不完全なワルツ
桜森 ナナ
第1話 殺人犯の秘密と警官の涙
「待て!」警官と思われる男性の怒りの混じった声と階段を駆け上る二つの足音。錆びた白い鉄の扉に衝撃が加わりドンという音がしたと思えばドアノブが回されキィと耳障りな音を立てて扉が開く。その扉の先から顔をマスクで覆っている女が走ってくる。
私は肩くらいの高さの柵を飛び越える。もうつま先は地についていない。少しでも前へ倒れたら真っ逆さまに落ちてしまう。
「何をしている、こちら側へ戻ってこい。」彼が私に声をかける。でも、私は犯罪者であなたは警察官。もう、あなたとは一緒にいられない。ごめんなさい。わがままだって分かっているけど最期はあなたといたかったから。
「いいえ、戻らないわ。」
「何を言っているんだ。もう逃げ場はないんだ。おとなしく捕まれ。」仕事をしている彼ってとっても素敵なのね。仕事にも熱心で、彼女である私を一番に愛してくれて、こんなに優しさのあふれた人は他にはいないって思ってる。できれば結婚したかったな。
でも、それはできない。だって私は殺人鬼。何人も殺した。それから、殺した後の死体を芸術作品として扱ったことはワイドナショーを賑わせた。
「そんなこと言われても、戻らないわ。」
「何を言ってるんだ。」
「だって私、死刑でしょ。分かってるわ。」
「死刑だろうと、罪を償わなければならない。当然だろう。」
「そうだよね。お巡りさんには好きな人はいるの?彼女、とか。」私はその質問の答えを知っている。でも彼の口から聞きたかった。
「なんだいきなり。ああ、いるぞ。愛する彼女が。もうすぐプロポーズする予定なんだ。」
「その彼女のどこが好きなの?」
「彼女は、そうだな。何事にも真剣に全力で取り組める強さ。それから、花のような笑顔だな。」
「そう。」
「まだあるんだ、他には、」
「もういいわ。彼女さんのこと好きなのね。」
「当たり前だろう。」この言葉に涙が出そうだった。ごめんなさい、私はあなたの気持ちを裏切っている。どうして人殺しなんてしてしまったんだろう。
「そっか。」私はマスクを外す。彼は驚いていた。そりゃそうだ。連続殺人犯が彼女にそっくりだったんだから。
「さよなら。ありがとう、まさ君。」楽しい思い出をありがとう。そしてビルの上から飛び降りる。最期に「あいしてる」って口パクで彼に伝えた。
「おい、待て!ゆり!」
ごめんなさい。どうかこんな彼女は忘れて新しい彼女をつくってほしい。神様、お願い、早く私を殺して。地獄へ早く連れてって。彼が見える。屋上から手を伸ばす彼が。最期を彼と過ごせて幸せ者だ、私。その時私は鈍い痛みに襲われた。痛い。痛い。痛い。もう痛みしかわからない。
本当に大好きな彼に、ごめんなさい、ありがとう、さようならと心の中で伝える。
俺は階段を急いで駆け降りる。俺が追い詰めた殺人犯は彼女だったのだ。大好きな彼女、死なないでくれ。大好きな彼女、俺を置いていかないでくれ。しかし現実とは残酷だ。彼女のもとに着いた時にはもう。息はなかった。
「ゆり、頼むよ。息をしてくれ。」
「俺を一人にしないでくれ。」
「君が刑務所にいるのなら何年だって待つ。だから、お願いだ。」
「そ、そうだ。婚約指輪。これゆりに似合うと思って、今あるんだ。はめてくれ。」彼女の亡骸に指輪をはめる。
「これまでも、これからも愛し続けるから。頼むよ、目を、目を開けてくれ。」俺は彼女に軽く触れるだけのキスをした。だって、おとぎ話なんかであるじゃないか。キスをしたら目を覚ますって。
「どうしてだよ…」
男の言葉は12月の乾いた夜空に漂っていた。男は彼女の亡骸を抱きかかえている。制服が汚れることも現場を荒らして証拠や状況を変えることをも厭わなかった。男は子供のように泣きじゃくった。冷たくなった女に一粒、二粒と雫が落ちる。
刑事や警官が男の方へ走っていく。一人の刑事が声をかける。
「三城巡査、だな。現場を荒らしやがって、それでも警官か!おい、聞いているのか。」
男には刑事の言葉が届くはずもなかった。男はうっうっと未だに泣いているからだ。愛する彼女が亡くなったからだ。その日は愛する彼女の誕生日だったからだ。
「おい、だれかこいつをどうにかしろ。」
「はい。ほら立ってください。」男は警官に立たされるとその場を後にした。
男は自宅謹慎という処罰が下された。食べ物もろくに食べていないのか、痩せこけてやつれている様子だった。男の部屋のカーテンは閉め切られ、男はベッドの中で女のことを、愛する彼女のことを思い出していた。そんな時だった。チャイムが鳴った。ピンポーン。男は煩わしく思いながら扉を開けた。
「はい。」
「こちら三城正人様のお宅で間違いないでしょうか。」
「はい。」
「フラワーショップ、ハピネスです。真田百合様からお届け物です。こちらにサインをお願いします。」男は三城とサインをする。それから配達員の女は男にバラの花束とメッセージカードを渡す。
「ありがとうございました。」
「あの、」
「どうしましたか。」
「この花ってどうすればいいんですか。」
「それでしたら、花瓶に活けてもらえれば。あ、砂糖を入れると日持ちしますよ。それから、水をこまめに取り換えてあげてください。」
「あ、ありがとうございます。」
配達員の女が去った後男は急いで花瓶を用意してバラを活けた。メッセージカードを見てみる。
[まさ君へ
昇進祝いにサプライズ!この前ほしそうな目で見てたから
バラをプレゼント!バラって本数によっても花言葉が
変わるんだって。ちなみに、25本あるよ!意味は自分で
調べてね。大好きだよ。
愛しの百合より]
「ゆり、うう。」男は涙でメッセージカードを濡らす。そういえば、一週間前くらいの出来事だっただろうか。と男は思い出す。
『?』
『あ、気づいた?バラを飾ってみたんだ。部屋に華があるでしょ。』
『たしかに。何本あるんだこれ。』
『15本。けっこう奮発しちゃった。』
『いいな。家にもほしいわ。』
男は急いでスマホを手に取り、[バラ 本数 意味]とフリック入力する。
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15本・・・ごめんなさい
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25本・・・あなたの幸せを祈っています
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「ゆりが居ることが俺の幸せなのに」男はまた泣き出した。
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