episode4-last 男のこれから/悪夢の化生
壁に取り付けられた蝋燭が唯一の光源である、薄暗く冷たい石造りの部屋で、ナニカが自身を壁と繋ぎ止める鎖を引き千切ろうと足掻き、喚いていた。
動くたびに埃が薄っすらと空を舞い、体中に張り付いてくる。
「出せよ! 俺が……俺たちが何をしたっていうんだよ!」
声の持ち主は年若い青年のものだったが、のどは度重なる疲労によってしわがれ、血が入り混じるようなものになってしまっていた。
しかし、青年の声に応えるものは誰一人としていない。
ただ、鎖の擦れる音と青年の怒りと悲しみに満ちた声だけが部屋に反響するばかりであった。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
打って変わり、病的なまでに白で埋め尽くされた、機械設備が整った部屋の中。年若い女の苦しみに満ちた叫びが分厚いガラス越しに響いてきていた。
齢、三〇半ば程の白衣を着た男と、その傍らに立つ、給仕服を着た同じ年ごろの女が、絶叫を上げる女とモニターに表示される数値とグラフを注意深く観察している。
「血中のアルダー因子は?」
「二.四パーセントでございます」
「ふむ……予想していた数値よりも低いな……。よし、一五ミリ追加で投与、拒否反応が出るようだったら、以前のように処理して街へ」
「かしこまりました」
給仕服を着た女は深々と頭を男に下げると、ガラスの向こうにある地獄へと歩いていく。
白衣の男は再びモニターと手元の紙束の世界へと入り込んでいった。
そこへ、
「やあ、どうも、先生」
どこからともなく部屋に入ってきた、黒ずくめの青い目を持つ男、【幻相】が人を食うような笑みを浮かべながら、白衣の男の背後に立って話し掛ける。
先生と呼ばれた白衣の男は、驚きもせず、片手間に応対する。
「ああ、君か」
「どうだい? 研究の進行は」
「解ってきたことは多いが、何分、被験者がこれではな」
「そうかあ、随分な数を連れてきたんだが、なかなか高い適合値を持った適合者ってのはいないものなんだねえ……」
【幻相】は世間話でもするかのような気安さで会話を進め、時折何かを考えるように天井を眺めながら顎に手を当てて唸る。
白衣の男は【幻相】にも目もくれず、紅茶を入れたカップ片手に資料を睨めあいっこを続ける。
しばらく、会話のない時間が続いた中、先生が沈黙を破った。
「ああ、この前の件、助かったよ。礼を言う」
「いやいや、君がいなかったらこの計画も、こうは進まなかっただろう。ささやかながらこれぐらいはさせてもらわないとねえ」
「回収してもらった骸から、なかなかいいデータが取れた。あといくつかのサンプルを使って、いよいよ“アレ”の試作体を造ってみようかと思うのだが、どうだろうか」
「“アレ”呼ばわりは些か腹が立つが、まあ、私と君は友人だからね、気にしない。ああ、すまない。試作体の作製に関してはもちろん大歓迎さ」
「では、目ぼしい使用者か素体を見つけたら連絡を頼む」
「お安い御用さ。では、また後日」
仰々しく礼をすると、【幻相】は影に溶けていなくなった。
白衣の男はもう慣れたと言わんばかりにため息を吐くと作業に戻る。
さて、次の被検体はどうだ――――
地獄の終わりはまだ遠い。
ところ変わって。
朝陽差し込む、滝山中央病院・六階・個室病室にて。
俺こと、江崎孝道は無事一命を取り止め、こうしてベッドにかれこれ四日ほど繋がれている。意識が回復し、面会可能になってからも警察らしき人があの日の事情聴取に来たりした。バイクの件に関しては、あの“お父さん”、というより、APCOの人が取り計らってくれたようで、罪に問われることはなかった。無論、俺が“借りた”バイクの持ち主には相応の補償が行われたらしい。
そして、今は学生時代からの付き合いの同僚が見舞いに来ているところなのだが、
「あーあー暇だなあ!」
「おいおい、わざわざ、休日の朝から見舞いに来てやってるってのに、なんだよその言い草は」
「だってよぉ! 花がねえじゃん!」
「いい年こいて、花が何だと申しますか、あんたは」
「いや、むしろこの年だからこそね! 花が欲しいな、必要だなと思うんですよ!」
「花ねえ……いい加減お前も彼女作ったら? どんだけ前カノ引き摺ってんだよ」
「うっせ。余計なお世話だ。俺はなあ! こうなったら妥協はしないって決めたんだよ!これからはもう、チョーかわいくて、チョーナイスバデェの子を見つけ出すまでぜっっっったい独身を貫くって誓ったぜ」
「あーそうですか」
「あー面倒くさくなったんだ! 面倒くさくなっちゃったんだ!」
あーあー! 暇だなあ!
