閉店後の厨房で
「レオンさん! 厨房を少しだけ使わせてください!」
閉店後の厨房、朝までスープストックの火の番をする予定のレオンさんに頼み込む。イライザさんと共に。
この間は結局花咲きさんのお宅の台所を借りれなかったので、今度はお店でレオンさんだけがいる時を狙う事にしたのだ。
勝手に使うよりは、レオンさんがいたほうが、万が一マスターに見つかった時に誤魔化せそうだったから。
「な、なんで……ですか?」
イライザさんがいるからか、レオンさんは一応は敬語で対応してくれる。
「実は、新しいメニューというか、お菓子の開発をしたくて。ほら、女性のお客様のために」
「それならレシピでもくれりゃ、俺とマスターでなんとか作ってみるけど」
「それだとおいしくできなかった時に私達が気まずいじゃないですか。変なレシピを考案してしまったってマスターにバレたら恥ずかしいです」
「レオンくん、お願い。少しだけでいいから」
「まあ、そういう理由なら……仕方ねえな。イライザさんもあんまり騒がないでくださいよ」
イライザさんがいるせいか、レオンさんは強く出られないようだ。あっさりと厨房の使用許可をくれた。
「それじゃあ、私はカスタードクリームを作るので、イライザさんは皮作りをお願いします。とりあえず2枚」
「わかったわ」
私は以前にレオンさんに教わった通りにカスタードクリームを作り、その間にイライザさんは小麦粉などを混ぜ合わせ、小さめのパンケーキを焼いてゆく。
出来上がったカスタードクリームをたっぷりと皮の間に挟んで、端を軽く押さえる。
そしてついにどら焼き(仮)が完成した。
二枚の皮の間に挟まったカスタードクリーム。さて、お味はいかほどのものか。
包丁で半分に切ってイライザさんと試食する。
「あら、おいしい」
イライザさんが弾んだ声を上げる。
確かにおいしい。というかパンケーキにカスタードクリームという組み合わせなんて、まずくなる要素がないに決まってる。
けれど私は違和感を覚えていた。どうも何かが違うような。これではどら焼きというか、パンケーキ焼き。いや、実際その通りなんだけれど。
「確かにおいしいですけど……私の記憶するどら焼きって、もっとしっとりしてたような気がするんですよね。甘さもちょっと違うような……」
「しっとり……? うーん、焼き時間を短くするべきかしら? でも、そうすると半生になってしまいそうだし……」
何が違うんだろう。ああ、こんな時スマホが使えれば検索できるのに……。
私は食べかけのどら焼きもどきを更に半分に分けると、鍋の様子を見ていたレオンさんに差し出す。
「レオンさん、ちょっと味見して貰えませんか? それで、もう少しパンケーキ部分をしっとりさせたいんですけど、どうしたら良いと思います?」
ここは料理のプロであるレオンさんに助言を乞おう。
大人しく一切れ口にしたレオンさんは、腕組みしながら考えるそぶりを見せる。
「うーん、別にこのままでも悪くねえと思うけど……そうだな。蜂蜜でも加えてみたらいいんじゃねえの?」
私はイライザさんと顔を見合わせ、一枚分の生地に対して少しずつ蜂蜜を加えては焼いてゆく。それをひたすら味見するのだ。
やがて加えた蜂蜜がある量に達した時、私の舌が懐かしさのようなものを訴えた。反射的に声を上げる。
「これです!この味! 生地もしっとりしてるし、私の覚えてるどら焼きの皮の味!」
私の言葉にイライザさんは目を輝かせた。
「まあ、本当? それじゃあ分量を記録しておきましょう。ええと、一枚分の生地の量に対して、入れた蜂蜜は……」
そうしてメモし終わった後で残りの生地にも蜂蜜を入れてから焼いて、改めてカスタードクリームを挟んだどら焼きを作る。
今度は三つに切り分けて、レオンさんにもおすそ分け。
「本当だわ。最初に作ったものよりしっとりしてて美味しい」
「レオンさんの助言のおかげですね」
「うちは菓子屋じゃねえんだけどな……でも、まあ、なかなか上手くできてるんじゃねえの?」
おお、褒められた。これならマスターに渡しても大丈夫なのでは?
