episode3-5 約束の履行/戦士の行く先

 滝山市の一般国道にて、藍色の鎧と鷲の異形は、密集するビルに挟まれた道路で追跡劇を繰り広げていた。優雅に空を飛ぶ異形と違い、椿姫は車などの障害物を掻い潜りながら必死に異形に食らいついている。

〈届けええええええええええええええええええええええ!!〉

 椿姫の放った奇怪な手は、轟音を上げ、噴煙を巻き起こしながら鷲の異形へと飛んでいく。手に繋がるワイヤーの巻き取り機はキリキリと音を上げながらワイヤーを伸ばしていく。

 あと少し、あと少し、動かないでよ――――意味など全くないが、椿姫は祈る。

 高速で飛翔する奇妙な物体は、正確に異形を肉薄する。

 藍色の鎧は装着者に微細な針を通じて、奇怪な手が風を切る、偽物の感覚を伝えてくる。

『なかなか面白い道具だ。人間もより進化しているようだな……。だが、そんな攻撃をくらってやれるほど、私は優しくない』

 異形の聴覚は、振り向かずとも向かってくる腕の位置を正確に捉えていた。

 異形は腕による掴みを僅かな動きで回避する。そして片翼で巻き起こした強風で腕を叩き落とした。

〈ああ、もう!〉

 椿姫は苛立ちを露にしながら、停車した車の間を駆け抜けている。

 奇怪な腕はアスファルトに擦られ、火花を上げながら藍色の鎧に巻きとられていく。

 その間も、車の中の人間は、眼前で繰り広げられる異常な光景に恐れおののきつつ、カメラを嬉々として向けフラッシュを焚いていた。

〈もう、あと一回だけか……〉

 頭部内のディスプレイに、ロケットアームに残された燃料と、使用可能な回数が表示される。未だに火器の使用許可は下りていない。

〈荒城さん! まだですか!〉

 椿姫は鬼気迫る声で上司に叫ぶ。それは、自身の肉体から発せられる熱が鎧の内側に充満する不快な感覚を振り払うようでもあった。

 滝山ポートタワーはもうそこまで迫っている。障害を通り抜けていくほどに、全高二五〇メートルの塔と、その背後にある青い海が視界を覆いつくしていく。

『まだだ、最上階に人が取り残されている。火器の使用は許可できない……!』

 上司の胸の内にある鬱屈とした感情を絞り出すような声に、椿姫は何も言うことは出来なかった。

〈荒城さん、提案があるんですが……〉

 思い出と現実の守り人たる少女の反攻は、逆境に立たされてから始まる。



「おい椿姫! あれ見ろよ! うちが見えるぞ!」

 それは、セピア色の遠い記憶。

「わあーすっごいねぇ! お兄ちゃん! うちがあんなに小さく見えるなんて!」

 少年と少女は天を衝くような高い塔から、小さくなった世界を見下ろしていた。

「わっ!」

「うひゃっ! もう! お兄ちゃん!」

「へっへー!」

 仲のいい二人の幼い男女は展望台で走り回っている。

 そんな姿を見て二人の両親は、微笑みながら子どもたちをなだめに歩いていく。

 それは温かかった頃の懐かしくも、悲しい記憶。

「まあ、そんなに怒んなってぇ、あははっ!」

「もう! 絶対に許さないからあっ! ふんだ!」

 少女は母親に抱かれながら、そっぽを向いてふくれる。

 流石に少年もばつが悪くなったのか、足りない知恵を振り絞って場を取り繕う。

「えっ、えーっとほらあれだ! もし、椿姫が落ちそうになったら助けてやるよ!」

 ハラハラとしどろもどろに言葉を紡ぐ少年。

 しかし、少女は子どもながらも、そんな突拍子もない言葉を信じるほど無垢ではない。先ほどの事もあってのことだが、変わらずそっぽを向いている。

