第6話 社畜とJKともふもふと
「街は駄目だね」
「ああ、そうだな」
ラブホ街を逃げるように後にした俺と弥生。
ファンタジーな街並みを目的もなく歩く中、そんなことを言い合う。
「じゃあ改めて、街の外でも散策してみる?」
「……そうするか」
人の手が入った場所は、なんかもううんざりだ。
気分転換に、ファンタジーな自然を満喫するとしよう。
『外に出るのでしたら、一つ注意点が』
話が纏まりかけたところで、パスポートこと喋る文鎮が口を挟んできた。
「今更誰がお前の話なんて聞くかよ」
「うんうん。しばらく黙ってて」
俺たちの中で、文鎮の信用は地に落ちていた。
これの話を聞いたってろくなことにならない。
どうせまた、変な場所に案内されるに決まっている。
『……』
俺と弥生はパスポートの言葉を無視して、街の外へ繰り出すのだった。
やってきたのは、オルトゥスの街に来た時に歩いた街道があるのとは反対の方角。
こっち側は、森の入り口に面しているらしい。
俺たちは十分ほど歩き、その森の目の前に到着した。
視界の端から端に至るまで、無数の木々が密集している。
コンクリートジャングルなどと揶揄される都会に暮らす身としては、それだけでもあまり見る機会がないのだが。
この森の木々は果てしなく高く、太い。一本一本が、ビルみたいなスケールだ。
おまけに、自然物とは思えない程、幹から葉っぱに至るまで白い。
自分の世界には存在しない植物だと、一目で分かる。
「……これまた、ファンタジーって感じだな」
なんとも幻想的な光景だ。
「うーん、やっぱこっち来て正解だったねえ」
物珍しそうに木々を見上げる弥生。
「もうちょっと近付いてみよ!」
これまでの反動か、素直に感動したからか。
やたらはしゃいだ様子で、弥生は白い大木の根元の方に駆け寄っていく。
「ったく……元気だな女子高生ってのは」
ここまで歩きっぱなしでけっこう足が疲れている俺が、マイペースに歩いて後に続くと。
弥生が木の前でしゃがみこんでいた。
どうやら、何かを見つけたらしい。
「おにーさん、なんかいた!」
追いついた俺に対し、振り向きながら告げてくる弥生。
何やら、目を輝かせている。
「ああ?」
俺は立ったまま、弥生が眺めていたものを覗き込む。
と、そこには。
ウサギに体毛を三割増しくらいした、毛むくじゃらの小動物がちょこんと佇んでいた。木々と同じく、毛の色は白い。
「うっわ、かわいいー……この子、何かの子供かな」
うっとりとした様子で小動物を眺める弥生。
一方の俺はその正体について考えてみる。
「ファンタジーと言えばモンスター……だし、危なくないか?」
「この子はちっこいし大人しそうだし、大丈夫でしょ……それよりもー」
一応警戒する俺の言葉も、今の弥生には届かない。
弥生の意識は完全に、目の前のもふもふへと注がれている。
「……」
弥生は口を閉ざし、そろりそろりと慎重な動きで小動物に手を伸ばしていた。触るつもりらしい。
その手が小動物の寸前まで迫った、その時。
「きゅるる」
その小動物こと白いもふもふは、鳴き声を出しながら、自ら弥生の手へとすり寄った。
「お、おお!?」
素っ頓狂な声を上げる弥生。
そんな弥生の手に、白いもふもふは目を細めながら頬ずりする。
「な、なにこの子……人懐っこすぎでしょ……」
弥生はわなわなと、感動した様子で小刻みに震えている。
なるほどあざとい生き物だ。
弥生はすり寄ってくるもふもふを、自分からも撫でる。
「きゅるぅ」
「うわ、うわ……やわらかっ」
妙なテンションで盛り上がりながら、もふもふの毛並みを堪能する弥生。
日頃の悩みなんてまるっきり忘れ去っている様子で、無邪気に癒されている。
その辺り、流石は女子高生とでも言っておけばいいんだろうか。
「どれ、そこまで言うなら俺も……」
そんなことを口にしながら、俺も小動物に手を伸ばそうとした、その時。
木の間からドシンドシン……と重低音が響いてきたかと思ったら。
直後、巨大な影が顔を出した。
