episode7-3

「あやつはなあ……」

 そう言って、【水龍】は再び考え込み始める。

 何か言えない理由があるのだろうか、と隆一は【水龍】のしかめっ面を見ながら考える。

 しばらく経った後に、意を決した彼女は重くなった口を上げる。

「先ず、白髪……というか銀髪じゃな」

「銀髪かあ……」

「こんな感じかしら」

「あやつは肩程までしかないがな」

「へえ……」

 とても奇麗な銀色の長髪であった。窓から差し込む眩い陽光を一身に受け止め、周囲に煌びやかな光を振りまいている。それはまるで月のように、儚い美しさを持ち合わせ、何時までも見ていられるような安心感を覚えさせるのだ。

「肌も白い」

「あー美白ってやつ?」

「こんな感じね」

「あーそうじゃなあ」

 白く透き通った玉のような肌は、見るからにすべすべとしている。細く長い指と整えられた爪は、生粋のピアニストのように、生きるなかで洗練された芸術性を感じさせ、前腕は引き締まっていながらも女性らしさを残している。

「後は、そう、気性が荒い感じじゃなあ。まあ猫かぶりは上手い」

「何か性格が悪そうな感じだな」

「…………」

 目の前の女性は何も言わない。その翡翠色の瞳は愁いを帯びており、見るモノに形容しがたい、侘しさを植え付けてくる。事実、それを見つめていた隆一は締め付けられるような感覚が胸を奔った。

「ん?」

「ん?」

「えっ」

 ところで、先程からいる女性は一体誰なんだろう。

「出たああああああああああああ!! 痛ってえ!」

「何でここに貴様がおるんじゃっ!? っつう!」

「えっ、えっ?」

 隆一はベッドから転がり落ちて頭を打ち、【水龍】は後ろにのけ反ってしまい、窓枠へ激しく後頭部をぶつけてしまう。二人は殆ど同じタイミングで頭を摩る。

「えっ、アザレアこの人知り合い? ……実は前に会ったことあるんだけどさあ」

 【水龍】にのそのそと近づいた後、彼女の耳元でぼそぼそと話す隆一。

 女の存在を認知してから、【水龍】はしばらく放心していたが、隆一の言葉によって心を取り戻し、顎を震わせながらも話し始める。

「知り合いも何も、こやつは妾にとっての憎き雌猫……【雷龍】の第二! 夫人の」

 興奮した様子で話す【水龍】の口を、一瞬のうちに距離を詰めて来た白銀の女が己の人差し指を使って無理やり閉じさせる。それは、目にも留まらぬ速さで動いた訳ではなかった。動く動作が見えたわけでもなければ、風の乱れも感じなかったからだ。まるで、そこにいることが当然のような、始めからそこにいたような気さえしてくる。

「名前はまだ駄目、彼が思い出してくれないと意味がないわ」

「貴様、いきなり現れてペラペラ言うな。……全く。何時の間にここに来たんじゃ。【雷姫】からは会話すらまともに出来ないと聞いていたのだがな。あと、そのクール系不思議キャラをやめんか。妾と被っておるではないか」

 【水龍】は白髪の女が目の前にいることには驚いていなかった。しかし、何故この場に、いや、何故この世界にいるのかということについて、酷く驚いている。それも無理のない話であった。彼女の一族が持つ能力からして、この場にいることは不可能ではない。だが、目の前の女は本来この場にいられる精神状態ではないのだから。

「もうアンタがクール系で通すのは無理じゃねえかな……。って! そんなことはいいんだよ。つーか、そこの人がそのあの、【雷龍】の第二夫人だよな?」

「ああ、そうじゃ? 何か気になっている様子じゃな? 何でも言うてみい」

「いやあ……この人、人でいいよな? まあいいか、このヒトとはアザレアと戦った日に出会ったんはずなんだけど。何でか、それ以前にあったことがあるような気がするんだよなあ。ていうか、竜ヶ森にすげえ似てるんだよなあ」

「はあ……? そりゃあ、お主」

「ふふっ」





 同時刻、椿姫は滝流寺と繋がった母屋の客間で、和尚の妻である佳代子から出された煎茶を飲みながら、蔵へ何かを取りに行った和尚を待っていた。その間、椿姫は佳代子から繰り出される世間話の数々を的確にいなしつつ、和尚の帰りを今か今かと待ち望んでいた。

