イライザさんの病

 最近イライザさんの様子がおかしい。

 仕事中もどこか上の空で、ミスが多く見られるようになった。今日なんて食器を落として料理を床にぶちまけてしまった。それも2回も。仕事にまだ慣れていない私ならともかく、ベテランであるイライザさんが。

 それに、みんなでおしゃべりなんかしている時も、気づけばひとり無言になって愁いを帯びたような目をしている事がある。

 何か悩み事でもあるのかな……?

 イライザさんは行き倒れの私を付きっきりで介抱してくれたし、今だってなにかと気にかけてくれている。私にとっての恩人というか、お姉さんのような人だ。そのイライザさんが困っているのなら力になりたい。


 けれど、知り合ってまだ2か月ほどの私がおいそれと尋ねても良いものだろうか。私はイライザさんの事を慕ってはいるが、向こうにとっては私の事なんて同じ従業員の一人という認識かもしれないのだ。そんな人間にプライベートに関わる事を執拗に訪ねられたら気分を害するかもしれない。

 などと悶々とした日々を過ごしていたのだが、ある日の閉店後、食材を保存する倉庫の前を掃除をしている時に、聞こえてしまったのだ。倉庫の中でマスターとレオンさんが話しているのを。


「なあレオン、最近のイライザの様子おかしくねえか?」

「俺もそう思ってました。ネコ子ならともかく、一番の古株であるイライザさんがあんなに立て続けにミスするなんて……」

「だよなあ。何があったかわからんが、このまま続くようなら問題だよなあ。場合によっちゃ処遇を考える必要もある。だいたい、あいつはいつまでもこんな安月給な店で働くには勿体ねえ人材なんだよ。他にいくらだっていい働き口があるはずだ。あいつが有能だからって、ちっとばかり長く引き留めすぎちまったかもしれねえな。そろそろ身の振り方を考えてもらう時期かもしれん」


 そ、それって、イライザさんが辞めさせられるかもしれないって事!? うそ、そんなのやだ……! なんとかして撤回してもらわないと……! でも、今倉庫に飛び込んだりなんかしたら、私が盗み聞きしてたのがバレちゃう……

 混乱しながらも、とりあえず気づかれないように倉庫の前から撤収する。ささっと道具を片付けて自室へ戻ると、長い髪を梳かしていたイライザさんが「あら、ユキちゃん。お疲れ様」と笑顔を向けてくれる。

 けれど、それに応えている余裕はなかった。私はイライザさんの元に駆け寄る。


「イ、イライザさん、大変です! 事件です! 事件簿です!」

「どうしたのユキちゃん。落ち着いて? ね?」

「じ、実はさっき……」


 先ほど盗み聞いたマスターとレオンさんの会話をイライザさんに伝える。

 すると、イライザさんはみるみる青くなった。


「そんな……どうしましょう、私……」


 片手を口元に当てておろおろと目を泳がせて動揺する様子をみせる。彼女にとっても青天の霹靂だったようだ。


「イライザさん、あの、私がこんな事聞ける立場にあるかわかりませんけど……最近何かあったんですか? マスター達もその事を危惧していたみたいだし……私にできる事なら力になりますから」


 イライザさんはためらった様子を見せた後、思い切ったように口を開く

 

「実は……」

「実は……?」

「私、マスターの事が好きなの」

「………………え?」


 マスターの事が好き? イライザさんが? 

 予想外な告白に驚愕しながらも、一つの考えが頭に浮かぶ。

 まさか、ここ最近のミスは恋煩いというやつによるものだったの?

 イライザさんはブラシを置くと、改まったように話し出す。


「実はね、私もユキちゃんみたいに、このお店の前で行き倒れになっていたところを助けてもらったの」

「そ、そうだったんですか!?」


 まさかイライザさんも行き倒れ組だったとは。

 イライザさんは頷いて話を続ける。


「それでね、その時の私って、今と比べると信じられないくらいその、ぽっちゃりというか、ふくよかでね。そのせいでいろいろと嫌な目にもあったりして……特に男の人からの当たりは強かったわ。当時16歳だった私には辛かったわね」


 イライザさんがふくよか!? このナイスバディの持ち主が、かつてふくよかだった!?


「でも、マスターは違ったの。私の事を他の普通の女の子みたいに扱ってくれて、仕事も与えてくれた。よく考えたら普通の事なのに、それだけの事なのに、私はマスターの事が好きになっちゃったの。もちろん今も好き」


 イライザさんは恥ずかしそうに両手を頬で覆う。まるで少女のように。


「知ってる? マスターって身長2メートル3センチ(耳含め)、体重85キロ、得意料理はシチュー系全般で、好きな食べ物は林檎。嫌いな食べ物はピーマン。趣味はポエムで、お料理の味見をするときには耳がひくひく動く癖があって――」

「あ、もう充分です。マスターの魅力は伝わりましたから」


 放っておいたら際限なくマスターの事について語りそうだ。


「それでね、それでね、どうしてもマスターに振り向いて欲しくて、お仕事も、ダイエットも頑張ったわ。その甲斐あってか、当時とは比べ物にならないほどに痩せて、お仕事も任されるようになって……その頃から男の人に何度か声をかけられるようになった。でも、私はマスターが好きだし、他の男の人なんて目に入らなかったの。それでも淡い期待もしたわ。マスターも他の男の人みたいに、痩せた私の事を好いてくれるんじゃないかって」

「それで、どうなったんですか?」


 顔を上げたイライザさんはガールズトークに夢中になる少女のように目を輝かせている。私もいつのまにか引き込まれていた。


「それがね、マスターの態度は今までと全然変わらなかったのよ! それでますます感動しちゃった! ああ、この人は私の事を外見で判断しない人なんだって。たとえ想いが通じなくても、私が可能な限りずっとこの人の傍で助けになろうって誓ったわ。ほら、ユキちゃんが『男前すぎる料理人』のアイディアを出してくれた時、とっても素敵だと思った。これでマスターの格好いいところが他の人にも広く知れ渡るに違いないって。でも、私の予想以上にマスターの人気が出ちゃって……この間なんか『あのマスターってかっこいいよねえ。独身かなあ。思い切って誘ってみちゃおうかな』なんて話してるお客様がいて……それ以来、私、動揺しちゃって……」

「それで、仕事が手に付かなくてミスを連発してしまったと……」


 イライザさんは先ほどとは打って変わった暗い顔で頷く。


「『たとえ想いが通じなくても』なんて思っていたけれど、私は今でもマスターの事が好きなんだわ……どうしようもないくらい。こんな状態でお店を辞めさせられたら、私、生き甲斐がなくなるも同然よ……」


 その瞳は真剣で、彼女の本気が伝わってきた。

 しかしマスターにそんなに人気があったとは……まずいな。それって『男前すぎる料理人』にマスターを推した私のせいでもあるじゃないか。それがまさかこんなにイライザさんを追い詰める事になろうとは……軽い気持ちであんな事言うんじゃなかった……。

 何か、何かイライザさんを立ち直らせる方法はないものか……イライザさんはマスターの事が好きだと言うし、ここはやっぱり――


「イライザさん! この際誰かに取られちゃう前に、思い切ってマスターに告白しましょうよ!」


 私の提案に、イライザさんは目を見開くと、すぐに首をぶんぶんと左右に振る。


「だ、だめよ! そんな恥ずかしい事できないわ! ほら、言ったでしょ? 私は昔すごく太ってて、そのせいで男の人に蔑ろにされてたって。だから、そういうのってどうしたらいいのかわからなくて……」


 多くは語らないが、つらい過去があったらしい……現在のイライザさんはそんな面影もない美人さんだが、心に負った傷は今になってもなかなか癒えないようだ。


「ねえ、ユキちゃん、どうしたら良いと思う!?」


 イライザさんはすがるような目つきで私を見つめる。そんな事を頼られても困る……!


「え、ええと、残念ながら私もそういう事には疎くて……あ、ほら、『男を掴むなら胃袋を掴め』っていうじゃないですか! そっち方面からアプローチしてみたらどうでしょうか?」

「料理人のマスターの胃袋をお料理で掴むなんて不可能よ……むしろ私のほうがお料理が下手なくらい……」

「……確かにマスターのお料理おいしいですもんね」


 料理人に料理を振舞うするなんて、肖像画家に似顔絵を贈るようなものだ。


「そ、それならマスターが不得意なジャンルのものでアピールするというのは? たとえば、お菓子とか。私、前にお仕事で疲れてるっていうお客様に甘いサンドイッチを作って喜ばれたことがあるんですよ。マスターもきっと疲れてる時に甘いものを差し入れされたら喜んでくれるかも。それが手作りだったら尚更」

「だとしても、専門店の味にはとても敵わないわよ。中途半端なものを作って贈っても喜ばれるかどうか」

「だったら、オリジナルのお菓子を作るというのは?」

「オリジナルの? そんな事可能なのかしら。私だってパティシエでもないのに」


 私はしばし考える。

 確かにこの国にも普通にお菓子屋さんはあるし、ケーキやクッキーも普通に存在する。そんな中でおいしいオリジナルのお菓子を開発するというのは難易度が高いかもしれない。けれどそれらはあくまで洋菓子の話だ。和菓子ならもしかすると……

 でも、私も和菓子の作り方なんて詳しくないしなあ……


「ええと、どら焼きなんかどうでしょう?」

「どら焼きって?」

「私の故郷にあったお菓子なんですけど、小豆を煮て砂糖で甘く味付けした『あんこ』というものをこれくらいのパンケーキのような『皮』と呼ばれるもので挟んだお菓子です。形が打楽器の銅鑼に似てるからそう言われてるとか」


 言いながら両手で丸を作って見せる。


 しかし、どこかのメディアで、あんこが受け付けないという外国人が多いと聞いたことがある。この世界でもその可能性はあるはずだ。それに、あんこのちゃんとした作り方だって私にはわからない。


「あんこの代わりにカスタードクリームだとかチョコクリームなんかを挟むというのはどうでしょう? 小さく賽の目切りにしたフルーツとかも混ぜて」

「それって、パンケーキにクリームだとかを乗せたものとはどう違うの?」

「それは勿論ナイフやフォークが必要なくて、片手で簡単に食べられることですよ。ほら、マスターって料理中はほとんど手を離せないじゃないですか。そんな時に片手で食べられる甘いものを差し入れたら喜んでもらえるかも……っていうのは楽観的ですかね」


 イライザさんはしばらく考えていたようだったが、やがて決意を秘めた眼差しをこちらに向けた。


「わかったわ。やってみましょう。ユキちゃん、そのどら焼きとやらの作り方、教えてもらえないかしら?」


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