episode4-5 不運の終わり/輝きの陰り

 夕焼けが夜に染まり始めた頃、滝山港・コンテナターミナルでは。

「ちょっと、話し合いません?」

 俺こと、江崎孝道は絶対絶命のピンチに陥っていた。

 俺は顔を引きつらせ、汗で全身を濡らしながら精一杯の苦笑いを作る。

「てめえ、状況解ってんのかあ? どう見たって話し合いする雰囲気じゃねえだろ!」

「おじさん……」

 視線が痛い……。

 つーか、なんで嬢ちゃんまで俺を睨んでるんだよ!

 少なくとも味方のはずだよなあ!

 よし、仕切り直しだ。

「んん! き、きき貴様ぁたちはあ! 何で俺たちを狙うんだ!」

「そりゃあ、あの現場を見たからだろ」

「でっ! ですよねぇ!」

 普通に返されてしまった。

 ど、どうしようか。

 やはり、アレしかないか……!

「見逃してくれたり……しません?」

「しません」

「……ほんとに?」

「ほんとに」

「どうしても?」

「どうしても」

「けちんぼ!」

「よしさっさと殺すぞ」

 ナイフ構えちゃったよ。

 これ、本当にいよいよ詰みってやつじゃん。

 もう、諦め掛けたその時、コンテナを蹴りこむような音とこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。

「待ちなさい」

「誰だ!」

 俺を含めた周囲の人間たちは振り返る。

 そこには、涼やかな顔をして佇んだ黒髪の容姿端麗な少女がいた。

 凛とした面持ちでしっかりと背筋を伸ばす姿からは、どこにでもいそうな服装ながら、どこか良家のお嬢様なのだろうか、というどこか俺たちとは隔絶した雰囲気を漂わせている。

 加えて、ターミナル内の街灯に照らされたその顔は、どことなく手を握っている幼い少女に似ているように思えた。

「はあ、ちょこまかと逃げてくれたものですね。おかげで見たかったドラマをリアルタイムで見れなかったのですが……まあ、竜海ちゃんが無事だったのでいいです」

「あっ椿姫だ!」

 少女の表情がぱっと明るくなる。

 やはり知り合いなのか。

「せめてお姉ちゃんぐらいは付けてほしいけど、まあ、この場ではいいです」

 少女の態度は至って平常さを保っていて、異質、いや不気味でさえある。

 俺たちの後ろを取っていた二人の内の一人が、少女を嘲笑しながら話し掛ける。

「おぅい、そこの姉ちゃん! 如何にも、これからアタシらの邪魔しますって感じだけどよお……。あんたこの状況解かってんのかあ? こっちは三人だぜ?」

 スカジャンを羽織った、如何にもアウトローという装いをした女が、鉄パイプで自らの肩を撫でながら言う。

 しかし、少女の様子はぴくりともせず、ただ目の前の障害をまっすぐに捉えていた。

 その中に俺は入っていないと思いたいなあ。

「おい! なんとか言えよ! おらあ!」

 少女の態度が癇に障ったのか、鉄パイプを持った女がパイプを地面に叩きつけると、少女に向かって、それを天高く振りかぶった。

 そんな状況にも拘わらず、少女は冷静なまま微動だにしない。

「あ、危ない! 避けろ!」

 脳天に直撃すればただでは済まないはずだ。

 目にすることすら憚られる想像をした俺は思わず叫んだ。

 しかし、それは外れた。

「大丈夫、安心してください。加減はしました、気絶しているだけ」

 一瞬、そう表現するほかないだろう。

 振り下ろしをいとも容易く、最低限身体をずらすだけで躱すと、相手の首筋に鋭い手刀を当てると、その意識を刈り取ったのだ。

 その隙の無さ、身のこなしはまさに達人。

 テレビ番組で見るような華麗な手並みだった。

「……だといいんですけど、あの、本当に大丈夫ですか?」

 前言撤回。

 つーか気絶した相手に言っても返事するわけねえだろ!

