第八話 心に広がる靄

エレナの表情は変わらない。

そして一言。


「お断りします。」

冷淡なほど抑揚のない言葉の響き。

でも、これは想定内。アシュベルに引く気はない。

自分で未来を切り開こうという強い意志を持った女性なのだ。

こちらもこちらでマナの秘密や亡くなった姫という秘密を追及したいところだが

まずは彼女の側近にならないと距離は縮まらない。


「断るなら今の秘密ばらしちゃおうかなー」

にっこり微笑むアシュベル。


エレナは少し呆れたように首を軽く振った。

「あなたはそんな事しないでしょ。」

「この紋章があるということは、わたしは王家の血筋をひく者だと思います。でも

そのことを明かすつもりはないしこの先、関わるつもりもない。」

そう、だから?そう言いたげなアシュベルの顔を不可思議に思いながら言葉をつづける。

「あなたに何のメリットもないと思うのだけど?」

「俺は姫に忠誠を誓い、姫をお守りしたいと思っているだけです。」

淡々と言葉を紡ぐアシュベル。

「姫は、やめてください。」

本当にこの人の表情は読み取れない。

でも、すべてが嘘・・という感じはしない。


エレナはブーツを履き扉の方へ歩いていく。

「誰かに守ってもらう必要はない、私は私自身を護るし、もっと強くなってこの力を

他の人のために使いたい。・・・それだけ。」

扉を開きアシュベルの方を見る。

黒い瞳がいつも以上に深い闇を宿していて・・少し怖い。

その瞳に見据えられたアシュベルは背筋に凍るものを覚えたが、この感じはなんだ。

その裏に隠された怒り、というよりも他の何、苦しみ・・なのか。

「治療室の先生が言ってたのだけど、訓練生には部屋が用意されているようなので

もう行きます。送ってくださってありがとうございました。」

言葉とは裏腹に、そう言い残して扉を勢いよく大きな音をたてて出て行った。


やれやれ豪快にふられた上にご機嫌を思いっきり損ねてしまったようだ。

しかしあれぐらいで諦められるようだったら、最初からエレナに提案していない。

・・やはり彼女は微塵も思っていないのだな、自分がこれからまきこまれる未来が

良くも悪くも大勢の人に影響を与えるということを。

いや、エレナが巻き込んでいく・・といってほうが正しいのか。

彼女に関ってしまえば魅せられずにはいられないはずなのだから・・・。


アシュベルの端正な顔立ちに夕暮れの日差しがあたっている。

最後のエレナの瞳・・あれは何だったのか。

「まぁ、訓練も始まるし、俺も動いとかないとだな。」

珍しく真顔で呟いていた。





エレナは扉を大きな音を立てて出てきたが、まず、その音の大きさに自信がびっくりしていた。

何をそんなに力を入れているのか、私は。

道すがら訓練場の使用人に書類をもらい女子寮の場所を聞いて、

いつも以上の速さですたすたと前進する。

なんなんだ、このぐるぐるとした感情は。


アシュベルにひどい態度をとってしまった・・彼にはお世話になったというのに。

もちろん彼の申し出を受ける気は皆無だったが、もっと穏便に断ることもできたはずだ。

エレナは自身にも問うてみる、思わずとってしまった行動の根源を。

それは、苛立ちのようでもあり、悲しみのようでもあるように思えた。

あの時『守る』とアシュベルは言った。

勢いよく歩いていた足が止まり、持っていた書類に思わず力が入る。

彼の目から見て、私は守られる側なのか・・・守る側でなければいけないのに。


守る・・・。

「アシュベルから見てわたしはそんなに弱くみえるのか・・。」


確かに間近にみたアシュベルの強さは他者を凌駕するものであるという事は、戦闘経験の少ない

エレナの目から見ても明らかだ。

立ち止まったエレナの視界に夕日がに映った。

「もっと強くならなければ、もっと。もっと。」焦燥感が彼女の心に広がっていく。



ー翌日。

エレナは寮の部屋で訓練場に向かうための支度をしていた。

部屋はこじんまりとはしていたが、一人一部屋あたえられ、生活に必要なものは揃っていた。

ベッドもふんわりとした肌触りのいいもので、さすがお城の施設といった感じなのだが、昨日の事があってあまり眠れなかった。

