ある日、恩返しと称して何人もの女の子が突然、家にやって来たお話。
ゆきまる
#001 「来ちゃった」と可愛く告げても、言われた方は多分、迷惑。
玄関の前に立ち、呼び出しボタンを一度、押す。
小さな雨よけの軒下に少女はひとりで立っていた。
身にまとっているのは、白い光沢ある布地で縫われた着物。裏打ちされた黒い布が襟ぐりや大きく開いた袖口から覗いて、まるで一羽の鶴を思わせるような意匠であった。背中まで届く真っ直ぐな艶のある黒髪。邪魔にならないよう前髪を横に分けた髪留めの赤がやけに映えていた。
少女の耳に扉の内側から機械音声でピンポーン! と、チャイムの音が聞こえてくる。
そこから室内は大して広くないことが容易にうかがいしれた。
田舎の街にありがな、二棟隣建ての集合アパート。背の低いブリックと目隠し用のラティスで囲まれた敷地には、デカデカと「入居者募集!」の看板が塀に貼り付けてある。
シックな外観から察するに、建てられてからの歳月はまだ大して経過していないようだ。それでも簡単には人が集まらないくらい、ここは田舎の街なのである。
ガチャリと玄関扉の引手が下がり、ラッチの外れる音がした。
かすかに開いたドアの内側。暗がりの中から住民らしき男の姿が見えてくる。
背は程々に高く、少女は思わず相手を見上げた。服装や容姿は好意的にとらえれば”若者らしい”の一言でまとめられるだろう。悪く言えば平凡である。
「……あ、あの」
相手の顔を確認した女の子が小さく呼びかけた。その表情は嬉しさなのか懐かしさなのか、少し泣きそうな感じを思わせる。
「え、えっと……どなたですか?」
見知らぬ少女を前にして、男がようやく問いかけた。
口にした声はどこか怪訝そうに聞こえる。
「
男の名前を口にして、女の子は精一杯の甘えた様子でつぶやく。
東吉郎と呼ばれた男性はなおも不審そうな表情を崩さず、相手の正体を確かめようとしていた。
「そ、その……。君はぼくのことを知っているみたいだけど、ちょっと思い出せない。ご、ごめんね」
「いえ……。それも致し方ありません。あたしの正体は五年前、湖のほとりで心無い釣り人の糸に絡まって動けなくなっていたところを東吉郎さんに助けていただいた”鶴”なのです!」
「え?」
このご時世に【鶴の恩返し】である。昔話にも程がある。
「随分と長い時間がかかってしまいましたが、この度ようやく『人化の術』を修めまして、新美東吉郎さんの元へやってまいりました。どうぞ、末永くよろしくお願いします……」
うやうやしくあいさつを済ませて、頭を下げた。東吉郎はなんだか神妙な顔つきで自らの正体を”鶴”であると明かした少女を見下ろしている。
「ご、ごめんね。もう間に合ってるから……」
冷たく断りの文言を残して、扉を閉めようとした。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
ドアの隙間へとっさに足を割り込ませ、家主の行動を阻止する。見かけとちがって、行動はまるっきり借金の取り立て屋だった。
「いまちょっと立て込んでいるんだ。悪いけど、君の相手をしている余裕がないんだよ……」
「なんでよ! 普通、こんなかわいい女の子が誘ってもいないのに自分の家までやってきたら、あまりの幸運と信じられない現実にとまどう状況でしょ? 漫画だったら見開きでふたりの再会を感動的に盛り上げる場面よ!」
妙に即物的な例を上げて自身の正しさを訴えた。多分、漫画やアニメの見過ぎなのだろうが、その発言の痛さに思い至らない辺りがとっても子供である。
「と、とにかく、いまは困るんだ。本当にごめんね!」
「あー! なに、自然と内側からチェーンを掛けようとしているのよ! いいから大人しく家に上げなさいってば! はっ……。ひょっとしたら女ね? あたし以外の女がこの部屋に入っているのね! ゆ、許せないわ!」
唐突に女の勘を発動させ、東吉郎を責め立てていく。勢いのまま扉をこじ開け、玄関口へと乗り込んだ。
入り口のタイルの上には女物と思しき二足の靴が置かれていた。ひとつは白い
「ひ、ひとりだけじゃなく、ふたりも……?」
「ねえ、君。本当に困るんだよ。それでなくてもややこしい状態なのに……」
「ややこしいのは東吉郎さんのせいでしょ! こ、このあたしが念願かなってやって来たというのに、当の本人は修羅場の最中だなんて……」
「いや、そういうことじゃ……」
「とにかく、あとのことはあたしに任せて! 泥棒猫は力づくで排除するまでよ!」
下履きを脱ぎ捨て、家主の制止も聞かずにズカズカと室内へ上がっていく。
廊下を進んで、横開きのドアを無遠慮に開いた。
「たのもー!」
開口一番、挑みかかるような物言いで部屋の中にいるはずの
「なんじゃ? また新しいのが出てきたぞ……」
「これで三人目ですねえ」
部屋の内側、フローリングの床に敷かれた大きめの白いラグ。そこに直接、腰を落ち着けているふたりの女の子。彼女たちは突如として現れた闖入者を見上げながら短くつぶやいた。
聞こえてくる声色は、驚いたというよりも呆れ返っている印象だ。
「な、なによ、あなたたちは……?」
