまでも船長としての暇だ。他の保安官らはいつも以上に神経を尖らせている。なぜならば、万が一お客様が海に落ちでもしたら大問題だからだ。


 そんな五十嵐はというと余計なことを考えていた。


(俺に船長ってやれって、誰だよ決めたの……)


 五十嵐としては、本当は現場に居たかった。しかし年齢のこともあるし、前の職務が原因で離婚したようなものだった。上層部が気を使って、このような異動をさせたのかもしれない。

 領海付近の漁船は厄介だし、船長だからといって指示なしに撃ち込むことは出来ないし。五十嵐の中でフラストレーションは溜まるばかりだった。


「そんな時にこの再会はないよなー。暴走するぞ俺」

「船長、変わります」

「ああ。頼んだ」


(よし、俺は開き直ったぞ。今日は祭りだろ? どんたくだろ!?)


 確かオランダ語のドンタークからきた休暇の意味あいがあるらしいと五十嵐は思い出す。


(やってやる!)


 五十嵐は白の海保帽を被り直し、間宮という女を探しに甲板に出た。


(すぐに見つけたんだが......)


「すみません、写真いいですか?」

「ああ。はい、いいですよ」


(くそっ、捕まったーー!)


 五十嵐は広報用の笑顔を作り写真に応じる。しかし本心は、早く彼女のもとに行きたくてそわそわするイケナイ船長。

 なんとかお客の対応を終え、船尾にたたずむ彼女を見つけた時は着岸の10分前。部下が船長を呼びに来るころだ。


(急げっ、俺!)


 五十嵐は「コホン」と咳払いで喉を整えて、ネクタイを確認し、帽子を被り直す。そしてできるだけ自然に近寄った。


「今日は双眼鏡、持ってきてないんですね」

「えっ」


 驚きで目をまんまると見開いた間宮の表情は、五十嵐の胸を締め付けた。なぜ? と首を傾げるその仕草もまた男心を弄ぶ。


「失礼。俺の事、覚えていませんか? 忘れたかな。足、ちゃんと直りました?」


 五十嵐が白の海保帽を取ってみせると、直ぐに反応が返される。


「あっ、あの時の! ありがとうございます。もうピンピンです」

「そう。良かった」


 間宮は思わず大声で返してしまう。まさかあのときの釣りの男が、巡視船の船長だなんて思ってもみなかったのだ。


「ちゃんとお礼を、しなければなからなかったのに。なのに私ったら連絡先も何も聞かずに帰ってしまって。でも、ここでお会いできて良かったです」

「お礼なんて」


 お礼なんて要らない。五十嵐はそう言いかけて自分に待ったをかけた。


(要らないなんて言ったら終わりだろ? それじゃあ意味がないんだよ)


「では、お礼に今夜一緒にお食事をしていただけませんか? 勿論、無理にとはいいません。あ、彼氏さんに悪いか」 


 五十嵐は大人の余裕を言葉に込めて、彼女の反応を探った。


「え、あ、そのっ、彼氏はいません。因みに独身です」

「え! 本当に? 勿体無いな。こんなに可愛らしいのに」

「か、かわっ」


 五十嵐は思った。このまま押すしかないと。


(職務中だと? 知ったことか!)


 胸のポケットから手帳を出して自分の携帯番号を書いて間宮に渡した。


「もし、お時間が許されるなら。そうだな7時に駅前で待ち合わせしませんか? 嫌ならお返事の電話は要りません。すっぽかして下さい。では、まもなく着岸します。揺れますので手摺を持つかご着席ください」


 五十嵐は軽く頭を下げて逃げるようにその場を去った。思ったより自分は臆病者だったらしいと苦笑いをするしかなかった。電話番号を渡しておきながら、ネガティブな答えは聞きたくない。これが仕事なら誰にも負けない自信があるのに。





◇ 




 五十嵐は全ての任務を終え、自宅に帰ったのが午後6時。シャワーを大急ぎで浴びた。

 玄関を飛び出したのが6時40分。幸い駅までは大通りを下るだけなので何とか間に合うだろう。

 しかし、五十嵐はタクシーに乗って時計とスマホを交互に睨みつけるはめになる。信号が青になっても進まないからだ。


「混んでますね」

「まあ、どんたくですからね。規制もあるし」

「(そうかっ、忘れてた!) すみません。ここで降ります」


 パレードのフィナーレを迎え総踊りで賑わうのを遠くに感じながら、ジャケット片手に走る五十嵐。


(海保のおっさんを舐めんなよ!)


 時計は7時10分をさしていた。


「はぁ、はぁ、はぁ。......いない?」


 祭りの余韻はまだまだ引かず、次から次へと人が溢れてくる。


「待ち合わせ、今日にしたのは間違いだったな」


 がっくりと肩を落としかけたその時、五十嵐のスマホがブルブル震えだした。スクリーンには登録のない新しい番号が表示されている。


(きたーっ!)


 五十嵐は最大限に落ち着いた声を作って出る。



「五十嵐です」

「間宮です。今、どちらでしょうか。人が多くて」


(来てくれている!?)


「俺が向かいます。どの辺にいらっしゃいますか」


 五十嵐は告げられた場所に行くと、人波を避けるように立ち、キョロキョロと自分を探す彼女を見つけた。

 昼間とは服装が変わっている。大人を思わせる濃紺のワンピースにジャケットを羽織って、髪は緩めに少し上で纏められていた。


(女って、ぜんぜん分からないな。ますます年齢が分からなくなった)


「お待たせしました。渋滞が酷くて、時間、もう少しズラせばよかった」

「いえ、そんなに待ってませんから」


 五十嵐を少し下から、恥ずかしそうに見上げてくる仕草が堪らない。計算か天然か……。


(そんなのは、どうだっていい)


「この辺はどこもいっぱいでしょう。俺の知り合いがホテルでレストランやってるんですよ。席取ってあるので行きましょう」

「はい」


 五十嵐がそう提案すると、今度は無邪気な笑顔が返事が帰ってきた。胸がキュンとなるなんて表現は、自分には存在しないと思っていた。


(まずいんじゃないのか、これ)


 五十嵐は前から来る人を避けながら、彼女が離れないようにと気を配る。付くか付かないかの距離に、五十嵐の胸は「ギャンギャン」と悲鳴を上げていた。



(こんなの、俺じゃねえ)

「え?」

「逸れるので」


 五十嵐は少し強引に間宮の手を握った。そして、自分に隠すように少し後ろに繋いで地下鉄に乗った。彼女はどう感じているのかだけを心配しながら。






「美味しかったです。ごちそうさまでした」

「こちらこそ付き合ってもらって、ありがとうございました」

「結局、ごちそうになってしまって。全然お礼になってないですね」



 間宮は今年30歳になったばかりだと五十嵐に言う。五十嵐は一回り年の差がある事と自分も独身だが、バツイチである事も話した。


「あのもし宜しかったら、もう少し飲みませんか?」

「えっ、ああ。俺は全然構いませんよ。明日は休みですから」


 意外にも間宮から五十嵐を誘う。


「でも、お店よく知らなくて」

「なら上のバーはどうですか」

「じゃあ、そこで」


(これは、いったい!)


 五十嵐は思う。そういう流れを想像してしまう自分はダメな大人だろうか。いや、彼女だって立派な大人だ。軽い女? いや、だったらあの日の内に、車で送られたはずだ。

 五十嵐の中で様々な仮定が脳内で暴れ始めた。


 五十嵐の腕に間宮の肩が弾みで触れると、あの日の甘い香りに包まれた気がした。

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