由莉は覚悟を決めました
由莉はその銃に夢中になっていて人が来ていた事に全く気づいていなかった。
由莉は幾ばくかの間、その場から動けずに呆然としていたが、すぐに顔を真っ赤にして飛び上がると、すぐにその人の元へ向かった。
「は、はいっ!すみません……勝手に触っちゃって……」
「いや、気にしなくて構わない。……では、早速だが君の名前を教えてくれ」
「……ええっと、
「大羽だと……? それに、由莉……か。……まぁ、いいとする」
その男は由莉の苗字を聞くとピクっと反応を示したがすぐに落ち着きを取り戻した。由莉もその反応を見て少しだけ不思議に思った。
─────私の苗字……珍しいのかな…………?
「……? どうかしましたか?」
「いや、こちらの事情だ。さて、少し色々と聞くがいいか?」
「は、はい……」
(何を聞かれるんだろう……変な質問じゃありませんように……っ!)
「まずは……君に家族はいるのか?」
「……?家族は……お母さんだけで、私は一人っ子です。」
────なんで、その質問からなのかな……? あっ、でも……そういう仕事だから身内の人がいるかは重要なのかも……
「そうか、では次は────」
そこからいくつかの質問をされ、由莉は緊張とその男の圧力で体はカチカチになりながらも質問には冷静に返していった。
「……そう言えばその年でこの仕事をしようと来たのは、ここでは君が初めてだな。……この仕事をやろうと思った理由を聞かせてもらおう」
「えっと……私、元々銃……スナイパーライフルにすごく興味があって、ゲームとかでもいつも狙撃しかしていなかったので……それで、やってみたくて……」
由莉は頭が追いつかなくなりそうになりながらも、それっぽい理由を返した。………が、その瞬間、空気が凍りついた。息ができなくなりそうなくらいの気配に由莉は全身の血の流れさえ止まったのではと思うくらいに……その男からは凄まじい殺気を感じた。
「……ゲームと現実は違うぞ? 実際の人からは血が出るし、相当な技術もいる。遊びでやっていける世界じゃないんだぞ。弱いやつほどすぐに死ぬ。それでも、やっていく覚悟はあるのか?」
「……っ」
由莉はまるで殺さんと殺気を溢れ出す男性に戦慄を覚えた。身体は寒いし、本当に……殺されそうだった。
────でも……ここで言わなかったらきっと私が後悔する……そんなの……絶対に嫌だっ!
由莉は歯を食いしばり声を震わせながらもはっきりと自分の思いをぶつけた。
「……もう覚悟は出来てます。それに……私は……本当は殺したい人がいるんです。……自分の手で」
────ここで引き下がっちゃったらだめだ。絶対にダメなんだ……っ、絶対に……!
「それは誰だ?」
「……………私の母です」
そう言うと由莉は背中を向いて震える手で自分の服を捲りあげるとその素肌を男に見せた。男は突然の由莉の行動に疑問を持っていたが……その悲惨さを目の当たりにした途端、目をそらさずにはいられなかった。
由莉の背中や肩、お腹と、あらゆるところにアザを作り、正常な肌が捲った部分には殆ど存在しなかった。
右の首元から斜めにかけてバットで叩かれたように赤黒くなり、わき腹は左も右も両方紫色になっていてまともに見ていられるような姿ではなかった。
……実は由莉は母親から虐待を受けていたのだ。いつもは由莉を学校にも行かせて貰えずほったらかしたままどこかに行っているのだが、たまに帰ってくると難癖つけて、由莉に殴る蹴ると言った暴力を働いていた。由莉は何でこんな事をされるのか分からなかった。
痛くて痛くて苦しくて辛くて泣きたくて……そんな生活の中で、いつからかお母さんを殺したい、そう思うようになった。そんな由莉は泣かれたら面倒だとかなり前に母親がパソコンやゲームなど一通りあてつけられていた由莉は次第にそれにのめり込むようになっていった。
FPSゲームにはまったのもそれが原因の一端だ。
「……お願いします……っ」
(この子、肝が座っているな。私の殺気を浴びても至って冷静だ。この子だったら、もしかしたら……)
先ほどの一連の会話で男は由莉の自分でも気づいていない能力にその男は気がついた。どんな状況でも冷静になれるというのは、スナイパーには必要不可欠な要素である。由莉はまだ幼い。幼いが故に成長速度、呑み込みの良さも格段に高い。そこにいざという時の冷静さがすでに備わっているのは相当な才能の持ち主だとその男は感じ取った。
「……覚悟はあるようだな。言っておくが、死ぬほど厳しい特訓をしなければならない。それでも君はやるのか?」