「まあ……なんにせよお前が元気そうでよかったよ」
「お、おう」
何だよ、急に真剣な顔になりやがって。
「じゃ! 俺この後デートだから! またな!」
「あーそっかあ、お気をつけて……っててめえ! 俺との約束を忘れたのか! 俺が彼女を作るまで、お前も作らないって約束したじゃん!」
「まあまあ、それはそれ、これはこれ。出会いはいつだって突然だ。いける時に、いかなきゃ後悔するって、悪魔が囁いたのさ」
「二度と来んな裏切り者ォ!」
俺は閉められたドアに向かって思いっきり枕を投げたのだが、
「ふぎゃ!」
突然開かれたドアの向こう側にいた人物の顔にストライクと言わんばかりに直撃する。
「あっ、すすいません! だ、大丈夫でした?」
「……いえ、大丈夫です」
やっべえ、誰だよこの人全然知らねえよ。
俺より年下だろうけど、顔が滅茶苦茶怖えし。
いや、待てよ。なんか“お父さん”に似てる気がする、なんとなくだけど。
んーでも、間違いだったら怖いので、ここは!
「あのお、どちら様ですか?」
「あ、僕が知り合いってわけじゃなくて、竜海ほーら」
誰かに話し掛けながら、扉で死角になっている所に手を伸ばし、それを引っ張る青年。
「んー、んぅ」
扉の中ほどの高さから、少女の顔がひょっこり出て、こちらを覗き込んでいる。
俺はすぐに誰か分かった。だから、
「よっ! 元気だったか?」
俺は精一杯の明るい声色で少女に話し掛ける。
「うわああああああああああん! おじさん、いぎでだあああ!」
「竜海、初めから死んでるとは言ってないぞ」
少女が俺のベッドに向かって駆けてくる。
青年は苦笑いを浮かべながら、その後を追う。
「あああああああああああああ!!」
「うおッ!」
「あだぢ、ほんどばずごく、ごわぐでえ! でも、おじさんがいでぐれでずごぐ安心だっだあ! あの夜おじざんがぎゅうぎゅう車ではごばれだどぎば、おどうさんがいっぢゃだめだっで、めいわぐになるがらだめっでいっで、お兄ぢゃんがだまだま検診だっでいうがらいっじょにづれでぎでもらうごどになっでえええええええええええええええ!!」
俺は少女がベッドをバンバンと叩き、謎の言語を話すのを驚きつつ黙って聞くことしか出来なかった。
そして鼻水を連れ添っていた青年がティッシュで拭い、かませる。
「でね! おじさんに言おうと思ったの!」
「お、おう! そっそっかあ! 何だあ!」
ティッシュの前に言ってたことが全然理解できねえ。
取り敢えず相槌打っとこ。
「おじさん! 助けてくれてありがとう!」
「おうよ! お前も散々だったけど、今度は危ない裏道に入ったりすんじゃあねえぞ!」
まあ、半分自分にも言ってることなんだがな。
この子の無事も確認できたし、これでやっと俺も心休まるってもんだ。
その後も、少女は笑顔で色んなことを話してきた。そのどれもが取り留めのなく要領を得ないものだったが、不思議と悪い気分ではなかった。
そうして、時は経ち、
「じゃあね! おじさん!」
「おう! じゃあな!」
昼時になり、少女は青年の手に引かれ、扉に向かって歩き始める。
ん? 何か忘れているような。
「あっそうだ! 名前! 俺は江崎孝道、お互い名前も知らなかっただろ?」
「私の名前? 竜海! 滝上竜海!」
「竜海か、いい名前だな! 元気でやれよ!」
「うん! ばいばい!」
こうして、俺の波乱万丈で過去最悪な一日はようやく終わったのだった。
今振り返れば、最低なことが多かったが、あの少女、滝上竜海の笑顔を見ることが出来ただけで、俺がやったことも報われたような気がする。これからも、俺の人生は続いていく。でも、あの最悪な一日を乗り切った俺ならば、何があっても乗り越えられる。そう、思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます