第3話 帰って来たフェイクシスター

   プロローグ




 俺、辻井つじい悟志さとしは私立深岬みさき学園の入学当日に貴崎きさき巳和みよりと出会った。

 貴崎は前例と名前の無い未知の病に命を侵されている天才であり、高校生にして医師の資格を持つ彼女は結果はどうであれ、未来につなげるべく、病への治療法、対抗策を研究している。

 そんな彼女でも抜けているところがある。

 思考回路が他とは違う、常識がないというよりはズレている、という点だ。

 今まで人と関わりがなかった彼女がズレていると気付くたびに見せる反応が新鮮で面白くて、俺としても楽しい毎日を送っている。

 ちなみにそんなことを考えている俺といえば、別に天才などではなく、普通を字で行くような過不足ない人間だ。

 唯一、特筆するとすれば現在から一年前以降の記憶が抜け落ちている、という事だろうか。

 奇しくも、その抜け落ちた記憶には貴崎との出会いのこともある。

 だが、俺はソレを貴崎を含めた外部の人間に伝えていない。

 知っているのはごく少数。

 そんな貴崎と比べれば軽めな秘密を持ちながら続く、俺と貴崎の日常に最近、新たなメンバーが追加された。

 仁都ひととまいと仁都めいだ。

 二人は双子であり、俺と同学年の揃うとやかましい少女たちだ。

 二人揃うと何をしでかすかわからない起爆剤的な役割を果たすひとつになるのだが、個々は違う。

 まいは積極的で活発な性格で、めいは消極的で静かな性格。

 あべこべ、真逆もいいところだがそれでもかみ合う。

 そんな二人がなんだかんだで研究室に俺と共に通うように成り、そうなっても、俺たちの日常は続いてゆく。





   0章 Noisy

Unknown’s view




 電車に揺られ、私は思いを馳せた。

 あの子に会える。

 辻井つじい悟志さとし、三年前はよく遊んだ少年の顔を思い浮かべながら、記憶の中の彼の家を思い浮かべていた。

 だが、その思いの中の一抹の不安。

 それは彼が記憶喪失だという事だ。

 このことは半年前に彼の両親と話したときに知ったことだ。

 話を聞くに、断片的とかの甘いものではなく、ごっそりと思い出がなくなっているとのこと。

 ということは、私の記憶もしっかりと失っている、というのは言うまでもなく、漏れなくといった感じだ。

 悲しさ、などの感情よりも衝撃、それこそ、ショックでいまだにその事実を受け入れることができない。

 でも、私はくじけないという設定を自分につけた。

 設定というありもしない柱にもたれなければ彼の前で立っていることができない、そんな気がしたからだ。

 決して、中二病云々ではなく、そういう設定にしたんだからと自倒れないように縛り付ける鎖が欲しかっただけだ。

 でも、そうすれば、彼の前で今まで通りにいることができる。

 今まで通りの私が初対面になる彼にいつも通りの振る舞いができる。

 そう思える。

 車窓から見える見慣れた街並みになってきた景色は私を迎え入れもしていない、物らしい感覚をくれた。




  Tujii’s view




 俺こと、辻井悟志は登校前に自室のカレンダーに書かれた文字を見て、小さく息を吐いた。

 その文字たちは、今日の日付の欄に書かれており、その文字は『八目雅が来る』の六文字。

 八目やめみやび、それは過去の俺を第三者目線からの情報として知ることができる唯一の線だ。

 ただの第三者ではなく、ある程度の深さをもった関係という一点においては彼女以上の存在はいない。

 深い話を聞ける。

 自分について、自分だった者についてを知ることができる。

 別に過去の自分に近づこうとするわけではない。

 ただ、かつての自分の在り方を知りたかった。

 それだけだ。

 それだけなのだ。

 でも、知らなければいけない。

 そんな湧きどころがわからない焦りが心を掻き乱した。

 だが、彼女と対面するのは早くとも学校から帰っての時間帯だ。

 たまたま巳和の通院の日と重なって早く帰ることができる今日で良かったと、喜ばしいのか、そうでないのか、判断のつかない感情の持ちようで、焦りに身を押されながら、部屋を出た。





   一章 君は私の弟だから




 学校について、とりあえず、自席について呆けることにした俺は窓際の席の特権の一つである窓から入る風をダイレクトに受けながら外の景色を目に映していた。

 暇な時間だ。

 そう思いながら、そんなことを続けていると、


 「よ、悟志さとし


 声を掛けられ、声の主をすぐ判断できた俺は体制も何も変えずに、


 「おはよう、まい」


 気だるげにお返しをした。

 声の主は同じクラスの仁都ひととのまいの方だ。

 いつもならこの後漫才を繰り広げるのだが、今日はそういう気が起きず、話をそれで終わらせるような雰囲気を俺は醸し出した。

 そんな雰囲気にいち早く気付いたまいは、俺は話し相手にさせようと行動を始めた。


 「なぁ、悟志ぃ、外なんてつまらないし、ユートピアを目指すほどディストピアに進んでゆく世界なんて見ずに私という地獄を楽しもーぜー」


 ゆさゆさ。

 俺の体を揺さぶりながら、まいはそういう。

 まいの地獄か、進化するタイプのディストピアかと問われると、絶対にディストピアのほうが生きやすい。

 そう思ったので、無視することにした。

 すると、まいは帰ってこないことで出来上がる間で無視されていることに気付いたたらしく、何か言い始めた。


 「お、シカトか?女性蔑視か?」


 これは女性蔑視ではなく、そういう空気を読んで退散しろというコミュニケーションだ。

 そういう風当たりが強い現代になんてことを言ってくれるんだ。

 という事で無視は継続。


 「え、マジ?風当たり強いワード言い放ったのに無視なの?えぇ…、どうしよ、漫談するしかないじゃん」


 しなくていいのだが。

 心の中ではしっかり突っ込んで、無視を継続すると、



 「はいはいはい~、こんにちは。わたし、まいと」


 「私、めいの」


 「「双子漫才をさせて頂きます。どうぞご清聴のこと、お願い致します」」


 知らない内にクラスに入って来ていためいと共に漫才を始め出した。

 というか、朝早く俺と仁都ツインズは来ているのわかっていたのだが、現在、他のクラスには人がちらほらといるものの、俺のいるこの教室には他は誰もいない。

 その中、足跡も気配もなくどうやって入ってくることができたのだろうか。

 普通に不思議なのだが、気にするべきものではないので、無視は続行。



 「めいさんめいさん、今、現在進行形で悟志に無視されてるんですよ」


 「なんということでしょう!まいさんまいさん、それじゃ、なんで無視されてるか考えてみてくださいよ」


 「なるほど、じゃあ、一緒に考えましょう」


 「オッケーです!」


 「「うーん…」」


 「そうですね、まいさん」


 「そうですな、めいさん」


 「「思い当たる節が多すぎて、考えられないですねぇ」」


 …考えられねぇのかよ

 さすがに聞いてて、漫談ですらないボケに突っ込みたくなるのだが、無視を始めたのが自分からだという事実が、意地を張れと自分に命令しているような気がして、絶対に突っ込まないぞと決めてみた。


 「うむむむ、では、めいさんめいさん、どうすれば構ってくれるかを考えるのはいかがでしょうか?」


 「おぉ、まいさんまいさん、名案ですよ!」


 「「では、どうしましょうか」」


 「あ、色仕掛けはいかがでしょうか?」


 「いいですね、まいさん、さすがです!男は大体、女体が好きなのです!」


 「ですが、そうでない方もいらっしゃいますよ」


 「そうですね。ですが、この前の本強打気絶ほんきょうだきぜつの件で巳和みよりちゃんの膝枕で童貞臭い反応してたんで大丈夫でしょう」


 「そうですね。メイデンな私たちの色仕掛けでも絶対に興奮させることができますね!」


 「ですが、問題が浮上しました!」


 「あ、私もわかっちゃいました。」


 「「胸が、ないんです!」」


 やかましいわ。

 さすがに無視するのも難しくなるくらいの自由さに必死に耐えながら無視を続けるも、自分の表情が引き吊っているのがよく分かってしまった。

 だが、意地を張った手前、引くわけにはいかなかった。


 「・・・あのさ、漫談一旦、止めるけどさ」


 「え、あ、うん、まい、どうしたの?」


 「ここまでやっといてなんだけど、めい、いつここにはいって来たの?」


 「まいが悟志のところに向かってるときには後ろに居たよ」


 「え」


 「え?」


 「こっわ」


 「いや、今更、怖がるのかい!」


 さすがに耐えきれず、顔を向け、俺は二人の会話に突っ込みを入れた。

 俺の敗北だった。

 そんな俺を見て、二人は嬉しそうににさっきの驚きが演技だったんだとわかるような笑顔で『してやったり』といった雰囲気を出していた。

 してやられたりだ。

 見るからにもともとこのボケをやるつもりだったと言わんばかりの状況に溜息を吐いて、言った。


 「何の用だよ」


 ぶっきら棒に、そんなに構ってほしいムーブを見せているのだからと、一方的な理解で訊いた。

 もし何もないなら、申し訳なくは思うがそれなりに機嫌を損ねてもらい、退散してもらうつもりだった。

 だが、彼女たちにはそれらしい理由があった。


 「だって、教室入って一発目に見る奴がなんか悩んでそうなオーラ放ってんだもん」


 と、まいが。

 原因は俺だった。

 なんとなく見たらわかる心の不調、それなりに仲が良ければわかるようなものなのだが、俺はそれを忘れ、包み隠そうとしていた。

 盲点、そういってしまえばいいだろうが、少しそれとなく友人に吐露する、という考えに至らなかったのは我ながら馬鹿な行動だった。


 「悟志、なんかあった?」


 めいは未だ空席になっている俺の隣席に座り、それに対応する机の上にまいは体ごと俺に向け座った。

 とりあえず言ってみろ、二人はそう命令するような目線を俺に向けて、それに、俺は従う。


 「何がとは言わないけどさ、ちょっと焦ってんだ」


 何気なく、別に何ともないように吐露したものに二人はさらに寄って来た。


 「何が、は不明。なら、時間的?精神的?」


 まいの質問に、


 「精神的かな?」


 少し疑問交じりに答えるとまいは頷き、


 「精神的、かもって感じかぁ。じゃあ、個人的?誰かに関係する?」


 めいの質問に、


 「個人的だ」


 はっきりと答えるとめいは頷いた。

 そして踏む踏むといわんばかりに二人は頷いて、


 「「よくわからんけど、なんかあったら私たちを呼んでくれればいい!」」


 息を揃えて、そう言ってくれた。

 いい友人をもったのかもな、なんて浅いもいいところの感想を抱きながら、


 「ありがとな」


 そう言って少し笑うことができた。





 友人のおかげで、いろいろとやる気が出てきた俺は放課後になり、すぐに帰路に着いた。

 走らないものの確実に早歩きで、そんなに焦らくていいとわかりながらも、足早になる自分を抑える事ができずにいた。

 そして、徒歩での帰宅の中ではこれまでにないくらい早く自宅に着き、玄関も似たような速度で通過していく。

 今日は母親が家に居るため、おそらく、八目やめみやびと今は話している途中だろう。

 そんなことを思いながら、リビングの開き放しになっている戸を跨ぐと二人の影がソファに座っていた。

 一人は母親。

 もう一人は見知らぬ、簡素に言えば、大人の雰囲気、複雑に言えば、いろいろなものを見てきたような、達観した雰囲気を纏った女性。

 そんな二人がいた。

 俺はとりあえず、


 「ただいま」


 それだけを言うと、


 「あら、お帰り。みやちゃんもう来てるわよ」


 母親がそう言っていつも通りの笑顔を見せてくれた。

 そして、俺の声でこちらを見た見知らぬ女性は俺を一瞥いちべつし、立ちあがり、駆け寄って、俺に抱き着いた。


 「わっぷ!?」


 突然の抱擁ほうように驚き戸惑い、混乱して、無言になってしまっている俺をしっているのか、いやそもそも気付いているのか、その女性は、


 「久しぶりだねぇ。さっくんは覚えてないだろうけど、雅姉ちゃんだよぉ~!」


 自己紹介をしながら、八目さんは俺の頭でパンでも作るのかというくらいにワシャワシャと撫で始めた。

 身長は俺より少し低いくらい、大体170cm未満165cm以上程なのだが、抱き着かれ、少し腰が落ち気味になったことにより、高低差が彼女のほうが高くなるように傾き、八目さんの腕に包まれるような形になってしまっていた。

 感触云々や抱擁がどうのこうのより、撫で方が少しパワー寄りの愛し方をする動物愛好家のそれだった。

 要はめっちゃ区たぐちゃぐちゃにされるから、なんだかんだで痛い。

 まぁ、だが、前情報的にはそれくらいのことはまだ仕方ないの範疇なのだろうか、なんて思い、


 「えっと、あの、ちょっと痛い、です…」


 撫でられすぎてしっかりと一文として言う事ができずに片言風味になってしまいながらも、撫でられ耐久戦に白旗を上げると、


 「あ!ごめんごめん、お姉ちゃん、つい久しぶりだから」


 苦笑いを浮かべながら、八目さんは離れてくれた。

 どうやら、愛情表現がパワータイプなだけで、話が通じる人のようだ。

 だが、初対面の言動のおかげで、俺の中で完全にヤバイ人間だと分類されてしまった。

 だって、いきなり抱き着いてくるのは怖いんだもの。

 そんなこんなで、八目さんとは一定の距離を置きつつ、当面は接することに決めた俺は、


 「あの、今制服なんで、着替えてきていいですか?」


 なんて、逃げるための口実を作って、その場をとりあえず後に知ることにした。


 「ふぅ・・・、なんかすごい疲れた」


 八目さんの勢いが強いせいで一瞬で疲労感がたっぷりな状態になり、自室でボソッと呟いた。

 制服を脱いで、ありきたりのパターンになりつつある私服を着て、ひとまずベッドに座った。

 今日から冬が終わるまで。

 冬の期間だけ大学に通いやすいからとのことだったが、どうしてか長々と居候することになっているのは少し不思議だが、時間はある。

 今は扱いを覚えて、そこから少しずつ目的を達成して行くことにしよう。

 だが、俺よりも年上で、何よりもあの雰囲気。

 何もかもが筒抜けの様な、少しおそれ多いその空気感を俺はどうやって克服すればよいのだろうか。

 課題点はそれなりにあるモノのそれなりにどうにかなるかもしれない、そんな楽天的なやり方で良いだろうと決め、再び音にならない程度のため息を吐いた。

 そして、しばらくの無音。

 心地よい無音だが、その無音にノイズが混じる。

 ドタドタドタと廊下を歩く音。

 母親であれば、すり足気味の音だが、この音は踏み込むような音。

 父親は今仕事中で当然ながらいない、となれば、あとは消去法で一人となる。

 ドタン!

 勢いよく俺の部屋のドアが開かれ、


 「お邪魔するね!」


 八目さんが入って来た。

 デリカシー、というかパーソナルスペースによくズカズカと入ってこれるな、なんて思いながら少しいやそうな視線を送るとそれに気づいた八目さんは、


 「あぁ、そうだ、そうだったよね。昔みたいじゃダメだもんね」


 にっこりと感情が読めない笑顔を浮かべ、そういった。

 そういえば、リビングで『さっくんは覚えてないだろうけど』といっていた。

 さっ君とは俺のあだ名の様なものなのだろうが、『覚えていない』、『昔みたいじゃダメ』、その言葉が示すことは、ただ一つだった。


 「初めまして。一応、お母さんから話は聞いてるよ」


 知っている。

 その答えを八目さんは提示した。

 だがよくよく考えてみればそうだろう。

 久々に会った人間が完全の別人に対する言動を見せれば、違和感どころの問題ではない。

 だから、事前に母親が伝えた。

 その流れなら理解ができる。

 おそらく、八目さんが俺の記憶喪失を知っているのもそう言う事なのだろう。


 「・・・なんか、すみません」


 どうしてか、不意に俺は謝罪の言葉を呟く様に出した。

 罪悪感がどうしたか湧いて。

 そう出てしまった。

 それに八目さんの横に座り、また頭をワシャワシャと撫でて言った。


 「仕方ないことは謝っても仕方ない。だから、ちょくちょく話してあげるよ。だから、とりあえず昔みたいに、雅姉ちゃんって呼んでくれればいいよ」


 何も気にしないように、そう言う彼女の撫で方はやはり力ずよいままだが、とりあえずその感情はわすれるんだ、と頭を揺らしているようにも感じられた。

 だから、頷いて、うまくパワータイプな撫で方から抜け出すと、


 「わかったよ、雅姉ちゃん」


 八目さん、改め、雅姉ちゃんに返した。


 「おぉ、なんかぎこちないけど、私の知ってるさっくんだぁ!やっぱり、私の義弟おとうとは可愛いなぁ!」


 そんな俺にニコニコと雅姉ちゃんは笑って喜んでいた。

 義弟なんてたいそうな言い方をするが、母親から事前情報にも幼馴染の姉に当たる人物、というものがあり、恐らく、俺の知らない過去の俺はそういう関係で雅姉ちゃんと過ごしていたのだろう。

 だから、そんな彼女のに、俺は少し苦笑いよりの笑顔を向けたのだった。




 雅姉ちゃんと昔の俺の話をいろいろと聞いて、ようやく自室で一人になったところで部屋の壁掛け時計を見ると午後六時半。

 午後四時ごろに返って来たはずだから、およそ二時間ほど話していたという事になる。

 だが、それという収穫はなく、もはや過去の俺という義弟自慢を聞かされた感じだった。

 俺自身の掘り下げではなく、俺との出来事の話ばかりで目的達成はそれなりに長そうだな、という感じだった。

 空っぽな部屋で背伸びをして、携帯を見ると、wireワイアーに通知があった。

 仁都ツインズのめいのほうだ。

 慣れた手付きで個人チャットに画面を移動させると、文面が表れる。


 『今電話できる?』


 短い一文。

 このコメントは今から五分前の発信。

 理由はよく分からないが、まだ間に合うだろうか。

 そう思いながら、とりあえず、「できるよ」、と短く送り返すとすぐさま既読の表示が付き、アプリの無料通話機能が起動し、着信を伝える。

 その表示に流されるままに通話を始めた。


 『今大丈夫だった?』


 「大丈夫だけど」


 心配そうな声で振られた質問に俺は少し戸惑いながらまいの一言目に返すと安堵したような声で、


 『今日のこと、焦りの原因って言ったほうが良いのかな。それはどうなったの?』


 細かく訊いてきた。

 なるほど。

 何を聞きたかったかを理解できた俺は電話越しで伝わらないのに頷いて、答える。


 「焦りは、無くなったかな。原因はまだ、というかどうにもならないんだけどね」


 返答にラグにも似た間を挟んでめいは嗤っているらしい声で言う。


 『そっか、なら良かったよ。まいも心配してたし、いつも通りな声になってるし。でも、原因がなくなってないってことは、根本的な解決はできてないってことなんじゃないの?』


 安心をしたものの引っ掛かる点はやはり引っ掛かるらしく疑問をまた俺へ向けて、投げた。


 「まぁ、原因はそうなんだけど、根本が原因の所為じゃなくて、原因に対しての俺の気持ちだから」


 投げられたものを受け止め投げ返し、


 『そっか』


 そんな、めいの短いキャッチで終わる。

 どうやらこの会話がめいのしたかったものだったらしく、それなりの無言がはじまり、少しは話をつなげようと考えた俺がその無言を切った。


 「そういえば、めい単体が電話してくるのは珍しいな」


 素朴な疑問、そんなつもりだったのだが、俺の言い方が悪かったらしく、


 『なんかその言い方、まいと一緒のほうが良かったみたいな言い方じゃん』


 ちょっとねられた。


 「いや、そんなつもりで言ったつもりじゃないんだけど…」


 そういうつもりもなく、自己弁護しようと言葉を連ねようとすると、


 『ふふっ、わかってる。そう意味じゃないんでしょ?』


 いたずらっぽく笑う声でそう言われ、弄ばれたと自覚する。

 相変わらず、そういう弄り方が得意なめいには弄ばれてばかりだ。

 そう思いながら俺は、


 「俺のあたふたした感情を返せよ」


 なんて文句を言った。


 『貰ったから返さないよ』


 そんな文句をノリで打ち返され、めいは質問の答えを口にした。


 『で、話を戻すけど、まいは今怒られてる』


 「ほ?」


 予想外の答えに変な声を上げた俺に、


 『またお母さんに内緒で家電を分解してたらしくて、それでガチ説教中。始まってから、今、三時間くらい』


 理由と現状を付け加えて、再び教えてくれた。

 丁寧なことはこの上なくめいの良いところではあるのだが、まいが怒られているという状況に加え、その理由に俺は思う。

 何歳だよ、と。

 少なくともそこら辺の善悪は判断できるはずである年齢のまいは何を経験値として踏まえた上で、どうしてそんな行動に踏み込んだのか。

 真相は闇の中というか、まいの中であった。


 「・・・めいは止めなかったのか?すぐ近くで見てるはずだろ」


 とりあえず、気になることを訊くと、


 『いや、私とまいは別々の部屋だし、家の中だとまいは部屋から出てこないから、止めるも何もわからないんだよね』


 困ったようにというか、苦笑いというか、そんな声色でめいは答え、


 「二人で一部屋のイメージがあたんだけど、それは間違ってたのか」


 答えの中から別の話の方向へズレていく。


 『24時間いつも一緒だとさすがに参っちゃうよ』


 だが、ズレた程度では談笑は途切れない。


 「なんか意外だな」


 『意外というか、きれいな水面の下は案外汚いかもよ、って感じじゃない?』


 「的を射た表現だな」


 『何せ、自分のことだからね』


 「なるほど」


 なんて、それからも中身のない会話を少し重ねて、


 『そろそろ、まいが戻ってくる頃だから切るよ」


 「そうか」


 『じゃあね』


 「おう」


 プツン。

 簡易的な別れの言葉の後に通話終了を告げる電子的なノイズ音。

 そして、更に直後に訪れる孤独。

 いつも通りというのに、どうしてか、予想外の会話の後は惜しく感じてしまうのが不思議なものだ。

 余韻というには足りないこの気分をどうするわけでもなく。

 ただただ呆けることで過ごすしかなかった。

 だが、過ごす時間が惜しいという気持ちもあり、とりあえず部屋を出ることにした。




 自室を出て向かったのは何の捻りもなくリビングだった。

 リビングに付き、俺は母親に聞いた。


 「あれ、雅姉ちゃんは?」


 入ってすぐ、いるだろうと思った人物いがいない。

 そんなどうでもいい疑問に


 「みやちゃんなら、貸してる部屋よ」


 貸してる部屋、という事はほぼ使いどころがなく半ば物置き場と化しつつあるこの家の中で最奥の部屋のことだ。

 居場所を知ったところでどうすることもない俺はソファに座ると、母親が言う。


 「みやちゃん、もっと話したいっていってたから部屋に行ったらどう?」


 お節介なことを言ってくれる。

 そう思うも、確かにそうだ。

 それは俺にメリットがある。

 雅姉ちゃんにもあるのだがそれよりも、だ。

 だから、嫌々、渋々、彼女の部屋に向かう事にした。




 最奥の部屋、改め、雅姉ちゃんの部屋の前に俺は立っていた。

 入りたくないなぁ、なんて思いつつも、話を聞きたいとも思っていて、そんな考えが拮抗しているのが動作一個一個を面倒にさせている気がした。

 そんな面倒くささを感じつつも、礼儀としてドアをノックして、確認する。

 コンコン。


 「雅姉ちゃん、入って良い?」


 聞く声に、


 「ん、さっくん、入って入って」


 返す声はすぐだった。

 確認を取れたことで、俺は遠慮なく、ドアを開けて入る。

 するとそこにはラフもいいところの着心地優先といったような薄着の雅姉ちゃんが部屋の端に折り畳んで重ねてある布団に座って、持参したのだろう小説を手にして居た。

 あまり初めて見るような服装ににほんの少し困惑するが、前の俺の前でもこんな感じだったんだろうなと思い、脳内の戸惑いなどを払拭し、視覚については気にしないという方向性で固まった。

 布団から降りた雅姉ちゃんは床に敷かれている畳に座り、


 「座って、座って」


 笑顔で隣りの床をポンポンと叩いた。

 そこに座れ、という事なのだろうと察した俺はその指示通りに座ると、


 「どう?学校とか、友達とか、いろいろ聞かせて」


 先程の嵐のような雰囲気はなく、優しい、それこそ、初対面で感じた達観した雰囲気に似合う、落ち着いた声色。

 そんな声色のまま、少し雅姉ちゃんは付け足した。


 「悩みとか、そういうのでもいいよ。何でも、たくさん聞きたいな」


 その声色は小さい子に話す年上のそれではあったが変にいやに感じない彼女の雰囲気に俺は子たるべく声を出した。


 「学校は、どうにもならないかな。何も変わったってことも聞かないし、変なことに巻き込まれたとかもないし」


 「上手くやれてるんだ」


 「まあね」


 雅姉ちゃんの訊き返しにそれとなく答えると、


 「じゃあ、友達とかはどう?」


 思った通りの訊き方で、思った通りの内容の質問に俺は少し笑うと、


 「いるよ。少ないけど、それなりには」


 一つと一人というか、三人の顔を思い浮かべて答えた。


 「じゃあ、恋人とかは?」


 さらにと訊かれたそれに、やっぱりそうなるよな、と若干呆れながらも、


 「いないよ。居たらこうしてないと思うし」


 少し毒を含めた返した。


 「でも、なんだかんだでお姉ちゃんのこと気にしてここに話に来てくれてるってことは、そーゆー事だよね」


 「どういう事だよ」


 雅姉ちゃんのざっくりと言ったことについて突っ込むと、


 「優しいなって」


 にっこりと笑って返された。

 いきなり褒められたというのと母親が発破をかけたからこうしているのだという二点にどんな表情をすればいいかわからずに、


 「わからん」


 一言だけ、何も考えないくらいに適当に投げつけた。

 そんな俺の言動に雅姉ちゃんは安堵の表情を見せて言った。


 「記憶喪失って聞いて、本当に心配したんだけど、その心配もあんまり必要なかったみたいで良かったよ」


 そう言った雅姉ちゃんはそっと俺をまた抱きしめた。


 「わぷっ!?」


 いきなりのことで、驚き変な声を上げるも、初対面のそれとは違う感覚を覚えた。

 優しい。

 締め付けるような、高速感のあるそれではなく、ただ抱き寄せ、包み込んでいるような、そんな感覚。

 そんな中、雅姉ちゃんは言う。


 「記憶喪失だって聞いて、別人になっちゃったのかなって思ってたけど、そうじゃなくてよかった」


 そうじゃなくてよかった、というのはおそらくだが、彼女の知る俺の面影が会ってよかった、という事なのだろう。

 雅姉ちゃんの言葉に表せる精一杯がそのことだとすれば、抱きしめるという行動は行動の精一杯と言ったところか。

 だが、それなのに、俺は昔の俺と比べられたことがどうしてか、好く思えず、


 「いいよ、そんなこと」


 冷水の様な態度で、雅姉ちゃんを突き放す。

 剥がされた雅姉ちゃんは驚きと悲しみの入り混じった表情で固まった。

 それを見て、線を越えたことをしたような感覚を感じたが、俺はそれを突き抜けた。


 「・・・俺は、雅姉ちゃんを知らないんだ。だから、わかんない」


 現実。

 その二文字通りの言葉。

 その言葉は雅姉ちゃんに対しては音の振動ではない。

 その言葉は雅姉ちゃんに対しては剣の一刺しなのだ。

 ひどい奴だ。

 自分をそう評価してもなお、どうしてか止まれない俺は、嫌悪の含んだ目、いや、もう、その時には睨むそれになっていただろう視線を雅姉ちゃんに向けていた。

 だけど、視界に移る彼女はショックに打ちひしがれるだけではなく、その表情を必死で取り繕うように笑顔を作り言った。


 「そうだよね、今のさっくんは今ここにいるんだもんね」


 わかっているよ。

 言わずして、そう言っていた。

 そんな彼女に堪え切れなくなり、


 「・・・なんか、ごめん」


 俺は謝った。

 枕詞の様な「なんか」ではあるのだが、複数についての「何か」でもあるせいか、はっきりとしなさが濃くなっている謝罪はどうしようもなく軽い物だった。

 そんなつもりはない。

 だが、そうとしか捉えることができないだろう。

 それでも、口から出した言葉は意思があって、口の中には戻ってこない。

 浅すぎる謝罪に対し、雅姉ちゃん、いや、八目雅は答えた。


 「いいよ。ちょっとぶっきら棒なところも私の知ってるさっくんぽいから、親しみやすいからさ」


 親しみやすい、そんな言葉で濁してはいるが、彼女が言える言葉の中で最も遠くしている言い回しなのは言わずもがな、理解することができた。

 だから、何も触れないようにして、訊くことにした。


 「あのさ、気になるから聞きたいんだけど、・・・過去の俺は、以前の辻井つじい悟志はどんな人間だったんだ?」


 その質問に優しさのある表情を取り繕うものから、張り付けたものへと回復を果たした雅姉ちゃんは言った。


 「・・・そうだね。全部話したほうが良いよね」


 何を意味してそんなことを言っているのかは俺には全くわからないが、さらに続けて、


 「君は私の弟だから、信じてるから、全部話そうか。私の知っているさっくんのこと」


 雅姉ちゃんはそう言って、語り始めた。

 俺についてを。





   二章 君は私の大切な




 八目やめみやびは雅姉ちゃんとしてではなく、ひとりの人間として、俺、辻井つじい悟志さとしについて語ってくれた。

 雅姉ちゃんはどうしてか、どんなやつかではなく、どんなことをしてきたかという記憶上の物語として、俺を語り始めた。




 雅の家庭は表向きは幸せで順風満帆じゅんぷうまんぱんな家族だった。

 だが、裏は、だれも見ることのない内側なかみは自分の子供を理想の存在に育て上げるゲーム内のキャラクターのように扱うような家庭だった。

 家に帰れば、勉強、習い事、両親のご機嫌取りを強いられ続ける雅の生活は表向きの家庭の様なもはなく、単なる感情を消費して生き長らえるだけの代償ありきの安置を保守ほしゅするだけのものだった。

 両親の期待に沿うことができなければ、何をされるかわからない。

 叩かれたこともあるし、閉じ込められたこともある。

 どんなことになるのか、想像もしたくない。

 そんな生活の中で唯一の逃げ道を見つけた。

 それは外との付き合いだ。

 外付き合いから家庭のほころびがばれないように、外との関係についてだけは文句どころか、嫌な顔一つもしなかった。

 だから、雅は隣に住んでいた、二歳下の少年に目を付け、友好関係を築いた。

 その少年こそが、辻井悟志だ。

 辻井の家庭は両親が積極的な人間という事もあり、家族ぐるみの付き合いになるまでの時間はそうも掛からなかった。

 八目家と辻井家は親密な中になり、それこそ、家族ぐるみの付き合いとなった。

 優しく人懐っこい性格だった悟志は雅の両親からもそれなりの信頼できる地位を築いた。

 だが、雅の目論見に気付いたのだろう彼女の両親は帰宅した雅を捕まえる様に拘束し、彼等の理想に沿う人間に育つように強制した。

 さらに摩耗する精神を癒す場所などなく、ただ、耐えるために休む場所に悟志が存在していた。

 だが、その存在は次第に大きく深くなり、友人という枠を超え、姉弟の様な存在になっていた。

 いつしか、雅は悟志のことをさっくんと、悟志は雅のことを雅姉ちゃんと呼ぶようになり、仲睦まじい姉弟のようにともに過ごす時間を暮らした。

 ずっとここの時間が続けばいいのにと思うほどに、時間の流れは速く感じてしまう。

 愛しい時間が過ぎれば、また地獄が始まる。

 そんな状況が、自分を救うために関わった辻井家が雅の精神が削れていく速度を加速させた。

 削れた精神は擦り切れないようにと変質を果たし、歪む。

 当時の雅は優等生という名を被った自棄じきの何かに成り下がっており、自分の救いを求めているも、助からないと決めつけていた。

 そんな精神は悟志という至って普通であるはずの精神で休まるわけはなく、ある日、テレビで見たニュースでその異形の中身はある行動を思いついた。

 そのニュースは『女子高校生徒が妊娠を理由に退学させられ、それにショックを受けて自殺した』というものだった。

 そこから発想を得たのは一つしかなかった。

 死ぬ気がない彼女はただ自由になりたい一心で、妊娠すれば、学校という親が絶対に外れまいと信じているレールから外れることができ、そうすれば救われる、そう思った。

 だから実行した。

 その日は夏の暑い夜だった。

 深夜二十四時。

 雅は風通しのために開け広げられた窓から、外へと抜けだすと、隣の家の一室の窓に忍び込んだ。

 そこは悟志の部屋。

 忍び込んだ部屋には悟志が寝息を立てていて、その表情は安らかなものだった。

 静かに悟志を起こすと、悟志はそれなりに驚いたが、


 『・・・家出?』


 すぐに落ち着きを取り戻し、そう訊いた。

 それに、うん、と頷くと、


 『だと思ったよ。だって、雅姉ちゃんのお父さんとお母さんって変だもん』


 悟志はそう言った。

 その言葉に驚き、どうしてそう思うのか、と訊くと、


 『本人にこんなこと言うのは変だけど、雅姉ちゃんのお父さんとお母さん、雅姉ちゃんを見てない感じがするんだ』


 ほぼほぼ、正解だった。

 案外、子供は見てるんだな、と思いつつ、雅は話した。

 今まで自分がどんな感じで過ごしてきたのか。

 これから何を目的に何をするのか。

 全て、感情を吐露して、伝えた。

 寝起きで、ちゃんと頭の中に入っているのかわからないが、全部吐き出せた雅の感情は楽になっていた。

 楽になった雅は話し終えると、今まで押しとどめてきた感情が目から自然に湧き、流れ出していたことに気付いた。

 そして、その姿を見た悟志は雅を抱き寄せた。

 抱き寄せられた雅は、彼の中で泣いた。

 忍び込んでいる手前、大声を出すことはできないが、うるさく成らない程度の声を出して泣いた。

 泣き終わるまで、悟志は雅を離すことはなく、優しくなで続けた。

 生まれて、物心がついてから、一度も味わったことのない単なる愛情での抱擁に彼女のはほぼその瞬間で救われていた。

 温かい。

 それがどれだけいいものなのか、その時、ようやく知ることができた。

 そして、愛情を知った彼女のはさらに求めたくなった。

 その先を。

 踏み込んではいけない時期に、踏み込んで見たいと願い、そうしようと動いてしまった。

 しよう。

 そんな短い言葉で、悟志を押し倒し、唇を奪った。

 へたくそなそれは下手なりに感じる熱さがあった。

 唇を離し、何がどうなっているのかようやく理解したらしい悟志は言った。


 『…逃げちゃだめだよ。俺なんかで踏み外して逃げようとしちゃだめだよ』


 その言葉は雅の心を射抜く。

 その通りだ。

 何も間違っちゃいない。

 むしろ間違っているのは雅の方なのだ。

 だけど、いや、だから、雅は、自分を殺して生まれ変わりたいのだ、と悟志に伝えた。

 悟志はそれに難しい顔をしながらも、言う。


 『                             』


 そう言った彼の眼は何をこれからするのかを理解している真っ直ぐなものだった。

 だから、その目に雅は、ごめんね、と短く返し、時間を過ごす。

 そして、ベッドの上に二人並んで、横たわっていた。

 寝息を立ててグッスリと眠る悟志を見つめ、雅は彼の頬を優しくなでて思う。

 他人から初めて純粋な暖かさのある抱擁をされたな、と。

 今まで必要な抱擁、それこそ、幼少期の取り繕い、あやす為の抱擁しかされたことが無かった。

 だから、こんな、行ってしまえば無駄な抱擁をされたのは自分が覚えている範疇で初めてのことだった。

 そして、身体の感覚も。

 あんなに温かいのは知らなかった。

 あったかい、それだけで、こんなに幸せになれるなんて、知らなかった。

 しかし、夜が明ける前にここから立ち去らなければならい現実は目の前に広がっていて、仕方なくゆっくりとベッドから降りると、乱雑に散らかった布団やタオルケットを整え、悟志にそれらを掛けた。

 すやすやと眠る悟志の寝顔をもう一度拝み、雅は自宅へ来た時と同じ様に戻ったのだった。

 そして、それからのこと、更に雅は悟志と時間を共にするようになった。

 別に、あの夜以来、唇は幾度となく重ねた。

 最終的に彼女の目論見は未遂でついえてしまったが、あの夜に縛られていた自分を殺し、新しい自分として生まれた雅は両親に反抗的な行動を取れるようになった。

 そのたび、両親から酷い仕打ちを受けたが、悟志がそれを励ましてくれた。

 どんな弱音も、文句も、暴言だって、悟志は受け止め、励ます。

 そうしているうちに、雅は悟志に依存し、悟志には何のメリットがあったのかわからないが、雅に悟志も依存するようになった。

 狂ってゆく関係の中、雅は気づいた。

 悟志の底無しの何かを。

 少なくとも家庭は満ち足りているもので、一般的な常識の中で育っている。

 だけど、その中にどす黒く光を吸収するかのおような何かが悟志にあるのだと気付いた。

 感情なのか、もともとの人間的な欠陥なのか、まったく判断はつかないが、深すぎる乾きが悟志にはあった。

 阻止て、その乾きに潤いを与えているのは自分だという事も、その時に気付くことができた。

 そして、雅は恐れた。

 悟志の何かを。

 だが、共依存というものは根が深い。

 いや、念が深い。

 絡まり合った思念の主軸にはどうしてもお互いの存在が不可欠になってしまう。

 人間関係の中毒だ。

 いつか、中毒死を果たしてしまいそうなほどのそれはゆっくりと雅を貪っていたはずなのに、今となっては雅をほぼ喰らっていた。

 早くどうにかしなければ、そう思うほどに、悟志という人間の乾きが見えてくる。

 見えて、観えて、視えてくる。

 きれいなものと信じていたものの正体はおぞましいものだっという事に気付いていく。

 それは、何者よりも、何人よりも優れただった。

 人並みの行動や感情の発露をしている所為でそれに気付ける人間は少ないが、根本のそれは触れて初めて分かるある意味の

 そんな存在をはっきりと認知してから、雅は考えを改めることにした。

 できるだけ愛情を注ごうと、『雅姉ちゃん』と、『姉』とよばれているのだから、その立場の人間としての愛情を注ごうと決めた。

 悟志の乾きの解決になるかわからないが、あまりにも眩し過ぎる善性を社会そとに出してはいけないと、どこか直感で理解して、そうし始めた。

 少しぐらいは悪意を学ばせなければ。

 愛情として、少しくらいの意地悪を。

 その一心で雅は様々なことを教えた。

 どんなことが人間の間で起こっているのか、どんな人間が野放しに裂ているのか、どんな人間が悲しみを振りまくのかを。

 決してそれらを滅ぼすべき悪として教えず、自然淘汰されるべきものとして教えた。

 そして、そんな、ある日、雅の父親の転勤の話が持ち上がり、家族での引っ越しが決まってしまった。

 まだ教えていないことがたくさんあったはずだ。

 そう思って、できるだけ、たくさんのことを詰め込むように教え、引っ越しの当日が来た。

 別れはなく、ただ、また会おうという中断の言葉だけを交わし、雅は悟志と別れてしまった。

 その後、両親は雅にとってはどうでもいい事情で共働きとなり、家を空ける日が多くなった。

 そんな日常のおかげで雅は両親という呪縛から少しづつ解放され始めた。

 引っ越してからのしばらくは共依存のフラッシュバックの虚無感があったが、普通の環境に近づいていく毎日でその症状もなくなり、いらない重圧のない生活を送っているなかで、ようやく、悟志の異常性の原因に気付くことができた。

 それは人として正し過ぎる家庭に生まれたから、この結論の一つに纏まった。

 悟志の両親は端から見ていても人としての欠陥が少ない人間たちだった。

 そんな理想的な環境ゆえに完全性に近しいものが生まれた。

 しかし、これは雅の結論でしかない。

 それに、中断の言葉を最後にまた繋がる事はもうない。

 だから、真相や、根拠のある捜査などはもうできない。

 全てが一度、オチてしまったのだから。




 全てを聞き終わった俺は、改めて、辻井悟志という名の過去の俺を知った。

 殆ど思い出話だったような気がするが、俺の存在を知るには十分な内容だった。


 「これでいかがかな」


 話し終えて、大雑把な問いが投げかけられ、俺はそれに答えた。


 「元の俺は、今の俺が怖いって思うくらいひどい人間だったって事がわかったよ」


 その応えに雅姉ちゃんは感慨深そうな表情で聞き、更に質問を投げた。


 「で、それを知って、どうしたいの?」


 それは俺がこの話を聞いた原因を問うモノだった。

 原因というよりは引き金。

 根は引かぬものの突き動かしたもの。

 それに俺は答えた。


 「自分はどうな奴だったのかって知りたかったんだ」


 要していたもの比較するつもりもなく、ただ知っておきたかった。

 それだけ。

 だが、雅姉ちゃんは不思議そうな顔をして言う。


 「…でもさ、そんな他人事みたいに聞いている人間が自分だった人間のことに対して、『ひどい』って言わないと思うよ。まぁ、外道げどう下衆げすな奴だったらそう言えるだろうけど、さっくんの場合は違うはずでしょ」


 たしかにそうだ。

 すごい人間、とんでもない人間とは当てはまるはずで、もし言えたとしても怖い人間、くらいだろう。

 だが、俺はひどいと感じた。

 今の自分ではわからないほどの善性を振りかざす、非道な奴だと。

 八方美人はっぽうびじんという単語は誰からも好く見えるようにふるまうという意味だ。

 ならばその八方の中心は美しいのかと問われれば必ずしもそうとは言えない。

 あったところで、方向に向けている建前でしかないのだ。

 裏はおそらくカゲ。

 八方を壁で塞ぎ、のぞかれぬよう、バレぬよう、蓋をすれば中身は暗闇になるのだ。

 その影はどんなものであろうが、善性とは相容れない。

 あるのは歪んだ何か。

 それを自然に隠そうとして善性として振りまけるからこそ、ひどい奴と思える。

 要はメッキのくせに純金の真似をするな、という事なのだ。

 少なくとも、今の俺はそんなものはない。

 劣等感は劣等感だし、優越感は優越感だ。

 マイナスを隠してまでプラスに見せ続けるなんて普通はしない。

 だから、ひどい奴。

 共依存までしている相手に奥底を隠しているひどい奴。

 そう思った。

 だが、その根幹には、雅姉ちゃんの言う『他人事のように考えていない』というのが当てはまってしまう。

 自分を比較するわけじゃない、そう思っていたはずなのに、そうしているのだ。

 他人事として聞くつもりだった。

 つもり、というのが物語っていたのだろう。

 やっと自分が焦っていた理由が分かり、いやになった。

 自分がわからなかった、その現実が笑っていた気がした。

 だから、笑った。

 無理やりっぽい笑いだったが、笑った。

 そうすれば、自分を笑い話に出来そうな気がしたから。


 「ははは、…やっぱ、比べたかったんだろうなぁ」


 笑って、呟く様に言ったことに、雅姉ちゃんは俺の両手を包むように、少し小さめの両手で、握り、言う。


 「やっぱりそうだと思ったよ。だって、難しいもん、あるはずのモノがなくて、なくなったものモノがあった過去があるなんて、頭、グチャグチャになるよ」


 同意、共感、どちらにも当てはまるようだが、当てはまらないその声色に、俺は戸惑うも、変な同情ではないという事だけは判り、息を吐いた。

 ため息ではない、何か。

 心が温かくなり、その蒸気を配するかのような、そんな吐息。

 その吐息を見て、雅姉ちゃんは笑って、さらに言う。


 「いいんだよ、何をしても。わからない事ばっかりで、わかってるものがなくて、知らない世界で頑張ったんだもん。一番身近な存在と比べたくなるよ」


 そして、そっと悟志を抱き寄せて、「でもね」、と続けて、


 「自分を比べて直していくのは良いけど、。それに自分を見失っちゃダメ。自分がわからなくなったら、何がしたいか判らないまま、大きくなると、自分を裏切ってもわからないままになちゃうから」


 叱った。

 叱ってくれた。

 なんだ、なんでこんなに迷ってたんだろうか。

 俺はそう思いながらまた、息を吐いた。

 今度はため息。

 自分に呆れているという意味でのため息だ。

 これで振り切れた。

 自分に対しての劣等感を。

 だから、何にも言わずに、雅姉ちゃんに体を預けた。

 それに雅姉ちゃんは笑って、俺の頭を撫でた。

 姉弟というよりは母子の様なそんな雰囲気ではあるが、今はこれでいいんだ、そう思えた。




 明くる日の朝。

 いつもより一時間ほど早く起きたのだが、気分的に二度寝などする気が起きず、そのまま、起床。

 別に寝ぼけているわけもなく、リビングへ向かうと、料理する雅姉ちゃんがいた。

 両親は相変わらず朝早く仕事らしい。

 そんないつもと違う朝に、


 「おはよう」


 声を掛けた。

 その声で俺に気付いた雅姉ちゃんは笑顔で、


 「おはよ、さっくん」


 優しい声色を返した。

 いつもと違う朝は少し早く、見覚えのない番組がテレビには映っていて、見慣れない数字の組み合わせが時間としてそこにいた。

 早すぎる時間帯は何をするにも少しゆっくりしてもいいかと思えてしまうが、学校に誰よりも先に着くというのも面白いと思えてしまう。

 だらける気分と少年的な興味が入り混じる時間帯に心が少し踊るのを感じながら、大雑把な支度をすることにした。

 顔を洗ったり、身だしなみを整えたり、バッグをリビングに運んだり、いろいろ、わちゃわちゃ。

 そうして、気付けば朝食は出来ていて、


 「さっくん、食べよう」


 雅姉ちゃんが食卓内の俺の定位置の正面に座って、手招きをした。

 それに誘われるように、定位置に座り、「「いただきます」」、といつしか意味を考えなくなくなってしまった言葉を口にし、食べ始めた。

 食べ始めて、しばらくして、雅姉ちゃんが話を振り始めた。


 「今日はずいぶんと早いみたいだけど、いつもこの時間に起きてるの?」


 「いや、そうじゃないよ。今日は変に目覚めがいいだけ」


 「なるほどね。・・・あ、そうだ、土曜日…、明日は友達と遊んだりする?」


 「いや、まだその予定はないけど…。あと、明日は半ドンだけど良いの?」


 「うん、いいよ。もし明日、用事がなかったら、一緒にお出かけしたいなぁってね」


 「んー、わかった。一応、空けとく」


 そして、俺の返答で、一度、会話は止まり、静かな食事が始まる。

 つながるが転がらない会話は何処か寂しげな雰囲気を孕みながら、バラエティー番組風に寄せたニュースの大いに滑り散らかした音声と映像だけが、我が物顔で闊歩かっぽしていた。




 時間は大きく過ぎて、学校の昼休み。

 いつも通り、一人空むなしく弁当を食べる時間だ。

 だが、いつも通りではないとすれば、購買で買うものではなく、雅姉ちゃんが作る弁当が昼食に当たるという事だろう。

 正直、ありがたいものだ。

 感謝の気持ちを持ちながら、弁当箱を開ける。

 開けて、中身を見て、そっと、蓋をした。

 一瞬しか見ていないが、彩り豊か過ぎて、ゲーミング弁当の様な印象すらある画、もし見間違いじゃなければ、造形に凝った弁当の類いだろうか。

 この歳でそんなものを見るとは思わななかったが、もしかすると見間違いかもしれない。

 二度見ならぬ、二度開け。

 要は再確認なのだが、俺の見た情報の答えが出た。

 キャラ弁、それこそブームは過ぎたもののそれなりに作る人間がいる料理ジャンルの一つとして確立されたものだった。

 とてもよくできたものだった。

 気分の良い色合いのカラフルさかつ細部までの繊細さをもった弁当の造形は芸術のそれだった。

 だが、俺はこのキャラクターをしらない。

 というか、だれだこいつ。

 見覚えが一ミリもない奴が知ってるやつみたいに弁当から顔をドアップで覗かせているが、見覚えのない奴には変わらない。

 俺はどういう反応すべきか、弁当箱とにらめっこしていると、


 「おい、悟志、一緒に食おう!」


 でかい態度で、まいが俺に声を掛けてきた。

 それに意味は大してないのだが、本能的に反射で弁当に箱をしてしまう。


 「ん、弁当持ってきてるんだ、珍しい」


 勝手にクラスに入ってきているめいが俺の弁当箱を見て言った。


 「まぁな」


 適当な返事を俺は返すと、


 「「じゃあ、巳和みよりちゃんの研究室にいこう」」


 二人は俺の手をつかんで、引っ張った。




 いつからか俺の知らない内に仁都ひととツインズが巳和と仲良く成っていたらしく、二人が話すに週に何度かは昼食をともにしていたらしい。

 本当に知らなかったことに研究室への道中、驚きを感じながら手を引かれていった。

 ガララといつぞやのように仁都ツインズは勢いよく戸を開け、


 「巳和ちゃん、わたしが来たよ!」


 「巳和ちゃん、私もいるし、付属特典もいるよ」


 「貴崎さん、俺のこと付属品って思ってるってマジ?」


 貴崎が突っ込むだろう、仁都ツインズに加えて俺はボケながら研究室に入ると、


 「…付属品って、割と価値あるからね、悟志君」


 資料を広げ、オフィスチェアに体重を預けて、ぎぃぎぃ鳴らしていた巳和に『なんだこいつ』というような顔でマジレスをされた。

 本当に突っ込みではなくマジレス。

 ボケとして自分の発言を昇華することが出来なくなり、空気が止まった。

 要は俺たち三人の発言が俺のせいで滑ったのだ。

 ロックな音楽を演奏するのにスナッピーがオフになったスネアドラムを叩いてしまったような凍り方をした。

 その責任の所在は俺にあるのだが、せめて、もう一度、入室時の面白おかしいテンションに持ち直すべく、言葉をとりあえず放った。


 「…でも、付属品って結構転売されてるから変に価値が下がるというジレンマがあるから相対的に俺は普通だという、いつも普通と言われているという事に掛けた遠回りジョークだからな」


 俺は何回、スナッピーオフのスネアドラムを叩くのだろうか。

 鳴れば、ポン(こつ)。

 現状そんな感じ。

 俺が何言っても、これは変わらないであろう。

 誰もがそう確認していた。

 経験がない俺だってわかる。

 だが、誰も切り返しをしようとしない。

 まいは面白がっている。

 めいは俺なら何とかしてくれるだろうと期待している。

 巳和はどうすればいいかわからず、完全に呆けている。

 だから、誰も切り返しをしようとしない。

 地獄だった。

 どうすればいいのか。

 どうもできないのだけれど。

 だからとりあえず、せめて、273Kケルビンに、絶対零度を零度にすべく、切羽詰まった状態ではあるが何気ない会話でどうにかすることにした。


 「えっと、まぁ、なんだ…、あー、巳和、一昨日ぶりだな、元気?」


 さんざん吃った結果がこれだった。

 散々な質問に巳和は目を丸くして、驚きながら言う。


 「悟志君、確かにさっきのアブソリュート・ゼロの中心の環境下に置かれている君をどうすることもできなかったが、ストレスで言語野がいかれてしまうようなものではなかっただろう…?」


 そこまで心配するのは逆に殴るのと変わらないと思うんだ。

 心の中でそう思うも、そう突っ込むような気にもなれず、


 「ま、まぁ、元気そうで何より(?)だな!」


 半ば強引に話を成立させ、サムズアップした。


 「悟志君、ストレスチェックしないか?一応、問診票とかはあるんだ。あと、感覚のチェックしよう。筆、つまようじ、ディバイダー、音叉、温水入りと冷水入りの試験官、その他もろもろ、選り取り見取りあるからな。再現性もばっちりだぞ。ついでにあまりうまくはないがカウンセリングも一応、してみないか?」