そのシルエットは、弥生が現在進行形で撫でているもふもふに瓜二つだ。
が、デカい。
四つ足で立っているのに、高さが5,6メートルくらいある。
いかにもモンスター、って感じだ。
「な、なんだこいつ……」
「え、なにこれ……冗談でしょ」
俺と弥生は揃って呆然としながら、その巨体を見上げる。
サイズ以外はそっくりだし、小動物の親だろうか。だとしたら、不味いかもしれない。
「グルル……!」
その厳つい体躯に相応しく、厳つい唸り声を上げるもふもふ(親)。
「ね、ねえ、おにーさん。なんかこのおっきいの、怒ってない?」
「……子持ちの野生動物、しかもその子供が人間に虐められてたんだ。凶暴にもなるだろ」
「虐めって……わたし、この子とじゃれ合ってただけだし!」
心外そうにする弥生だが。
ここで問題なのは事実ではない。向こうがどう受け取ったか、だ。
「……言って通じる相手だといいけどな」
「じ、じゃあ仲良いところを見せれば……ってあれ?」
百聞は一見にしかず、を実行しようとしたのだろうか。
弥生は小さい方のもふもふを再び撫でて仲睦まじさをアピールしようとしたが。
当のもふもふはその手をするりと躱して、親の背後へと駆け寄っていった。
「なっ……」
絶句する弥生。
一転してつれない態度を取られたのがショックだったのか、若干寂しそうだ。
「グルルラァ!」
子供の安全を確保したことにより、いよいよ我が子を脅かした(実際には脅かしてないけど)外敵を成敗しようと威嚇してくる巨大なもふもふ。
前傾姿勢を取り、今にも襲い掛かってきそうだ。
「……これ、冗談抜きでヤバくないか」
「お、おにーさん何とかしてよ!」
弥生は立ち上がると、慌てた様子で俺の腕に掴みかかってくる。
「いや、こんなの相手にどうしろってんだ!?」
「ファンタジーなゲームだったらこういう時、戦って倒してお金と経験値が貰えたりするじゃん! おにーさんもほら!」
「んなの、無理に決まってるだろ……いやもしかして」
そこでふと、俺は一つの可能性を思いついた。
胸ポケットに入れたまま黙らせていた文鎮に呼びかける。
「おい文鎮」
『私は文鎮ではありませんが……なんでしょう』
「俺たちは自称とは言え神の力で転移してこの世界に来たんだ。実はレベルが高くて、戦闘で無双できたりとかは……」
『そのようなことはありません。お二人はただの旅行者なので、レベルはその辺の村人と同等。戦闘で活躍するのは不可能です』
異世界ものでは割と定番な展開を、文鎮ことパスポートはばっさりと切り捨てる。
「て、てか、レベルとかあったんだこの世界」
動揺しながらも、そんな感想を口にする弥生。
『はい。ちなみにお二人のレベルはどちらも3。あのモンスターのレベルは20ほどです』
「……それって、どれくらいの戦力差?」
『絶望的です』
淡々と、パスポートは事実だけを告げてきて。
『モンスター多発地帯である街の
当たり前のように、そんな言葉を発した。
俺は堪らず、その言葉に異議を唱える。
「お、お前! それが分かってたなら止めろよ!」
『お伝えしようとしましたが、黙っているようにとの指示でしたので』
「あっ」
……言われてみれば、そうだったかもしれない。
じゃあ、自業自得ってことになるのか。
いや、それも違う気がする。あの時点では間違いなく、この文鎮は胡散臭くてあてにならない物体だったし。
俺が頭を抱えたい気分になる中、弥生が文鎮に質問する。
「で、でも実は、こっちで死んでも現実では大丈夫だったりなんてことは……」
『いえ。これはゲームなどではありませんので。この世界で死ぬことがあれば、お二人の人生はそれまでです』
「つ、詰んだ……」
聞きたくなかった情報に、弥生ががっくりと肩を落とした、その時。
「グルルラァ!」
巨大なもふもふが、いよいよ動き出した。
猛烈な勢いで、俺と弥生目がけて突進してくる。
俺が慌てて横に逃れようとした、その一方で。
「ひゃっ……」
