外伝 郁弥とまりえと由依と金魚鉢
世界三大〇〇
第1話
今日は夏祭り。彼女と20回目のデートの日でもある。今までキスはおろか、手でさえ握らせてくれなかった彼女も、今日の祭りできっと僕とねんごろな関係になるに違いない。浴衣で決めようかと思ったが、祭りの後のことも考え、私服をチョイス。彼女は、どんな服装をしてくるのか楽しみだなぁ。
僕はうきうきした気持ちで待ち合わせ場所に向かった。するとそこには、既に彼女がいた。金魚の柄の浴衣姿をしている。既に祭りを楽しんだのか、金魚の入ったビニール袋を持っていた。黒い出目金だ。それも絵になる。良きかな良きかな。少し離れたところから声を掛けた。
「お待たせ。今日もキュートだね」
「郁弥、突然だけど、話があるんだ」
「えっ」
この時の彼女が、僕の登場を待っていたのは間違いない。別れ話を切り出すために。鉄壁の浴衣姿がそれを物語っている。彼女は自分で着付けることができない筈だ。祭りの後のことは考えていないのだとすると、もう僕に身体を許すことはないのだろう。
僕の予想は的中する。
「郁弥、ごめんなさい。私、好きな人が出来たの」
その後彼女は、はっきりと別れを口にした。
それにしても、どうして突然別れを切り出されるのだろうか。僕は、自分の行いを省みた。まさか、彼女に内緒でアニメの中の女の子に恋をしているのがバレたのだろうか。それとも、メイド喫茶に行ったことだろうか。小学生の頃から文通している女の子がいることだろうか。考えれば考えるほど、僕の犯罪歴が僕自身によって暴かれていく。僕は、決していい彼氏ではないようだ。
「そうなんだ。それじゃあ、仕方ないよね」
僕は精一杯の強がりを言って、彼女を笑顔で見送った。祭りは始まったばかりだが、祭りの後のことばかり考えていた僕は、彼女に去られて、1人でそこに佇んでいた。別れてしまえば、後の祭りというやつだった。
気を取り直して、僕は祭りを楽しむことにした。財布の中には今日のための諭吉さんと、予備の諭吉さんがいる。これほどの大金を持って祭りに参戦するのは初めてかもしれない。宿泊代が浮いたと思えば、それなりの金額を使える。
「そこの若いの、金魚、掬っていかないかい」
そう言って僕を呼び止めたのは、何処にでもいるようなテキ屋のおじさんだった。普段なら無視して通り過ぎるのだろうが、その時の僕はどうかしていたらしい。水槽は、古めかしいおじさんの姿には似つかないピカピカの新型で、白い。金魚の種類は一見しただけでも豊富で、1回500円の文字が僕の目に留まった。
「ポイ下さい。20枚」
「毎度!」
本当にどうかしていたようだ。それでも、ちょっとだけ前向きになれたのなら安いものだろう。僕は今日のための諭吉さんを、この出店のおじさんに渡した。
「僕が1番、ポイをうまく使えるんだ」
どの角度でポイを沈め、どの角度で獲物を捕らえるかをイメージした。いざ、入水。強大な敵に、僕は1人で立ち向かった。そんな僕の英雄然とした雰囲気に、子供達も熱い視線を送ってくれた。
「大丈夫、お兄さんならできるわ」
金髪の少女がそう言って僕にエールを送ってくれた。おだてないでくれと言いたかったが、少し大人の余裕と共に無視という形で応えた。
さっきまでの気持ちが嘘のように、僕のやる気はいとも簡単に削がれてしまった。
「冗談ではない!」
そう言って、子供達も1人2人と姿を消していった。たった1つの水槽に、次々と新型のポイが撃墜されたからだ。
「全滅? 3分も持たずにか……。」
僕は途方に暮れた。しゅんとして下を向くと、そこには最後の1枚が置いてあった。どんぐりを埋めたリスのように自分でも忘れていたのだが、僕は確かにそこに置いたのだ。それを見て、思い出した。
「まだだ、たかが19枚をやられただけだ」
僕は最後の1枚に力を込めた。これまでだって、ただ敗れた訳でも、ただ破れた訳でもない。19枚のポイは僕に色々なことを教えてくれた。濡れているところと濡れていないところの境目辺りが破れやすい。そこで僕は、最初にポイ全体を水を切るようにして濡らしてから空気中に戻した。ポイにも裏表があるようで、金魚を掬い易い方だと、水も救い易い。このトリックも見抜いた僕は、今までとは違う面を表にした。
「やるようになったな、お兄さん」
おじさんが感心したようにこちらを見た。それを確認した後で、僕は1匹の金魚に狙いを定めた。識別コードを、まりえと命名した。まりえは、琉金という品種で、一般的な和金に比べるとグラマラスで優雅だ。何よりもおっとりしているのがいい。捕まえてくれと言わんばかりにゆっくりと泳いでいるではないか。今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。
「さらにできるようになったな」
その言葉の通り、僕はまりえをポイの淵に引っ掛けることに成功した。そしてそのままボウルに救い入れようとした、その時だった。別の金魚がポイめがめて突進してきた。和金だ。とっさに由依と命名。まりえを捕らえたポイは、既に水を抜け空気中にあったが、由依はまるでイルカのように空中に舞い、緩い放物線を描いてポイに突進してきた。
「ああぁ」
僕の悲鳴が先か、由依の着水が先かは定かではないが、由依がポイの和紙を破ったのは事実だ。そして、破れた穴からまりえまでが水の中に逃げた。
「はい、終了。ありがとうね」
愕然とする僕に、おじさんは続けた。
「で、どっちを持って帰るんだい?」
「えっ?」
そう言われて自分のボウルを確認すると、そこには仲良く泳ぐまりえと由依の姿があった。2匹が着水したのが、ボウルの内側だったのだ。
「うちは、1枚のポイにつき、5匹単位で1匹の持ち帰りだからね」
たしかに、看板にはそんなことが書かれていた。まりえと由依は最後のポイで掬ったことになるから、どちらかを選んで持ち帰るように言われているのだ。1万円も払ったのだから、おまけしてくれてもいいのにと思ったが、世知辛い。僕は、まりえと由依をじっと見て、どちらをお持ち帰りしようかと考えた。
「両方、下さい」
「何だ、強欲な奴だな。おじさん、ギャルにしかおまけしないんで有名なんだぞ」
おじさんは、自慢げにそう話した。これはこれで恥ずかしいものである。値切って断られたのだから。
「せめて、幾らかで譲ってはもらえませんか」
その時の僕が、どうしてそんなことを口走ったかは、今でも分からない。無性にまりえと由依を離れ離れにしてはいけないのだと思ったこと以外は。
「じゃあ、この金魚鉢、2個買ってくれたら、おまけしてあげるよ」
さっきまでギャル以外にはおまけしないと豪語していたおじさんが、掌を返したように言い、横に置いてあった箱を手にした。『開運・お洒落な金魚鉢ー1匹用ー』と書いてある。1つ5千円とある。
「いい音色だろ?」
箱から取り出した金魚鉢の縁を叩きながら、おじさんが言った。
「本当はね、20万円の金魚鉢なんだけどね」
おじさんは微笑みながら続けた。
「今日は特別、2個で1万円だよ!」
「買った!」
そのお得感、僕にはたまらなかった。
「おじさん、ありがとう」
そう言って、予備の諭吉さんをおじさんに手渡し、まりえと由依、そして2個の金魚鉢を家に持って帰った。
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