「ふん! あたし、そんなこと信じるほど、もう子どもじゃないもん!」

「もう~許してくれよ~何でも言うこと聞くからさあ~」

「ほんとぉ?」

 それは遠い日の、今守るべき記憶。



「…………!」

 身体の一部が白亜の甲殻に覆われた青年はバンパーから飛び降りると、目にも留まらぬ速さで【轟焔】に向けてジグザグに走る。

 隆一は全身が沸騰するような感覚と高揚が駆け巡っていたが、その動きは変則的で正確無比。砂埃を巻き上げながら確実に【轟焔】へと迫っていき、白亜の鎧に包まれた左腕で【轟焔】の顔面に拳を放つ。

「貴様の言うことは気に食わないが、その動き……なかなか目を見張るものがある。“混ざりもの”でなければ部下として鍛えたかったものだ」

 【轟焔】は変化した隆一の姿や動きにやや驚きつつも、対応は冷静だった。自らの顔に放たれた拳を右手で抑える。

 しかし、半魔人と化した隆一による殴打の衝撃は凄まじく、【轟焔】は後方にのけ反る。

 隆一はその隙を見逃さず、すかさず右脚による回し蹴りを【轟焔】の右わき腹へ目掛け放った。

「ほう……先ほどまでとはまるで別人だ、なっ!」

 蒸気を放出しながら繰り出される蹴りを、【轟焔】は後方に跳んで避ける。空中で一回転して着地する様はまるで体操の演目を行っているようであった。重々しい着地音が駐車場内に響き渡る。

 図体はデカいくせに、随分と俊敏なやつだな――――隆一は今出せる渾身の蹴りを躱されたことに歯噛みしながらも、追撃を行うために【轟焔】に向けて走りだす。

「ん?」

 駐車場に一台の黒いバンが入ってくる。

 【轟焔】は自身を轢かんとする勢いで後方から走ってきた車を避ける。それに伴って隆一も追撃を止めて様子を見る。

 バンは隆一の前で停まると、ドアが開かれ中から紺色のスタッフジャンパーを着た女性が降りてくる。

 そのジャンパーから、隆一はAPCOの職員だと理解した。

「滝上君、平気ですか?」

「APCOの人ですよね、あそこの人をお願いします」

 そう言って柳沼を指差す。その先には、地面にうずくまりながら荒く息を上げている。

 女性が後ろに向かって頷くと、バンから他に二人の人間が降りてくる。そして、柳沼の方へ駆け寄り、バンの方に向かって運び始める。

「貴方を別働隊のところに連れていくようにと。あと、理事からこれを渡すよう命じられました」

 隆一に灰色無地のペン型注射器を手渡してくる。

 女の目には隆一への恐怖の色が浮かんでいた。それは無理もないことであった。隆一の身体は一部が白い甲殻を纏い、蒸気が噴出し、左眼は赤く染まっているからだ。

「そろそろいいか?」

 【轟焔】の地獄の閻魔を思わせるかのような低い声が駐車場に響き渡る。

「ああ、大丈夫だ」

 隆一はバンを、柳沼を背にして【轟焔】に立ちはだかる。

「先に行ってください。俺も、後でそっちに合流するんで」

 隆一は振り向かず、目の前にいる敵をまっすぐ見据えながら、背後にいる女性職員に向けて話しかける。

「わかりました。では、お気をつけて」

 職員は短く返事を返し、乗車する。

 そして、柳沼を乗せたバンは入ってきた方向とは反対の方向に向かって走っていく。

 車の排気音が遠くなっていく程に、駐車場内に静寂が満ちていった。

「【轟焔】、この戦いも……これで、終わりにしよう」

 静けさに包まれた空間に、隆一の声がこだまする。そして、左腕の甲殻を纏っていない部分に注射器を当て、中の液体を身体に流し込む。全身を先ほどまでとは比べ物にならない熱と高揚が奔る。

 【轟焔】は杖のように剣に手を置き、その様子を観察する。

 隆一の身体が大蛇のように蜷局を巻く雲に包まれ、吹き荒れる風と轟く雷の音が静寂を壊していく。渦の勢いが頂点に達すると次第に徐々に動きが鈍くなり、やがて消える。

 再び駐車場に静けさが戻る。そして、

「…………」

 露出した紅き瞳を燦爛と輝かせて、白き魔人は整然とそこにいた。

 その姿を見た【轟焔】の目は驚愕の色に染まっていた。が、それはすぐに収まり、剣を放るとともに、笑みを浮かべながら構える。

「歪な姿だ。貴様とよく似た姿のモノを知っているが、“混ざりもの”というのは皆そのように奇妙な形なのか?」

「……!」

 【轟焔】の問いに、魔人は言葉ではなく、拳によって答えた。そして、目にも留まらぬ速さで筋骨隆々の男へ肉薄する。

 魔人の拳は風を切りつけながら、【轟焔】の腹へ吸い込まれるように放たれた。

「っ!」

 一瞬で間合いを詰めてきた魔人に、【轟焔】は咄嗟に防御の構えを取る。しかし、衝撃は凄まじく、半魔人であった時に比べて大きくのけ反った。

 魔人は間髪入れずに右脚に巻き付いた、黒い触手のようなナニカを【轟焔】に向けて突き刺す勢いで伸ばした。

「ぬうん!」

 しかし、黒い触手は【轟焔】の周りに発現した炎の壁によって、その進行を阻まれる。

 魔人は右腕から水を放出し、炎の壁へと向ける。だが、火は消えるどころかその勢いを増していく。魔人は攻めの手を止め、静観に移る。

 炎の向こう側から、【轟焔】の声が飛んできた。

「全く、貴様に力を使うことになるとは思いもしなかった。いや、むしろ僥倖……と言うのだったか……あの状態の【聖賢】ではこの内から登ってくる幸福感と昂りを得ることは出来なかっただろう。感謝する……こんなに胸が高鳴るのは久しぶりだ……私の最高の好敵手であり、仲間であった【ヴァルジール】と手合わせをしたとき以来だ」

 【轟焔】の言葉には先程まであった殺意など欠片もなく、ただ幸福に満たされていた。そして意識はすでにここになく、柳沼と同じように遠く隔てられた記憶の残照に向かって旅立っているのだろう。

 吹き上がる炎の壁は次第に弱まり、炎の向こう側にいる【轟焔】の姿が露になる。

 猛々しく燃え盛る炎を身に纏い、火の粉を周囲に振りまきながら隆一に向けて歩いてくる。不思議なことに、【轟焔】の身に着けていた服は燃えず、相も変わらず筋肉によってはち切れそうなほどに伸びていた。

「ああ、我が友よ……永遠の好敵手よ……ようやく新たな好敵手となりえるかもしれぬ相手と出会うことが出来た……何百年ぶりだろうか、初めて【貴様】と手合わせした時のような感覚だ……」

 男の表情は恍惚としていて、そこに毅然とした戦士の貌はない。ただ、闘争という欲望に呑まれた哀れな男の姿があるのみである。

 魔人はその姿をじっと捉え、どのような動きが来るか警戒しつつ、その対応策を考える。

 男の瞳が現実に帰り、魔人の瞳を見つめ返した。

「すまない。このようなことは随分と久しぶりなものでな、つい我を忘れて物思いに耽ってしまった……では、続きを始めるとしようか」

 【轟焔】の身に纏う炎が噴火のごとく吹き上がり、鬣のように風にたなびいた。

 魔人はその左眼を煌々と紅く輝かせ、次の一撃に賭ける。同じ技は通用しないと考えたからだ。通常ならば稲妻の刃を発現させているところだが、ギリギリまで粘る。確実に当てられる、その時までは。