 あんな見た目してるけど、あの子案外ポンコツなんだなあ。

 我ながら能天気極まりないとは思うが、あんな光景を見せられてしまえば、そんな感想が出てしまうことも仕方ないのではないだろう。

 そんな俺に対して、仲間をやられた他の二人は真剣な面持ちで目の前の少女に相対していた。

「て、てっめえ! よくも俺の、俺たちの紅一点をやってくれたなあ! 絶対許さねえ! ぶっ飛ばしてやる!」

「お、お前! やっぱりカオリのこと……!」

「へ、言うんじゃあ、ねえよ」

「……死ぬんじゃあねえぞ」

「へっ! たりめえよ!」

 前言撤回。

 何やってんだこいつら。

 俺が呆れ果てている間に、バカは無謀にも真向から少女に立ち向かった。

 獲物は特殊警棒、先ほどの鉄パイプよりもリーチは短いが、無論まともに当たればただでは済まないだろう。

 骨くらいは折れてしまうのではないだろうか。

 こんな想像をどこか画面越しに見る映像のような安心感を持ってできるのは、それほど少女の技量が高いからなのだと思う。

「姉ちゃん! 死ねよやあああああああああああああ!」

 どこか芝居じみた口上で男は少女のきめ細やかな肌の腕を狙って勢いよく振り下ろす。

 しかし、大振りなそれは、やはり少女によって容易く避けられてしまう。

 そして、勢いを付けすぎてしまったがために体勢を崩した男の首筋で、トン、という子気味のいい音が鳴ると、男の意識は先程の女と同じように遠くへと行った。

 やはり、一瞬。

 悲しいまでに少女と彼らでは技量の隔たりがある。

「あの、最早貴方だけですが、どうします?」

「……っ!」

 少女の言葉に、後ろで俺たちの道を塞いでいた男は歯噛みをした。

 俺は他人事ながら勝利を確信し、一人悦に入るようにうっとりとした顔になる。

 ………………いや待て?

 後ろ?

「……あっ」

 それに気づき振り返った時には既に遅かった。

 後方にいた男はナイフを構えながら俺たちに、いや、正確には俺の隣にいる幼い少女に向かって走ってくる。

 男との距離は最早一メートルもない。

「しまった!」

 対して、めちゃ強少女からの距離は六メートルほど。

 いくら素早く動けようとも、人間では間に合わないだろう。

 だから、

「ぐっ!」

「なっ!」

「おじさん!?」

 俺は前に出てナイフごとそれを受け止める。

 男の表情が驚愕の色に染まった。

 へへっ、いい顔。こいつ俺のことをチキン野郎だとでも思ってたのかな。

 ああ、腹がものすごく熱いし、すげえ服が濡れてるって感じがする。

 昂奮物質が出てんのかな、痛みがないってのはいいな。

「ああもう、本当に……今日は最悪の日だよ。美味いもん食えなかったし、公園の自販機で好きな銘柄が売り切れだったし、変な化け物見ちまうし、そのせいで追われちまうし、挙句の果てには窃盗犯になるし、今じゃあこんなざまだ。ほんと、最悪の一日だよ」

 あーあパンツまで染みてきやがった、今日のパンツ下ろし立てだったのに。

 本当に最悪の一日だった。

 だから、今日の運のなさへの八つ当たりと、散々ビビらせてくれたお礼に、

「うらあっ!」

「へぶらっ!」

 俺の石頭で眼前の男の腑抜けた顔に渾身の頭突き。

 ははっ、鼻血出して倒れてやがんの。

 ああ、頭から血が抜けてきやがる。

 俺はコンテナに背中を預けながら、ずるずると硬いコンクリートの大地に崩れ落ちた。

「おじさん! おじさん!」

 だから、俺おじさんじゃないって……。

 はあ、もう声が出ないでやんの。

 まあ、この子が生きてるなら、いいか。

 最後に、この子の口から名前を聞きたかったな。



「ゼーロ」

「そのカウント……はあ、はあ……ち、ちょっと待ったぁ」

 コンクリートとコンテナで出来た会場に、一つの異物が入り混じる。

 声がした方向に柄の悪いスーツを着た男は血の通わぬ冷たい視線を向けた。

 そこには、一見すると息を切らせ、両膝に手を置いて地面に汗の水たまりを作る、平凡な青年が立っていた。

 しかし、男は経験と状況、直感によって、青年から隣にいる女の異形と同じ種類の人間だと見抜く。

 男はこっそりと異形に耳打ちをし、黒い車への攻撃を一旦止めるよう指示する。

 理性は残っているのか、蜂の異形は頷くと左腕の武器を構えたまま、相手の様子を観察し始める。

 青年は異形の方に気を配りながらも、黒いバンの裏手の方、隆次郎たちがいる方に向かう。

「いやあ……なんか大変なことになってますね……」

 バンの裏手に着いた青年は、三人に場違いな緩い雰囲気を醸し出して話し掛ける。

 当然、そんな様子の青年を見た三人は、ただただ困惑するばかりであった。

 なぜ、こんな夜になりかけの時間に、こんな何もない所にこの青年はいるのかと。

「だ、誰っすか?」

「えっ子どもが何でこんな所に居るのよ……?」

「り、隆一くんかい?」

「えっ知り合いなんすか? あっでもなんか顔が似てるような……主任の顔より怖さ二〇パーセント増しですけど」

「えっ主任、こんな大きなお子さんいましたっけ? 隠し子? もしかして生き別れの弟だったりしちゃうんですか?」

「いや、甥っ子なんだが……」

 三人が各々好き勝手な物言いに、青年、滝上隆一はただただ苦笑いを浮かべる。

 程なくして、落ち着いた三人を代表して、隆次郎が問い掛けてくる。

「隆一くん、君はなぜここに?」

「ああ、あのAPCOの方から連絡貰ったんで。どうやら、僕が一番乗りみたいですね」

「そうか……もう少し時間がかかりそうなのか?」

「さあ? あー、行き掛かりに竜海も見掛けたんですけど、そっちの方は椿姫に任せたんで安心してください」

「あ、ああ、ありがとう。苦労を掛けたようで済まない」

「いえ、そういうのはまだ早いですよ。先にあっちを何とかしなくちゃ」

 その言葉とともに、隆一は懐からペン型の注射器を取り出した。

 眼前にいる蜂の異形を真っ直ぐに見据え、ゆっくりと注射器を左腕に当てる。

「早いとこ逃げてください。あとは、こっちで何とかします」

「隆一くん、君は……」

「早く、行ってください。……あまり、人に見られたいもんでもないんで」

「わ、わかった。おい、行くぞ」

 隆一に促されるまま、黒いバンを背に異形達から逃げ始める。

 そんな様子を、蜂の異形の黒い複眼はしっかりと見つめていた。

 趣味の悪いスーツを着た男は、後頭部をぼりぼりと掻きながら、気だるげにぼやく。

「アンタたち、“ブルーアイ”の売人だよな」

「そうだと言ったら? まあ! 少なくとも教える気はないけどな。はあ、それにしても、ったく……あーあー、面倒くせえことしやがって。先生に怒られちまうじゃねえかよ……。商売だって別の場所でしなくちゃなんねえし、あーでも、その前に」

 男は自分の世界に入りこんだかと思えば、急に仰々しくフィンガースナップをする。

 初めは何が起こるのか解らなかった隆一であったが、すぐにそれを理解した。いや、理解せざるを得なかった。

「――、――ッ!」

 異形の左右に分かれた黄金色の顎が大きく開き細かく振動する。

 それに呼応するかのように左腕にある、蜂の下半身を彷彿とさせる器官も振動し、次第に甲高い音が鳴りはじめる。

 隆一に備わった本能が脳内で警鐘を鳴らす。

「っ!」

 すぐさま身体に内容液を身体に流し込む。

 瞬時に隆一の周囲を渦雲が取り囲み、雲は青い稲妻を帯びる。

「――ッ――――ッ!!」

 黒いバンに放った時とは比較にならない大きさの針が、蜷局を巻く雲に向けて放たれる。

 最早槍と呼べる針は、赤熱し、風を切り裂き、音すらも振り切るような速さで突き進む。

 それは荒れ狂う雲を容易く射貫き、雲の流れはだんだん静止していく。

 異形と男は不敵に微笑み、乾いた息を断続的に吐く。

 ……………………。

 コンテナの間を縫って吹き込む風の音が、静寂を彩る。

 やがて、風に暗雲は流され、街灯の青白い光が残されたモノを照らす。

「おいおい、マジかよ」

「――、――――ッ!」

 男は予想した光景でないことに落胆し、蜂の異形は目の前にいる“同類”を威嚇する。

 大量の蒸気が抜けるような音とともに、何匹もの青い雷が高らかに吼え、

「…………」

 月白色の鎧を身に纏う魔のヒトは、紅の瞳を爛々と輝かせながら左手で槍を受け止め、泰然と立っていた。

 そこには凡庸な青年の面影など微塵も存在せず、機械のような、どこか非生物さを漂わせていた。

「……ちっ」

 ここは自分がいるべき空間ではないと思った男は、戦いの行く末を見守るために、コンテナの陰へと駆け、風呂場を覗くかのように、少し頭を出す。自分の所に戦いの余波が及ばないことを願いながら。

