由莉は引きこもりから卒業するようです


「いつか、この子を……本当に撃ってみたいなぁ……でも、そんな事、外国じゃないと出来ないし……ううん、考えるのやめよっと……うっ、また背中の傷が……っ」


 背中の痛みに由莉は顔をしかめながらマウスを素早く動かし、リザルト画面を矢印マークが疾走する。そうして、ようやくホーム画面まで戻ってくると由莉は思いっきり背伸びをするとそのまま冷たいコンクリートの床に寝そべった。


「ふぅ……少しご飯……食べようかな……」


 2徹で疲れてはいたが、由莉は近くに置いてあるカップ麺を取り出す。戦闘前に前もって水を入れていたのでだいぶふやけてしまっていた。……そもそも、由莉にはお湯が作れないので、水で代用しているから尚更だ。だが、ふやけてかさまししたカップ麺を由莉はなんの遠慮もなく箸でつまんで食べる。

 ぶよぶよに太った麺と、冷たくて粉っぽさが混じったドロっとしたスープ、正気でいるならば不味いと吐き出したくもなる。だが、由莉はこれを4年の間し続けているのだから嫌でも慣れてしまった。


(ずるずるずる……うぅ、おいしくは……ないかな。けど、これのおかげで私は今も生きてるから……)


 ……由莉は暖かいご飯を知らない。1度うっかり見てしまったことがあるが、羨ましいとは思っても食べたいとは思わなかった。自分とは違う世界の食べ物だと────割り切るしかなかった。

 そんなカップ麺を由莉はすぐに完食すると、もう1戦……と行きたかったが2徹の体には流石に耐え難く、そのまま倒れるようにして床に寝そべった。


「うーーん、今日はもう寝よっかな……久しぶりの2徹だから少し疲れちゃった。ふわぁぁ……」


 新しいランキングイベントが始まって3日、由莉は初日に2時間ほど仮眠をとってから、2・3日目とぶっ通しでプレイしている。その結果、



 112戦 3024キル 0デス


 ランキング1位 560,560pt 「Yuri」

      2位 243,000pt 「Clive」

         ・

         ・

         ・



 文句の「く」の字すら言わせず、完膚なきまでに、ぶっちぎりの1位を突っ走っていた。


 隔月で行われるランキング戦は今月で第13回である。そして各ランキング戦の1位だったプレイヤーは


 第1回 Granvelle

 第2回 Yuri

 第3回 Yuri

 第4回 Yuri

 第5回 Yuri

 第6回 Yuri

 第7回 Yuri

 第8回 Yuri

 第9回 Yuri

 第10回 Yuri

 第11回 Yuri

 第12回 Yuri



 初回こそベテランプレイヤーに押しつぶされてしまったが、第2回以降はYuriが11連覇中である。というのも、由莉は始まって5日くらいで2位以下を最低でも倍──400,000点以上は平気ではなしてしまうのだから誰もがやる気を喪失してしまっている。


「起きたらまた頑張ろう……ね……………………ん?」


 溜まっていた疲労が一気に溢れ、そのまま床で意識が微睡まどろみ、夢の世界へと足を踏み入れようとしていたその時、「ピロンっ」と夢の国を霧散させるようにメールが届く音が目を閉じていた由莉の耳に聞こえた。


「ん……? 誰からだろう……私のメールアドレス知ってる人なんていないはずなのに……珍しいな〜運営さんからかな……?」


 眠たい目を擦ってパソコンのメール欄を開いて確認すると一通だけメールが届いていた。何もタイトルのない不気味さを装って。


(誰からだろう……?メールのさし宛もない……)


 由莉はウイルスメールじゃないかと疑いつつも恐る恐るメールの中身をチェックする。そこにはただ一つだけURLが貼られていた。


「これは……ネットに繋がるリンクじゃない……? 直接リンク……だったかな……?」


 そういわれるリンクは注意しろとネットにも書かれていたのを思い出した由莉はもの凄く迷った。


(怪しいなぁ……すっごく怪しい。どっかの詐欺サイトとかと繋がったら面倒なことになっちゃうし……もし、パソコンが壊れちゃったら私……もう生きていけない)


 ゲーマーかよw と一瞥するだろうか? 否、由莉にとっては………まさしくだったのだ。


(……それでも……見なきゃいけない気がする。なんでかは分からないけど……うん、開いちゃおう……!)


 覚悟を決め、少し手を震わせながらサイトを開く。―――次の瞬間、ページ先へと飛ばされるとそこには問題がはられていた。


「これは…狙撃に関する問題……? ふふっ、久しぶりに少しは楽しめそうかなっ」


 由莉は久々に手応えがありそうだと目に激しい光を宿した。内容はかなり難解なものだった。制限時間も問題文を読むくらいの時間しかない中で、由莉はこれくらいの問題ならと迷うことなく、答え続けていった。




 ───数分後


 ───……簡単すぎるよ……。弾道計算? スナイパーの動き? なんだか馬鹿にされてるような気がする……こんなのすぐ分かるよ……?