 結局、和尚が戻ってくるまでには三十分ほどの時間を要し、その頃には椿姫の精神はへとへとになって、最後の十分に入ってからは、苦笑いを浮かべながら相槌を打つことしか出来なかった。その様子を見た和尚は、額に手を当てため息を吐きつつ、やれやれと言って佳代子を適当な理由を付けて客間から追い出したのである。

「随分と待たせてしまったなあ。佳代子の話はとても長かっただろう。ワシがもう少し早く来れていれば良かったんだが、生憎、これを探すのに手間取ってしまってなあ」

 和尚は食卓を挟んで椿姫の反対側に座り、紫色の風呂敷に包まれた何かを机の上に置く。

 椿姫はしげしげとその包みを見つつ、和尚の答えに生返事する。

「いえ……私は気にしていませんから」

「そうか、すまないなあ」

 などと、椿姫は明らかな世辞を言う。

 和尚は椿姫の気遣いにやや思う所があったものの、敢えて口にする必要性も感じなかったため、話の本題に入ることにした。目の前に置いた風呂敷の結び目に手を付ける。

 開かれた風呂敷からは、古びた和書が出てくる。タイトルはかなり乱筆な草書体で書かれており、滝上家の次期後継者であることを除けば、一般の女子高生と変わらない椿姫にとって、読み解くのは非常に難しいものであった。

「君が持ってきた滝之上幻獣奇譚の元となった本だ。これはそちらの本と違って、あったことをそのまま記録したものに近いがね」

「この本が、滝上家の秘密に書かれているというんですか?」

 椿姫は額から垂れ落ちる冷や汗が気にならないほど、目の前の和書と意味深な表情をした和尚に釘付けになる。しかし、頭の中はいつも以上に冴え渡っていた。

「ああそうだ。この秘密を知って自殺した者も過去にはいたそうだね。昔は幻獣の来訪が非常に多かったそうだから。……まあ、ここ最近もあまり変わりないようだが」

 和尚は話をやけに引き延ばそうとする。その事から、和尚が未だに椿姫に対して話したくないということが見て取れる。だが、まっすぐ自身を見つめる椿姫の視線に観念したのか、和尚は咳払いをした後に話し始めた。





 始めから話すとしようかな。

 五〇〇年以上も昔、この地に流れ着いた若い男がおった。名前を幹之助と言う。

 幹之助はとある道場の次男坊で、修行のために全国を行脚しておったそうじゃ。しかし不幸なことに、その途中で山賊の襲撃に遭った。命からがら逃げ伸びたものの、今にも死んでしまいそうだったところをこの地を治めていた村長に救われたそうだ。幹之助は手厚く看護してくれた村長に恩義を感じ、それからはその村長の下で手伝いをしながら暮らした。村長の家は子どもに恵まれなかったため、幹之助のことを実の息子のように可愛がったとのことじゃ。

 それから暫しの時間が経った。よく働き、困っている村の民を見ればすぐに助ける幹之助は、その頃には村の皆々からとても頼られる存在になっておったそうだ。縁談の話しもひっきりなしに来たそうだが、全てを断っておった。村長がその理由を幹之助に聞いてみたが、幹之助自身も不思議そうな顔をしながら、よく分からないと答えたそうな。

 そんなある日、幹之助が倒れた女をおぶって帰ってきた。すぐ近くにある海辺で倒れていたらしい。女は肌や髪が白色で、纏う雰囲気から天女と呼ばれた。幹之助は天女の体調が回復するまで手厚く看病したそうな。村長にしてもらったことを他人にすることで、恩に報いるという考えもあったそうじゃな。天女と幹之助は傍から見ても非常に仲睦まじく見え、男女の仲になるのにそう時間は掛からなかったそうじゃ。

 天女は不思議な力を持っていてな。彼女が来てからというもの、村の作物は驚くほど育つようになったそうな。災害が起こる日をぴたりと当てたこともあり、皆彼女を本当の天女と崇めたという。それからしばらくして、突然天女は急に何かを思い出したように、狼狽え始め、恐ろしい化け物が来るから備えをしろ、私はそれを教えるためにここに来たと言い始めた。誰もが彼女に対して疑問を覚えたが、今までの天女の予言の数々から本当に起こるものだと信じた。