巨体が迫りくる勢いに圧されたか、弥生は身を竦ませてその場から動けなくなっていた。
「くっ……アホが!」
逡巡の後、俺は踏みとどまる。
そして弥生を引き寄せると、もふもふに背を向けて庇うような姿勢を取った。
「お、おにーさん……!?」
驚いたと言うか、困惑した様子の弥生。
意味があるかは分からないが、やらないよりはマシだろう。
ああ、それにしても。
軽い気持ちで街の外に、いや異世界なんかに来るんじゃなかった。
……と後悔した、次の瞬間。
ぴきーん、と何かが光るような音が、胸ポケットから聞こえてきたかと思ったら。
今度は背後から、ドスン、と大きく鈍い音が鳴り響いた。何かが勢いよく壁にでもぶつかったような……そんな音だ。
そして、俺と弥生は。
未だ無傷だった。
「な、なんだ……?」
死すら覚悟していた俺は、呆然としながら背後を確認する。
と、そこには。
目と鼻の先まで迫りながらもそれ以上は近づいてこない、巨大もふもふがいた。
「いや、待てよ……」
その姿はどちらかと言えば、近づかないのではなく近づけない、と見受けられる。
「グルルルル……」
強引にこちらに迫ろうとはしているが、見えない壁のような何かに阻まれて、それ以上進めない様子だ。
そして突進の際、その壁に激突したからか、心なしか苦々しい表情をしている……気がする。
「これ……お前の仕業か?」
『はい。こんな時のために用意された防衛機能。一日二回の無敵バリアです』
そう言えば、最初にそんな機能があると説明を受けた気がする。
その時は、何のためにあるのか実感が湧かなかったけど。
なるほど神が造っただけあって、神がかった機能だ。
「……でも、回数制限あるのか」
『はい。無制限ですと、世界のバランスが崩れるので』
なんかもっともらしい理由を説明する文鎮だが、それはさておき。
「おい、それだとただ延命しただけじゃ……」
今使ったのが一回目なので、俺が無敵バリアを使えるのはあと一回。
弥生の方のを合わせても、三回しかない。
未だ怯えて動けずにいる弥生を連れて、そのたった三回で逃げ切るというのは……。
「どの道詰んでるな……」
大して状況が変わっていないことに気づき、途方に暮れる俺。
その一方で、バリアが切れたのか、巨大もふもふは身動きの自由を取り戻していた。
が、先程起きた不可解な現象を警戒してか、すぐに襲い掛かってくる様子はない。
背後に弥生が控える状態で、俺はその巨体と向き合う。
少しの間、そのまま睨み合いのような状態を続けていると。
均衡は、意外な形で破られた。
「とーうっ!」
威勢の良い掛け声とともに颯爽と現れた、謎の少女によって。
その少女はセミロングのピンク髪という、現実離れした髪色の持ち主だ。
そして、これまた現実離れした怪力を発揮し、なんと拳一つで巨大もふもふをふっ飛ばしてみせた。
「グルラ!?」
予想外の一撃を受けた巨大もふもふは宙を舞い、数メートル後方の地面に叩き付けられた。
少女は仰向けになった巨大もふもふと俺たちの間に、堂々と立つ。
その背中には、身の丈より大きな大剣を担いでいる。
「さてさて。これ以上やるならボクとしても手加減できないけどー……どうする?」
ゆっくりと体を起こす巨大もふもふに向け、そんなことを言い放つ少女。その手は、大剣の柄に掛けられている。
一方の巨大もふもふは、本能的に力の優劣を理解したか、子供のことが頭をよぎったか。
こちらに尻尾を向け、森の中へと引き返し始めた。
小さい方のもふもふも、それにくっつくように従い。
モンスターの親子は帰っていった。
その後ろ姿を見届けた後。
少女は改めて、こちらに向き直ってきた。
もふもふを撃退した時の頼もしさと怪力のせいで錯覚していたが、思ったより小柄だ。
弥生よりも一回り小さい。150あるかないかくらいだろうか。
そんな少女は、にこやかな表情で俺たちに話しかけてきた。
「えっと、大丈夫でした? 怪我とかしてません?」
「ああ……俺は大丈夫だ。助かったよ」
そう答えつつ、俺は弥生の方をちらりと見る。