 しかし、男の願いは良そうだにしない形で裏切られることとなる。

「ん……?」

 背後から吹く風の音に、振り返ろうとすると男の頭がコンクリートにぶつかった。

 わからない。何が起こった? ――――そして、何も解らぬまま世界が暗転する。

 残ったのは首のない立ったままの死体と、地面の血だまりに転がり落ちたその頭。



「――、――ッ!」

 蜂の異形は顎を鳴らしながら、女性らしいくびれのあるしなやかな黒と黄金色が入り混じった肢体をくねらせ、魔人を威嚇する。

 二つに分かれた顎では粘液の橋が無数に架かり、重力に負けた液はねっとりと自身の肢体や冷たいコンクリートの地面に垂れ落ちていくが、そんなことを気にも留めず、口内では次々と液体が作り続けられていく。

「……」

 見る者を嫌悪させる光景を目の当たりにするも、魔人は微動だにせず、ゆっくりと蜂の異形に向けて歩を進める。

 魔人の硬い足が立てる音はコンクリートやコンテナに反響し、蜂の異形を威圧する。

「――ッ!」

 異形は小さい針を形成しては次々と魔人へ向けて撃ち出していく。

 魔人はその悉くを青白い光を纏った左腕で弾き、辺りには無数の黒い針が子気味の良い音を立てながら散乱していった。

「――、――、――ッ!」

 異形の口元が先ほどまでよりも素早く振動し始め、それに伴って口元の粘液は泡や飛沫となって辺りに飛び散る。

 呼応するように左腕の器官からは、一本の黒い針が形成されていく。

 しかし、今度の針はこれまでとは毛色が違った。

 針のように切っ先が細く、横から潰したように平たくなり、月や街灯の明かりを鮮明に反射する美しいそれは、細剣とでも呼ぶべき姿をしていた。

 蜂の異形は顔の前で細剣を天に向け、魔人を待ち構える。

 魔人は構わず進んでいく。

 そして、お互いの間合いに入った時、

「――――ッ!」

 異形の素早い正確な突きとともに戦いは始まった。

 細剣は的確に魔人の胴体の鎧を纏っていない隙間を狙う。

「……!」

 白亜の兜から露出した紅い左眼が一層輝きを増した。

 魔人は突き進んでくる針を身体をずらすことで躱す。

「ッッ!」

 異形の口元が魔人を嘲笑うかのように開閉する。

 魔人は初めはその意味が解らなかったが、すぐに理解することになった。

 細剣の黒い刀身の上を自らの肉体と同じ黄金色の液体が流れる。

 魔人は本能で距離を取ろうとするが、少し遅かった。

 細剣を振るうと、溢れ出る黄金色は周囲へと飛び散り、それは魔人の身体にも触れる。

「……ッ!」

 液体が触れた箇所を熱さと痛みが襲い、侵食していく傷口からは白い煙が出る。

 魔人はすぐさま後ろへ飛び、頭上に雲を発生させると、雨によって体を冷やした。

 熱さと痛みが癒えることはなかったが、傷口の進行は一先ず食い止めることができた。

「……」

 魔人は思案する。

 この戦いをどう進めていくべきかと。

 液体が触れた所は、異形の身体を除いて須らく白い煙を上げながら融けている。

 だったら……――――魔人の身体が青い光を帯びていく。

「……ァ!」

 魔人は片膝をついてしゃがみ込むと、左手で勢いよく地面を叩きつける。

 それと同時に、獣のように咆哮を上げる一筋の青い雷が蜂の異形へ駆けた。

 目にも留まらぬ速さでコンクリートの表面に黒い軌跡を描き、蜂の異形へと切迫する。

 だが、

「――ッ!」

 異形は左手の器官から細剣をコンクリートへと撃ち込み、空へと飛び上がる。

 青い稲妻は異形の代わりに細剣を焼き尽くし、黒き刃は白い煙を上げながら炭となって地面に崩れた。

「……ッ」

 猛毒を帯びた黒き細剣を見事打ち砕いたものの、状況が有利に好転したわけではない。

 むしろ、悪化したとさえ言える。

「――ッッ」

 遥か高くに飛び上がった蜂の魔女が、地上で見上げるしかない魔人を嗤う。

 月明りに照らされる異形の蠱惑的な肢体や羽は、サテン生地のように艶やかであった。

 異形は月を背にしながら再度奇怪な鳴き声を上げると、左腕の器官から黒い細剣を生み出した。だが、今度の剣は先ほどよりも長い。小回りは利かないが、異形が取る戦法は確実に空中からの一撃離脱、先程までの狙撃や格闘などよりも有効的な戦法だと言える。