子ども扱いをされるのを嫌がっている本人がアレでは周りもそう見てはくれないだろう。

早く一人前になって頼れる存在になる、そうなるためにここに来たのだ。

頭を切り替えて、この訓練場で習得できるものは積極的に吸収していかなければ。

気合を入れ、エレナは訓練場の集合場所へ向かうため、部屋をでた。


集合場所にはかなり早めに着いたつもりだったが、すでに幾人かの訓練生の姿が見えた。

昨日の訓練式に出席しなかったせいか、それともこの身長のせいか・・こちらを見て

ひそひそと話している者もいた。

まぁ、小さな体には小さなマナしか宿らない、憐みの視線は覚悟の上だ。

しばらくすると人が増え始めた。ぐるりと見渡すと男女ともに長身の人が多いように思える。

20人くらい・・かな。

ザリッと大きな影がエレナの横に並んだ。ふと見上げるとひと際長身の眼鏡をかけた青年が

立っていた。この圧迫感・・アシュベルと同じくらいか。

眼鏡の奥には鮮やかな水色の瞳が垣間見えた。水使い・・か。


「訓練生!午前中は二人一組になって剣を受ける姿勢を学んでもらいます。」

女性の教官が声高に言う。

「こちらで用意した木刀を使っての稽古ですが、昨日説明したように、あなた方の

能力を城の役人や地方領主が見に来ています。」

んん?それがなんだというのだろう。

「あなた方の実力を見に来ているので、それを覚えておいてください。

今からでも見込みがあると判断され見染められれば、不足分の訓練も続行可能となります。」

なるほど。

これまで剣をふるってこなかった人もいるだろう。スタートは遅くとも可能性を感じられれば

無償で援助するという事か。

天から授かったこの能力にはそこまでの価値がある、と。これは破格の扱いだ。

確かに端の方でそれらしい人物とうかがえる人達が居るのが確認できた。

なんだろう・・この値踏みされてる感じは。


伏し目がちに少し考え込むエレナの耳に、聞いた声が聞こえてきた。

「君らのような魔法剣士を抱えることが、一種のステータス、だと思ってるお偉いさんも

いるからねぇ。将来の職業は慎重に。」

緊張感のある場をあっという間に軽くしてしまう声、しかし真実を語る声。

ハッと顔を上げるとやはり思っていた顔がそこにあった。

風になびくやわらかな金色の髪、燃えるような深紅の瞳、悠然と微笑みを浮かべる圧倒的な存在感。

この中にあってひと際目に飛び込んでくる、微笑んでいるのに威圧感さえ漂っている。

「アシュベル様!なぜここに!?」

女性教官が悲鳴に近い声で問いただす。が、やや頬が赤らんで見える。

「きゃー、こんな近くにアシュベル様が!」

「わたしもう死んでもいいかもっ」

女性の訓練生から黄色い歓声が湧き上がる。


「あ、聞いてないか、俺今日から教官やるんで。」


その言葉を聞いて女性訓練生の中には失神しそうな者までいる。

訓練生言葉を失っているのを見るとアシュベルが、それに気づいたように話し出す。

「そうか、自己紹介ね。名前はアシュベル、昨日までは城のぉー、騎士してました。」


エレナは顔面蒼白になっていた。この人は近衛隊の隊長で、こんな場所に居るはずのない人だ・・

そして今一番顔を会わせたくない人。


「ヒメちゃーん、今後ともよろしくお願いしますっ」

うわっ・・へらへらと手を振ってこっちを見てる。

訓練生全員の視線がエレナに注目が集まったのを感じた。やめてほしい、視線が痛い・・。

なんかもう色々どこから突っ込んでいいのか・・ヒメも言葉遣いも言動全てだ・・。

知らないふり、知らないふりをしよう。


「じゃあ、とりあえずヒメちゃんの相手は俺で。」

「なっ・・」

いつの間にかアシュベルはエレナの目の前に立っていた、いつも通りの笑みを浮かべて。

本当にこの人の表情は読みにくい。

笑みを浮かべながら目だけは真剣そのもの。

でも、前向きに考えれば、国で指折りの魔法剣士に相手をしてもらえるなんて好機としか言いようがない。

今だけ、とりあえず今だけこの状況を前向きにとらえよう、その選択肢しか浮かばない。

エレナは落ち着くために深呼吸をして剣を構えたた。


「では、お願いします。」

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