episode7-8

 椿姫が火災に遭遇してから二日の時が過ぎた朝、隆一は相も変わらず身体検査で病院のベッドの上にいた。現在は上半身を起こして、傍らにいる母と会話している。

 母、美冬は洒落た果物ナイフでリンゴの皮を剥きつつ、器用に言葉を紡いでいる。

「へえー椿姫がねえ。大変だったんだなあ」

「そうなのよ、でもぉ、ある意味で幸いだったのかもしれないわねえ」

 話のネタは椿姫が火災に遭遇したというものだった。

「まあ、確かに通報しなかったら到着が遅れたかもしれないんだもんな」

「そーよぉ。立派に育ってくれたみたいで、何だか嬉しくなってきちゃったわ」

 そう言う美冬の皮を剥く速度が上がっていく。しかし、その精度は全く落ちていない辺り、彼女の包丁さばきが確かなものであることは間違いない。程なくして、全ての皮が一本に繋がった状態で皿の上で蜷局を巻き、果肉は八等分に切り分けられた。

「お、ありがとう。いただきまーす」

「はい、召し上がれ」

 リンゴの果肉が弾ける子気味の良い音が病室内に響き渡る。

 一通り飲み込んだ後、隆一がやや釈然としないといった表情で口を開く。

「つっても、椿姫からは何にも聞いてないんだよなー俺」

「一々話すことでもないと思ったんでしょう。家でもさらぁっと言ってきたのよ」

「クールだなあ」

 リンゴを齧りつつ、どうでもいいような口調で隆一が言う。

「ねえ~? お父さんに似てきているのかしらねえ」

「ん~? 顔はあんまり似ておらんかった気がするがのう?」

「……この果物頂いてもいいかしら? いいの? ありがとう」

「って……ん?」

 一度見て、目を擦った後、もう一度辺りを見渡す隆一。

 彼の視線の先には【水龍】と白髪の女が、何処からか持ってきたであろう椅子に座りながら、母の剥いたリンゴを呑気に齧っている様子が映っている。同時に、突然現れた女二人組に全く動じていない母の姿もあり、彼の胸の内では物申したい気持ちが沸々と沸いてくるのだが、ここは敢えて放置することにした。

「いや、何でいんの?」

「あら、隆一のお友達なんでしょう?」

 【水龍】と白髪の女に向けて言ったはずなのだが、母が先に口を開く。

「確かに……うん、まあそう、そう……そう友達なんだけど。もっと他に言うべきことがあるんじゃないかな、母さんの場合は! 後! 答えるべき人がいると思う!」

「あらあら、何かしらねぇ?」

「おや、喧嘩か? 喧嘩はいかんぞ?」

「家族は仲がいい方が良いに決まってるわ」

「仲はいいよ! うぅん、でもね! もっと他に気になるべきことがあると思う!」

 というか、まだ答えて欲しい相手(約二名?)から答えてもらってない! ――――

 隆一は心の中で叫ぶものの、それが他三名に伝わるはずもなく、無駄に体力を消耗させるだけだった。

「……?」

「なんじゃ?」

「やっぱりお年頃ねえ?」

 そんな隆一の様子を見ながらも、三名はどこか惚けた態度を取る。

「ちょっと私、用事があるから帰るわね? それじゃあね」

「おやまあ、帰るのか? 車に気を付けるのじゃぞ?」

「あらま! 優しいのねえ~隆一! ……頑張ってね」

「いや、何を!?」

「じゃあねえ~!」

 嵐のように美冬は病院から去っていった。

 それから十数秒ほどの間を空けて、

「お主の母上、変わっとるの?」

「いや、アンタたちに言われたくはないと思う……」

 先ほどから無言のままリンゴを食べている白髪の女を見ながら隆一が言う。

「っていうか。……そろそろ本題を言ってもいいんじゃあないか?」

「おおっ、そうじゃったな。まあ、アレじゃ。そこでリンゴを食っているやつをどうしたものかと……なあ? 【雷姫】は今頃母が居なくなって荒れておるじゃろうしのう。すぐに逢わせて落ち着けると【幻相】の奴にバレかねんし、新しい巣が必要なんじゃ。少々知恵を借りたい。ぎぃぶ、あぁんど、てぇいくってヤツじゃな!」

