[デパート]

 もう、二十年以上前の話だが、当時私が通学していたとある市には、バブル時期に進出してきた百貨店があった。とはいえ田舎のことで、県の中心部にあるデパートと比べてですらぱっとしない、少し暗い雰囲気の店だった。

 その店舗の一階に、ファーストフード店があった。小さな店舗で席数もそんなにない。客もそこまで多くなく、いつもどこか閑散としていた。

 割りのいいバイトを探すまでの繋ぎとして、そこで働き始めて少したった頃――夏休みの初めだったと思うが、何故か急に、新しい人を雇ったという話が出た。土日のシフトに入るとの事だったが、私は逆に土日のシフトは入れておらず、そのまま聞き流していた。


 翌週はじめ、開店準備の為に店舗に入ったら、すぐに歳の近い女の子が近づいてきた。

「聞いた?昨日の」

「なに?」

 問い返すと、彼女は口を噤んだ。私の背中越しに年上のバイトの男性を認めたようで、そのまま私の腕を引いて狭い店舗の、逆側の奥へ連れて行った。そこはシンクの前で、カウンターからは見えない狭いスペースだった。

「新人さん、休憩室から飛び降りたんだよ…」

「え」

 思わず声が漏れた。私は短期でしか働いておらず彼女の言う休憩室には行ったことがない。休憩室というのはこの建屋にはなく、すぐ隣の小さなビルにある。確か四階に、食堂を兼ねた休憩室があるという話だった。

「ニュースじゃやってなかったよ?」

「そうみたいだね。でも救急車来たり大騒ぎだったんだよ」

 彼女はその場に居合わせたらしい。なんでも、その新人さんというのがひきこもりだった男性で、面接の時も母親に連れられてきていたらしく、土日のシフトの面子めんつからは、何故雇ったのか、とか、いつまでもつか、なんて噂になっていたらしい。

 とはいえ元々入れ替わりの多い職場で、皆それなりに親切に接していたようなのだが、彼は結局、最低限の返事以外は一言も話すことなく、日曜の午後の休憩の時、突然、窓に向かって走り出し、

「鍵を開けて、そのまま――」

 その窓はすぐ目の前に裏の建屋がある。その建屋との間の三十センチほどの隙間で、彼は息絶えたそうだ。

「そりゃあ…」

 ショックだね、と続けようかと思ったが、その返しが適当かどうかよく分からなくて、結局そのまま絶句した。



 偶々だがそれから少しして別のバイトの面接に受かり、丁度シフトの切れ目もよかったため、私はそのバイトを辞めた。だがよく利用する駅に近いという立地からその後もその店舗には寄ることが多かった。

 凡そ半月ほど後のある日の夕方も、私はそのデパートのトイレに居た。時刻は五時前だったか。不意に、館内放送を告げる音が流れ始めた。

 中途半端な時間だが、夕方にセールでもあるのだろうか。それとも迷子だろうか。平日の夕方は余り放送がない印象で、訝しく思いつつも、手を洗って出ようとしたが、水音と共に聴こえる音声は何かが変だった。

「……―――に、――で」

 どうも声が遠く、途切れがちである。ハンカチで手を拭いながら、トイレを出るが、どうもぼんやりして聞きとり辛い。声は途切れがち且つ、震えていて、聴きようによっては泣いているように聞こえた。

 時折ザザ、とノイズが混じるのが、何とも気味が悪い。結局何なのだと耳を澄まし始めてすぐ、放送の終了を告げるチャイムが鳴った。

 もしかして、訂正の放送などが入るかと思って意味もなく数分店舗内をうろついてみたのだが、結局その日、その後に放送が流れることはなかった。



 気にはなったが私もそれからすぐにそのことを忘れ、更に半月程たった後のこと。

 件のデパートで、飛び降りを見た元同僚とばったりあった。どうやら彼女も学校帰りのようだったが、何とも言えない顔をしていた。

 再会を喜んでいるようには見えたが、どうも顔色が優れない。

「なんかやなことあった?」

 問いかけると、彼女は「ちょっと時間ある?」と小声で問いかけてきた。頷くと、彼女は指で上を差した。

 そのまま、二人連れだってエレベータに乗り込むと、彼女はRボタンをおした。なるほど、いつも閑散としている屋上にベンチがあった。まだ暑さが残る時期ではあったが他にアテがあるわけでもない。

 無言のままエレベータを降り、幼児向けの遊具が並ぶそのフロアの、隅にある古びたベンチに、二人で腰掛けた。

「あの後ね、なんかいろいろあるんだよね…」

「色々?」

「足音が聞こえるんだよ…シンクの前とか、冷蔵庫の方に居るとさ…」

 もしかして鼠が出るとかそういう話なんだろうか。飲食店で鼠が出るのは致命的だ。思っていると話は思わぬ方向に逸れた。

「あの人かと思ってたんだけどさ、なんか違うの」

「あの人?」

「ほら、休憩室から飛んじゃった人」

 直ぐに思い出した。元々無理に記憶の奥に押し込んでいた様なもので、厭な記憶というのは簡単に戻ってくる。「ああ」と呻きともつかない声が漏れた。

「足音がなんか女の人っぽい感じなの。――丁度○○ちゃんが歩いてる時みたいな」

 ○○ちゃんというのは小柄な女の子だ。幽霊には体重なんてないんだろうが、足音が変わるなるなんて話は聞いたことがない。思いつつ曖昧に頷くと、彼女は深刻な顔で頷いて続けた。

「それだけじゃないの。もうさ、エレガって居ないじゃん?」

 人によってはご存じないかもしれないが、エレベーターに常時乗り、フロアに案内してくれる職業があった。ただ、その当時も既に廃止されて何年も経っており、私は相槌の意味で頷いた。

「エレベータに乗ると、偶にエレガの案内の声がするんだ。それが」

彼女の「泣いてるみたいな声だった」という言葉と、デパートの放送開始を告げるチャイムが重なって聞こえた。

 あ、と咄嗟に時計を見る。時刻は、五時少し前。

「――っ」

 目を見開いて言葉を失う友の顔を見つめ返しながら、自分もざっ、と血の気が引くのを感じた。ザザ…ザザ…とノイズ混じりの音声は静かに語りはじめる。

「…フロア……も…売り場…お勤めの……様、 お伝え……ことが…」

 目を見開く二人の耳に、同じ名前を繰り返す放送が静かに響いた。

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