異世界で目覚めたら猫耳としっぽが生えてたんですけど

金時るるの

始まりは雪の夜

 雪。

 それが私の名前。雪の降る日に生まれたから。単純な理由だ。

 でも、もしかすると、童話の白雪姫みたいに雪のように白い肌になるようにとの両親の願いも込められていたのかもしれない。今となってはわからないが。

 とにかく今の私は、いつのまにか自身の名前と同じもので覆われた白くて冷たい地面の上に倒れていた。

 視界一面を覆う真っ白い世界。一見すると儚くて、それでいて冷たい花びらのようなものが、空から絶え間なく降ってくる。周囲が薄暗い事もあり、1メートル先もよく見えない。


 あれ? 東京ってこんなに雪積もってたっけ?

 どちらかというと、私の故郷を思い出す。冬になるとこんな風に雪が積もって、毎朝雪かき手伝ったっけなあ……


 ふと、そんなことを考える。

 何故自分がそんな状況に陥っていたのかはわからない。

 ただ、しんしんと降る雪が、今や身体を覆うように降り積もり、徐々に体温を奪っていくのがわかる。もう身体に力が入らず、指を動かすことさえままならない。

 そこでふと思った。


 ああ、もしかして私、ここで死ぬのかな……今日のジーンズ、まだ3回くらいしか履いてないのに勿体ないなあ……。


 そんなどうでもいいような考えが頭をかすめたその時


「マスター! またお店の前に行き倒れがいますよお! 今度は黒い猫の子!」


 そんな女性の声が響いた。




「ユキちゃん、5番テーブルにお料理運んでちょうだい」

「はい。ただいま」


 名前を呼ばれ、言われた通りにテーブルに出来たての料理を運ぶと、そこには常連客の顔が並んでいる。

 それを見て、一瞬心臓が跳ね上がるが、平静を装い料理を乗せたお盆をテーブルに置く。


「ユキちゃん、今日もかわいいね。その柔らかそうな猫耳触らせてよ」


 中年の男性客のうちのひとりがにやにやとからかうような笑みを浮かべながら声をかけてくる。

 一見普通の世間話のようだが、わたしは一瞬で緊張に体を強張らせた。


「いえいえ、私なんかに構ってたら美味しいお料理が冷めちゃいますからね。そんなのもったいないですよ。さあさあ、当店名物の『妖精の森の秋の収穫祭』をどうぞ」


 当たり障りのない会話でそそくさと料理を置いて踵を返したその時、尻尾を撫でられる感触とともに、背中にぞくりとした悪寒が走った。

 件の男性客が、制服のスカートからはみ出る私の長いしっぽの先を扱くように撫でたのだ。


「ぎゃあ!」


 慌てて逃げ出す私の背後から、男性客達の爆笑が聞こえた。


「『銀のうさぎ亭』っていうより『黒猫亭』のほうが良いんじゃねえか?」


 という声と共に。


 店内の隅っこで私は憤る。


「うう……いくらしっぽと言ったって、私にとっては身体の一部も同然です。それなのに冗談とはいえ毎回躊躇いもなく触るだなんて神経疑います。私、あの人のこと恨みます。いつか恨み殺します」

「あら、また? 大変だったわね。でも、呪い殺すならまだしも、恨み殺すのは難しいかも……あそこのテーブルには私が行くべきだったわ。ごめんなさいね。今度からあの人達が来たら私に言って」

「い、いえいえ、イライザさんのせいじゃありませんよ。私のあしらい方が下手なだけ……」


 私の恨みのこもった愚痴に対して、先輩ウェイトレスであるイライザさんが気遣わしげに声をかけてくれる。褐色の肌に白く長い髪と青い瞳を持つ、エキゾチックな美人さんだ。おまけに面倒見が良くて優しい。

 彼女の慰めを受けて、先ほどの出来事でささくれだっていた心が少し和らいだ。



 私は今『銀のうさぎ亭』という食堂で働いていた。

 吹雪の中発見された後で介抱を受け、凍死寸前から生還した私が得た情報。それは、私が倒れていたのは銀のうさぎ亭という食堂の前だったということ。

 いや、それはどちらかというと、敢えてどちらかというとだが、それでも些細な事だろう。


 それよりも重要なのは、ここがかつて私のいた現代日本の東京では無いらしいという事だったのだ。

 建ち並ぶ建物は軒並み石造りの趣ある外観で、まるでテレビや写真で見たヨーロッパの古い街並みのよう。

 豪雪地帯で、今は冬らしく、あちらこちらの屋根なんかに雪が積もっている景色も、なんだか子供の頃に絵本で見た外国の光景を彷彿とさせる。


 最初は日本以外の国にいるのかと思った。何かの事件に巻き込まれて、外国に拉致された挙句放置されたのかと。

 けれど、不思議と言葉は通じるし何故か文字も読めるし書ける。そして、街を行き交う人々は、現代では見ないようなドレスを着ていたり、漫画やゲームの中でよく見るキャラクターのようなファンタジックな格好をしている。中には鎧をまとった怖そうな人とかも。

 それに、髪の色だって、青や緑やピンクなど、まるでどこぞのヴィジュアル系バンドのメンバーのような、信じられない色をしている。どうやら染めているわけではなく地毛らしい。実に華やかで、自然と目を奪われてしまう。


 療養中にリハビリがてらあちらこちらを少しずつ探索し、情報を収集し、この状況について考えた結果、私はある結論にたどり着いた。つまり、にわかには信じられない事だが、私は元いた日本とは別の世界、すなわち異世界とやらに迷い込んでしまったようだ。そうとしか思えない。

 過去にそういう設定の漫画や小説を読んだ事はあるが、まさか自分の身にそれが起ころうとは予想だにしなかった。


 そのうちに体調も回復し、以前のように活動できるようになった。

 しかし、勝手のわからない世界で、知り合いもなく生きてゆくすべもない。

 途方にくれる私を不憫に思ったのか、なんと、私を保護してくれた銀のうさぎ亭のマスターが、ここで働かないかと提案してくれたのだ。

 相部屋だが、従業員用の寝室もあり、賄い付き。

 なんて素晴らしいんだ。わたしは一も二もなくその話に飛びついた。

 せめてこの世界の状況がわかるまでは安全に過ごしたい。


 聞けば、この食堂の前にはなぜか時々私のような行き倒れが現れるらしく、その度に介抱しては行き場のない者に仕事を提供してきたらしい。どうりで私を発見した女性の対応も手馴れているようだった。

 更には仕事を貰えるという噂を聞いた訳あり女性たちが、駆け込み寺のようにこの食堂に逃げこんでくることがあるらしく、そういった人に言えない複雑な事情を抱えた女性従業員も少なからず存在するのだ。そのせいか私も詳しい事情だとかをあれこれ聞かれずに済んだ。


 その事に密かに安堵する。異世界から来ました。なんて正直に言ったら頭のおかしい人に思われそうだし。かと言って、この世界に詳しくない私がそれらしい嘘をつけるとも思えなかったからだ。

 それに、一時的な避難所としてこの食堂で働く女性達は、転職や転居の目処が立てば、いつかは自立してここを出てゆく。だから、従業員が限りなく増えるという事もないらしく、今のところは少し従業員の多い食堂という事でなんとかやっていけているようだ。その代わりお給料は平均より低いらしいが。それでもありがたいことに変わりはなかった。


 しかし、それよりもなによりも不可解な点があった。

 こちらの世界に来てから、何故か私の容姿が大きく変化していたのだ。

 それに気づいたきっかけは、保護されてから数日後のことだったと記憶している。私の世話をしてくれていたイライザさんが、ベッドに上半身を起こした私の顔を覗き込んできた。


「お店の前に倒れてたって聞いた時はどうなる事かと思ったけど、随分と元気になったみたいね。顔色も毛艶も良いし、頬もふっくらしてきて。ほら、自分でもわかるでしょ?」


 顔色はともかく、毛艶ってなんだろう?

 そんな事を思いながらも差し出された手鏡を覗き込んだ途端、私の口から思わず


「……どなた?」


 という言葉が漏れた。


 私は確かに日本人だった。黒髪に焦茶色の眼と象牙色の肌という、典型的な日本人の特徴を持つ容貌だったはずだ。

 それがどうした事が、今や頭には猫のような黒く柔らかな毛に覆われた耳が生えている。背中まで伸びた髪は、何故か首のあたりまでは黒く、そこから毛先にかけてグラデーションがかかったように徐々に白くなっている。

 おまけに顔つきや体型までが別人のように変わって、十代なかばほどの若干幼さの残る外見になっている。そして目の色も猫のようなグリーン。元々あったはずの人間の耳は何故か消え失せたようになくなっていた。

 まさかと思い腰のあたりを手探ると、そこには猫のような長く黒いしっぽ。耳と同じように先の方が白い。

 あまりにも自然に体に一体化していて今まで気づかなかったのだ。


 どうやら私は猫娘になってしまったらしい。



 後で知ったのだが、そういう通常の人間とは異なる特徴を持つものは、ここでは「亜人」と呼ばれているらしく、理由はわからないが、私はその亜人とやらになってしまったみたいだ。

 もしかして別人の身体に私の精神だけが入り込んでしまったのか? とも考えたが、保護された時に身につけていた衣服は確かに私のものだったし、肩からかけていた鞄にも私の荷物が入っていた。当たり前のように携帯は電波が届かず使い物にならなかったが。


 この世界で初めて鏡で自分の姿を見たときはあまりにも信じがたい変貌ぶりにショックを受けて


「これは夢だ。目が覚めればいつもの日常が待っているのだ」


 と現実逃避しかけたものだが、慣れとは恐ろしいもので、いつまでも元の姿に戻らない日々を過ごすうちに、違和感も徐々に薄れつつあり、今ではどうにかこの世界で亜人生活を送っている。

 こうなってしまった以上は仕方がないという諦めの気持ちもあったのかもしれないが。


 それに、元の世界で色々とあって、日々の生活に疲れていたという事情もある。どこか遠くへ行ってしまいたいと思ったことも……だから、こんな物語のような世界に紛れ込んだ事態に少しの期待感もあった。まるで生まれ変わって新しい人生を生きるような、そんな期待感が。


 それと、この地には私の他にも体の一部に人間とは違う特徴を持つ者も少なくなく、頭に獣の耳や悪魔のようなツノを生やしている人や、ふさふさの尻尾を持つ子供がそのあたりを歩いていたりする。その事が私の順応の早さに拍車をかけていたのかもしれない。


 それに、慣れればこの世界も案外悪くない。確かに不自由に感じるところはあるが、街中を歩くだけでも楽しい。賑やかな市場、豪奢なお屋敷や、見事なステンドグラスの教会。まるで子供の頃に読んだ外国の本の世界に迷い込んだようで心が踊る。暇ができるたびに色々と散策に出かけるが、未だこの地の全貌を把握しきれていない。

 なにしろここはこの世界に存在するメルリア王国で一番大きな都市。王都ラングラーズなのだ。




 そうして私が今までのなんやかやを思い出していたその時、威勢のいい声が厨房から響いた。


「おいネコ子! お前、さぼってんじゃねえぞ。料理はもうできてるんだ。さっさと運べ。13番テーブル! 昨日みたいに皿ごとひっくり返したりなんかしたらタダじゃおかねえからな!」


 声の主はこの食堂で料理人として働いているレオンさん。

 外見は私よりいくつか年上で、おそらく20才前後。澄んだ空のような瞳ときれいなプラチナブロンドの髪を持っている。顎くらいの長さまである髪の毛は、調理中の今は頭部にバンダナのような布を巻いて邪魔にならないようにしている。

 普通の人間より少しだけ耳が長くて尖っているのは、彼がハーフエルフだからだとか。さすがはエルフの血を引いているだけあるのか、王子様然としたとても端正でどこか上品な顔立ちをしているが、それを台無しにするように、口を開けば乱暴な言葉がぽんぽんと飛び出す。それを目の当たりにするたびに「残念美形」という言葉が私の頭をかすめる。

 おまけに彼は私の名前である「ユキ」を無視して「ネコ子」と呼ぶ。

 何故だ。ユキの方がネコ子より短くて言いやすいだろうに。


 そういえば、昔のアニメ映画にあったっけ。魔女の女の子が初対面の男の子に「魔女子さん」とか呼ばれるやつ。

 もしかしてレオンさんて、その時の男の子みたいに私の本名をいまだに知らないのかな……だからネコ子で誤魔化してるとか……?  それとも他人に興味ないだけ? でも他の従業員に対しては普通に名前で呼んでいる。解せない。

 いまだその謎が解けないまま、私はカウンターに乗せられた料理を受け取った。



 そうして仕事にも、生活にもそれなりに慣れ始めた頃。

 その日は私がお店の戸締り当番だった。閉店の時間を迎え、他の従業員が引き上げた後で、窓や勝手口の鍵を確認して、最後に出入り口の大きな扉にかんぬきをかける。

 と、その時、扉の外でかすかに物音が聞こえたように思えた。


 うん? 気のせいかな? それとも、こんな時間にお客さん?


 不思議に思ってそっと扉を開けると、そこにはひとりの男性が横たわっていた。地面から少し高い位置にある入口。その間の3段の石段を這い上がる途中で力尽きたような体勢で。

 ま、まさか、これが噂の行き倒れ!?

 早く誰かに知らせなければ! いや、その前に暖かい室内に運び込むべき? それとも厨房に声をかけるのが先……?

 初めてのことに混乱して立ち尽くしていた私の足首を、目の前の男性ががしっと掴んだ。


「ひっ?」


 そのゾンビめいた仕草に、思わず小さな悲鳴を上げる私に対し、男性は顔を上げて、弱々しい声で告げる。


「頼む……何か食べさせてくれ……」



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