天の音? 束の音? 信の色?
「……! まさか……君は、」
「あぁ、そうだよ? パパは天城、ママは詩音」
その名前をえりか(?)が呟いた瞬間、マスターは狼狽したかのように、ほんの少し後ずさった。音湖は「にゃ?」とその行動の異常性に驚き、阿久津を見ると同じように目を見開き手が微かにふるえていた。
───なんにゃ……? 2人がこんなにも震えるなんて……
マスターが狼狽えるのを見たえりか(?)はようやくかと言わんばかりに鼻で笑った。もう、その様子に以前のえりかの面影は欠片も見られない。
「やっと分かったか人殺し。……と、冥土の土産にボクの名前も言ってやるよ。ボクの名前は天音、升谷天音(ますたに あまね)だ」
えりか(?)────天音はナイフを逆手から順手に持ち帰るとマスターに向けて翳した。有り余る殺気の刃で心臓を貫かんとするように───。
「5年間、ボクはお前を殺すためだけに生きてきた……パパとママの仇を……取るためだけに!!」
「……………」
「…………」
マスターはその殺気めいた言葉に返す言葉が…………見つからなかった。阿久津も同じように────。
今まで見たことがない2人の様子に音湖ですら、焦りを見せ始めていた。
────なんなのにゃ……っ。2人して一体どうしたにゃ…………。っ!? まずい!
「そろそろいいだろ? パパとママの所で永遠に土下座して……謝ってこいよ!」
天音が動き出すと同時に音湖はマスターの前に立つ。明らかにこの状況はまずいとしか言いようがない。天音が放つその殺気は……物凄い血の臭いがしていたのだ。同じ臭いがするから音湖にはすぐに分かった。
天音が飛びかかろうとするのを音湖はナイフの動きを感じながら待ち構えていた。集中を途切らせればその時点で終わりだ。
だからこそ、音湖も由莉が何をしているのか全く把握していなかった。由莉はなんとか呼吸を整える事に成功すると、マスターに飛びかからんとする天音の横腹に突っ込んだ。そのまま、ナイフの持った手を上に突っぱねるように左手で押し上げながら後ろに3~4メートル押し込んだ。
「させ……ない…………っ!」
「ちぃ……っ! うぜぇんだよ!!」
「っ!」
不安定な体勢で繰り出された回し蹴りを間一髪で回避した由莉は一旦、後ろへ跳ぶと体勢を立て直した。音湖もその由莉の行動に少し驚いたようだったが、取り敢えずは難を逃れたと言ったところだ。
「由莉ちゃん!」
「私が……止める!! マスターを殺させたりなんてさせない……!」
「ははっ、お前がボクを止める? 出来ると思ってんの?」
小馬鹿にしたような言葉遣いだが、目だけは殺意を由莉に向けていた。えりかに殺意を向けられているようで、由莉はたまらない気持ちになるが……これはただの戦闘ではない。本物のナイフでの戦闘───一度気を抜けば殺される……そんな世界だ。
ナイフの握る手を強めた由莉は天音に向かって届いてと言わんばかりに叫んだ。
「そのために……今日までやってきたんだから! えりかちゃん……いや、天音ちゃんを助けるために!」
「っ、ああーもういちいち癪に障るなぁ! ……もういいや、お前から……殺す」
激昴から一変、冷徹な目へと姿を変えた天音は地を蹴り由莉へと詰め寄る。
今までのえりかより数段速い…………が、由莉はほぼ反射的に、振り下ろされたナイフを攻撃範囲外に飛び退いて躱してみせる。
さらに、追い立てるようにして由莉の腹を抉るようにナイフを突き出す。
それを由莉は左手で弾いて軌道をずらすと天音の足を払おうとローキックをかました。
「ちぃ……っ!」
煩わしいように舌打ちするとその蹴りを脛で受け止め、1度後ろに下がる。
それを由莉は待っていた。
「天音ちゃん、待ってよ!」
「あ?」
「ほんとに……忘れちゃったの? 全部……今まで色々楽しい事もあったし、辛い事もあったよね? 思い出してよ……っ。それに……そんな事、えりかちゃんも望んでいない!」
由莉は未だに全てを失ったことが信じられないでいるのだ。今でも思い返せばえりかとの思い出が鮮明に蘇ってくる。
一緒に服を選びあったこと、夏祭りで葛葉を助けるために奮闘して最後は3人で楽しんだ事、えりかに狙撃を教えたこと、一緒にご飯を食べたこと、えりかがご飯を作ってくれたこと、一緒に寝たこと、ゲームをして楽しんだこと、一緒に……一緒に…………
「……あのさぁ」
天音はナイフを握る力を余計に強くしすぎて手が震えていた。そして、その顔は……今までに見たこともないような怒りと恨みに塗れていた。
「お前にボクの何が分かる? パパとママを殺されてた気分を知っているか? 殴られ蹴られ挙句の果てに捨てられた気分を知っているか? 拾われてもそこでさらに殴られて殺されそうになった気分を知っているか? 友達を……殺す気分を知っているのか!? 今目の前に自分のパパとママの仇がいる気分を!お前は分かるのか!? お前はボクの何を知っている!!?? 言ってみろよ!!」
「…………っ」
言い返そうと思った。だが……言い返せない。もし、これが自分の立場なら母を守ろうとするやつを皆殺しにしてでも殺すから。
でも……でも、だ。納得がいかないのだ。どうしても…………なにか突っかかりがあるように思えて────。
「……あとさ。ボクを止めたいのなら殺せばいい。ボクはこいつを刺し違えてでも殺す。なのに……
殺す気もないやつが首を突っ込むな、『ゴミ』」
「っ!?」
友達の声で呼ばれる……その言葉は由莉の心を容赦なくズタズタにした。食べたものが逆流してぶちまけたくなるくらいだ。
それに、天音を殺せないと言うことにすぐに気づかれていた事に衝撃を隠せなかった。
だが、それならもう包み隠さず自分の本心をぶつける他にないとも思った由莉は心に届いてと言わんばかりの大声を出した。
「……そうだよ! 私は……天音ちゃんを殺さない。私は……天音ちゃんを助けるってえりかちゃんと約束したんだよ! だから……っ、だから!」
「……熱っ苦しい。あと、
『えりか』って誰だよ」
願いを突っぱねるように、絶望の崖へと突き落とすように、言い放たれた言葉は冷たく重く………由莉を一切の容赦なく羽虫のように叩き潰した。
「っ、……天音ちゃん!!!」
どんなに叫ぼうと、もうえりかはここにはいない。……消えてしまったのだ。
届かなかった────また、ダメだった。えりかと交わした約束を…………
───ゆりちゃん、
(え………?)
声がした。
ふと、天音の顔を見るもその目は人を見るような目ではなかった。
だが……聞こえてくるのだ。見えもする。
えりかの『約束』の音が、えりかの『信頼』の色が、
───もし、記憶を無くしちゃったらその時はそのわたしと仲良くしてあげて欲しいなっ
───わたしのゆりちゃんは……どんな時だってあきらめないんだから!
抜けた力が紡がれるようにして戻ってくる。今までのえりかとの絆が───由莉を立ち上がらせた。
強くあるために、いつまでもいるために、やってきたことを……今やらずしていつやるのだ!?
(そう……だよね、えりかちゃん。……私、やるよ。絶対に……天音ちゃんを助けてみせる!)
さて、ここで皆んなに問おう。果たして現実はそう都合よく出来ているのだろうか?
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