第十三話 知らないって恐ろしい

「はぁーーーーーーー!?」

アシュベルは思わず叫んでエレナに両手で口をふさがれた。

「むぐっ」

エレナはアシュベルが静かになると、そっと両の手を外した。


しかしそれが本当にそうだ、とエレナの口から聞かされるまでは

どこか信じられない気持ちがあった。

それを目の前のエレナの口から直接聞くと、現実を突きつけられた心持だった。


「クアドラ=ゼルネシスって言えば、誰もが知っている英雄だよ!」

「そうなの?」

知らないのか・・・それもそうか、この人は最近まで王位第一継承者だという事すら

知らなかったのだから。知らないって恐ろしい。


それは・・13年前に失踪したと言われる稀代の英雄クアドラ=ゼルネシス。


この人の英雄伝説は数えきれない程に事欠かない。

一人で敗北寸前の戦況であっさり勝利し、数百人の敵陣に特攻し無傷だったとか、

それらの功績は後世まで語り続けられてきた。


後にも先にも、これほどの剣士は現れないであろうと称される存在。

今や伝説にもなった英雄のなかの英雄。

アシュベルも13年前に遠めに見たことがあるが、大勢の中に居てもその存在は異彩を放ち少年ながら畏怖し声すらかけられなかったことを覚えている。


クアドラが消息をたった後、様々な憶測が流れたが、

まさか辺境の地で隠れるように住んでいたというのか。

そしてエレナを守り育てていたのだ。

剣、体術、それに伴う戦闘の知識、それらの全てをあの英雄が彼女に伝え教えていた。

彼女を作り上げたのは英雄クアドラ=ゼルネシス。

それならば納得できる・・。

エレナのあの歳にしてはふかかいな剣裁き、素早い判断力、冷静さ。

ついでに豪剣と呼ばれた彼から考えると彼女の無謀さにも納得できるものがある。


どこか一線を越えている気がしていた。


あの英雄が師匠となり、教育全てを担っていたのだろう。

彼女は恵まれていると言えるのだろう、英雄直々に様々なことを伝えられてきたのだから。

聞きかじりだがふと浮かんだ疑問をアシュベルは口にした。

「確か・・クアドラ様って修行が厳しいのが有名だったような。」

木刀で投げ飛ばされたり、吹き飛ばされたりで、噂では大の男でもその厳しさに逃げ出す者もいるとか・・こわ。


ふとエレナの方を見る。

細くしなやかな腕や指、真っ白で華奢な脚。

まさかこの可憐な少女にも・・。

「誰かと比較したことはないけど、青あざやケガなんかはしょっちゅうだったけど?」

英雄怖い・・俺にはそんな度胸なんてないな。でも。

彼は王付きの側近。そこまでしなくてはならない理由があったのだろう。

「でも、たまにおじい様に反発してやったけどね。」

隣に座っているエレナがアシュベルの赤い瞳をのぞき込む。

「イノシシとって来いって言うから、熊とって来たりしたなー。」

いたずらっぽく黒い瞳を煌めかせながらくすくすと笑う。


そうか、彼女にとっては幸せのひと時だったのかもしれないな。


いや・・・

これは、この先の事を考えるとささやかな幸せだったのか・・。

それもこれもあの事件がきっかけなのだから。

エレナが王位第一継承権の彼女が、辺境の地で生きなければならなかったのは

全てはあの時から・・・。


アシュベルが考えるに、エレナはどうやらこういう事態に落ちいったことに疑問を感じたこともないし

あの事件は知らないようだ。


知らせるべきなのだろうか、先ほど狙われた経緯から考えて彼女に危険は迫っている。

しかし、それを俺が言っていいのか。

ほぼ部外者のこの俺が。

敵が既に動いているなら・・・。



「ヒメ、あの・・ヒメの過去について話しておかなければならない事が。」


アシュベルは、すっくと立ちあがり渾身の決意でエレナを見る。

すやぁ。


寝ているな、これは。

確かに疲れて寝てしまってもおかしくない状況だけど、自分を狙っている者がいるとわかってても

マイペースを貫き通す・・肝が据わっているのか無謀なのか。


エレナをベッドに横に寝かせると布団を掛けてやり、部屋を出る。

部屋の前で警護している者は、自分の息がかかったものだ。

「朝まで見張りを怠るな。」

「はっ!」

その返事を背中で受け止めてアシュベルは立ち去っていく。





事が起きたのは、早朝だった。


「アシュベル様!」

夜も明けきらないうちにエレナの部屋の前で警備をしていた者がアシュベルの部屋を

訪ねて来た。それもかなり動揺しながら。

アシュベルは昨日の騒動でほとんど寝ていなかったが、あくびを噛み殺しながら扉を開く。

「なんだ、騒がしいな、何事だ。」

「エレナ殿の部屋に、あの、あの方がっ」


まさか・・!