 巳和の反応はフルセットな追撃だった。

 残り体力僅わずかな丸腰の相手にジープで轢いて、ブーメランを投げまくった後に、滝壺にぶち込むようなフルセット。

 ちなみに何を疑っているのだろうか。

 ボトムアップ式の判断なのだろうか。

 それなら、現状に関係のない疾患が見つかっても不思議には思わないだろうけど、記憶喪失はバレたくはないなぁ。

 という事で、


 「あの、巳和、心配はうれしいんだけど、追撃はほどほどにしてくれないか…?」


 無理やりはなく、流れも無理やり作る事もなく、ダメージを受けた反応そのままで返した。


 「追撃?…、あ、あぁ、そうか…。なんか、すまない。私も診断をネタにしたつもりだったんだけど…」


 なら、それはイジるといいながら、いじめているようなものだから好くはないだろう。

 いじめ、ダメ絶対。

 しかし、今回はこういう経験が全くない巳和なりの思いやりだっただろうから咎めることは言いまいと決め、路線を無理にでも初期の路線に戻すことに務めることにした。


 「あ、え、うん、まぁ、ネタ云々は良いとして、一緒に昼飯、食わないか?」


 そんな誘いに巳和は物珍しそうな表情をした。


 「珍しいね。仁都の双子はよく来るけど、君がなんて」


 「まぁ、誘われただけなんだけどな」


 誘った二人は、なんだかんだでレールが戻ったことで面白いものを見れずに不満げな顔をしているが。


 「そうか、ツインズwith悟志君とのお昼か。いいね、私の作業も一段落つきそうだし、一緒にさせて欲しいな」


 そんな二人とは対照的に巳和は笑顔で誘いを承諾した。




 なんだかんだで、どうしてか、場所を移動するわけでもなく、一つしか置かれていないソファに四人横並びに座ることになった。

 入口に対して垂直に置かれたソファに入口からまい、めい、俺、巳和の順で座っているのだが、女子三人のサイズが小さいこともあり、なんだかんだできっちりと収まってしまっている。

 そうしてこうなった。

 辿るも、どうも、どういう流れなのかもよく思い出せない。

 それこそ、さも当たり前のようにげんじょうに落ち着いたとしか言いようがない。


 「じゃあ、お昼食べよっか」


 巳和は仕切るようにそういうと、各々の膝の上で弁当箱を開けた。

 入口から順に、無難、無難、キャラ弁、無難。

 キャラ弁の文字数とカタカナが字の並びだけで目立つのに、視覚情報となれば、めいとまいの似たり寄ったりの小さいハンバーグだったり、ポテトサラダがある弁当や、巳和のきんぴらごぼうや、ニンジンの煮物が入った野菜中心の弁当と比べ、存在感の塊である名前どころか、出典不明のキャラクターの浮きっぷりは凄まじいものだった。

 あぁ、突っ込まられるな。

 そう覚悟を決めた瞬間、予想通りにそれはあった。

 そして、反応は綺麗に俺を抜かしたドア側から起こった。


 「え、バルガズン!?」


 「10年前に終了した番組のキャラ弁とは、流行に乗らないスタイルは誉れ高い」


 「キャラ弁すごいな」


 最後の簡単な反応があり、あっさりとした反応で終われたので実質あっさり系のキャラ弁と納得するわけではなく、めいとまいの反応が気になった。


 「バル、え、何て?」


 「「バルガズン」」


 聞き返した俺にツインズは息を揃えて、言う。

 どうやら、ツインズはいろいろと知っているらしい。


 「で、バルガズンって何?」


 という事で聞いてみた。


 「では私が出展を教えてあげよう。番組名は『遊び大将バルガズン』今から十年前、夕方午後五時十五分から十五分間の尺で五年間放送されたテレビで見る着ぐるみショーをコンセプトとして作られた児童向けテレビ番組だよ」


 「ではわたしがキャラクターを教えてあげよう。バルガズンはピグミーマーモセットがモチーフがモチーフになっているよ。割とマイナーなモチーフの所為で子供にはオリジナル生物だと思われているっていう製作者の後日談が有名だよ。ちなみに性格は優しいけど横暴という矛盾を抱えていて、年齢は5歳、性別は不明だよ」


 二人掛かりで解説をしてくれてありがたいのだが、めっちゃ詳しくて、少し引いた。


 「「ちょっと引いてんじゃない!」」


 どうやらバレていたらしく、ツインズに怒られた。

 ちなみに俺の後ろに隠れていた巳和も二人に引いているようで、どういう表情をしていればいいかわからず、バレないようにあたふたしているのだが、ツインズ的にそれは良いのだろうか。

 たぶん、俺が壁になって身長差で見えなかったから、ノーカンなのだろうが。

 それにしても、バルガズンという名前、どうしてか、重火器的な音を感じるのが子供向け番組にまれに見受けられる狂気っぽいのがキャラクターの濃さを見せつけている。

 そんなとき、巳和は気付いたように尋ねる。


 「そういえば…、悟志君料理って作れたっけ」


 「え、あぁ、一応、最低限はできるけど」


 「?じゃあ、それは悟志君作ではないのかい?」


 「あー、これは雅姉ちゃん、今、居候してる幼馴染っていうのかな。その人が作った」


 何気なく答えたつもりなのだが、その答えは一同を凍り付かせた。

 巳和は驚愕の表情で固まり、ツインズはわなわなと顔を青くして震えていた。

 巳和はおそらくだが、ツインズの言いたいことは何となく察する事が出来た。


 「どうせ、一同は俺の家に異性がいるってことに驚いてんだろ…?」


 嫌々ではあるが聞いてみると案の定、この場の女子全員が表情はそのまま、静かに頷いた。

 こいつ等が友達で良かったと思う。

 もちろん、嫌味だが。


 「…幼馴染って、御幾おいくつ?」


 まいが一歩引いたような様子で聞く。

 それにしても御幾つって、どれだけ俺を見下しているのだろうか。


 「俺の二つ上」


 「めっちゃエロいやん」


 「まい、俺の家の居候に対してエロいとかやめてくんない?」


 何言ってんだ、と俺はまいに目線を送ると次はめいが訊く。


 「なんか、いいことありましたか?」


 何を聞きたいんだ、この双子は。


 「いいことって、何…?」


 「得したお話とか、ラッキースケベとか、そういうの」


 「あぁ、幸運をかたるセクハラまがいなことはまったくしてないけど、朝食を作ってくれたな」


 無難と予想通りの内容に答えると、巳和が訊いた。


 「どんな感じの人なんだい?」


 最後に普通の質問が来たことに内心驚いたが、双子それより前がおかしかっただけなのだから、むしろ当たり前かと納得した。


 「なんというか、面白いというか、テンションがすごいというか、仁都ツインズをマイルドにして、一般向けにした感じって言った方が伝わる以かも」


 「…何となく、わかったよ。でも、ぜひ会ってみたいなとは思うよ」


 傍らでにっこりと巳和は笑い、もう傍らで、ツインズの文句を聞き流しながら、


 「なんというか、巳和にっていうか、友人に紹介するにも微妙な人物なんだよねぇ…」


 やんわりとまでえは行かないが、直接的なことは避け、渋るように断った。

 そんな俺の反応からそこからは深入りはしなかった。

 が、「誰が成人向けじゃあ!!」やら、「私たちは普通そうでヤバイ、ギリギリ普通の部類だぞ!」やらと、無視しても鎮まる事ない外野に、


 「ツインズは成人向けに満たないくせにヤバイ奴らだし、何なら二人だと歯止めの掛け方わからないから、面倒くさいのも加点して、スリーストライクでアウトだ。チェンジだ、チェンジ」


 戦力外通告の様なデッドボールを投げ込み、黙らせた。

 それに巳和は楽しそうに笑う。

 その後も似たような流れをくりかえす昼休みを送ったのだった。




 放課後、俺は何時もの通りとツインズと共に再び、研究室に向かい、帰宅時間になれば、彼女の作業をやめさせて、帰宅させるというルーティンを行った。

 今回は時間が来た瞬間にツインズは用事を思い出し、先に帰り、結果的に帰りを共にする事になったのは二人だけだった。


 「ツインズあいつら案だけ残ってたなら、巳和の準備くらい待ってりゃいいのに」


 いない人に対し、意味のない毒を吐いた俺に巳和は苦笑いをするも、


 「確かに、なんか、ひどいね」


 毒を上塗りした。

 そんな他愛のない会話をしながら、校門を出たところで、


 「あ、さっくん!」


 声が掛かった。

 呼び方と、声色、その両方で一瞬でその声の主が誰かなのかわかった。

 反射的に声の方向へ振り向くと、答え合わせ。

 声の主は雅姉ちゃんだ。


 「もう、帰り遅いから心配して、迎えに来ちゃったよ」


 校門の前で待っていたらしく、トテトテとこちらに駆け寄り、俺の両肩をポンポンと叩いた。


 「この時間にいつも帰ってるっていてなかった。ゴメン」


 俺はこの事態の原因は自分にある事に気付きすぐに謝る。


 「もー、それなら、朝に言ってよ」


 むぎゅ。

 すぐに許してくれたと思ったら、抱きしめられた。

 そして撫でられた。


 「ちょっと!?外だから!友人居るから、・・・って、離れられない!?完全に絞められてんじゃん!?」


 がっちりロックされてるわ、友人が目の前に居るわ、場所が場所だわ、完全に俺は羞恥慌てふためき大混乱。

 胸の中で感情のトルネードが起こっているのを知っているのか、知らないのか、俺を抱きしめたまま、雅姉ちゃんは俺の発言から巳和に気付く。


 「友人、・・・あ、君がさっくんの?」


 「え、あ、い、一応、友人やらせてもらってます」


 嵐のような展開からいきなり振られた質問に巳和はおどおどとしながら答えて、


 「もしかして、雅さん、ですか?」


 質問を投げた。

 仁都ツインズとの邂逅からは考えられない反応に俺は絞められ続けながら思うと同時に、ショック療法は効果あるんだなと今でも名前だけは訊く療法が生き残っているのかの理由を実感した。


 「そうだよ。八目雅、さっくんの幼馴染でいいのかな?そんな感じだね」


 「貴崎きさき巳和です。いつも悟志君にはお世話になってます。」


 「わわ、礼儀正しいね。こちらこそ、さっくんがお世話になってます」


 「いえいえ、さっくんにはいつも助けられてばっかりですので」


 そんな感じに立ち話が始まった。

 俺が未だに絞められているというのに。

 だんだん息が苦しくなってきた。

 巳和、俺を助けてはくれないのか?

 そんな悲しい思いを抱きながら、俺は感情を超え、息の危険性に恐怖するのだった。




 解放されたのは二人が話し始めて時から大体、十分が過ぎたくらいだった。

 ゼーハーと荒い息で呼吸を整える俺と心配そうな顔で背中をさすってくれる巳和とそんな二人の構図に感心しながら俺の頭を撫でる雅姉ちゃんというなかなかにわからない構図が生まれていた。

 というか、巳和は良いとして、雅姉ちゃんの立ち位置はさすがに違うのではないだろうか。

 もしかして、雅姉ちゃんはヤバイ奴なのではないのだろうか、改めて、そう思う。

 それはそれとして、


 「雅姉ちゃん、確か携帯の番号、知ってたはずだろ?なんでここまで来たのさ」


 俺は疑問を投げた。

 母親が事後報告で雅姉ちゃんに教えたらしい携帯番号。

 どうしてそんな便利なもので俺の帰宅が遅い理由を訊かなかったのだろうか。


 「あぁ、そうそう、そうだった。えっと、はい、これ」


 そう言って、雅姉ちゃんが差し出したのは家に置いたままの俺自身の傘だった。


 「七時ごろから雨降るからって、持って来たんだ。折り畳み傘とか持って行ってなさそうだから」


 そういう事かと、言動に納得したのと同時に図星の予想に思わず、苦笑いを浮かべた。

 たしかに、いつも俺は折り畳み傘を持ち歩いていない。

 理由は壊れやすいからの一点。

 ひっくり返れば壊れるか致命傷を負うものを、いくら持ち運び便利といえども持ち歩きたくないという物は耐久性を優先する性分が根底にあり、そうしていた。

 それにしても、俺を何となくでも理解していることにさすが自分から『姉ちゃん』と俺に呼ばせているだけある。

 俺は複雑な心境で傘を受け取った瞬間。

 ポツ、ポツポツ、ポツポツポツポツ――――。

 雨粒が落ち始め、天気予報通りの結果になった。

 巳和はバッグから取り出した折り畳み傘を、俺と雅姉ちゃんは手に持っていた傘を差した。

 そこから五秒もせずに、ザー、ザーとバケツをひっくり返したような雨が降り始めた。


 「持ってきて、正解だったでしょ?」


 自慢気に笑って言う雅姉ちゃんに俺はせめて格好をつけろよと言う視線を送りながら、


 「ありがと」


 一言だけ返すと三人は家路を急いだ。




 帰宅後、あとは寝るだけとなった頃、巳和からwireワイアーのメッセージが一件届いている異に気付く。


 『今日、言い忘れてたんだけど、来週の土曜日までの期限で遊園地無料招待のペアチケットを丙先生からもらったんだけど、来週の土曜日、どうかな?』


 それは巳和からの誘いだった。

 丙先生というのは巳和の元担当医のひのえ大介だいすけさんのことだ。

 丙さんは巳和にいろいろ貸したり、あげたりしているイメージはあったが、そんなのもプレゼントもするのかと内心驚いた。

 だが、休日の予定を巳和から呼びかけること自体が珍しい。

 だから、俺はほぼ反射的に『いいよ』と送った。

 すると、十秒もしないうちに『ありがとう。追々、情報を伝えるね。』と返信があり、俺は携帯机の上の充電器につなぎ、寝ることにした。

 起伏のある毎日に慣れてしまわないように、そうすることにした。




 雅姉ちゃんとの用事が予定された土曜日。

 昨日の雨は何処へやら、気持ちの良い晴れが空に揺蕩っている。

 前日の帰りにやんわりと『放課後に用事があるから先に帰る』と伝えているため、急いで帰宅し、自室に直行。

 外出用に急いで身支度を済まし、リビングに向かった。

 そこにはオシャレ、というかはお洒落な服装に身を包んだ雅姉ちゃんがソファに座りながら、アイスティーを飲んでいた。

 その姿はそれこそ、品があり、綺麗な人物という印象をあたえさせるようなものだった。

 それこそ、昨日、一昨日の感じが嘘みたいに思えるような雰囲気を纏っていた。


 「雅姉ちゃん、ただいま。準備はもう出来てるよ」


 そんな彼女に呼びかけて、俺の存在に気付いたようで、愛しいものを見つめる目を向け、優しく笑った。

 そして、無言で立ちあがると、床に置いたままの小さく白いバッグを持って、


 「じゃあ、行こう」


 そう言って、俺の手を引いた。

 その手はとても温かく、人の手だからという理由ではないやわらかさがあった。




 家から出て、電車に乗り込み、数十分。

 下車したのは隣の県のとある駅だった。

 そこからさらに歩き、数十分。

 途中コンビニで軽食を挟んだり、ベンチで休憩して雑談したりしている時間も含めれば一時間ちょっと。

 着いたのは海。

 もっと言えば砂浜だった。


 「ここは?」


 俺は訊く。

 それに浜をじっと見つめたまま、雅姉ちゃんは答える。


 「思い出の場所だよ。海に入るには時期が早いかもだけど、どうしても、君とまたここに来たかったんだ。約束もあるし」


 「約束?」


 引っ掛かった点を紐解く様に一番気になることを訊く。


 「今から三年前。君から一通の手紙をもらったんだ。それはこの砂浜に、再会したときに一緒に読もうって。そういう約束」


 そして、そう言い終わった雅姉ちゃんはバッグから便箋びんせんを一つ取り出した。

 それは俺の書いた文字だった。

 記憶を失っても変わらなかった俺の筆跡。

 彼女の言った通りらしい。

 俺はそんな約束をしていたらしい。

 その便箋を見ながら、俺はもう一つと聞いた。


 「ここって、どんな思い出があったの?」


 それに雅姉ちゃんは静かに一度頷いてから答えた。


 「君と出会って、家族ぐるみで初めて遠出した場所だよ。そして、君が初めて私に笑顔を見せた場所」


 俺はそれに眉をひそめた。

 初めて笑った場所。

 八方美人をやっていたはずの俺が初めて笑う、何か矛盾しているような感覚に陥った。

 そんな俺を見透かすように、雅姉ちゃんは答えた。


 「初めて、八方美人でニコニコしてるようなモノじゃなくて、本当に、真の意味で笑った場所、なんだ」


 その言葉でやっとわかった。

 でもやはり、俺はひどい奴だ。

 そう思える。

 そんな自分に嫌気がさした、そんな時。


 「あはは、また自己嫌悪してる。言ったでしょ、自分は自分だって」


 そういわれ、自分の嫌気がほんの少しだけ落ち着いた。


 「ごめん」


 短く俺は返し、静寂が訪れる。

 海岸沿いの道路の音。

 人の騒音。

 潮騒。

 動物の鳴き声。

 汚くも綺麗な音。

 醜悪さが美しさに昇華し、奏でられるどうしようもない、容赦ない音楽になりえない曲が永遠と連なる。

そんな音楽に、声が混ざる。


 「君はもうあの人じゃないけど、君だから、読むね」


 「あぁ」


 そして、その音楽に歌詞が乗る。

 唄、歌、詩。




 雅姉ちゃんへ。

 この手紙を読んでいるという事は隣に僕がいるでしょう。

 その僕は僕でしょうか。

 あなたが愛した僕ですか?

 こんな再会した中だというのに、隠し事をしていました。

 だから、告白をします。

 僕はあなたを愛していませんでした。

 あの日があったのに愛しいと思えませんでした。

 ただ、あなたをあわれんで、寄りかかれる存在としてしか見ていませんでした。

 僕はそんな存在が欲しかった。

 だから、あなたを受け入れました。

 僕はみんなに都合がいいものでいるのが辛かった。

 だから、憐れむことができる立ち位置が欲しかった。

 目の前のドアでたじろぐ仲間が欲しかった。

 僕の一歩後ろで作り笑いを浮かべる存在が欲しかった。

 だから、あなたと共に過ごした。

 そんな僕を許さないでください。

 そして、今もなお、良い人でいるであろうあなたの横にいる僕を振りほどいてください。

 あなたはもう僕に構わなくていい。

 たしかにあなたと過ごし、得た感情は本物で、初めてで幸せなものでした。

 ですが、それ止まりだった。

 私の根底がそれ止まりにしてしまった。

 だから、僕にこれを読んだ感想を言ってやってください。

 あなたを見下した人間、辻井悟志より。




 気持ちいいほどのクズっぷりが散りばめられていた文章を読んで、雅姉ちゃんは笑顔で手紙を破って言った。


 「知ってた!」


 笑顔は清々しいもので、その声色も同じたぐいのモノだった。

 そして、海を見つめていた雅姉ちゃんは俺に向き直し、抱き寄せた。

 ぎゅ。

 優しくも強く、そして何よりももろい抱擁。


 「やっぱり、悟志君はそうなんじゃないかって、すこし思う節があったからはっきりしてよかったよ。でも、一緒にいた時間で生まれて、知った感情は全部うそにならなくて本当に良かった。お姉ちゃん、それだけで十分だよ」


 少しずつ震えていく声。

 俺から見えない彼女の表情は予想がついた。

 でも、続ける。

 雅姉ちゃんが言いたいこと、そんな気がして、俺はじっと抱擁を受け入れる。


 「それに、・・・それに。悟志君、ううん、さっくんは、君は私の大切な、血の繋がりがないとしても、弟だもん。家族だもん」


 そして、声が響いた。

 場所も、人目もはばからない、そんな感情的な声が、雫がそこにはあふれていた。





   三章 どんなことも、そんなことも




 あの砂浜からの帰り、みやび姉ちゃんから今通っている大学を選んだ理由を聞いた。

 その理由は就職の有利や、やりたいことについて学べることなどもあったが、何より、俺と再会したかった、それが一番だったらしい。

 それに実家から離れることもできる。

 だから、本来は冬の期間だけの居候を、帰省の時期以外の期間に変えたとのこと。

 どうして、冬が登校しにくいだけでこの時期から居候しているのかの理由がついた。

 俺はそれに笑って納得し、俺は過去の自分に手紙を皮切りに決別することにした。

 自分であるために。

 俺が俺らしく生きるために。

 俺として生きるために。

 そんな意思と覚悟が砂浜で雅姉ちゃんの抱擁を受け入れる足を支えていた。

 もう、過去とのことで迷わない。

 そんな自信が湧いていた。

 そんな朝焼けの様な時間を過ごし、夕暮れの中を歩く二人の会話は何げなかった。


 「今日の晩御飯は何食べたい?さっくんのお母さんとお父さん今日帰ってこないから、好きなのを好きなだけ作ってあげる」


 「え、ホント?」


 「ほんと、ほんと」


 「なら、肉系の料理が食べたい」


 「お、いいねぇ。焼く?蒸す?煮る?」


 「それなら、炒め物とか?」


 「まさかの第四の選択肢かぁ、いいねぇ。中華とかどう?」


 何気ない会話。

 仲のいい家族のそんな会話だった。




 帰宅して、夕飯は中華料理のフルコースだった。

 雅姉ちゃんの料理の腕は素晴らしいといっても差し支えないもので、すべてがおいしく、本日あとは寝るだけの現状、満腹感と幸福感でいっぱいだった。

 うまいものは平和を呼ぶとはよく言ったものだ。

 そんな中、ベッドに座りながら、呆けていると、


 「入るよー」


 そういうと同時にノックをしながらドアが開いた。

 アポイントの意味はこの瞬間、崩壊した。


 「雅姉ちゃん、なんでアポイントの言動と同時に入って来たの?」


 若干、彼女の言動に引きながら、訊くと、


 「なんか面倒くさくて」


 トンデモな答えが返って来た。

 大は小を兼ねるという言葉があるが、今回はそういうノリで行われた横着おうちゃくである。


 「面倒臭がらないで」


  普通に言い返すと、雅姉ちゃんはそれこそ成程と思ったような表情を見せ、


 「以後、気を付けます。…たぶん、さっきまで、その、なんか、お楽しみというか、毒抜き中とかだったんでしょ?」


 謝ったのは良いのだが、いらないことを付け加えた。


 「…今日はやってないし、もう寝るよ」


 「寝てってことは床とかそういう感じ?あんまりそういうの良くないって聞くから…」


 「何の心配してんの。下のネタまで真面目に突っ込んでくるオカンみたいな言動はやめてくれ」


 「あ、う、うん、そうだよね。人のそういうのはジブンが一番慣れた方がいい感じにできるもんね」


 「だから、私わかってるからね、みたいな表情でそういうのやめて。俺は普通に寝るの。sleepするの」


 「あはは、わかってるよ。なんか弄るの楽しくて」


 軽快に笑って、『本気にしないで』と言わんばかりに俺の肩を叩いて、一秒ほど、さっと俺を抱き寄せ、離した。


 「これはおやすみ」


 どうやら、さっきのハグはそういう事らしい。

 だから、俺は言葉でで返す。


 「おやすみ、雅姉ちゃん」


 そう交わすと、雅姉ちゃんは部屋をあとにした。

 たぶん、寝る前に俺の顔が見たかったのだろう。

 そう思って、微笑ましい気分の中、寝ることにした。




 日曜日を飛び越え、月曜日。

 いつも通り早く来過ぎた教室は静かだった。

 今日の仁都ツインズは遅いらしくまだ教室に姿を見せていない。

 なら、ちょっと構内を歩いてみようかなと何も考えぬまま、教室を出て、気付けば研究室の前。

 ドアの窓を覗けば、もう巳和はそこに居た。

 ちょっと話し相手になってもらおうかな、そんな身勝手な考えで、ノックをする。


 「どうぞ―」


 ドアなんか見ていない巳和は反射的なのか、すぐ答えた。


 「おはよ、巳和」


 ドアを開けて、そういうと俺だという事に気付いた巳和は驚いた顔をする。


 「おはよう。こんな朝早くにどうしたの?」


 「なんか、暇で適当に校内をウロウロしたら、ここに来ちゃったから」


 「そうか。そういう行動をするとなると仁都ツインズはまだ来てないのか」


 「まぁ、そうなるわな」


 「はは、とても正直でいいね」


 楽し雄に笑う巳和は思い出したかのように訊く。


 「そういえば、雅さん、あの人は確かに仁都ツインズ寄りの人間だけど、なんというか、私的には嫌いな部類じゃなかったから、また会えたりとかはできないかな?」


 頼みの様なそれに、俺は少し驚かされるも、


 「いつになるか判らないけど、訊いてみるよ」


 妥当な返事をすると、


 「ありがとう」


 また笑顔で巳和は答えた。

 俺が俺として巳和と関わってから一年以上が経ち、彼女の笑顔が増えたのを感じる。

 それは、彼女のが俺を親友、そうでなくても友達と思っていてくれているからなのだと思う。

 そして、仁都ツインズも、形は違えど、悪友だ。

 そして最近、友達のほかに、家族が増えた。

 他人な家族が増えた。

 どれもだれも、大切だ。

 俺が歩んで、俺が得たものだ。

 だから、俺が居なくても、みんなが俺の手が届く限り、手をつなげたい、そう、巳和の笑顔を見るたび思う。

 何とか面とか、そういう感情ではなく、俺が俺として初めて掴んだものを失いたくない、ただそれだけだ。

 だから俺はできる限り、どんなものであろうが、笑顔を返したい。

 そんな思いで表情を作った。


 「気にすんなよ」


 そして、短く返す。


 「そうだね、こういうのは少し遠慮しないくらいでいいのかも」


 「最低限の範囲が難しいけどな」


 「あー、余計なことを言って私を混乱させないでよ」


 「はは、だれもが直面する人付き合いの難しさだな」


 「そういうモノなのか」


 談笑。

 その二文字程度の声が研究室に軽快な音で流れる。

 それから気づけば、予冷が鳴り始め、俺は急いで研究室をあとにした。




 昼休み、仁都ツインズに再度連行され、場所は研究室。


 「昼飯、食べよーぜ」


 まいが今日は一段と元気にドアを開けて入る。

 そして、驚く巳和。

 どんな技を使ったのか巳和の後ろにいつの間にか回り込んで脇に高速で両手を挟めるめい。

 合掌し、目を伏せドアストッパー役になる俺。

 そんな地獄劇場を経て、更に移動する。

 巳和捕獲の仕方や手順などは一切、知らなかったうえに今日はまいどころかめいも元気が良かったというのもあり、制御不能と判断していたら、思った通りだった。

 止める前に動いていた。

 研究室への道中で一応、注意やらはしていたのだが、どうやら、彼女達には前振りにしか聞こえなかったらしい。

 本当にどうかしているとは思うが成ったものは成ってしまったままである。

 覆水ふくすい盆に返らず、まさしくその通りだった。

 移動した先は学校の中庭。

 無駄に広い中庭の木陰にある向かいあった三人掛けのベンチとその間にあるテーブル。

 あまり知られない、誰も訪れようとはしない、ひっそりとして忘れられかけている場所だ。

 実際、今日、俺も初めてこの場所を知った。

 仁都ツインズ曰く、適当に学校を探索していると見つけたのこと。

 双子の暇さと、どうでもいい方向に伸び続ける行動力はもっと別なことに使えばいいと思えてしまう。

 本人達はそのつもりはないのだろうけど。

 そんなこんなで、ベンチ一つに二人づつで適当に座る。

 自然に決まった席順は俺を中心に左隣にまい、正面にめい、対角線上に巳和という形になった。

 L字にツインズに囲まれるの左右に挟まれるよりかはマシだが、割と大変そうだ。

 数分後の苦労を想像しながら、各々の弁当を箱を開けた。

 女子達はそれこそ普通のお弁当だった。

 そして、俺は今日も雅姉ちゃん製の弁当であり、キャラ弁だった。


 「誰?」


 思わずまた口にするデジャヴュなワード。

 めいは、

 

「またもや『遊び大将バルガズン』のキャラクター!?」


 まいは、


 「コモドドラゴンがモチーフのヴィヴレッタじゃないか!?」


 巳和は、


 「わぁ、やっぱ雅さん、器用なんだね」


 各々の感想を口にした。

 もうマジでなんだよ、『遊び大将バルガズン』っていう番組は。

 それにヴィヴレッタって、出典元は子供向けのはずなのに、ことごとく発音しにくいキャラクターのネーミングをしているし、製作者は何を考えたのだろうか。。

 そして、本当にどうして五年も放送し続けることができたのだろうか。

 これがわからぬ。

 だが、そんな疑問に悶々としていてもどうにもならない。


 「…俺のキャラ弁は良いからさ、サッサと食わないか」


 どうにかなってもらおうと時間に対して他力本願な発言をした。

 だが、そうすると食らいつく二体の珍獣。


 「そうは問屋が卸さないぜ」


 まいが牙を差し込み、


 「おろす為には元値をどうにかしてもらわないとね」


 めいが返しを展開させた。

 もう完全にこの場の記憶という肉を切除しない限り、この流れは断ち切れないらしい。

 時間よ、俺はアンタが憎い。


 「悟志さぁ、この前のキャラ弁のくだりとかで思ったんだけど、この番組見たことない?同世代だったら大体の人が見てるはずなんだけど」


 まいがふと何気なく投げた疑問にギクリとするも、巳和という例がある。

 彼女には申し訳ないが知らなさそうだから利用させて貰おう。


 「俺は安間見た記憶がないなぁ。ほら、そういう人間だっているだろ。巳和もこっち側の人間だろ?」


 それに巳和は答えた。


 「一応、私も番組自体は知っているよ。見た記憶はあまりないけど」


 どうやら俺は完全にアンフェアで超絶劣勢らしい。

 本当に同年代はみんな知っているようだ。

 思わぬところで大ピンチに陥るとは誰が思っていただろうか。

 誰も思っていないから思わぬと付けているのだから、だれも知った話ではないが。

 だが、どうしたしたものか。

 世代ネタは本当に盲点だった。

 どう切り抜けるかが問題だ。

 話を変えたり、別の地域ネタで流すのは、おそらくボロが出る。

 ならば、観ていなかったことにすればいい、のだが…。

 理由が思い浮かばない。

 ならば、そういう方面の正攻法でやるしかないという判断に至り、


 「小さい頃の記憶、ほとんどないんだよね。むしろ、公園とか体動かした方面の記憶の方が多いからさ」


 どうしようもない言い訳をした。


 「あーそういうタイプかー、なら仕方ないな」


 しかし、どうしようもないと思った逃げ口がどうにかしてくれた。

 言い訳で理解したまいは少しつまらなそうに足を引いた。


 「まぁ、そういう人もいるんだし、仕方ないよ」


 そう言って、めいはまいを慰める。

 そんな光景を見て、巳和は言う。


 「悟志君の幼少期は活発だったのか。なんかイメージと違うな」


 「どんなイメージだったんだ?」


 「本ばっかり読んでる」


 「なるほど」


 「私もそう思ってた」


 「わたしもだ。解釈違いも甚だしい」


 「まいは芸能人が起こす行動に対してキレ散らかしている厄介やっかいなファンまがいか何かか?」


 どうやら、俺は満場一致で活発ではない幼少期を過ごしていたと思っていたようだ。

 たしかにその時期の記憶はもちろんないが、母親から離された話を聞いて答えている事実ではあるので、そう思われていたのは少し不満だった。

 というか、幼少期に解釈の問題があるとは思わなかった。


 「じゃあ、仁都やかましセットはどうなんだ?」


 「「ひとまとめにすんな」」


 フリに対して予想通りの反応をツインズはしてくれた。


 「私たちはそうだなぁ、まいはずっと外にいた記憶がある」


 「わたしは外だったけど、めいはずっと家に居たはず」


 「「でも二人でよくいたずらして怒られてたのは、確かだよ」」


 幼少期に解釈云々は前言撤回。

 解釈通りだった。

 二人で怒られているの込みで解釈と一致していた。


 「なんか、最後は今も変わらないんじゃ…」


 巳和はボソッと事実を言う。

 たしかに怒られてたの過去形だけじゃなく、今もだけど、とか付け加えて欲しいところはある。


 「「じゃあ、巳和ちゃんはどんな感じ?」」


 ツインズは同時にそう訊くと巳和は少し考えてから、


 「私は昔から頭でっかちだから、本に埋もれてたよ」


 差支えのないような答え方をした。

 それに、ツインズは解釈道理というような表情をした。


 「でも、頭でっかちな幼少期を経たとしても、お胸でっかちにはならなくない?」


 同じ読書の幼少期を過ごしためいはふと刺し指で巳和の横腹をつつきながら理不尽なクレームを投げつけた。


 「え、いや、これは発育の個体差の問題だし、私に言われてもどうしようもできないって!」


 理不尽さとくすぐったいのだろう、噴き出し押すな笑いに堪えるあまり少し強めの口調だった。

 しかし、俺はいつものことだが何を見せられているのだろうか。

 女子同士のイチャつきをそっちのけで見せられる気分はなかなかに反応に困る。

 別に構ってほしいというわけではないが、俺に話を振ってきた奴が流れとは言え、道を逸れるわけでもなくそれこそ少し進路が曲がった程度のレベルでそうなっているのだから、共感の一つや二つは欲しいところだ。

 目の前で行なわれるじゃれ合いに反応しきれず、さっさと弁当を食べてしまおうとバクバクと若干、急ぎ目のペースで橋を動かした。

 そんな中、


 「悟志、そんなに腹減ってんのか?」


 まいが弁当にがっつく俺に訊く。


 「いや、目の前が絶賛お楽しみ中だから、さっさと食おうと思って」


 「なるほどね」


 「まぁ、腹減ってたのは少しある」


 「空腹はどのみちの着地点だったのか」


 「人間、空腹と飽きには負ける」


 「一理ある」


 意見がまとまり、少し箸のペースを落とす。

 まいにその気じゃないとしても訊かれて、がっつくのはあまり行儀がいい、というか、観ていてあまりいいものではないなと思い、少し反省を心の中でする。


 「あ、そうだ、悟志、これ食うか?」


 まいは自分の弁当箱から箸で何かを掴み、俺に見せた。

 それは市販のよりは一回りは大きい焼売しゅうまいだった。


 「これさ、わたしたちの弁当内で唯一、私が作った自家製焼売なんだけど、その、なんだ、味見してくんない?」


 話している途中で照れているのか、顔をそむけながらも差し出す。

 理由を踏まえ、彼女がそうしている理由を単純に察し、


 「そうか、なら、ここに入れ―――」


 てくれよ、と弁当箱の空いたスペースを差し出しながら言う途中、


 「いや、ダメだね。わたしの箸から食うがよい」


 遮るように言われた。

 いや誰だよ、そんな突っ込みが飛びそうになったが、それ以上のことがある。

 餌付けと言われればそういう事なのかもしれないが、このままでいけば食べさせてもらう構図ができる。

 悪友で女性として興味がない相手だとしても、女子に、それも彼女のお手製の物をそうしてもらえる。

 やったぜ、わーい。

 なんてなるか。

 どこまで行っても悪友。

 何をやってくかもしれない。

 焼売に馬鹿みたいにタバスコを仕込んでいるかもしれないし、本当に不味くしている可能性だってある。

 疑う方がいいような気がしてきて、疑って正解ならば、反応を面白くしてやろうと、仕掛けられる側の心構えが出来ている俺は一瞬っで覚悟を決めて、ほんの少し抵抗することにした。


 「俺の口がつく可能性あるけど良いの?」


 「いいって、早く食べて」


 急かされてしまった。

 仕方ない。

 すでに覚悟を決めている俺は躊躇なく食べる。

 ひょい。

 そんな効果音すらも聞こえるほど何気なく、素早く。

 そして、咀嚼。

 噛むと肉汁が広がり、ほんの少し唐辛子を使ってアクセントをつけた焼売だ。

 その唐辛子がその後以上に広がり猛威を広がるわけでもなく、ワサビ地獄が中核に待っていたなんてこともない。

 あれ、普通にうまいぞ。

 勝手にという言葉がよく似合うが疑問符が浮かびまくっている俺に、


 「どう?」


 感想を求めるまいに戸惑いながらも答えることにした。


 「めっちゃうまい」


 短いし雑な感想ではあった。


 「よっし」


 ではあったのだが、ガッツポーズでまいは喜んだ。

 舌くらい差し出す覚悟でいたのだが、普通に男子的にうれしいイベントで終わり、空回った覚悟が単純に電源に繋いだだけのモーターのシャフトのように空虚なものになってしまった。

 おいしい感覚が口に残ったまま、その後の会話を忘れ、俺とまいはまた自分の弁当を食べ始めた。

 正直、この流れで何話せばいいかわからない。

 目の前では相変わらず、巳和とめいがわちゃわちゃしていた。




 時間は過ぎ、五時限目と六時限目の隙間ともいえる休憩時間。

 次の授業の用意をすまし、ぼうっとしていた時、


 「なぁ悟志さんよー、明日は暇?」


 隣の席のまいが俺に声を掛けて来た。


 「放課後?」


 「そう、放課後」


 「ちょっと待って」


 俺はめいに少し待ってもらい記憶を失ってからずっとつけているスケジュール手帳を開いた。

 明日は巳和は丙さんがらみの用事があるらしく放課後にはもう下校している。

 それに両親も今日から明後日まで帰ってこない。

 雅姉ちゃんは相変わらず家に居るみたいではあるが。

 完全に明日の放課後はフリーだった。


 「暇だ」


 「なら悟志の家行っていい?」


 「めいも同梱?」


 「セット販売はしてない。それにめいは明日、学校の用事で遅くなるから無理だし」


 そう言われて思い出した。

 めいのクラスは俺たちのクラスと違い難関公立、国立を視野に入れた所謂、特別進学コースに所属している。

 特別進学コース改め、特進は二年生の前期は月に一回放課後も勉強漬けにされる日がある。

 それが明日だった。

 さすが仁都ツインズの頭脳だ。


 「なるほどな。別に家は良いけど、雅姉ちゃんが居るから、テレビ占領なんてできないぞ」


 情報として、いつもまいが打つに来るたびに様々なDVDを持参しテレビを占領して永遠と映画を見るという恒例行事があるらしいのだが、雅姉ちゃんが居る間は少なくてもそれはできない。

 だが、まいは恒例行事をしたいわけじゃないらしく、


 「明日はDVD持ってかないからいいよ」


 さらっと、返された。

 何を企んでいる訳でもなさそうだし、むしろそうなると何を目的にしているのかも分からなかった。

 それでもまぁ、いいのかな。

 楽天的な思考に走り、俺は彼女を聞き入れた。




 放課後。

 いつもの公園のベンチに巳和といた。

 ツインズが研究室に来てから学生生活の近況を話す時間になった。

 一通り近況を何気ないものばかりだと嘆きながら話し終えると、巳和は言う。


 「やっぱりうらやましいよ。触れた惚れたもあれば、障れた反られただってある君の世界の日常が素敵に見えるな」


 「…そうか」


 「そうだよ。わたしだって、何か少し違っていたら君たちと同じ世界を見れたかもしれないんだから」


 そんな巳和の言葉に俺は返す。


 「どうなんだろうな」


 否定的ではないけど、肯定するわけでもない、そんな俺の言葉に訊き返す。


 「どうしてなのかな?」


 それに俺は少し考えて、整理して、答えを自分なりに出す。


 「少なくとも、時間とか行動は人其々なんだし、俺は巳和と一緒にいて、楽しいからな。そういう時間も触れた惚れた関係なしに同類項でくくれると思うぞ」


 それに彼女は笑った。

 もうそれは気持ちがいいくらいに笑った。


 「あはは、そうか、盲点だったよ。隣の芝は青いとはよく言ったものだね」


 その理由は教えてくれなかったが、俺は少し、わかった。

 表層的な面しか見れていないとしても、俺の言う同類項の俗称には気づけたのだろう。

 そんなもの判らないも同然の巳和は気づけたことに笑ったのだろう。

 発見と気付きからくる歓喜。

 そして、普通の女の子としての巳和が持っていなかったものがもう手の中にある事に対しての驚き。

 それが笑いになったのだろう。


 「灯台下暗しだろ」


 だからこそ、少し毒づいた。




 日を跨ぎ、時間を過ごし、翌日の放課後。

 俺の家にまいが来た。

 告知アリのゲリラ襲来である。

 とりあえず、まいは家に来てすぐ、雅姉ちゃんに会いたいとのことでさっさと俺を追い越して、リビングに向かった。

 数十秒、そのくらいの時間だろうか。

 玄関からのっそりとリビングに向かった俺が見た光景は雅姉ちゃんに抱きしめられているまいの画だった。

 何があった?