「え、あ、うん。わたしも怪我はしてないかな」
会話ができる程度には落ち着きを取り戻したらしい弥生は、そう答える。
無敵バリアのおかげもあり、確かに怪我はしていない。
が、まだ顔面蒼白といった様子だ。
まあ、無理もないか。
平和な現代日本で暮らしている女子高生がいきなり、モンスターに襲われるなんて事態に直面したんだから。
「ところでお二人さん、異世界人ですよね?」
唐突に、少女がそんな問いを投げかけてきた。
なるほどこっちの世界の住人からすれば、俺たちが異世界人か。
そしてやはり、そうした存在がいるのはこっちの世界の人々にとって常識らしい。判断基準は服装や肌とか髪の色だろう。
などと推測しつつ、俺は答える。
「……まあ、そうなるな」
「うむむ、でも……」
俺の答えに対し、少女は何故か不可解そうな反応を示した。
「……? どうした」
「えっと……ボク、あのレベルのモンスターに手も足も出ない異世界人は初めて見たから」
物珍しそうな眼差しを俺たちに向けながら、少女は答える。
……俺たちと同じ境遇にある連中は、どいつもこいつもチート能力で無双しているってことか。物好きな奴らだ。
「まあ、俺たちはただの旅行者だからな」
「なるほどー……けど身を守る術がないなら、こっち側は危ないですよ?」
「……ああ、身に染みたよ」
「そもそも観光する場所なんてこの辺にはないような……」
俺や弥生からすればこの白い森も充分物珍しいのだが、この世界の住人にとっては当たり前の光景なんだろう。
だがその価値観の違いを説明するのは流石に手間か。
「その……実はこの世界に来たばかりで、まだ右も左も分からない状態なんだよ」
「ああ、そっかー……」
少女は納得したように頷きつつ、何やら考え込むような素振りを見せたかと思ったら。
「じゃあ、ボクが案内してあげましょうか!?」
やけにいきいきとした調子で、そんな提案をしてきた。
もふもふから助けてくれたことといい、他人の世話を焼くのが好きなタイプだったりするんだろうか。
思わぬ提案だが、これはちょうどいいかもしれない。
「そういうことなら、お願いできるか?」
「はいっ! ではとりあえず、街に帰りましょう!」
元気な声でそう言って、少女は先頭を切って街の方へ歩き始めた。
俺も、その後に続こうとすると。
「ねえ」
さっきから口数が少なくなっていた弥生が、声をかけてきた。
「さっきさ、わたしのこと庇おうとしたでしょ」
「……まあな」
「どうして?」
弥生は俺の目を見ながら、短く問いかけてくる。
「どうしてって……」
俺はそこで少し、考えてから。
「……別に、深い意味はねえよ」
「ほんとに? ここがJKの好感度上げるチャンス! ……みたいな下心があったんじゃないの?」
調子が戻ってきたのか、弥生はそんなことを言い出した。
「そんなアホなことに気を回す余裕、あったと思うか?」
「じゃあ……特に考えもなく体張って、わたしを助けようとしたんだ」
「……まあ、そうだな」
言い回しは微妙に気になるが、間違ってはいない。
そう思い、俺が頷くと。
「……おにーさんって、もしかしてバカ?」
そう言って、弥生はきょとんと小首を傾げた。
「いや、お前失礼過ぎだろ」
「ごめんごめん、つい本音が」
欠片も悪びれる様子もなく、平謝りしてくる弥生。
更に物申してやろうと思ったが、弥生は逃げるようにして駆け出していったかと思ったら。
立ち止まって、一度こちらを向き。
「ありがとね、バカなおにーさんっ」
そんなことを抜かしながら、楽しそうな笑みを浮かべる弥生。
そしてまたすぐ、背を向けて歩き始めた。
……まったく。
あいつの口の悪さは、どうにかならないものか。
なんて考えが浮かんでから、ふと思う。
仕事のことで頭がいっぱいになるよりは。
女子高生の口の悪さに悩まされる方が、いくらか幸せかもしれないと。
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