「彼女は今どこだ!?」

アシュベルのあまりの剣幕に恐れを抱き、警備の者は答えるのが精いっぱいだった。

「エ・・エレナ殿は訓練場管理官室にいますっ」

その言葉を受けアシュベルは全力で走り出す。


まずい、まずい、まずい。

焦りがアシュベルを支配する。

何故俺は彼女の傍を離れたんだ、何故彼女から目を離してしまったんだ!


バーン!


扉を勢いよく開け放つ。


そこには管理官とあの男、そして対面するように反対側のソファにエレナが座っていた。

・・・取り敢えず、は無事なようだ。


息を整えると、胸に手を当てアシュベルがゆっくり丁寧にお辞儀をする。

さすが貴族の出身というところか、所作がエレナにはとても優美に感じた。

「突然の訪問お許しください、こちらにセーデル大臣がお越しになっていると

聞いてはせ参じてまいりました。」


アシュベルはまだ頭を下げたままだ。

「顔をあげなさい、久しぶりだね、アシュベル君。」

その言葉に顔を上げたアシュベルの表情に、エレナは驚きを隠すのに必死だった。

いつもと全く違う雰囲気、どころか彼の瞳はその奥底に紅蓮の炎のような威圧感を感じる。

そしてそれを隠そうともしないように見受けられる。


アシュベルに声を掛けた男性は、年齢はアシュベルよりも10歳程年上に見えた。

黒い服装に黒いコート。顔は少し青白いように見えるが帯刀しているのと体つきから

剣の訓練は疎かにしてないだろう。

しかし・・エレナは思う。この人の心は闇に支配されている。


アシュベルにセーデルと呼ばれた男が話し出す。

「今日は西の方の視察からの帰りでね、こんな時間になってしまったんだが。」

不敵な笑みをたたえたまま、エレナに目をやる。

「なに、アシュベル君が珍しくご執心な女性がいる、と耳にして興味が湧いたんだよ。」

この人の瞳には光が宿らない。

「御冗談でしょう、あなたほどの地位に居る方がそんなことで。

それに何か誤解をされているようですが、彼女をそこらの女性と同様に考えてもらうと困ります。」

挑戦的までの口調でアシュベルが牽制する。

「ほぉ」

うすら笑いを浮かべて初めて、この男、人としての感情があったのか。

エレナは注意深くセーデルを見ていた。


それにしても・・。

管理官が二人の殺気だった会話の中でおろおろとしている。

気絶してしまうのではないか・・とエレナはそっと心配する。


「失礼ですが、エレナ殿は昨晩の事件で疲れています。もう御用がないのなら

彼女を部屋へ送り届けたいのですが。」

知らないうちにアシュベルがエレナの傍らに立っていた。

「事件・・ああ、矢が射られたとか。物騒な世の中だから気を付けてくれたまえ。」

うっすら笑みを浮かべるセーデル。

確定だな、昨日の事件にはこの男が関わっている。


アシュベルはエレナの手を取って、強引に扉の前へ引っ張って行った。

「ご心配いたみいります、それでは失礼いたします。」



外に出てもアシュベルはエレナの手を握りしめ、ぐいぐいと突き進んでいく。

先ほどの好戦的なアシュベルがまだ抜けていないようだ、握られた手が痛い・・・。


見かねたエレナがぐっとアシュベルを引っ張り返す。

「手、痛いのだけど。」

「あ、ごめんヒメちゃん。」

それでもまだ彼の瞳は怒りに燃えている。


「あの男は・・セーデルは危険なんだ。」

怒りを抑えきれないかすれたアシュベルの声。

もう黙っておけない、彼女に話さなければますます危険を回避できない。

エレナはセーデルが居るだろう方向に目を向けていた。

アシュベルは己の怒りで見えていなかったのだ・・エレナの瞳の奥を。

「ヒメ、あの男は・・」


風が吹き、木々のざわめきが五月蠅いほどに広がっていった。

そこで初めてアシュベルは気づいた。

エレナの黒い瞳にいつもの煌めきはなく冷たい闇が支配していたことを。





「知っている。あの者は父上と母上を殺した。」



どのくらいたっただろう。アシュベルがその言葉を理解するのに。


「あの男が部屋の前に来た時・・全てを思い出した。父上と母上を殺し妹からも

引き離された。」

エレナの話し方は淡々としていた。

「初めて・・人に殺意を抱いたわ。こんな感情がわたしのなかにあるなんて・・」

次の瞬間、彼女は両手を広げ思い切りすぅーっと息を吸い込んでで息を吐いた。


「まだまだね、こんなに動揺してしまうなんて。」

エレナの瞳に輝きが戻っていた。

「ヒメちゃん・・無理しなくても」


「いえ、あなたの主としてあの時のことを話したいのだけど、いいかな」




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