牛刀割鶏
木下森人
第1話
わたしが彼と出会ったのは、豊洲のホームセンターだったわ。
彼はわたしを見つけるなり、とても情熱的な視線を送ってきたの。その長くて繊細な、それでいて男らしい指先で、おそるおそるわたしをつかみ取り、全身を舐めるように凝視した。わたしは思わず穴が開いちゃうかと思ったくらい。ええ、それはとても綺麗な瞳で――。穴あき包丁なんてダサいって考えてたけど、彼に貫かれるならそれも悪くないかもとか何とか思ったりなんかしちゃったりして。
それから彼は感情のこもらない、セラミック包丁みたいに固い声音でつぶやいたわ。「こっちのほうが刺しやすいか……」
わたしはこの世に生を受けてからずっと、自分が切るために生まれてきたんだと思ってた。そう思い込んでた。でも彼の、その一言で気づかされたのよ。その気になれば、わたしは何だって出来るんだって。
彼はわたしを身請けして、家へ連れ帰ってくれた。新しい家はホームセンターと違ってずっと狭くて暗かったけど、これから彼とここで暮らしていくんだと思うと、まるで宮殿にいるかのような心地だったわ。お姫様にでもなった気分。
「――死ね! 死ね死ね死ねッ! 死ねェ!」
彼はわたしを使って毎夜、丸めた布団を突き刺した。突き刺し続けた。何度も何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――
そのときの彼の目はとても情熱的で、ちょっとこわいくらいだったかな。だけど同時に、わたしは少し、楽しかった。食材を切るためだけに造られたはずのわたしが、こうして布と綿のカタマリを刺しているなんて。
……ただ、ひとつだけ不満があるとすれば、その行為のあいだ、彼の目がわたしを見ていないこと。彼の汗ばんだ手が力強くわたしの手を握ってくれるけれど、その目はわたしではなく、布団に貼りつけた顔を見ていたの。女の顔よ。わたし以外の女。
切れ味鋭いわたしと違って、だらしないタレ目と緩んだ唇。わたしがなめらかでツヤのあるのと違って、そばかすだらけの醜い肌。ありえない。彼にふさわしいのはわたしなのに。どうしてわたしを見てくれないの? もっとわたしを見てよ。初めて会ったときみたいに、その綺麗な瞳でわたしを貫いて。
でも、毎日その行為が終わると、わたしの思いが届いたのか、彼は決まってわたしを見つめてくれる。あの綺麗な目で。そしてわたしの肌をやさしく撫でてくれながら、こうささやくの――「もうすぐだ……もうすぐおまえを……」
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