えりかの調理

 由莉と音湖が特訓を終えて帰ろうとし始めた頃───えりかと阿久津は何をしていたかと言うと………


「…………えりかさん、行きますよ」


「……はい」


 えりかと阿久津は真剣な眼差しで、手には銀色の得物を持って『それ』を見つめていた。手を止めては行けない。本気でやらなければいけない。2人の手が微かに強ばる。そして───、


「……よし、えりかさんいいですよ」


「…………っ!」


 阿久津の合図と共にえりか両手に持った鋭く尖った銀色の得物を突き出した。



 ──────────────────


 ー数時間前ー



 えりかと阿久津は、全力で10戦だけするとすぐに練習を中断した。阿久津の全戦全勝であったが。


「さて、一旦終わりますか」


「うぅ、もう1回やりたいです……」


 1回も勝つことが出来ないままに終わろうとする阿久津にえりかは若干しょげていた。ここ2日、勝てずにいるえりかは抗議と言わんばかりに頬をぷくっと膨らませた。


「……行きましょうか」


「あっ、あくつさんまってくださいよ〜! うぅ……」


 サラッと流すように振り返って階段に向かおうとする阿久津をえりかは諦めるしかないと肩を落とすと、模擬ナイフを壁に取り付けられた棚の中に入れると急いで阿久津の後を追うのだった。


 ────────────────


 地下から出ると、えりかは阿久津に長袖に着替えて外に来てくださいと言われ、不思議に思ったが腕にある痣をチラッと見たえりかはなんとなく察した。言われた通りに部屋に入ったえりかは、半袖のジャージを脱いでタンクトップの姿になると木製の棚を開けてピンク色と水色、2種類のジャージが吊り下げられた所から水色の長袖のものを手に取る。そのまま着替えを終えたえりかは急いで外に出ると既に阿久津が車を待たせていた。


 ここでえりかに1つの疑問が生じた。なぜ阿久津はこのタイミングでえりかをどこかへ連れていくのだろう、と。


「あくつさん、どこに行くのですか?」


「本当は午前中に行く予定だったんですけどね……少し立て込む用事があったので、どうせですし、えりかさんも買い出しに着いてきてください」


 買い出し!その言葉を聞いた途端、不思議そうにしていたえりかは急激にやる気が満ちていくのを感じて急いで車に乗った。……もちろん、由莉の食べるご飯の食材を買えるからだ。


 そうして、車を走らせること数十分。

 2人がやって来たのは大きな市場だった。今日は休日なのもあり、大人や老人など大勢の人々が食料品を求めやって来ている。


「すごいたくさん人がいます……」


「迷子にならないようにしてくださいね? 良ければ手でも掴んでください」


 差し伸べられた手にえりかは嬉しそうに頷くと阿久津の手をぎゅっと握って、その人混みの中に身を投じるのだった。


 阿久津はえりかにカートを任せると野菜売り場を舐めるようにして巡回し、良さげな食材を見つければその分だけえりかの押すカートに入れていった。

 その間にも阿久津はその野菜毎にいいものだと分かるポイントを次々と教えていく。えりかも由莉のためにと思っていたからなのか染み渡るように自分の知識の中に美味しい野菜の情報が浸透していった。


 次に肉売り場。阿久津は流れるようにパックを手に取っては置き、手に取っては置きを繰り返していく。


「あ、あくつさん……かわないんですか?」


「こういった肉には美味しいものとハズレのものがあるんです。ハズレの物は焼いても臭かったり、固かったりするんですよ。えりかさんは由莉さんにそれを食べさせたいですか?」