「はいっ、やらせてください! えっと………なんと呼べば良いですか?」
「そうか……分かった。名前は……好きなように呼ぶといい」
その男に言われると由莉はほんの少し悩んだ後にはその人の呼び方を決めた。この気配と貫禄は……もう、呼び方なんて一つに由莉の中では絞られていた。
「分かりました! じゃあ……マスターと呼びます! ……あのっ……早々ですけどお願いがあるのですが、いいですか?」
「あぁ、言ってみるといい」
ダメと言われるかもしれない。けど……もうあそこには戻るなんて嫌だ。その一心で由莉は無謀とも思える願いをマスターに伝えた。
「私を……ここに住まわせてください」
マスターは少し思案する素振りを見せたがすぐに首が横に振られた。
「いや……それは駄目だ。誘拐とでも君の親戚に騒がれたら厄介だしな……服から見えないようにやられているのだから、恐らくだれか親戚がいるのだろう?」
「……いいえ、マスター……それはありません……」
マスターに断られてしまった由莉だが、その理由を覆すことの出来る証拠が由莉にはたったひとつだけ持っていた。自身の一番の秘密。誰にも言いたくない、考えるだけでも頭がおかしくなりそうなそんな秘密を…………由莉は打ち明けることにした。
「……何故だ?」
───それでマスターの判断が変えられるかは分からない……けど……それでも、その可能性に賭けたい……っ!
「実は私……出生届けが出されていない……【この世に存在していない人間】みたいなんです……っ」
「…………なんだと?」
由莉の発言に、マスターの目の色が少し変わった。それほどにとんでもない事実なのだ。目の前にいる少女が生まれてさえいない存在なんて、普通考えられないのだ。普通、どんな子供でも親が必ず出生届けが出されている……はずなのにそれがされていないのは異常でしかなかった。
マスターの疑いの目を晴らすように、由莉はその根拠になる『あるもの』を、唇を噛み切りそうなくらい強く噛みながらバックの中から取り出した。
「出されていない出生届けを……見つけたんです。そこに……私の名前だけ書いてあったんです……。それに……お母さんも言ってて……お前は……生まれてもいないんだから生きる資格なんてないんだって……何度も殴られて……それで……それで……っ!」
この男にとって色々と考えさせられるものがあった。戸籍のない人間はどれだけ探しても名前すら出てこない。裏の世界には向いている人間だ。しかし、虐待をされている上に出生届けが出ていない……となると出生届けが出されなかった理由はあらかた決まってくる。
───『親のストレスの捌け口の道具』……なるほど、それなら出生届けを出さない理由にもなるが……
「マスター……お願いします……私をここにいさせてください……!私……あそこに戻りたくない……っ! もう……殴られたくない……蹴られたくない……っ」
由莉は今まで我慢してきたものが遂に耐えきれなくなり、溢れんばかりの涙を流しながらマスターに頼み込んだ。
……辛かった。
いつも、いつ母親が帰ってくるのか怖かった。
どれくらい殴られれば気が済むのか。
どれくらい蹴られたりしたら気が済むのか。
どれくらい……こんな生活をすればいいのか。
逃げたくてもそれすら叶わくて……そんな気持ちを誰かに話すことすらできず、どうしようもなくその悲しみと怒りを忘れようとゲームに熱中して……。
そんな目の前で助けを求める少女の姿をマスターはじっくり見て……そして、頷いた。
「……分かった。君を信じてみよう。」
「……ありがとう……ございます……!」
裏の社会で生きてきた人間にとって人を信じることがどれほど危険なのかはマスター自身が一番知っている。一人の少女の物的証拠と言うには不十分なもので、その根拠を信じるべきなのか、少し迷っていた。しかし、その真っ直ぐで純粋な少女の目には嘘の欠片すらない。その目の中にあるのはただ一つ、
────生きたい────
その意思だけがこの子……由莉の目に宿っていた。それはその男にしっかりと伝わっていた。だからこそ信じてみようと思った。その思いに、その力に。
「ただし、実力がないとみなせばすぐにここを出ていってもらうぞ?」
マスターが敢えて挑発するような口ぶりをすると由莉は涙を拭って元気な声で、その中には確固たる意思を秘めて返事をした。
「はい……! 私、頑張ります!」
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