再び鍋をかき混ぜ始めたレオンさんを確認して、厨房の隅でイライザさんに囁く。
「イライザさん、あと一つくらいならどら焼きを作れるくらいの材料も残ってるし、この際、あの作戦を明日決行したらどうですか?」
「あの作戦」とは勿論マスターにどら焼きを差し入れて好感度アップ作戦の事だ。
「え? で、でも、そんなに急に……?」
「だって、レオンさんは朝までスープストックの番をするだろうし、それが終われば夕方まで休みなんですよ。その間マスターは厨房で一人きり。渡すには絶好のチャンスじゃないですか」
「で、でもでも、そんな、恥ずかしい……」
イライザさんは両手を組むと乙女のように頬を染める。
「大丈夫ですよ。一見本当に差し入れしてるようにしか思えないし。それで紙ナプキンにねぎらいの言葉なんかを添えて、ちょっとしたアピールしたり。それを繰り返す事で徐々にマスターの胃袋を掴んでいくんです……! そのための第一歩ですよ……!」
私が説得すると、イライザさんは暫くおろおろと目を泳がせていたが、やがて意を決したように私を見つめる。
「わかったわ。私、やってみる……!」
そう言って最後のどら焼きを作るためにフライパンへと向き直った。
「あ、せっかくだから皮の形をハート型にしましょうよ。そっちのほうがかわいいし」
「ええ? でも、そんなの送ったらあからさまじゃないかしら……?」
「だって、表向きは女性に喜ばれるメニューの開発って事になってるじゃないですか。だったらハート型でも不自然じゃないですよ。あと、『どら焼き』ってネーミングもやめて、マスターの好みに合致するように詩的にしたほうがいいかもしれませんね」
「名前を変える? それ、とってもいい考えだと思うわ! そうね……せっかくのハート型だし『乙女の秘めたる想い』とかどうかしら? ハートが『乙女』で、 『秘めたる想い』が皮の中身を表しているとみせかけて、私のマスターへの想いを表しているのよ」
イライザさんも結構な詩的センスだな……。
そんな事を考えながら曖昧に微笑みながら頷いておいた。
翌日、マスターへと『乙女の秘めたる想い』を渡すタイミングをイライザさんと一緒に見計らっていると、お昼時に花咲きさんが来た。混雑する時間帯より少し前に。
あ、まずい。イライザさんの件に気を取られていて。レイアウトの件についてマスターに確認するの忘れてた……!