「ふ、その紅く輝く瞳……我が友の目を彷彿とさせる。貴様は本当に面白い……敬意を払い、この一撃で仕留めて見せよう、友と編み出した至高であり必殺の一撃を以ってな」

 【轟焔】は身体の周囲を揺らめく炎の一塊をまるで形あるもののように手に取る。男が力を籠めるとその炎は瞬く間に螺旋を描いた。しかし、それは柳沼を切る時に出した剣と違い、細見で、鋭い刀身。切るというよりは突くことを目的とした剣のようだった。

 二人の戦士は構え、お互いに最後の一撃を見舞うべく、身体を、神経を研ぎ澄ませる。

 【轟焔】は透き通るような美しい銀色の刀身に炎を纏わせる。炎は風を孕み、勢いが増していく。囂々と燃え盛り、火の粉が天井やコンクリート床を焦がす。

 魔人は身体から漲る熱を左腕に籠める。

「だが、簡単に死んでくれるなよ……生きていたら私は貴様に真なる敬意を払おう」

 魔人は【轟焔】の言う真なる敬意とやらに興味はなかったが、先程までよりも強く気を引き締めた。敵の研ぎ澄まされた構えと洗練された刀身に宿る、美しくも禍々しい獄炎。そのどれをとっても今の魔人の及ばない極地にあったからである。