 程なくして、村のすぐ近くにある森にその異形の化物が現れたそうな。獣とも人とも違う奇怪な姿であったが、同時に、幻のような儚い美しさを持つ毛を持っていたことから、村の者たちは妖怪ではなく幻の獣、幻獣と呼んだ。幻獣もまた、天女と同様に不思議な力を持っており、そやつは背中から棘の付いた草木を生やし、その棘を自在に放ったという。幹之助を筆頭に武装した村の男たち総出で戦い、やっとのことで幻獣を討ち取ることが出来た。

 その後も幻獣は村の付近に現れるようになったが、幹之助は天女とともに幻獣と戦うことを使命として村の勇士を募って組織を作り、幻獣から人々を守りました。やがて、天女は幹之助との子を身籠り、大勢の家族とともに末永く暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

ここまでは、そちらの本に書いてある内容とそう変わらない。だが、まだ話には続きがある。幹之助の手記によれば初めて幻獣を倒したその夜、いつものように隣で寝ていた天女が、申し訳なさそうに、縋るようにこう言ったそうな。

 自身はこの世の者ではなく、あの化物と同じ世界から来たのです――

 そして、私は人間でもありません。姿は人でも似て非なるものなのです――

 この世にはあのような化物の軍勢がいずれは大挙してやって来ます――

 私はその事をこの世の人間に伝えるため、この世へ渡ってきました――

 私の記憶がもっと早く戻っていれば、犠牲を減らすことが出来たのかもしれません――

 貴方は嘘つきと私を恨んでいませんか? 恐ろしいとは思いませんか? ――

 幹之助は何も言わなかったが、不安そうな顔をして聞いてくる天女の手を優しく握って微笑み掛けると、彼女は心底安らいだ笑顔を浮かべたという。

 貴方のような勇気と優しさに溢れる方に出会えたのは、本当に幸運でした――

 本当に、出会うことが出来て良かった――

 これが滝上家のルーツだ。君には異形の力が僅かでは流れているということだ。このことを知って、あまりの忌避感から過去に自殺を図ってしまう者がいたのも無理はない。過去にも幻獣による惨い事件は起こっていたからな。そんな化物と自身が同じ存在であると認めたくなかったのだろう。





「この話を聞いて、どう思ったかは敢えて聞かない。だけど隆源のやつは子どもである椿姫ちゃん、それに隆坊に対して最大限の配慮をしていたということだけは分かってやって欲しい。顔は怖いが、とても優しいやつだからな。…………って娘に言うことじゃあねえなあ! はっはっはっは!」

「いえ……。まあ、何ていうか……その」

 椿姫は口籠り、俯いた。そして、深く息を吸って心を整える。

 少女の心は複雑だった。何と答えれば良いのか分からなかった。自身の血には遥か昔ではあるが、確かに異形の血が連綿と受け継がれているということに。今までは、兄の代わりの後継者として、半ば贖罪のような気持ちで戦ってきたが、それはあくまで自分の意思によるものと思っていたからだ。しかし、それが何者かの遺志によるものなのではないか、自分の信念に疑問を覚えてしまった。

「気持ちの整理がつきませんね……。やはり、父や和尚様の判断は間違っていなかったと思います。少し気持ちを落ち着ける必要がありそう……」

「そうか、何か困ったことが言いなさい。微力ながら助けよう」

「ありがとうございます」

 和尚は優しい声を掛けて、椿姫を労わる。

 椿姫の表情は優れないものであったが、やや和らいだった。それと同時に立ち上がる。

「今日は、無理を聞いて頂いてありがとうございました。それとお茶、美味しかったです。それじゃあ私はこれで帰らせてもらいます」

「おお、随分と長く話し込んでしまったな。送ろうか? 最近は物騒だし、“例の事件”で外出が制限されているしね?」

「いえ、お気持ちだけで結構です」

「……そうか、気を付けなよ?」

「ありがとうございます」

 和尚はそれ以上何も言わなかった。

 外はすっかり夕陽に染まっており、遠くからは学校からの帰路に就いた子どもたちの元気な声や茜色の空を飛ぶカラスの鳴き声が聞こえてきた。

 椿姫はそのまま客間を出て、元来た道を戻っていく。足に上手く力が入らず、ふわふわとした感覚に包まれていたが無理やり足を動かす。立ち止まっているわけにはいかないからだ。それはこの家に何時までもいることは出来ないという考えと、自身の気持ちについて延々と悩んでいる暇はないと感じたためであった。

「明日、会いに行かなくちゃ」

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