さすがにこの忙しい時間帯にマスターに確認するわけにはいかない……
イライザさんもお菓子のせいで仕事に身が入らないみたいだし、その分私がカバーしなければならないというのに。
「い、いらっしゃいませ花咲きさん。今日はお食事ですか?」
「ああ、イラストを描くために料理を提供して貰おうと思ってな。そうだ、そういえば、メニューのレイアウトの件はどうなった?」
「そ、それなんですけど、このところちょっと忙しくて、まだマスターの意見を聞いてなくて……すみません! 休憩時間に確認しますので、今日はお食事だけで許してもらえませんか?」
おそるおそる謝るも、
「ふうん。まあいい。レイアウトが決まるまでは料理の絵でも描いていればいいからな。今日は一番人気だという『妖精の森の秋の収穫祭』を貰おうか」
花咲きさんは意外にも気にしていないようだった。よかった。命拾いした。
「マスター、3番テーブル『妖精の森の秋の収穫祭』大盛ひとつお願いしまーす」
「おう、任せとけ。ユキ、お前それが済んだら食事休憩をとれ。厨房の奥に賄い用意してあるから」
「あ、それならイライザさんお先にどうぞ。これからお客様の増える時間だし、その時にイライザさんがいないと困っちゃいます」
「そうか? まあお前がそれでいいってのなら構わねえが。よし、じゃあイライザ、休憩だ」
「えっ? 私ですか? 私は別に……」
私は戸惑うイライザさんに素早く近づいて囁く。
「イライザさん、例のお菓子を渡すなら今ですよ。そんなにお客様もいないし、マスターも間食する余裕があると思うんです。だから休憩のついでに……!」
イライザさんははっとしてエプロンのポケットに手をあてた。少し盛り上がっているところを見ると、おそらくそこに昨日のお菓子が入っているのだろう。
そこへマスターの大きな声が響く。
「おいユキ、3番テーブル『妖精の森の秋の収穫祭』大盛だ。頼んだぜ!」
「はーい、ただいま! ……とにかくイライザさん、頑張ってください……! 渡すだけで良いんですよ! 渡すだけ! せっかく作ったんですから勿体ないですよ!」
念を押すと、イライザさんの目に強い決意を表す光が宿ったような気がした。
「わかったわ。私、行ってくる」
そうして私がカウンターから料理を受け取って運ぶ間に
「あの、マスター、よろしければこれ、調理の合間にでも……」
というイライザさんの声が聞こえた。がんばってイライザさん!
私は私で、花咲きさんの元へ料理を届ける。
すると、花咲きさんは早速紙と鉛筆を用意して料理のスケッチを始めたのだ。
「は、花咲きさん、そんな事してたらお料理が冷めちゃいますよ……!」
「問題ない。すぐ終わる。大まかな形だけ忘れないように記録しているのだ」
まずいな。マスターには花咲きさんの事もいまだ詳しく伝えていない。こんな風に料理の絵を描いている姿を見たら怪しまれるかも……。
花咲きさんの姿を隠すように立ち、マスターにちらりと目を向けると、例のお菓子を手に、イライザさんと会話を交わしているようだった。よかった、イライザさん、うまく渡せたみたいだ。その間はこちらに注意が向く事も無いだろう。
安心しながら花咲きさんを振り返ると、すでにスケッチし終わったのか、『妖精の森の秋の収穫祭』に手を付けていた。
早っ。
食事休憩が終わったイライザさんが、私のところへ駆けてきた。心なしか顔が上気しているような。
でも、その表情は明るく、先ほどの結果は予想できた。
「ユキちゃん! あのお菓子、ちゃんとマスターに渡せたわ! ユキちゃんのおかげよ、ありがとう!」
イライザさんは嬉しそうに何故か私の頭を撫でる。猫を甘やかすように。
「それで、マスターの反応は?」
「あの『乙女の秘めたる想い』っていう名前込みで、とっても気に入ってくれたみたい。デザート枠でお店のメニューに加えてみようかって言ってくれたのよ!」
「それって、味見という名目でマスターに食べさせ放題じゃないですか」
「そうなのよ! しかもね、『まさか、この頃不調だったのは、これを考えるためだったのか?』とか、勘違いしてくれたみたいで」
「それじゃあ……」
「そう。私、まだ辞めさせられなくて済みそう!」
「よかった……!」
朗報に胸を撫でおろす。
「あ、あと、それでユキちゃんにお願いがあって、あのお菓子の事を今度の銀のうさぎ亭発展会議で皆から意見を聞きたいってマスターが言うから、味のバリエーションを一緒に考えて貰えないかしら? 流石にカスタードクリームだけじゃ寂しいもの。あ、もちろん作るのは全部私がするから」
「良いですよ。考えるだけじゃなくて、いざという時はお手伝いするので声を掛けてくださいね」
私とイライザさんが美しい友情に浸っていると、厨房から
「おいユキ! 次はお前が食事休憩だぞ! 早く済ませろ!」
というマスターの声が響いた。
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