閉店直前のお客様


「今まで仕事をしていて、朝食以外口にしていないのだ……」


 どうやら男性は食べ物を求めて彷徨っているうちに、ここで力尽きてしまったらしい。

 たしかに、こんな時間まで灯りの付いている飲食店はこのあたりにはうちくらいしか無い。酒場やなんかが集まる繁華街には遠いし。

 この人は食べものを求めて、いまだ灯りの漏れていたここにたどり着いたんだろう。

 残念ですがもう閉店です。なんて言えない雰囲気だ。ここで拒んだらそれこそ行き倒れになってしまう。


 私は少し悩んだ後に、男性を店内に招き入れる事にした。

 なんとかテーブルについた男性は、ぐったりしながらも


「すまないが手を洗いたい。洗い場を貸してもらえないか?」


 と口にした。


「申し訳ありませんが、厨房内に部外者を入れるのは禁止されておりまして……代わりに水の入ったたらいをお持ちしますから、それを使ってください」


 そうして厨房内でたらいとタオルを用意していると、背後から急にしっぽを掴まれた。


「ぎゃあ!」


 思わずたらいを取り落としそうになる私に構う事なく、しっぽを掴んだ相手は苛立ちを隠す様子もなく声に表す。


「おいネコ子、誰だあの男は。もう閉店なのに何やってんだよ」


 レオンさんだ。今まで厨房で火にかけられた大鍋の中のスープストックの様子を見ていたのだ。

 私があのお客さんを引き入れた理由の一つが、このレオンさんの存在だ。彼がいれば手早く美味しい料理を作ってくれるのではと期待したのだ。


「しっぽ握らないでください! 私にとってはお尻の一部も同然なんですよ! それを平然と握るなんて性的嫌がらせです!  レオンさんの変態! 痴漢!」


 抗議するとレオンさんは手を離した。


「じゃあお前は尻の一部を平気で露出してるってわけか。どっちが変態なんだか。この痴女が」


 ぐぬぬ……

 その理屈で言えばその通りだ。私は自覚無しの変態痴女だったのだろうか。


「そ、それよりも、あの人行き倒れ寸前だったんですよ。朝ごはん以外食べてないって言ってたし。だからお願いします。あの人のために何か作ってもらえませんか?」

「やだよ。俺だって忙しいんだ」

「レオンさん。かっこいい男の人が取る行動ってどんなのか知ってます? 女の人からのお願いに対して、必ず『もちろん』って答える事ですよ」

「俺には無縁な話だな」

「そんな事言わずに……なんだったら、その作りかけのスープストックを使った料理でも構いませんから」

「馬鹿野郎。このスープストックは朝までひと晩じっくり煮込む事で完成するんだぞ。中途半端な状態のものを食わせられるかよ。それに俺は他にも明日の仕込みで忙しい」」

「そ、そんな、私が行き倒れてた時は、みんな親切にしてくれたのに……」

「それは、あの時のお前が本当に『行き倒れ』だったからだ。命にかかわる状態ならみんな必死にもなるだろ? でもあの客はどうだ? 自分の足でテーブルまで歩いて、さらには手を洗いたいとか我がまま言いやがって。あんなのは行き倒れじゃねえ。余りもんでも食わせとけ。それに罪悪感を覚えるってならお前が自分で作れ」

「ええー……」


 日本でコンビニ食や出来合いのお惣菜なんかに頼っていた私には、この世界で料理することに対してはなかなかハードルが高い。当たり前だがカレーのルーや、だしの素だって存在しないのだから。

 学校の調理実習で習った料理の中に、何か作れそうなものあったかなあ……

 悩みながら、ぬるま湯を満たしたたらいとタオルを持って男性客の元へ戻る。ついでに温かいお茶も一緒に。


「あの、申し訳ありませんが、今は簡単なお料理しかお出しできそうになくて……サンドイッチでも構いませんか?」

「ああ、早く食べられれば何でもいい」


 男性は俯いたまま答える。

 凍えた手を温めるようにお茶のカップを手で包み込みながら。

 その答えを聞いて安堵した。サンドイッチなら私でも作れる。なにしろパンに具を挟めば良いだけなのだから。楽勝だ。うん。きっとそうだ。

 そういえば、前に観たテレビ番組で美味しいハムサンドの作り方を紹介してたっけ。確か蒸し器でパンを蒸すとか、レタスを茹でるとか……

 …………

 いや、そんな面倒な事無理無理。ここは手抜きサンドイッチで我慢してもらおう。


 早速厨房に戻った私はフライパンを火にかけると卵をひとつ割り入れる。

 その間にバターと少量のマスタードをパンに塗って、スライスしたトマトにチーズ、レタスを一枚と少し厚めに切ったハムを乗せる。

 その上に焼きあがった目玉焼きを載せて、マヨネーズをかけてパンで挟めば完成だ。

 ハムとチーズを食パンに挟んだものは、日本にいた頃、自炊するのが面倒くさい時によく作っていた私の手抜き料理だ。しかしそれだけでも私の舌は満足していたのだから、それに目玉焼きやレタスにトマトなんて加わった日にはそれこそ殺人的美味しさに違いない。と信じたい。


 それにしても、あのお客さん、相当くたびれているみたいだった。ついさっきまで仕事してたって言ってたし、尋常じゃないほど疲れているのかも。

 私は相変わらず大鍋の様子を見つつも下ごしらえしているレオンさんに声をかける


「あの、レオンさん。私、作りたいものがあるんですけど……」

「は? さっきも言ったろ。俺は手が離せないって」

「だから、そこから作り方を指示してもらえませんか? 実際には私が作りますから」


 お願いすると、レオンさんは人の悪そうな笑みを浮かべた。


「お前さ、さっき俺を変態呼ばわりしたよな。そんな失礼な事しといて、親切に教えてもらえると思ってんのか?  頼みごとする前に何か言う事あるんじゃねえのか?」

「その後でレオンさんだって私のこと変態呼ばわりしたじゃないですか。お互い変態呼ばわりした事で、その件は相殺ですよ」

「口の減らねえ奴だな」


 レオンさんは肩をすくめた。


「まあ、そういう事にしといてやる。それで、なんの作り方を知りたいんだ?」




 出来上がったサンドイッチを食べやすい大きさにカットして、手を洗い終えた男性客の元に運ぶ。

 お皿をテーブルに置いた途端、男性はサンドイッチを鷲掴むように、すごい勢いで食べ始めた。よほどおなかが空いていたのか。

 上手くできているか心配で、私もテーブルの傍らでその様子を見守る。

 男性がサンドイッチの何切れかを消費した時、何かに気づいたように呟いた。


「……このサンドイッチ、うまいな」


 あ、もしかして、褒められた? 褒められたよね?

 どうやらおなかが満たされるにつれ、味を認識できるようになったらしい。

 でも、空腹状態で食べるご飯というものは、自然と何割り増しか美味しく感じられるものだ。褒め言葉もほどほどに受け取っておこう。


 男性は、先ほどの勢いが嘘のように、ゆっくりとサンドイッチを消費してゆく。落ち着いて味わうように。

 やがてとあるサンドイッチを一切れ手に取ると口に運ぶ。

 と、次の瞬間、男性が驚いたように齧りかけのそれを見つめる。


「なんだこのサンドイッチは。甘い」

「それはパンにカスタードクリームを挟んだんです。お客様がお疲れのようだったので、そういう時は甘いものが欲しくなるかなーと思って……あ、もしかして甘いもの苦手でした?」


 私がおずおずと尋ねると、男性は首を横に振る。


「いや、逆だ。色からして、てっきり卵サンドかと思っていたから、予想していた味との落差に驚いて……確かに、お前の言う通り、我輩はちょっと疲れていて……ちょうど甘いものが欲しいとも思っていたのだ。気がきくではないか」


 なかなか独特な口調のお客さんだ。まるでどこかの偉い先生みたい。

 そんな私の思いに気づく様子もなく、男性はサンドイッチを手にしながら、こちらに顔を向けて微笑んだ。

 その時初めて男性の顔をはっきりと確認することができた。

 年の頃は20歳を少し超えたくらいだろうか。まっすぐな若草色の髪は肩より少し長いくらい。疲れのせいか少しやつれているようだが、顔立ちは整っているのがわかる。頬から顎にかけての柔らかな線が、中性的な印象を浮き立たせている。切れ長で涼しげな瞳は髪と同じ深緑。「かっこいい」というより「きれい」という言葉が似合いそうな人だった。


 しかしそれよりも目を引く特徴があった。男性の左耳より少し上のあたり。そこにこぶし大の白いカサブランカのような花がひとつ飾られていたのだ。今まで反対側に立っていたし、お店に招き入れた時は慌てていたから気づかなかった。

 私の視線に気づいたのか、男性は自身の頭部に開く花を指差す。


「ああ、これか? 飾りじゃないぞ。生えているのだ。我輩の頭から」

「え?」

「我輩にはドリアードの血が混じっているらしくてな。その影響か、こうして頭に花が咲いているというわけだ。まるで髪飾りのように。昔からよく『女の子なら良かったのに残念だな』なんて言われた。まったく失敬な話だ」


 今まで何度も誰かに同じような説明をしてきたんだろう。男性はなんでもない事のように言うと、サンドイッチに齧り付く。


 ドリアードって、確か木の精だかなんだかだっけ? 言われてみれば、さらりとした緑色の髪の毛も、爽やかな草原を連想させる。

 女の子じゃなくて残念だとか言っていたけれど、頭に咲く花はこの男性によく似合っていると思う。中性的な雰囲気にも違和感がないし、緑色の髪と白い花のコントラストも綺麗だ。

 そういう意味も含めての「残念」だったんだろうか。


 そんな事を考えている間にも、男性は


「うん、うまいぞ」


 と呟きながら満足げに甘いサンドイッチを平らげてゆく。

 その姿に、私もなんだか嬉しくなってしまった。

 以前に読んだグルメ漫画で、仕事で疲れている人に甘いサンドイッチを差し入れて喜ばれるというエピソードがあった。それを思い出して似たような事を実行してみたのだが、どうやら喜んでもらえたみたいだ。

 レオンさんにどやされながらカスタードクリームを作った甲斐があったというものだ。


「そうだ。せっかくだからデザートに果物でもお持ちしますね」


 喜ばれると更にサービスしたくなってしまう。少しくらいならいいよね……?

 厨房で林檎を切りわけると、お皿に盛り付けて男性の元へ戻る。

 しかし、男性は林檎をひとつ手に取ったかと思うと、なぜか食べようとはせずにそれをじっと見つめている。


「どうしてこんなふうに中途半端に林檎の皮を残しているのだ?」


 男性が何を言っているのかよくわからなかった。

 私が作ったのは日本でもよく見られた林檎のうさぎ。皮を耳に見立てたアレだ。


「どうしてって……うさぎだからですけど……」

「うさぎ?」

「ほら、この皮の尖った部分がうさぎの耳で……」


 説明しながら気づいた。もしかして、この世界では林檎のうさぎというものの知名度が低い……? かぼちゃのランタンとかフルーツカービングだとかも存在しないのかな?

 それを肯定するかのように、男性は林檎のうさぎを色々な角度から眺め回している。


「なるほど。うさぎか。言われてみれば見えないこともない。ほほう。面白いな」


 言いながら林檎を齧ろうとしたが、その途端


「痛っ」


 と手で頬を押さえる仕草をする。


「虫歯ですか?」

「あ、いや、そういうわけではないのだが……」


 そうは言うものの、男性は林檎を口にするのを躊躇っているようだ。

 虫歯じゃないのに歯が痛い。何故だろう。サンドイッチみたいな柔らかいものは平気みたいだったけれど。

 でも、似たような話をどこかで聞いたことがあるような……あれは確か……

 それが何だったか思い出した瞬間、私は口を開いていた。


「もしかして、お客様のお仕事って、芸術家とか、何かを作る職人さんですか?」

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