花咲きさん
ある日、見覚えのある男性が銀のうさぎ亭に姿を見せた。
深緑の髪に白い花を咲かせた、画家だというあの男性だ。
名前も知らないこの人のことを、私は密かに「
頭に花を咲かせているから。そんな単純な理由で。
私は空いているテーブルに花咲きさんを案内する。
「本当に来てくださったんですね。ありがとうございます」
「ああ。皿を返す約束だったからな。それに、お前の助言のおかげか歯の痛みも良くなった。礼を言う」
外套を脱いだ花咲きさんは、スリットの入った長い上着の下にズボンを履き、腰のあたりを帯で巻いた、アオザイに似た民族衣装のようなものを着ていた。
レオンさんは花咲きさんの事をうさんくさいとか言ってたけれど、実際には律儀に約束を守ってくれる、いたって常識的ないい人ではないか。ちょっと偉そうな独特の話し方をするけど……
しかしこれがきっかけで常連さんになってくれれば、ありがたい事この上ない。
そう思いながらメニューを渡すが、それに目を通した途端、花咲きさんが小さく唸った。
「これは少々難解だな。我輩には何が書いてあるのか理解できない」
「あ……やっぱり、そう思います……?」
「『蜜蜂の恵みとサーモンの情熱的なダンス』『白波の中の宝探し』……どれもどんな料理か想像できないぞ」
そうなのだ。この店のメニュー名には、マスターの趣味で少々、いや、かなり独特な詩的表現が用いられており、名前だけではどんな料理かよくわからないのだ。ちなみに『蜜蜂の恵みとサーモンの情熱的なダンス』とは『ハニーマスタードとサーモンのオーブン焼き』の事である。
「個人的には嫌いではないが。何が出てくるかわからないという意味では非常にスリリングだ。もっとも、明確に食したいものがある場合には解読できずに非常に困るな」
「試しに上から順番に注文してみるっていうのはどうですか?」
「富豪ならばそんな道楽もできるだろうが、生憎と今の我輩にはそんな余裕はない。そうだ。サンドイッチはあるか? この間のあれが美味かったからもう一度食べたいのだが」
私は慌てて胸の前で手を振る。
「あれは正式なメニューじゃないですよ。私が勝手に作ったものなので、本来ならとてもお客様にお出しできる代物じゃないですし」
「そうなのか。それは無念だ……もしも、また夜にこっそり来たら出してくれるか?」
その悪戯っぽい表情にちょっとどきりとしてしまう。あのサンドイッチ、そんなに気に入ってくれたのかな。素直に嬉しい。
「私のサンドイッチよりも、このメニューに載ってるお料理の方が断然美味しいですから。この『妖精の森の秋の収穫祭』なんておすすめですよ。このお店の一番人気です」
「ほう。どんな料理なのだ?」
「それは出てきてからのお楽しみ……と言いたいところですけど、特別に教えちゃいますと、『妖精の森の秋の収穫祭』というのは、秋の食材……たとえばきのことかかぼちゃだとかを煮込んだトマトベースのシチューです」
「ふうん。もしやトマトの色も紅葉に見立てているのか?」
「そうです。その通りです。鋭いですね」
マスターがメニューに込めた思いを汲み取るとは、流石は芸術家といったところだろうか。
花咲きさんは少し考えていたようだったが、やがてメニューから顔を上げる。
「それではこの『白波の中の宝探し』を貰おうか」
「え?」
一番人気の『妖精の森の秋の収穫祭』じゃなくて、そんなマイナーメニューを?
そんな私の疑問が顔に現れていたのか
「説明までさせておきながら一番人気のメニューを選ばないのは申し訳ないが……それでも我輩は、なんだかこの『白波の中の宝探し』という謎めいた料理に惹かれるのだ。特にこの『宝探し』というフレーズが実にいい。心が踊る」
花咲きさんは目を輝かせて力説する。マスターの詩的表現にここまで好感を示してくれる人がいるとは。
ちなみに『白波の中の宝探し』とは具沢山のホワイトシチューだが……はたして花咲きさんの期待するような宝物は入っているだろうか。
そんな心配をしながら私は注文を伝えるためカウンターへと向かった。
暫くして食事を終えた花咲きさんが、こっそりといった様子で私を手招きする。
「これを。借りてた皿だ。一応洗ってはあるが、心配だったらもう一度洗ってもらえるか? 手間をかけてすまないが」
言いながら袋から出したお皿を手渡してきた。
「それならついでだし、このお皿と一緒に片付けちゃいましょう」
私は受け取ったお皿を花咲きさんの使ったお皿の下に重ねる。
「そういえば、白波の下に宝物は見つかりましたか?」
「ああ。真珠のようなうずらの卵がみっつも。それと、人参が星の形だったのだ。まるで波の下のヒトデのように。楽しくて美味かったぞ。料理人にもそう伝えておいてくれ」
花咲きさんは満足したように笑みを浮かべた。
よかった。喜んでくれたみたいだ。私が作ったわけではないけれど心が暖かくなった。
「また来る。その時はよろしくな。黒猫娘」
黒猫娘? それって私のこと?
戸惑っているうちに、花咲きさんはテーブルにお金を置くと、軽く手を振ってお店を出ていってしまった。
「黒猫娘」かあ……これまた直球なあだ名をつけられてしまったものだ。一応白い毛も生えてるんだけどな。
しかし私だってあの人のことを「花咲きさん」と名付けているわけだからお互い様か。
それから数日後。
私はミーシャくんの様子を伺うために、午後の休憩時間に例の工房を訪ねた。
「あっ、ユキさん。試作品できてますよ。ぜひ見てください」
ミーシャ君は私の姿を見るなり駆け寄ってきた。そのまま腕を引っ張られてお店の隅っこへと足を運ぶと、そこには私の描いた絵の通りのスノーダンプの実物があった。
「すごい! そう。これ。まさにこんな感じです!」
興奮する私に、ミーシャ君はスノーダンプの取っ手を持ち上げてみせる。
「それじゃあ、実際に使用感を試してみましょうか」
私達は外に出て、雪のある場所でスノーダンプを滑らせる。
おお、なかなか滑らかな押し心地。
今度は雪の積もった場所に押し入れてみる。雪にスノーダンプが食い込むずぼっという感触。これだよこれ。懐かしいなあ。
そのままテコの要領で、雪を持ち上げようと取っ手にえいっと力を加える。
するとぽきりという嫌な感触と共に、いきなり手に重みを感じなくなった。
見れば、雪を乗せるお皿から、取っ手の部分につながる箇所が外れてしまっている。力を込めた事で取れてしまったようだ。
「わああ! ごめんなさい! せっかく作ってくれたのに壊してしまって……」
慌てて謝る私に対して、ミーシャくんは首を振る。
「いえ、実際に使ってみる事で改善点も見えてきますからね。ここはもっと補強したほうがいいかな。この程度で取れるようじゃ、とても商品になりませんよ」
そういってメモ帳になにやら書き込んでいる。うーん、しっかりしてるなあ。
私は思い切って提案してみる。
「あの、それなら、取っ手の位置をもう少し下の方にできませんか? 今は胸の位置あたりに取っ手があるから力が入れづらくて……できることならお腹のあたりにして貰えると嬉しいです。あ、でも、そのまま短くするんじゃなくて、胸の高さの取っ手はそのままで、お腹のあたりにもう一本棒を取り付けて欲しいなと」
ミーシャくんが不思議そうな顔をしたので私は続ける。
「ほら、スノーダンプを使うのが私だけとは限らないじゃないですか。背の高い人も使えるように、取っ手は高い位置と低い位置の二箇所にあったほうがいいと思って」
「なるほど。それはいい考えかもしれませんね。早速取り入れてみましょう」
そうして再度打ち合わせを済ませて、私は工房を後にした。
スノーダンプ、無事にできるといいなぁ。そうしたら私の雪かきテクニックでレオンさんを見返してやるのだ。
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