勢い任せに飛び込んでみたはいいが、実際に相手を目の前にすると、途端に怖気づく着物姿の少女。その理由は、視界にとらえたふたりの女の子がただの人間ではないと即座で気づいてしまったからだ。
「いきなり現れて大層な物言いじゃの……。まあ、いいか。わしの名前は”
ごまかすように恩返しを口にする、明るい髪色の少女。身につけているのは巫女装束を思わせる白と赤の布地を組み合わせたノースリーブのシャツに赤いミニスカート。そこからつま先まで、まぶしい素足が伸びている。クセの強いオレンジ色の長い髪をポニーテールにまとめ、目尻の釣り上がった大きな瞳が妙に印象的だった。
「そ、そうなの……。で、そっちのもうひとりは?」
よく聞けば、恩返しでもなんでもない藍の自己紹介。
ツッコミを入れるよりもスルーしたほうがいいと判断したのか、女の子はあわててもうひとりの人物に声をかけた。
「あ……。わたくしは亀野ミドリ。湖のほとりでカラスに突かれていたところを東吉郎さまに助けていただきました。そのことを泉の底におられる乙姫様にお知らせしたところ、ぜひお招きしたいと言われましたので、こうして人間の姿でやってまいりましたのよ……」
おっとりした口ぶりで自らの事情を説明するミドリ。
女の子は一瞬、泉の底では鯛やヒラメの代わりに誰が踊るのだろうかと気になったようだが、まあ理由は人それぞれだ。
無造作に足を投げ出しているキツネの藍とちがって、こちらは折り目正しくラグの上で正座をしている。ピンと伸ばした背筋。身につけているのは落ち着いたモスグリーンのサマーニットにオフホワイトのミニスカート。スラリとした足にはこの季節にしてはデニールの大きいストッキングを履いていた。
「あなたも東吉郎さんに助けてもらったわけね」
「あの頃には小さなゼニガメだったわたくしも、いまではこうして立派なクサガメになれました……」
そう語って両手を胸の上に置く。体に張り付くサマーニットの盛り上がりは、そこだけがガラパゴスゾウガメのようであった。つまりは巨乳。
肩口で揃えたゆるいウェービーヘア。色素が濃い黒髪はまるで水に濡れているかのようだった。温和な雰囲気を醸し出すやさしい表情は見るものに母性と安心を感じさせる。
「それで、お主こそ何者なのじゃ? まあ、聞かずともその格好で大体、見当はつくがの」
両腕で上半身を支え、相手を見上げながら藍が問いかけた。
「ふ、ふふ……。よくぞ聞いてくれたわね! あたしの名は鶴姫。その正体は由緒正しい丹頂家の血を引く……」
「なんじゃ、やっぱり正体は鶴か」
「なんですぐにバラすのよ!」
軽く流されてしまい、怒りを露わにする鶴姫。そこへ扉の向こう側からようやくと家主である東吉郎が顔をのぞかせる。
「あの……。き、きみたち三人ともいきなりやって来て、本当に何者なんだい? さっきから【恩返し】がどうこう言ってるみたいだけど……」
手に持ったトレイに三杯のアイスティーを載せ、近くにあった白いテーブルに置く。
正体が誰であれ一旦、受け入れた限りには、客人としてもてなすという考え方なのだろう。よく言えば親切だが、悪くすると他人につけ入るスキを与える。東吉郎と呼ばれた男性は間違いなく後者であるようだ。
「だから、さきほども説明したじゃろう。この鶴もわしらと同様に昔、お主に助けられた動物じゃ。受けた恩を返すために人の姿となってここにやってきた。悪いことは言わん。黙って恩返しされたほうが身のためじゃぞ」
「え? も、もし、断ったら……」
「末代まで祟るぞ」
急に声の調子を落とし、東吉郎を脅すような口ぶりで迫る。
「ど、どうしてだよ……。ぼくは別に恩返してほしいなんて頼んでいないのに?」
「わかっておらぬのう。恩讐というのは他者に対する未練の裏表じゃ。どちらが残っても思いを遂げるには”取り憑いて”、相手を亡き者とするしかない。悪いことは言わぬから、わしらの恩返しを素直に受けておけ……」
ストローでアイスティーをすすりながら、藍が諭すように伝える。
いつの間にか鶴姫もテーブルの前に座り込み、同じくグラスを手にしていた。
最初にやって来たときの態度はどこに行ったのか、前のふたりと同調して東吉郎に恩返しをしようと企んでいる。
「うーん。じゃあ、【恩返し】って具体的には何をしてくれるわけ?」
答えに詰まった東吉郎が迷った挙げ句に訊き返す。
はたから見れば、詐欺師の言葉に耳を傾けるような所業だ。
「あ、あたしはずっと東吉郎さんのそばでお世話をできれば幸せです……」
「わたくしは、言いつけどおりに東吉郎さまを泉の底へお招きできましたら」
「わしは寝床と食事に困らなければ、それ以上のぜいたくを言うつもりはないのお」
ひとりだけ明らかに恩返しと無縁のやつがいるが、何しに来た?
とにもかくにも彼女たちはここに居座るつもりであるのは間違いなさそうだ。
乙姫様のところは、きっと行ってしまうと百年くらい時間が過ぎてしまうから、この上なく危ない。
「で、でもね。ぼくにはきみたちを助けた覚えがないんだ。多分、誰かと勘違いしているんじゃないかな?」
東吉郎の発言に三人の表情が一斉に凍りつく。まさかここまで来て人違いなんて落ちが待っているとは予想もしていなかった模様。
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