 俺がいない十秒ちょっとの間にどんなドラマがあったのだろうか。

 そして、俺の浮かびあがった問いに当事者の一人、まいが口を開いた。


 「抱き着かれた!助けて!」


 それで大体がわかった。

 とりあえず、二人を引き剥がしてから事を聞いてみると、まいが挨拶をしようとした瞬間に雅姉ちゃんが抱き着いたらしい。

 雅姉ちゃんは餌を捕らえるカエルと同じ脳をしているのだろうか。

 一通り話を聞き終わり、俺の後ろに完全に怯えた招待で隠れているまいに苦笑いで頭をかく雅姉ちゃんに挟まれる俺は加害者の尋問を行うことにした。


 「雅姉ちゃん、なんでそういうことしたのさ」


 「いや、私の可愛いものに対するセンサーがもう光りに光ってねぇ」


 「かわいいからで何もかもが許されるわけじゃないからな」


 「いやいや、むしろ可愛ければ何でも抱き着く様に言われるのは心外だよ。この家というテリトリーに上がった人間しか毒牙はかけない」


 「俺の家を蜘蛛の巣みたいな扱いするな。そして、毒牙の自覚あるならやめて」


 「あはは、ごめん。ちいさい子が好きだからさぁ」


 聞いて呆れる理由で俺はため息をついて、雅姉ちゃんの代わりに謝ることにした。


 「ごめんな、まい。一応、あれでも常識人な方なんだ、タブン…」


 「タブン、ってなんだよ。しっかりしろ悟志」


 「だって、こんなことするとは思わなかったんだ」


 「…マジか」


 「うん、巳和との遭遇は外だったから、話す程度で終わってたし、家での第三者の遭遇はまいが初めてだったから」


 「Oh…」


 「許してくれ」


 というわけで、何とかまいから理解(?)を得たところで、俺の部屋にまいを案内した。

 一応、今の俺の中では初めて友人を家に招く上に、部屋に入れるのも初めてである。

 要は、初招き入れはまいだ。

 女子だった。

 すげぇな。


 「座布団とかないからベッドとか、机のイスとか、そこらへんに座って」


 床に座らせるのは失礼だと思いとりあえず、巳和から教わった言葉でいう端座位たんざいになれるところを提示すると、まいはベッドに腰かけた。


 「で、今日の目的は?」


 何かを話す気もなく、主題に一気に迫ることにした。

 いきなりというのに、まいはニタリと笑って、一枚の紙を取り出した。


 「これが目的!」


 やたら元気がよく言ってくれたものだが、何やら嫌な予感がするその紙に目を通して、文面を口にした


 「学園祭催し物エントリー…?」


 口にした通り、学園祭でクラスで行う催し物を生徒会側に提示するためのエントリーシートがまいが見せてきた紙の正体だ。


 「なんでそれを俺に見せてきたの?」


 単純に感じた質問を投げるとまいは答える。


 「昨日、先生に学祭実行委員会の人が決めてって言われたから」


 そういえば、学祭実行委員会とかいう、学祭以外に存在価値がない委員会に入ってたな、まいこいつ

 なんて思いながら、動機は理解した俺はまた質問を投げる。


 「じゃあ、なんで俺にこの書類を見せた」


 「一クラス二人の委員のうち一人が今病欠中だから」


 即答、そして納得。

 三日ほど前から一人、俺のクラスで休んでいる奴がいたが、そいつがもう一人の委員だったとは思わなかった。

 状況は理解した。

 それに手っ取り早く誰かしらの力を借りようと思って、俺に声をかけたところまで察すことができた。


 「分かった。で、俺は何をすればいい?」


 そういうと、まいは明るく笑い、


 「案を出してくれればオッケーだよ」


 そう言って、作業が始まった。




 作業開始から一時間。

 案はそれなりに出して、現在、絞り込み中。

 案は四つで以下の通り。

 喫茶店、お化け屋敷、体験型展示、見世物付き休憩所。

 どれも学生チックなものではあるが、学祭には在ってもいいものばかりだ。


 「わたしは喫茶店でもいい気がするけど、お化け屋敷も捨てがたいんだよねぇ」


 「確かにお化け屋敷自体は去年やってるし、開催場所もそれなりにあったからね。でも、休憩所っていうのに変則的なものを付けて人気を狙うっていうのも作る側のモチベーション高くなるからなぁ」


 クラスの特性やその所属している人間の性質や、クラス内の行動する人の比率なども踏まえて、話し合う。

 一応、記憶はなくても、わかることはわかる状態で本当によかったなと思いつつ、まいと会話を重ねた。


 「なんだかんだで、体験型展示は本番中の人員のコストが受け付けと内部の人員でどうにかなるお化け屋敷より高くなるから、難しい…?」


 「なら、体験型展示はなしでもいいんじゃないか?…俺としてはそれがナシなら喫茶店もなしでいいと思うんだよな」


 「そうなるよね。でも喫茶店は例年、売り上げは黒字になるらしいし、モチベってなるなら、喫茶店は捨てられないんだよね」


 そんなこんなで、体験型展示が選択肢から消え、三択に。


 「それなら、休憩所ってなるとほかのクラスがやるであろう飲食店からの持ち込みをそこで食べてる人ばっかりだろうし、何か見世物をするにしても、そんな事実がある中で俺もだけど、体を張ろうと思う奴は少ないしなぁ」


 「確かに。わたしたちのクラス体張る人いても、何でもいいから目立ちたいって人いないもんね」


 さらに、見世物付き休憩所が消え、選択肢は二つ。


 「人員コストを取るならお化け屋敷で、金を取れば喫茶店かぁ。俺としてはお金を取りたいけど」


 「どっちもそれなりに他人ひとは使うけどね」


 「まぁ、それを言っちゃ終わりなんだけどな」


 「でも、わたくも確かに喫茶店は良いなって思う」


 「ほう」


 「一応、喫茶店の制服作ってもいいんだよ。クラスに裁縫が得意な娘がいるし、その͡娘を中心に制服作成班を作れば、本番は働きたくない組も余すことないし。それにコスプレ的なことしてみたい」


 「最後が本心だな、それ」


 「だってさー、学校で堂々と制服以外の服着てみたいんだもん」


 「なるほどな」


 「よし、もう喫茶店で決定でいいや」


 「やっぱ金で釣るのが一番!」


 「Yes, 収益!Yes,コスプレ!」


 という感じに、汚い理由とどうでもいいたくらみで二択から絞り切ったのだった。




 完全にやることが無くなり、俺の部屋をまいが荒らし始めていた。


 「そろそろやめてくんね?」


 まいが漁り始めてから開始から十分と少し。

 さすがに嫌悪感をだしたほうが良いと思い、言ってみた。


 「いや、エロ本を探してやるんだ、わたしは」


 ねぇよ。

 帰ってきた言葉に無言を貫くも心の内で突っ込んだ。

 俺が記憶を失ったときにはもうエロ本がコンビニで売っている時代は終わっていたのだ。

 それに俺は基本的にパソコンやスマホなどでサイトでどうこうするタイプであり、探すだけ無駄という話だ。


 「普通ベッドの下にいろいろあるはずなんだけど、ベッドの下収納スペースないタイプだからかなり変化球なんだよな」


 どんな変化球なんだ。

 口に出さず、また突っ込みが飛んだ。


 「まい、なんでエロ本探ししてるんだ?」


 突然始まった捜索に理由など訊くのも忘れていた。

 さすがに理由なしで部屋を漁られては堪ったものではない。


 「性癖調査」


 単語のみで返された。

 というか四文字でここまで圧倒的な言葉ができるというのが驚きだ。


 「性癖調査って、別にまいは知らなくて良くない?」


 それでもとりあえず荒らすのをやめて欲しいという事で、質問で遠ざける糸口を探そうとまた訊いてみる。


 「巨乳派か貧乳派か、それを知って弄りたい」


 どうしようもないほどのくだらない理由だった。


 「答えないけど本人に訊けよ」


 「答えないじゃん」


 「ほら、もうせ」


 「いーやーだー!」


 とりあえず、俺は本棚を捜索しているまいの肩をつかみ引っ張った。

 それはもう細心の注意を払ってもうとにかくやさしくやんわりと引っ張る。

 だが、オーバーアクションで反撃してくる。

 マジで何なんだこいつ。

 そう思い、興味を逸らす作戦に打って出る。


 「ならどうだ、身体的な性癖は教えないが外見の性癖なら教えてやる」


 肉を切らせて骨を断つである。

 さてはて、この肉にくらいつくか。


 「ん、んんん…」


 どうやら悩んでいるらしく唸っている。

 そして、しばらく悩んで、


 「それじゃあ、外見で」


 労力と欲求を天秤に掛けた結果、喰らいついてくれた。

 物臭な奴め。

 心の中で罵倒しながら、教えることにした。




 そんなこんなで、まい来襲から二時間ほど経ち、まいは帰宅。

 一応、女子だしと、家まで送ろうかと聞いてみたが、めいと合流するらしいとのことで、現在、ベッドの上で一人寝転がっていた。

 そして、寝転がりながら、一段落付いたような感覚がして、思い耽る。

 ここ数日は結構いろいろなことがあったなと思う。

 元の自分がどんなやつだったのか、雅姉ちゃん絡みのこと、自分と向き合ったこと、大まかに言うとそんな感じだが、本当にいろいろあった。

 この先もなんだかんだで悩むこともあるだろうが、初めて深く悩んで、周りの人に助けられた。

 この体験は良いことなのか悪いことなのかは全くわからない。

 でも、どんなことも、俺は大切にしていきたい。

 そう願う。

 そんなことも、なんて思えるような日常を掴んでいるこんな俺だからこそ、そう思う。

 それにこう思えるの身寄りの存在が大きい。

 いつ終わるかわからない、そんな日々を暮らす彼女のとともに過ごすこの時間で考えが少しづつ形成されているのだとしたら、こんなことに思い耽るのも当然だろう。

 そして、そう思って、改めて、気付いた。

 いつまでもはないのだと。




  エピローグ




 貴崎きさき巳和みよりは自宅の自室で数枚の紙の束を見つめていた。

 それはすべて自分に関わる事。

 自分で調べて、ほぼほぼわかっていた事でもあった。

 その紙面には彼女の自身のデータが書かれており、文字上には彼女が引いたマーカの線が様々な色で踊っている。

 だが、その中に、一色だけ、一度しか使われていない部分があった。

 それは短いものではあるが、彼女にはその文字がとても大きく見えていて、その線がどこまでも長く引かれているように錯覚させていた。

 それを見つめる彼女の眼は何処までも険しく、心境は現実に圧され続けていた。

 研究室でどうしようもない結果ばかり出続けてはいたが、ここまでとは思わなかった。

 病院での検査は自分でやるそれより正確に出るのはわかっていた。

 当然、手動より自動、機械のほうが精密に出すことができるのは当たり前だろう。

 検査で出た結果は自分でまとめ、病院の担当してくれているグループと共同し、解釈、判断こそはしたが、どうしても、夢であってくれと思ってしまう。

 まだ縋りつきたい理想は目を瞑り、開くたびに振り落とされ、現実に打ち付けられてしてしまう。

 泣くよりもどうにかしたい。

 次のために残すことをしなければならない。

 その使命は全うせねば。

 たったそれだけ。

 なけなしの力で言い聞かせる言葉で何度も目を通す圧倒的な事実に心臓が早鐘を打つ。

 そろそろ、表に強く症状が出るだろう。

 そう覚悟しながら、つぶやいた。


 「…こわいよ」


 本心だった。

 どうしてもいつも通りの呼吸ができず、肺が押しつぶされるような感覚がし、死腔しくうなんてあっただろうかと思うほどだった。

 紙を持つ手が握る手に代わり、くしゃりと紙がつぶれた。

 その一色だけ違うマーカーに敷かれた文字にはたったの五文字。

 『余命八か月』




 巳和との約束の日の前々日。

 自室のオフィスチェアに座る辻井つじい悟志さとしは不安を覚えていた。

 何か嫌な予感だった。

 いつまでもではない、そんな日常をかみしめなくてはいけない。

 そんな気持ちが少しづつ増大するような、嫌な予感。

 せめてそんな予感を当日は思い出さないように、思い出しても何も感じさせないようにしないと。

 そう決めて、両頬をバチバチと平手で叩いて、無理やり頭をすっきりさせる。

 じんとゆったりとした痛みが頬を走るのを感じながら、カレンダーの赤丸のついた土曜日を見つめるのだった。




 時計は回る。

 戻らない。

 正常に動くかぎり、現実がひっくり返らない限り、時間は進む。

 誰も止まらない。

 止める足などはない。

 ただ、道を決めるのはその時を歩むものだけ。

 人生を一冊の本に例えるのならば、それは修正が効かないアナログなものだが、誰も白紙に何を綴る。

 その白紙に何を綴り、何を残し、どんな一冊を残すのかはその本に記された名前だけ。

 これは物語ではない。

 綴られる彼等の事実だ。

 そして、ここから始まるのは結末のない物語であり、ピリオドがいつ打たれるのかもわからない。

 そういう、お話だ。






君と綴るいつまでも:プロローグ(真):END

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君と綴るいつまでも みち木遊 @michikiyu

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