 相手は蜂を模した人外、そもそも同じ大地という土俵で戦っていたことがおかしいのだ。

 アレは単なる化物ではない。ヒトの知性と狡猾さを併せ持つ、人智を超えた新たなる人るとも呼べるような存在である。

 そのようなモノがより有利な環境で戦おうとするのは必然であった。

 しかし、魔人とて同じ人智を超越した異形の者である。

 同じ異形であるのならば、勝てない道理など決してない。

 それは、あの【轟焔】であっても変わりはしない。いや、目の前の異形を倒せなければ、アレに勝利することなど夢のまた夢と言える。

「…………」

 魔人は精神を、五感を研ぎ澄ませる。

 港に吹く潮風の音や匂い、空気の冷たさ。月や街灯の光の加減でさえも鮮明に感じ取り、その中で決して溶け合うことのない異物の動きを浚い取っていく。

 耳障りで甲高い羽音を、風の流れに逆らおうとする軌道を、こちらを見つめる多くの眼の視線を敏感に読み取り、相手の一手を予測する。

 自身の持つ、最高の一手を最適な瞬間で決めるために。

 蜂の異形が望むは魔人の死、魔人の上空を円を描くように飛び回り、決定的な隙を探す。

「――――ッ――――!」

 異形の魔女の口が大きく開かれ、雄叫びを辺りに木霊する。

 戦いの終わりの始まりが告げられた。

 魔女は怪しく輝く月を背に、細剣を構える。そして、急降下して魔人を背後から強襲する。

 細剣を突き刺した時の感触を今か今かと待ちわび、口元が醜悪に歪む。

「……――ッ!」

 勝った。

 魔女は細剣が魔人の身体を貫く間際まで来たとき、そう確信し、思わず喜びの声が漏れる。

「…………!」

 来た。

 この瞬間を待っていたと言わんばかりに、魔人は紅き左眼を燦爛と輝かせ、声にならない雄叫びを上げ、身体を震わせる。

 魔人の放出された雷が、辺りを昼へと変えた。

 そして、勢いよく身体を回転させて一撃を回避すると、続けざまに驚愕に満ちた顔をした魔女の横腹を、青い稲妻が帯びる右脚で蹴りつけた。

 異形の魔女の肉体は黒く焦げ、衝撃によってコンテナに叩きつけられる。

 それは次第に動きを鈍らせていき、ついに動かなくなる。

 戦いは終わった。



 港に静寂と冷たい風が再び訪れる。

 だが、鎧は解かれることなく、その場で街灯に照らされ続けていた。

「……」

 本当に死んでいるのか、異形のもとに近づこうとした、その時、

「ッ!」

 魔人の足元のコンクリートが暴風とともに抉れ、それによって魔人の歩みは止められた。

 魔人は新たな敵を視覚と聴覚を用いて探そうとする。

 しかし、探すまでもなく、それは目の前に現れた。

 蜂の異形への道を塞ぐように舞い降りたそれは、

「……」

 街灯の明かりを鈍く反射する漆黒の甲殻、それは西洋の甲冑を思わせる。だが、甲殻は外傷から身を守ると同時に、中身を傷つけそうなほどに内側へと巻き付くように食い込んでいる。

 そして、それは白い魔人と瓜二つという言葉がよく似合うほどに酷似していた。

「……」

 お互いに何も言わず、ただ自分の半身を見るかのように観察する。

 更なるコミュニケーションを取るべく、白き魔人が一歩踏み出そうとした時、

「……」

 黒き魔人は異形の骸まで一息で詰めると、腰からひしゃげた骸を軽々と持ち上げて、どこかへと跳び去って行ってしまった。

「俺と、同じ……」

 鎧を解いた隆一はぽつりと呟き、すっかり星が瞬き始めた空を見上げた。

 …………。



 再び、港に平穏が戻った。

 しかし、今度は静寂が訪れることはなく、複数のサイレンの音と、

「おじさん! おじさぁん! 返事してよお……」

「竜海、揺らすな……」

 少女の泣き声とそれを宥める声が辺りに響き渡っていた。




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