「……ん。新しい棲み処に関しては私も同意しているわ。あの子のフォローは第一夫人様に任せることにしたわ。……信用しているわよ?」

 両者の視線がぶつかり合う。同時に空気が張り詰めたように感じられる。

 何で病室で火花を散らしているのだろう、と考えつつ、隆一は自分が口を出せる雰囲気ではないと思い、ただ黙る。それはさながら地蔵のようであり、蛇に睨まれた蛙のようでもあった。

「ともあれ、じゃ。今後の巣をどこにするか何かいい案はないかのう?」

 広げていた扇子を閉じる子気味の良い音とともに、【水龍】の仰々しい声が病室に響く。

「って言われてもなあ。今暮らしてるのがその、【雷姫】、と同じマンションで良かったんだっけ? かなり高そうなマンションだった気がするけど、家賃諸々いくらすんの?」

「そうじゃなあ……」

 【水龍】は思い出すように視線を天井に上げる。そして、数秒唸った後に両手を出して指を五本分立てる。次に一〇本、更に五本、最後に丸ならぬ、〇を人差し指と親指で四回作る。恐らく、五十五万くらいだろうと隆一は検討を付ける。

「一人暮らしにしては、贅沢というか普通に考えても高くないですかね……?」

 想像の三倍の値段を前にして、隆一は自然と敬語を使ってしまう。

 然もありなんといったように【水龍】が深々と頷く。

「じゃろうなあ。トイレや浴場が滅茶苦茶ハイテク? ハイテクなんじゃ」

「部屋に入ると勝手に灯りが付くわ。後、火を使わずに料理が出来るのよ」

「やっぱり、同じくらい設備が揃ってるところがいいんですかね……?」

「世を統べる龍と言えど発展した文明には勝てなんだなあ……」

「城の浴場ほど広くはないけど、泡が出てくるのよ」

「つかぬ事をお聞きしますが、ご収入は?」

 ごまをするように聞く隆一。

「不動産と同じことを聞きおるわ」

「昨日のはもっと張り付いた笑みを浮かべていた気がするわ」

「いや、それはいいから。実際のところどうなのよ? じゃなきゃ碌なアドバイスできないぜ。ほらほら、バスケットの果物を眺めてないでさっさと言って」

「このくらい……じゃな」

「え?」

 【水龍】の袖から出てきたのは、意外にもリンゴ印の最新型携帯電話。隆一の持っているものよりも大きい液晶に映し出されているのは、これまた意外にもネットバンキングのアプリケーション画面であった。すいすいと使いこなす辺り、彼女がこの世界に順応しているのは確かだ。しかし、隆一が腑抜けた声を発したのはそれが原因ではなかった。

 異世界の住人だというのに銀行口座を持っているのは、取り敢えず、置いておくとして。差し当たっての問題は口座の金額。目の前に表示されている、高額な家賃に比べれば異様に〇が少ない預金残高なのだ。

「なんでこんなに〇が少ないのですか? お子様のお年玉ほどしかないのですが」

「まあ……そのぉな? こっちに来た当初、色々と問題があっての。最終的に【六柱】の棲み処の家賃は【幻相】もちということになったんじゃなあ~?」

 目を逸らしながら口笛吹いてんじゃあねえ。アザレア、アンタ何やったの――――

 隆一は【水龍】から教えられた彼女の名を心の内で呼び、細めた目で睨む。

「このブドウ、とても美味しいわね。農家の腕がきっといいのでしょうね」

「アンタも当事者の一人なんだから、もう少し会話の中心に入ってきなさいよ……!」

 この未亡人ズ……別方向でやばいよなあ――――

 昼まではまだ多くの時間が残されているというのに、隆一は枕にぐったりと頭を預け、瞳を軽く閉じると、様々な考えが混線する意識を手放した。





 それから三時間ほどの時間が経った、滝上中央病院一階にて。

「あのーすみません、上沢堅志さんの病室は何号室ですか」

 夏場だというのに、ネクタイまできっちりと締めたスーツ姿に身を包んだ東藤が、受付の前に立っていた。その眼の下には深い隈が出来ており、夜通し仕事をしていたことが見て取れる。しかし、その瞳には強い意志が宿っていて、はっきりと意識を保っていることは確かであった。そんな彼に訝し気な視線を向ける看護師であったが、腰にあったバッジを見て、納得したのかすぐに名簿を見て、部屋番号を教えてくれる。