 風がさざめき、視界は炎によって揺らめく。

 屈強な戦士は心を高らかに舞い、それでいて身体は波立たぬ水面のように泰然自若としている。

 白亜の魔人は心を平静に保とうと努める。が、ギリギリまで切り札である青い稲妻を隠そうとしたがために、滞留した力は宿主の身体を、内側からじりじりと焼き焦がしていく。

 そして、時は動き出した。

「――――――――――――!」

「……!」

 空間を、いや、世界を震わせんとする咆哮と、辺りを照らす一縷の紅い輝きが衝突する。

 【轟焔】は背中の炎を爆ぜさせると、その勢いを使って魔人に向けて滑り込むように突進してくる。

 ざっと二五メートルはあった距離を瞬く間に詰めてくる。

「!」

 魔人の瞳が一際強く、煌々と輝いた。

 滞積していた爆発的な力の奔流が、獣のような唸りを上げて雷の刃として顕現する。

 禍々しくも神々しい青白い輝きと、血涙のように放出される紅い輝きが重なり、視界を埋め尽くす。

「何!?」

 【轟焔】の貌ははっとして吃驚の色に変わるが、突きの構えとその速度が変わることはなく、魔人の懐へ目掛けて燃え盛る炎の刺突剣を突き刺す。

 風を焼きながら、まっすぐに向かってくる死を孕んだ炎の刃を、魔人はギリギリまで引き寄せ、姿勢を低くして躱す。

 【轟焔】の対応は僅かに遅れ、魔人はその好機を見逃すことはなかった。

 そして左腕の青白く輝きを放つ刀身で、炎の切っ先を撫でるように、【轟焔】の懐へと滑らせていく。

 魔人の左頬部分を炎が焼いていく。だが、それを気にしている余裕は魔人にはない。この好機を逃せば、この攻撃の有効性は失われてしまうことは明白であるからだ。

 左腕に一層の力を籠める。

 それに応えるかのように稲妻の刃は破裂音を轟かせ、【轟焔】の右脇腹からじりじりと、その磨き抜かれた屈強な身体を溶断していく。

 噴き出てくる血のような黒い体液を、輝く刀身は触れた傍から蒸発させていった。

 【轟焔】の口元からは、絶叫を噛み潰すような苦悶の声が漏れ出てくる。

「ぐ、ぐううう……面……白いっ!」

 【轟焔】は右脇の部分で爆発を発生させると、その勢いを使って左へ無理やり身体を移動させた。

 爆発の衝撃は雷の刃を霧散させ、魔人の身体も吹き飛ばした。

 駐車場内は噴煙に包まれる。

 そして、

「先程の一撃は良かったぞ……さあ、戦いの続きと……」

 白く霞んだ視界が晴れ渡り、【轟焔】は脇腹の傷口を焼焦がして塞ぎ、立ち上がる。

 その顔は苦痛、昂奮、幸福といった様々な感情がない交ぜになったような顔をしていた。しかし、それはすぐに失望へと変わる。

 白闇から解き放たれた世界には、【轟焔】以外誰も残っていなかった。



 滝山市の一般国道。

 滝山ポートタワーはもう目の前にまで迫っており、見上げなければならないほどにまで視界を覆いつくしていた。

『人が生み出した新たなる剣か……中々に楽しめたが、こんなものだろう。【轟焔】もそろそろ【聖賢】を粛清されている頃合いだろう……っ!』

 鷲の異形は自らに向けて上がってきた強力な光を発するナニカを避ける。だが、その光は一時的にではあるが異形の優れた視力を奪う。

 それは、ポートタワー付近で防衛線を引いていたAPCO実行隊員によるものであった。

『ぐ、ぐう……!』

 異形は地に落ちることはないが、飛行はおぼつかず、ふらふらと蛇行している。

 その隙を、隊員たちが創り出した逆転の光明を、椿姫は見逃さない。

〈これで終わりにして見せる! Fire !〉

 奇怪な形の手が狙うのは、鷲の異形ではない。

〈いっけえええええええええええええええええ!!〉

 その手が向かうのは自分にとっても、思い出深い、そして今この時、守るべきものである塔。

 鉄の守り人はその手で思い出を守るべく、自らがタワーを危険に晒しかねない武器を敢えて向ける。

 奇怪な手は塔の柱を掴む。

〈ローラーブースター! リミッター解除!〉

 椿姫の視界に、赤い文字で―― Danger ――と表示され、耳元ではアラート音が鳴り響く。

 脹脛部分に取り付けられた推進器が青白い火を勢いよく噴き出した。

 身体に掛かる負荷が更に重くなる。

 耳元で鳴り響く騒音と身体に掛かる重さ、両脚にじわじわと籠ってくる熱に苦悶の表情を浮かべながら、椿姫はワイヤーを巻きとっていく。

 耐えてねポートタワー……――――少女は古くなり塗装が所々剥がれ落ちた塔に無理を強いる。

 リールに巻きとられワイヤーのたるみがなくなり、推進器の勢いが頂点に達した時、

〈うおおおおおおおおおおおおおおおお!!〉

 藍色の鎧は天空を舞う。

 少女に掛かっていた重さがふっと軽くなり、足が大地から離れ、落ち着かない感覚を覚える。

 だが、そんなことを考えている時ではないと気持ちを切り替える。

 見上げるばかりだった異形と同じ高度まで一気に駆け上がるが、まだ止まらない。

〈ぐぅっ! でもぉ、止まるなあ! 飛んでええええええええ!〉

 身体を押しつぶす感覚が甦ってくる。

 高く……もっと高く! ――――少女の思いに応えるように藍色の鎧は、少女の持つ遠い記憶の街並みすら軽々と超えて、飛び上がる。

 雲を背に、椿姫は体勢を立て直し、遥か下の異形を見下ろした。そして、自身を繋ぎとめていたワイヤーを切り離し、一気に降下する。

 地を這うばかりだった人間は空を統べる鳥の王者に最後の決着をつけに行く。

〈ブレード起動!〉

 右腕の装甲が剥がれ落ち、鈍く光を反射する黒い刀身が形成されていく。

 黒い刃は陽光を鈍く反射しながら高速で振動し、風を切り裂き、鷲の異形に迫る。

 しかし、運のないことに、異形は奪われた視界を取り戻した。

 このまま押し通して見せる! ――――少女は脚の角度を調節し、推進器のスロットルを開放する。そして異形目掛け、空を駆ける。

 鷲の異形が手に届く範囲まで近づき、藍色の鎧は最後の一撃を振り下ろす。

〈守って見せる!〉

『ぐうう、そのような攻撃この私に通用するとでも思っているのかああああああああ!』

 鳥の王者は己の持つ誇りにかけて、その一撃を己の大翼で真向から受け止める体勢を取る。

 太陽に照らされた藍色の鎧は鈍い輝きを放ちながら、王者に接近していく。

 その様子をポートタワーの展望台に取り残された人間や、下で防衛線を張っていた人間たちは固唾を呑んで見守っている。そして、

〈届けよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!〉

『私も負ける訳にはいかないのだああああああああ!』

 黒い刃とその二回りは大きい翼が、大気を切り裂き、ついにぶつかる。

 甲高い唸り声をあげる刃はじわじわと、確実に異形の身体を切り刻んでいった。

 そして、

 …………

 ……

『ヴェルクーティスだ……』

〈え?〉

 突然話しかけてきた鷲の異形に、椿姫は愕いて惚けたような声が出た。

 空の王者に残された時間は残り少ない。相手の様子を気にせず、話を続ける。

『私の名前……我々……ミラジオに住む民は真に敬意を持つ人間に対して、自分の名を明かすのだ……』

〈ミラジオ……の民……〉

 初めて知った敵の生命体を表す言葉を反芻する。

 至高の敵とともに落ちていく空の覇者の表情は、とても満足気で、まるで友人に話しかけるような気安さと心安らいだかのような顔をしていた。

『見事だ……使命を果たせなかったことは悔いが残るが、貴様のような人間に二人も会えたことは、このヴェルクーティスにとって僥倖であった……ありがとう』

 空の覇者は瞼を静かに閉じ、その意識は見知らぬ大空へと旅立っていく。

〈……そう……〉

 空の王者と一人の少女の言葉は誰にも届くことはなく、大空に吸い込まれていった。

 やがて、一つの影は天高くどこか舞い上がり、もう一つの影はコンクリートの大地へと落ちていく。



〈ってええ! やばいわよ! このままじゃあ!〉

 少女は焦る頼みの綱であったワイヤーは切り離している上、両脚の推進器は無茶な使い方をしたせいでガス欠になったため、衝撃を和らげるための速度調節を行うことも出来ない。

 残されている装備はブレード、ナイフ、そしてロックを掛けられた短機関銃のみ。

 いくらアディールが異形の敵の攻撃に耐えられる設計になっていようと、高さ二〇〇メートルから落ちればひとたまりもない。

 有体に言えば詰みであった。

 椿姫の身体を藍色の鎧ごと重力の鎖が硬く冷たい大地に引っ張ってくる。

〈ん?〉

 少女は目の前で起こる奇妙な現象に思わず声を発した。

 コンクリートの地面から、水が昇ってきているのだ。カメラで確認すると、水の上に白い何かが乗っている。

〈兄……さん?〉

 その時、少女の古い、とても幼い頃の記憶が甦る。

 もし、椿姫が落ちそうになったら助けてやるよ! ――――少年の慌てふためいた、頼りない顔と子ども特有の全能感による発言が、椿姫の頭の中を埋め尽くした。

「…………」

 普段とは違い、頼りがいのある風貌に変貌した兄が、今、過去の適当な口約束を記憶を失いながらも果たそうとしていることに、椿姫は目に涙を浮かべて喜んだ。

 白亜の魔人は水の上で器用にバランスを取りながら、椿姫に手を伸ばす。

 少女はその硬そうな白い甲殻に包まれた手を取りに行く。

「……!」

 そして、手と手は握り合い、白は藍色を水の台へと引き寄せる。

 二人は水で出来た展望台から街を見下ろした。

〈ほんと……兄さんは……敵わないなあ……〉

 少女は目の前の光景にため息のように言葉を紡ぐ。それは先ほどのヴェルクーティスと同じように、幸福と安らぎに満ちた声色であった。


 それは、図らずもあの時の、仲直りをした時の光景と同じだった。





 思いとは時に移ろいやすく、時に難く揺るがないもの。

 これは思いの物語。それを守り通したモノたちの物語。


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