 その行動の理由を知り、えりかは首を千切れそうなくらいに横に振った。美味しくないものを作って由莉が悲しむ顔を想像するだけで発狂してしまいそうだった。

 それを見た阿久津は食材を選ぶ事の大切さを知ったようだと満足した表情を見せた。


「さて、今日は牛肉の選び方だけ教えますね。大きく分けて3つあります。

 1つ、肉の赤みが淡いこと。若い牛の証拠です。濃い赤のものは老牛ですし、若い牛の方が当然美味しいんです。

 2つ、艶があること。くすんだ色だったり脂肪が硬い肉、見た目で乾燥してる肉は正直いまいちですね。

 3つ、脂肪が乳白色で弾力と粘り気があること。脂肪の旨さは肉の旨さに直結するので欠かせません」


 流れるようにして述べられた事をえりかは一言一句聞き漏らさないように聞きとった。分かりやすく教えてくれたおかげですんなりと記憶の中に入っていった。

 ここまで食に拘りのある阿久津だから毎日美味しいご飯が食べられてたんだとえりかは改めて実感した。


「あくつさん、本当になんでもしっていてすごいです!」


「ふふ。知っていることだけを話しているだけですよ。分からないことは私にだってあるんですからね? と、あまり時間をかけるのも何ですし急ぎましょう」


「はいっ!」


 ─────────────────


 一通り食材を買った2人はパンパンに膨れたビニール袋を4袋、お互いに2つずつ持ち合うとすぐさま市場を後にした。

 本来、阿久津が全部持つはずだったが、えりかが手伝いたいと2袋持っていったのでこの状態になっている。阿久津は少し重いのではと心配し、聞いてみたがそれも杞憂に終わった。


「えりかさん、重くは……ないですね」


「いつも、ゆりちゃんといっしょに7kgのおもりを持って走っていますからだいじょうぶです!」


「えりかさんも頼もしくなりましたね。……今日も手伝ってもらいますよ?」


「ゆりちゃんのご飯がつくれるならよろこんでやりますよっ」


 車にたどり着くとトランクに買った食材をまとめて入れると、すぐさま帰路に着くのだった。その間、えりかは今日は何を作るのだろうかと考えが止むことはなかった。


 ────────────────


 ───そして現在に至る。

 えりかは両手に持った銀色の得物──ピックで半球状の穴が縦4、横5の計20つ空いた金属器を被せるように覆う刻んだネギや紅しょうがが垣間に覗かせるクリーム色の生地をピックで半球を撫でるようにして周囲の生地も巻き添えにしながらひっくり返す。

 阿久津に見せてもらったものを見よう見まねでやっているだけなので、最初の4,5個は形が崩れてしまう。


(くぅ……っ。きれいな形で……ゆりちゃんによろこんで食べてもらいたい!!!)


 えりかはより集中力を両手に持っている細い金属棒に込め、そのスピードと動きの精密さを上げていく。


 カチャカチャカチャカチャカチャカチャ……


 金属と金属がまるでワルツを奏でるように部屋に響き渡る。その4~5回でコツを掴んだのか、えりかは残りの15個を形をほとんど崩さずに裏返しきることが出来た。張っていた集中が途切れ、えりかは、ふぅっと一息付いた。


「……1回見ただけでここまで出来るのは凄すぎますよ? 素人にやらせたら全部ぐしゃぐしゃになるか真っ黒に焦げるのが大抵なのに……凄いですね」


「えへへっ、ありがとうございますっ」


 事実、阿久津もえりかの手際の良さには舌を巻いていた。教えたこと教えたことを根こそぎ吸収していくのだから当然と言われれば当然の話だ。

 それくらい……えりかには料理の才能があったのだ。……いや、由莉のためだからこそ出来ることなのかもしれない。

 そんなえりかに阿久津はさっき作ったばかりの『それ』をえりかの前に差し出した。


「そんなえりかさんにはご褒美です。さっき出来上がったものに味付けしたので、食べてもいいですよ?」


「ほんとですか!? じゃあ……いただきま〜す! はむっ…………ん!? はふっ……はふっ……あふい……」


 えりかは喜んでその丸くてこんがりと焼けている『それ』にソースやマヨネーズ、青のりがあかった───たこ焼きを1つ、つまようじに突き刺すと勢いよく口の中に放り込む。

 まずはソースとマヨネーズが最初に味覚を刺激する。だが、それを遮るかのように熱いたこ焼きの本体がえりかの口内を焼こうとする。

 それを必死に冷めるのを待つと恐る恐るえりかはカリッと歯でカリカリの表面を破り中のトロッとした生地が姿を表す。

 さらに反則的な組み合わせの中にとろとろとカリカリの生地が複雑に入り組み食感でもえりかを楽しませる。

 内部に入っていた紅しょうがやネギが旨さで緩んだ口をほんの少しだけ整理した。

 そして、なんと言っても忘れては行けないのがたこだ。噛めば噛むほど濃厚な海の旨みが波となってえりかを飲み込む。


「しあわせです〜」


「由莉さんもですが、えりかさんも本当に美味しそうに食べてくれますね。私も嬉しい限りです」


「本当においしいんですよっ。あっ、そろそろもう1回ひっくり返しますよね?」


「おっと、そうでしたね。では、さっきの通りやってみてください」


「はいっ!」


 えりかはたこ焼きの美味しさが口の中に残っているのを感じつつ、再び両手にピックを構えると素早く、焦げないように裏返していった。


 ────世界で1番大好きな由莉に食べてもらいたい、その一心で。

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