冷蔵庫が爺になりました
多嘉良 浩直
第1話 冷蔵庫が爺になりました
この夏においてまあ様々な事件、事態に直面したのだが、それを話すにあたって、まずは私について軽い自己紹介を行う必要がある。私は西城紫苑、とある私立文系大学に通っている大学二年生。現在、大学に通うにあたって都内で一人暮らしをしている。今は八月、テストとレポートは終わり、気の抜けた生活をしている。
そんな気の抜けた日々において、朝なんてないに等しく目が覚めたのは昼前、久々に真っ当に料理をしてみようかとだらだらスマホを弄りつつ着替えをし、キッチンに入った時だった。
初めは異変に気が付かなかった。いや、目を逸らそうとしていた。やけに圧迫感が減ったなー、掃除なんてしてないし何が起こったのかなー、とか必死に考えていた。どうにも頭が重い感じもするし、きっとそのせいかなー。そう考えつつプラスチック包丁を手に取り、キッチンの奥、本来は冷蔵庫があるべき場所ににじり寄っていった。じわじわと間合いを詰め、そっと冷蔵庫のあるべき場所を見た。
そこには、正座をした翁がいた。翁は寝ていた。若干いびきをかいている。見た目は七十くらいで頭が見事に光り輝いている。衣服はヨレヨレの浴衣、いや甚平だろうか。腕とかを見る限りそれなりに皺やシミがあるものの、健康そうだ。
どうするか。警察、だろうか。だけど来るまでに時間がかかる。その間にこの爺が起きて何をするか分からない以上もっと速く来てくれそうな人を呼ぶべきだ。そうだ。大家さんだ。大家さんを呼ぼう。スマホを持ち、電話をしようとしたところで急にロゴが表示され、画面が真っ暗になる。電池が切れた。
パニックになる。さすがにこれはまずい。どうしよう。
その状態で更なる追い打ちがかかった。爺が目を覚ました。大あくびをし、首を鳴らす。こちらと目が合う。
「何しとるんだ、紫苑」
「こっちのセリフよ。あんた誰」
「ンン?」
爺は私をじっと見た後、自分の手や足を見る。その後もう一度私を見た。ボケっと気の抜けた顔だ。口が半開きになっている。
「さて、何がどうなってるやら」
「とぼけないで。っていうか何で私の名前知ってるのよ!」
「ン?」
爺は自分の顔をペタペタ触っている。
「あー、よし。分からんが分かったぞ。紫苑、わしは冷蔵庫だ」
「……は?」
意味が分からない。さてはボケてるな。もしくはこの場を切り抜けるために適当なことを言っているだけか。
「論より証拠、見ておれ。ほれ」
老人は甚平の前を開けた。腹が見える。老人になると腹が出てくると聞いたような気がしたが、目の前の腹は筋肉質ではないにしろ引っ込んではいた。そこで気が付く。これはセクハラ案件では?
「へ、変質者!」
「いや、もうちょっと待ってくれ」
爺は両手を肋骨の中心部に当てる。手がそこに入り込む。途中で手を入れるのを止めると、肋骨部を両手で観音開きにするように開けた。
「ほれ、今日は何を作るんだ?」
観音開きになった肋骨部、その中にはどういうわけか私の冷蔵庫の冷蔵室があった。
今日の昼は結局としてろくな料理を作る気になれなかった。いくら何でも見知らぬ爺が家に居座っている中で料理をするには私の肝は強くなかった。結局、卵かけごはんと残り物の野菜のみが昼食になった。多いか少ないかで言えば、若干物足りないが運動不足にはちょうどいいと自分に言い聞かせた。
TKGを用意する中、爺はしきりに話しかけてきた。やれ物を詰めすぎると冷えにくくなるから止めろとか、上と下で温度が少し変わるから意識しろだとか。確かにそこら辺はよく分かってないなと思ったものの、今言わないでほしいと切実に思った。現実を受け入れる準備をさせてほしい。そういうと爺は申し訳なさそうな顔をして黙った。こっちも若干罪悪感があるが、今は気にしてられない。
昼食を食べ、食器を流しに置いたところで、やっと現実に向き合う余力が出来た。余力だけで決して積極的に向き合いたいわけではないが、先延ばしにすればするほど状況が悪化しそうなのは目に見えている。仕方なしに爺の前に椅子を持ってきて話しかけた。
「えっと、おじいちゃん? あなた、どこから来たの?」
「どこからも何も、冷蔵庫だからの。ずっとここにいたぞ」
だめだ。もう挫けそう。
「あー、そうだ。まずは名前、あなたの名前は何ていうの?」
「知らん。というか無い。製造番号はあるにせよ、それは名前じゃないからの」
「……何て呼べばいいのよ」
「好きにしてくれ。お爺ちゃんでもなんでも」
「じゃあ、爺で」
「うむ」
満足そうな顔して頷く。いいのか。
「じゃあ次。爺は何で急に人になったの?」
「その話か。うーむ」
悩むように唸る。眉間に皺が寄る。
「分からん。気が付いたらこうなってた」
少なくとも昨日は普通の冷蔵庫だった。だと思う。若干自信が無くなるが、多分普通だったはずだ。
「まあ、そんなのどうでもよいだろ」
「良くない。私は困る」
「何に、困ると言うのかの?」
「……え?」
それを言われると、返しようがなくなった。
「わしは冷蔵庫以外の機能は無いからの。多少手足は生えたものの、移動もろくに出来ん」
「おかしくない? 少なくとも自分で扉開けてたじゃん」
「じゃあ、ちょっと歩いてみるかの」
爺はそのまますっと立ち上がる。軸のぶれないきれいな立ち上がりだ。しかも思った以上に背が高いみたいで、見上げるようになる。私の方に二歩進んだところで止まった。
「ここが限度、これ以上はコードが引っかかる」
爺が後ろを指すので見ると、確かにコードがピンと張っている。
「冷蔵庫だからの、コードが抜ければ電源が落ちる。機能が止まってしまうわけだ」
つまり、電源引っこ抜けばこの事態から抜けだせるのでは?
「ああ、コードを戻せば元通りになるからの。抜く際には中のものをどうするか決めてからにした方がいい」
だめだった。そんなに単純ではない。今の貯金で冷蔵庫をもう一台用意するのは無理だ。そうである以上、この冷蔵庫を使わなくては生活できない。
爺はいつの間にか定位置に戻って正座していた。
「別に危害を加える気もないのだがの。むしろ、動けない以上、紫苑がしっかり使ってくれなければ困る。なるべくそちらの意向に従うから、それでもいてはいけないのかの?」
頭を掻く。確かにこの冷蔵庫を名乗る爺の言い分も分からんでもない。でも、どうにももやもやする。
「あー、分かった。分かったけど、ちょっと待ってくんない?」
このままだとこの爺に言いくるめられることになる気がしてきた。一旦仕切り直そう。スマホで連絡を取れそうな友人の内、今暇そうなのを探す。いるにはいるが、この事態を話せそうな相手となると……ゆかりんしかいないか。メッセージを送ると、近場のそれなりに高い喫茶店の住所が出される。
ため息。行くしかないか。
「どこか行くのかの?」
「ちょっとね。出ていくなら勝手にどうぞ」
「まさか、道具が勝手に逃げるわけ無かろうて」
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