夢を
鴉乃雪人
プロローグ
コトン。
目の前のウイスキーグラス、その中の氷が溶けてグラスの底に落ち、小気味よい音を立てた。ぼんやりとした頭で、氷の溶けていく様を眺めてみる。
ゆっくりと、水が溶けて、溶けて、氷の隙間を通って、底に溜まっていく。氷は丸みを帯びていき、また、溶ける……
「氷というのは、思い出に似ていませんか」
俯いている私の視界の向こうで、男が語り始めた。
「思い出は、凍らせてしまっておくんです。いつでも眺められるように。たくさんの中からただ一つを取り出せるように、色を付けてね。ただ時折熱に触れてしまうと、固めてあったものが溶けて、心の中に染み込んできてしまう」
私は頭の中に、どこか暗くて深いところに置かれたこのウイスキーグラスを想像した。グラスの中にはどれほどの氷が入っているのだろうか。どんな色の氷があっただろうか……
「これ、僕のお気に入りの喩えなんですけどね。話す度馬鹿にされてしまいます」
「まあ、分かります」
胸の奥底に固めてあったものが、溶ける、溶ける……
――その液体はきっと甘美で、しかし私の心臓の裏にある大きな塊に染み込んで、どす黒く染め、私に苦しみを与えるものなのだ。それにもかかわらず、私はそれに飲み込まれることにある種の憧れを抱いているのだ――
私はなんだかたまらなくなって、グラスを乱暴に掴み、底に溜まった水を飲みほした。
――溶ける、溶ける、溶ける――
瞼が重くなっていたのはずっと前からだった。私は抗えなくなって微睡に身を任せると、古い映画のようにその情景が浮かび上がってきた。
――螺旋階段の先から、私を急かす少女の声が響いて来る。私の体は小さく、これほど長い階段はただ上るだけでも苦労してしまう。息を切らしてようやく塔の頂上に辿り着くと、なぜか少女の姿は見当たらなかった。開いた、回廊への扉の向こうでは、穏やかな海原が無数の宝石のような煌めきを放っていた。
海鳥が鳴いている――
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