「ありがとう」

 低い声で短く礼を言うと、東藤は足早にエレベーターへと向かって歩き出す。

 そもそも、何故この場に東藤がいるのか。それは二日前の夜に椿姫が遭遇した、ある火災事件が関係していた。というのも、被害にあった男が上沢堅志であり、現在入院しているのがこの病院だった、端的に言えばそういう理由であった。

 尚、この間にも他のAPCO捜査班と警察は、件の火災事件付近にあった防犯カメラに映っていた国松重四郎を捜索している。

「軽い火傷で済んだとはいえ、いきなり面会というのもどうなんだろうなあ」

 エレベーターのボタンを押しながら、東藤は心ここにあらずといった様子で呟く。

 彼は苦虫を潰したような表情を浮かべていた。許されるならば上沢には会いたくないと思っていたからだった。しかし、仕事である以上は私情を挟まない。胸の内で何を考えていようと、それで職務に支障をきたすことはあり得ないのだ。これは、彼がたった一度だけ忘れてしまった刑事時代の信念でもあった。

「そういえば……」

 東藤は隆一がこの病院にまだ入院していることを思い出しつつ、腰の右側に取り付けられたホルスターを撫でる。そして、その行動から自分の中にある考えを無意識に理解した途端、肺の中の空気はため息となって出ていった。それと同時に、エレベーターが停まりチャイムが鳴る。

「ん?」

 しばらく、クリーム色で統一された廊下を歩いていると、上沢がいるという病室が見えてくる。だが、病室の前が少々騒がしい。見る限り、見舞いらしき花束を持った女と年配の看護師が話し込んでいるようだが、世間話というわけではないようだ。一歩一歩近づいていくたびに、判然としなかった人相がくっきりと見えてくる。それによって、花束を持っている女は上沢の経営している雑貨屋の店員であることが分かる。

「すいません、私、こういう者なのですが何かありましたか?」

 そう言いながら東藤がバッジを見せて、二人の会話に割り込もうとする。

 二人は一瞬顔を見合わせた後、怪訝な表情を東藤に向けるが、慌てた彼の必死な説明によって納得したようで、店員が事の始まりを話し始める。

「さっき店長のお見舞いに来たんですけど」

 そう言って誰もいない個室の病室を指差す。

「店長が出掛けたっきり戻ってきてないみたいなんですよー。それで看護師さんに聞いてたところに……そのぉ刑事さん? がー、来たんですよねえー」

 店員は視線を東藤から看護師に剥ける。その行動から、話すべきことは話したということだろうということが分かる。東藤も長年の経験から、これ以上掘り下げても何も出ないと判断し、看護婦の方に向き直って口を開く。

「上沢さんがどこにいったのか、心当たりはありませんか?」

「そうねえ……ちょっと知り合いが近くに来ているからって言って、出ていったまんまなのよねえ。そんなに時間は掛からないとも言っていたんだけどねえ……。ちょっとそれ以上のことは全然分からないわあ? あーあとスマホも置いていったままなのよねえ」

「……そうですか、ありがとうございます」

 そう言って東藤は病室の中に入ると、机の上に置いてあったスマホを手に取り、コネクタに懐から取り出した機械のコードを繋げる。そして、間もなくしてロックされていた画面が開く。東藤は他のアプリに目もくれず、真っ先に通話履歴を調べる。

「これは……!?」

「あっちょっと廊下!?」

 東藤の瞳がカッと開かれ、思わずスマホを落としてしまう。間を開けず、彼の身体は看護師の制止を振り切って、病室を出て階段の方へと向かっていた。階段を勢いよく駆け下りていきながら、自身の携帯を取り出し、とある番号に掛ける。

「高水か! 大至急、滝上中央病院付近にある監視カメラから、上沢堅志の居場所を割り出してくれ!」

 彼は息も絶え絶えに用件だけ伝えると、病院から出て、駐車場に停めていた車に向かって走る。颯爽と車に乗り込むと車に備え付けられたタブレット端末を起動する。

「…………」

 エンジンも掛けず、タブレットをちらちらと見ながら、ハンドルと指で何度も小突く。

 それから十五分ほどの時間が経ち、タブレットに映像とメッセージが飛んでくる。そして、マップに予測されるルートを反映させ、アクセルを踏み込んだ。

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