飛び越えろ、一息で

篠岡遼佳

飛び越えろ、一息で

 世の中には、壁があると思う。

 格差社会というように、人と人の間はありとあらゆるもので異なり、しかし、学校や会社などたまたま同じステージ上で知り合う。



 その人とは、ゲームセンターというステージ上で出会った。

 私は今も当時もプライズゲームが好きで、相当やり込んでいたから、友人には重宝されていた。

 といっても、私はそんなに上手ではない。なんというか、こういう場合、「どう取るか」ではなく、「いくらつぎ込めるか」が、最も有効な手立てである。

 それでも、ちょっとした技をいくつか身につけて、狙ったものはほとんど取ってきた。私も一応女子であるから、ふわふわしたものやもこもこしたものには弱いのだ。


 その日も、いつものように目当ての猫のぬいぐるみを見つけ、何度かやった。だが、アームの動かし方の癖に馴染めず、これはダメだな、と見切りをつけ、次のゲームに移っていた時。


「あの」


 その人は背が高く、細身で、明らかに私より一回りは年上そうだった。でも、姿勢はいい。スーツでモノトーンだけれど、ネクタイの深い赤がとてもよく似合っている。靴もきれいだ。

 そして、割と整った顔立ちをしていた。ちょっとかっこいいかも? などと思っていると、

「これ! なんですが!」

 と、ぬいぐるみを差し出してきた。

 さっき私があきらめた猫のぬいぐるみを。

「ぼ、僕がやったら一回で取れてしまって……あの、もし良ければこれをさしあげたくて……」

 ぽかん、としていると、目の前にただただ実直にぬいぐるみがぐいっと出される。

「――ああ、ナンパかなにかですか?」

 女子高生然とした格好でゲームをしていると、たまにそういうこともある。しかし、その人は慌てて首を振ったかと思うと、

「で、では、差し上げますので! それでは!」

 と、あっという間に筐体たちの間に紛れてしまった。

 ――うん、まあ、こういうこともあるんだろう。

 私はその程度に考え、店員さんから袋をもらい、その子を持ち帰ることにした。

 名前はなにがいいだろうか。


 ――その次の週、今度は友達とゲーセンで遊び、プリクラを撮ったりまたプライズゲーをやったりし、三々五々解散していた時。


「あ!!!」

「あ!」


 今度もむこうが私を見つけた。

 ぱっと駆け寄り、にっこりと笑う。大きいのに人なつこい犬のようだ。


「こんにちは!」

「こんにちは」

「良く来るんですか?」

 会話は割と端的であるようだ。

「ホームと言っても過言ではないですね」

 私もそれにならって、余計なことは喋らない。

「あの、実は、……実は、お願いがありまして」

「なんでしょう?」

「どうしても取れない箱があるんです……」

「なるほど。見てみましょう」

 見に行くと、さすが困るだけある。アームの可動範囲の外まで箱が転がっている。

 私じゃどうにもならないので、店員さんを呼んで、開始位置に直してもらう。

「わあ、ありがとうございました。これでまた出来ます」

 ありがとう、とまたあけすけな笑顔を見せる相手。

「なんというか、店員さん呼んだけですけど……」

「わ、わかってはいたんですけど……僕はその、人見知りで……怖くて店員さんに話しかけづらくて……」

「話しかけられない!? 繊細だなあ……」

「せんせい?」

「先生? いえセンサイ、です」

 センサイ、のわりには、私に声をかけてくるのはなぜだろう?

 やっぱり新手のナンパなんだろうな~、と思い、その場はとりあえず、箱物(リラックマの調理器具だった)を一緒に取った。

 なんともうれしそうで、頬ずりしそうな勢いだったことを覚えている。


 そして、更に2週間。

 春休みの間に、私たちは着実に仲良くなり、私は私で彼のことを考える時間が増えた。

 でも、それはあっけなく終わりを告げた。



「新しく赴任してきました。副担任と、数学を担当します。みなさん、よろしくお願いします!」

 彼はそう言った。黒板に書かれた文字で、はじめて彼の名前を知った。

 スーツ姿の彼は、あの時のネクタイをしていた。

 ……私は、友人たちが心配してくれるのも構わず、その日一日、ふて寝を決め込んだ。



 ――もう来ないだろうな。

 私は思う。

 目も合ったし、さすがに3週間も会ったり会わなかったりしてれば、私のこともわかるだろうし。

 でも、ホームはホームだ。今日も、硬貨を握りしめて、筐体に向かう。

 今日はなにかいいものがあるだろうか。


 と、シリーズで出ているふわふわのぬいぐるみの、うさ耳つき帽子が目に留まった。かわいい。これがいい。これしかない。

 今日の資金はいくらだっけ。このくらいの距離ならアーム三回で動かして、その後引っ張り上げるのにもう三回……? うむむ、財源が厳しいけれど、でもだめだ、目に留まってしまった。持ち帰る、絶対持ち帰る。


 そう思っていた時。


「あ!!!!」


 慣れた声が、入口方向から聞こえた。

 思わず私も声を漏らす。

 

「あ……」

「ああ、よかった、無視されたらどうしようかと」


 彼はいつもの人なつこい笑顔で言う。

 私は、筐体に手をかけたまま。


「……君が生徒になるとは思っていなかったよ」

「私も、あなたを先生と呼ぶことになるとは思いませんでした」


 ちょっとだけ口調が変わっている。おそらく、親しみを持っているからこそのものだろう。それがうれしくなってしまうくらいには、もう私も、彼に親しみを持っている。

 3週間という時間は、彼を好きになるには充分だった。


「でも、もう、会えませんね」

「いいや、そんなの、関係ないだろう?」

「いや、あなたの社会的地位が危うくなりますよ? 親切心から言ってるんです」

「いやだ」


 彼はきっぱりとそう言い、


「だって、君が目に留まった。君がいいんだ。……だから、そんなの乗り越える、必ず」


 私は気付いた。彼の真剣な目に、私も一体どうすればいいのかを。

 ゲームセンターというステージで会った、先生である彼と、生徒である私が、これからも関係を続けていくのなら。

 壁があったら、乗り越えればいい。壊せばいい。投げ飛ばしてしまえ。


 私は決めた。

 いつか見た夢は、こんな恋ではなかったけれど。

 百円硬貨を、筐体に入れる。


「これで取れたら、つきあってくれますよね?」

「ちょっと、君、それは……」

「知ってます。ですけど、こっちも真剣なんです。あなたと同じくらいには」


 そしてアームは、がっちりとうさぎ耳のついた帽子をつり上げた。

 私が振り向いて、帽子をかぶりながら、してやったりと振り返って笑うと、


「――君のその笑顔が、好きだよ」


 こんなにうるさいゲーセンの中なのに、その静かな言葉だけが、すっと、耳に届いた。


 

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飛び越えろ、一息で 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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