 もちろん、普通の人なら絶対に分かるわけない知識問題と高校応用レベルの計算問題が次々と飛び交ってきたが、由莉は凄まじい速度で文字を打ち込み答え続けた。何十問解いたのだろうか……もう分からなかったが由莉はとにかく無心に解きまくっている。するとある問題を解いた瞬間、再び別のサイトに飛ばされた。そこに書かれていたのは……


(狙撃……? 本物の? 興味はあるよ……あるに決まってるよ! けど……さすがに冗談だよね……あはは……)


 流石に由莉も苦笑いを隠せなかった。何を冗談いってるの?そんなこと出来るわけない、そう思っていた。

 しかし、書いてあることはただ一つ、たった1文に由莉の心は不思議なくらいにのめり込んでいた。


 ───スナイパーになってみませんか?────


 ───たった一言、それだけなのに……なんでこんなに胸がうずうずするんだろう……。胡散臭いけど……本当に出来るのなら……やりたい。それに、嘘だったらここまで手の込む事なんてしないよね。多分……


 とりあえず返信しよう、そう思った由莉はパソコンのキーに指が触れようとしたが……その直前、身体が凍りつくように反射を起こしピタッと止まった。その指先も少しだけ震えていた。


「……っ!」



 ───外に出るのが怖い。怖くて仕方がないよ……。もし、お母さんに見つかったら次は……絶対に……





 





 PCの前でただ俯く事しか出来なかった。どうするのが正しいのか分からなかった。ただ……また殴られて殺されるかもしれないと思うと怖くて怖くて仕方がなかった。




 ───私は何年もこんな生活をしてきた。もう慣れたはずなのに、今さら……ううん、それでも……行かなくちゃいけない。なんとなくそんな気がする。行かなかったら……きっと私が後悔する。


 不思議な何かに突き動かされた由莉は意を決してそのサイトに返信を送った。すると数分後には返信が届き、2週間後の週末に目的の場所へ来るように言われた。幸い、ランキングイベントが終わった次の日だったから少し安心すると一気に気が抜けそのまま意識は夢の中へと吸い込まれていった。


 ____そして、2週間後


「うんっ、今回もよゆーの1位♪」


 最終結果

 1位 Yuri 2,410,400pt

 2位 Clive 1,044,900pt

 ・

 ・

 ・


 由莉は誰一人寄せ付けることなく圧倒的な差で1位となり12連覇を成し遂げた。

 これはBPBのサービス終了まで、この優勝回数は誰一人破ることは叶わなかった。当然、連覇記録も破られることなく、伝説のプレイヤーの名を欲しいままにしたというのは何年もあとの話だ。




「うん、これでもう満足だよ……さて、準備しなくちゃ」


 ______________


 そして、次の日。由莉は自分の服や電子マネーなど必要最低限のものと──もしかしたら役に立つかもしれない物を持つと扉の前に立った。

 なんとか自分の赤いリュックと肩にかけるポシェットの中に収めることが出来たがパソコンやゲームのパッケージを入れることは叶わないのが少し悔やまれた。


 ───もう、ここには戻ってこれないかもしれない……あのゲームともお別れ……かな。2年もプレイしたんだから別れるのは辛いよ……。あの子と別れるなんて苦しいよ……。けど、不思議と後悔はしてない。あの子とはまた絶対会える、そんな気がする!


 由莉はドアノブをゆっくりと回し、数年来の陽の光を浴びた。あまりの眩しさに、うっ……と手で目の上をかざす。


 ───うっ、眩しい……なんだか肌もジリジリするよ……まだ、4月だからそんな季節じゃないと思ってたのに……


 しばらくして、目も慣れてくると由莉は部屋の外へと一歩踏み出した。たった一歩だが、そこには由莉の莫大な覚悟が籠っていた。その勢いで部屋を出るとガチャッと扉が閉まる音がする。そこで由莉は自分の住んでいた所がアパートみたいな所の1階だったことを初めて知った。


 ―――少しボロくて……ほかの部屋の窓は蜘蛛の巣とか埃を被っているし……私以外誰も住んでいなさそう……。


 そして早く出て行こうと思った由莉はそのアパートの隅っこに刺さっている茶黒く錆び付いたスコップを視界の端に見た途端足がスっと止まった。とてつもなく、どうしようもなく気になってしまった。だが、この瞬間に母親に見つかれば、今度こそ殺されると由莉はそれ以上気にすることなく、そのまま背を向けた。


 よし、行こう。今度は見つかりませんように……そう願いながら由莉は逃げるように背中に担いだリュックと肩にかけてあるポシェットを揺らしながら日中をなけなしの体力を振り絞って駆けていった。

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