第3話

「私の名前は河野ゆりや。女子中学生くんなんて呼ばないで!」

「ゆりやちゃん? へえ、愛らしい名前だね。君によく似合っているよ」

「愛らしいって……」

 突然、褒められて、私はたじろいでしまう。じっとこちらをみつめる彼から慌てて目を背けた。

「ど、どうせ、名前負けよ。似合うなんて白々しいこと、言わないで!」

「名前負け? そんなこと誰が言ったの?」

「誰って」

 不意に私の脳裏に、例の四人組の姿が浮かんだ。


 ゆりやだって、笑える~!

 思い切り、名前負けじゃん!

 平たい顔のくせに!


 連中の笑い声がリアルに耳に響いて、私は思わず、両手で耳を塞いだ。


 一番、ひどく私をいじめたのは、四人の中でリーダー格の野村真輝のむらまさきだった。女子に人気のある一見、さわやか少年の彼が、実は陰湿で暗い奴だということを私は知っている。

 野村の相棒のような存在の谷川圭たにがわけいは、自分の意思が無いみたいにいつも野村に調子を合わせ、一緒になって私をいじめた。

 佐藤弘志さとうひろし相沢亨あいざわとおるは、ふたりとも成績が良好で、先生に受けが良い生徒だった。このふたりの存在が、私へのいじめをカモフラージュしていたのだ。


 彼らにいじめられて、教室の隅で泣いている私に、当時の担任の先生はこう言った。

『優秀な佐藤くんや相沢くんがあなたに何をすると言うの? 下らないことでいちいち泣かないの!』

 そうして先生がいなくなると、相沢はにやにや笑って舌を出し、佐藤はクチパクで私に言った。

『ばーか』


「……やちゃん、ゆりやちゃん? 大丈夫?」

 名前を呼ばれて、私は、はっと顔をあげる。必死に耳を覆っていた手を恐る恐る外した。

「あ、何でもない……」

「ふうーん」

 自称配達員の彼は興味深そうに、そんな私をみつめる。

「そうか。……君が飴を食べてしまった理由が判るような気がするよ」

「え? どういう、こと?」

「飴を見ていたら、食べたくてたまらなくなったでしょ?」

「う、うん、そうだけど……でも、私、いつもはそんなことしないよ。勝手に食べちゃうなんて、私らしくないことして……本当よ」

「うん、だろうね」

 さらりと肯定されて、私は何かが引っかかった。

「……何なの? あの飴に何か仕掛けでもあるわけ?」

「いやあ、たいしたことじゃないんだけど」

 彼は陽気に笑うと言った。

「あの飴にはちょっとだけ、魔法がかかっているんだよね、あはは」

 あはは、じゃねーよ。

 私は疑いのまなこで彼をみつめた。

「今、魔法って言った?」

「うん、言った。この魔法、腹に一物ある人に効くんだよね」

「自称配達員くん」

 軽く深呼吸して、それから恫喝するような低い声で私は彼に言った。

「すっかり白状してしまいなさい」

「白状って?」

「だからさ、魔法の飴とか、ページが増えるこのカタログとか、いや、なによりあなた自身が、ものすごく変なのよ。どういうことか全部説明してよ! これって手品なの? 誰かに私をからかえって頼まれた? 答えてよ! 勿論、嘘なしでよ!」

「僕はサクラだよ。よろしく」

「え? あ、はい?」

 肩すかしとはこのことだ。

 勢いを潰された私は、ぽかんと彼を見た。

「サクラ?」

「うん。それ僕の名前。僕も自称配達員くんって名前じゃないからさ」

「……はあ」

 のんびりとした彼の様子に、私は一瞬にしてすべてを諦めた。体からふにゃりと力が抜ける。

 ああ、もう魔法でも何でもいいや。

「私、疲れたから帰るよ。ええっと、飴玉、二千円だっけ? 大出費だけど、もういい、払うから。それでいいでしょ」

 のろのろと鞄に手をやる私の腕を、すっと優しく掴んでサクラくんが止めた。

「だめだよ」

「え?」

 顔上げると、にこにこ笑ったサクラくんの顔が至近距離にあった。そこで、初めて気付く。サクラくんの瞳の色が深い緑だと。

 あれ? この人、日本人じゃないのかな……?

「話しの途中だし。まだ帰らないで。ね?」

「え、でも」

「君のためだよ。飴、食べちゃったでしょ?」

「……そう、だけど」

 その時、すっと背筋に冷たいものが走った。何か取り返しのつかないことでもしてしまったみたいな……。

「あ、あの?」

「それに、説明しろと言ったのは君だよ。ほら、カタログ、見て。商品説明のところ」

 言われるままに目を落とす。一度、黙読して、それから、ああ? と険悪な声を出してしまった

「コクリ飴って何よ?」

「その飴の名前。正式な言い方だと『告白飴』だね」

「もしもし?」

「だから、ちゃんと読んでよ、商品説明」

「読んだよ。それで余計、混乱してんのよ、こっちは!」

 苛立つ私を、穏やかにみつめかえすと、サクラくんは私の手からカタログを取り上げ、その『飴と傘』の商品説明を、頼みもしないのに読み上げ始めた。

「『あなたには、どうしても伝えたい、けれど、上手く伝えられない、伝える勇気がないという心の葛藤はありませんか? この『飴と傘』はそんなナイーブなあなたの『告白』をお手伝いする優れた商品です。

 コクリ飴は、どなたのお口にも合う優しい甘さで作られています。そして傘は、あなたの心模様にぴったりのものがみつかるように、デザイン豊富に取り揃えております。勿論、お手持ちの傘を使用することも可能です。

 さあ、この『飴と傘』を使って、心につかえていたものを取り去ってしまいましょう! そうすればあなたの明日はきれいな青空が広がること、間違いありません!』……以上、『飴と傘』商品説明でした」

「だから!」

 ぱたりとカタログを閉じて、なにやら得意そうな顔のサクラくんに私は喰ってかかった。

「わけが判らないって言ってんの!」

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