第6話 熊の場所。
■
すべてが終わって、父は私をまた打つんだろうなと思ったら息が詰まるぐらい抱き締められて、息は詰まるし煙草臭いし加齢臭がヤバかった。けど、父は泣いていた。
父が美代にしたことや、私にしてきたことを、私はいつまでも憶えているし、忘れることはないだろう。
でも、今だけはそれを糾弾しようとは思わなかった。何故って、私も泣いていたから。親子揃って涙もろいみたいだった。あんまり認めたくないけど。
そして、未知の世界を駆け抜けた同士、ステイト・オ・メインはその後、山中で血を流し過ぎて死んでいた。
あまり動かないで居過ぎたせいで、筋力が衰えて弾丸の通りを良くしたのかもしれない。何はともあれ、ステイト・オ・メインは熊らしく山中で死んだのだ。
たとえ、死体を撤去されようとも、その魂は自然の中に溶けていっただろう。
それから私と美代は、あの小さな動物園にも行った。ステイト・オ・メインの檻はきれいに清掃されていたけれど、中に新しい動物はいなかった。
「熊の臭いが染み付いているから、他の奴は入れられないんだよ」
園長さんは昔見た時よりも、白髪の数が増えて見えた。
話をうかがうと、ステイト・オ・メインが脱走した日、園長さんはいつものように清掃を終えて、飼育小屋からステイト・オ・メインを呼び戻した。そして、外から鍵をかけようとした瞬間に、扉ごとドカッと体当たりされたらしい。
「噛み付かれたわけじゃあないんだ。あいつは優しいからね。こけた拍子に腕を痛めただけさ」
園長さんの口調は明るかった。でも、やっぱり悲しそうに見えた。
「俺は知っていたんだ。あいつが、いつも檻の向こうを見てるのを。でも、俺にゃあ出してやることなんか出来やしなかった。可哀そうだよ。俺はあいつが人を襲わないと知ってるが、あいつを知らない奴は誰もそんなこと、信じるはずがないだろう? ……あの日も、本当は殺さないでやって欲しいと言ったんだ。奴等、善処すると口では言ったけど、それが万全を尽くすって意味でないのは、何となく判ったよ、判ったんだ」
でも、ステイト・オ・メインは行きたいところに行って、死にたいように死にましたよと私は言った。生意気に思われないかなと思ったけど、園長さんはありがとうと微笑んでくれた。
帰り際、美代が園長さんのもとへ小走りに近づき、こう言った。。
「私、アールが最後に綱渡りをしたのを見たよ。すごかった。本当にすごかったよ」
園長さんは、誇らしそうに笑った。
「そうだろう? あいつの綱渡りは一級だ。なんせ、どれだけふらふらふらついても、最後にはきちんと辿り着く。そういう奴だったんだ」
その顔は、幼い頃に私が見た、あの日の姿そのままだった。
私の右手がじんと痛くって、男子は気を失って、取り巻きの女の子や先生たちは大騒ぎ。檻の中には、我関せずとばかりに「くぅぁあある」と欠伸を漏らすステイト・オ・メインがいた。
空っぽの檻の中から、そのだらしのない鳴き声は、すぅっと空に消えていった。
ドグマの終着点。 枕くま。 @makurakumother2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます